偏屈な辺境伯爵のメイドに転生しましたが、前世が秋葉原ナンバーワンメイドなので問題ありません

八星 こはく

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番外編

その1(ヴァレンティン視点)執事の願い

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 コンコン、と部屋を何度もノックする。すると、中からどたばたと動く音が聞こえてきた。
 部屋の扉は開けず、外から大声で叫ぶ。

「坊ちゃん、アリスさん、昼食の用意ができましたよ!」
「すぐ居間へ行く、待っていてくれ!」

 坊ちゃんの焦ったような声にも、私はすっかり慣れてしまった。
 はい、と返事をしてから居間へ向かう。

 坊ちゃんとアリスさんが結婚式を挙げてから、約一週間が経過した。
 結婚式以降、坊ちゃんたちはなかなか寝室から出てこない。

 仲がいいのは喜ばしいことですが、少々寂しいものですね。

 そのため朝食を食べる機会はなくなり、最近は昼食時に二人が居間へおりてくる。
 昼食をテーブルに並べながら、夕食のメニューについて考える。

「……今度、スッポンを取り寄せてみてもいいかもしれませんね」





「ごめんなさい、ヴァレンティンさん! 今日こそは昼食の用意を手伝おうと思ってたんですけど……っ!」

 居間に入ってくるなり、アリスさんが勢いよく頭を下げた。

「いえいえ。大丈夫ですよ」
「でも、一人で用意するのは大変じゃないですか!」
「元々、アリスさんがくる前は一人でしたから」

 年をとってきたとはいえ、まだそこまで衰えてはいないつもりだ。
 長年坊ちゃんに仕えてきた執事として、大変だと言うわけにはいかない。

 もちろん、アリスさんがきてくれてから、仕事面で助けられることも多々ありましたが。

 アリスさんは最初、あまり仕事ができなかった。正直、一人でやった方が効率がいいと思いながら仕事を任せたことが何度もある。
 しかし仕事を続けるうちに、それなりの仕事ぶりになってきた。

 それに、坊ちゃんを笑顔にしてくれたというだけで、私は十分満足していますから。

 新しい使用人にきてほしかったのは、坊ちゃんに私以外ともコミュニケーションをとるようになってほしかったから。
 その目的はもう、完全に達成されている。

「やっぱり、使用人を新たに雇った方がいいんじゃないか?」

 坊ちゃんがアリスさんの腰に手を回しながらそう言った。

「アリスはもう、メイドではなく俺の妻だ。仕事をするのは大変だろう」
「それはそうですけど、他の人がこの屋敷にくるのも嫌なんです!」
「焼きもちか?」

 嬉しそうにそう言って、坊ちゃんはアリスさんの髪に触れた。
 寝室から出てきたばかりだというのに、二人はまだいちゃつき足りないようだ。

 あの坊ちゃんが、ここまで愛する人に出会えるなんて。

 宮殿を追い出され、二人でここへやってきた頃を思い出すと泣きそうになる。

「二人とも、とりあえず冷める前に食べていただけませんか?」

 笑いながら私がそう言うと、二人は焦った顔で頷いてくれた。





「ヴァレンティン、ちょっといいか」

 明日の昼食の用意をしていると、坊ちゃんが厨房に入ってきた。
 夜は基本的に寝室から出てこないため、最近では珍しいことである。

「どうかしましたか、坊ちゃん。ホットミルクでも用意しましょうか?」
「そうだな、頼む。それと、少し相談があるんだ」
「相談、ですか?」

 すぐにホットミルクを用意し、坊ちゃんに渡す。
 坊ちゃんは熱いミルクに何度か息を吹きかけた後、ゆっくりと口へ運んだ。

「ヴァレンティンのホットミルクは相変わらず美味いな」
「ありがとうございます、坊ちゃん」

 温めたミルクに、蜂蜜をほんの少し入れているだけだ。
 けれどそんなホットミルクを、坊ちゃんは美味しいと昔から言ってくれる。

 勘違いされることも多いが、坊ちゃんはとても優しい方なのだ。
 今も昔も、それは変わっていない。

「それで、相談とはなんでしょう?」
「アリスはああ言っているが、使用人の数を増やすべきか悩んでいてな。
 ヴァレンティンは店の手伝いもあるだろう。アリスも忙しいし、無理はさせたくない。
 それに、お前だって大変だろう?」

 確かに、アリスさんは忙しい。坊ちゃんと部屋で過ごす時間が長いのはもちろんのこと、最近は貴族の令嬢たちに招かれてお茶会やパーティーにも参加している。

 明るく元気な彼女は、社交界でもうまくやっているらしい。

「そうですね。ですが正直なところ私も、三人での暮らしが気に入っているのです」

 人手を増やせば楽になるだろう。それに、何人か雇う金銭的な余裕はある。
 けれど他の人間を屋敷に入れ、屋敷内の雰囲気が変わってしまうのは怖い。

 今の坊ちゃんなら、新しい使用人に厳しくすることもなく、主として上手く振る舞えるでしょうが。

「ヴァレンティン……」
「私が元気なうちは、今のままで十分ですよ。時折、日雇いで掃除を頼むくらいは、お願いしたいのですが」
「もちろん、お前の言う通りにしよう」

 坊ちゃんは笑顔で頷き、残りのホットミルクを飲み干した。

「なにかあれば、すぐに言ってくれ。お前は俺にとって、大切な家族なんだから」

 坊ちゃんがそっと私の肩に触れた。その温もりが嬉しくて、自然と笑顔になる。
 私は本当に幸せ者だ。こんな風に言ってくれる主人なんて、国中を探しても坊ちゃん以外にはいないだろう。

「ありがとうございます、坊ちゃん」
「……ところで、結婚もしたんだ。そろそろ、坊ちゃんはやめてくれないか」

 坊ちゃんは困ったように笑った。坊ちゃんの頼みならなんだって聞いてあげたいけれど、こればかりは無理だ。

「私になっては、何歳になっても坊ちゃんは坊ちゃんですから」

 もしこの先、坊ちゃんとアリスさんに子供が生まれたとしても、私は坊ちゃんを坊ちゃんと呼び続けるだろう。

 坊ちゃんは立派な青年だ。けれど目を閉じればすぐ、幼い頃の坊ちゃんが思い浮かぶ。
 今よりずっと人見知りで、他人を疑っていた。けれど私にだけは甘えてくれていた。

「……俺にそんなことを言うのは、お前だけだ」

 拗ねたような、それでいて嬉しそうな顔で坊ちゃんが呟く。
 その表情が愛おしくて、私も笑ってしまう。

 坊ちゃん。私は、坊ちゃんに大切な人ができたことがとても嬉しいのです。
 どうしたって、私は坊ちゃんよりも先に死んでしまいますから。

 どうかアリスさんが、坊ちゃんよりも長生きしてくれますように。
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