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Episode 6【碧-Ao-】
#48
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碧は黒斗と出会ったあの日、彼が怯えた目をしていたのをよく覚えている。
出会うもの全てが怖くて、泣いて、叫んで、逃げて。
助けて欲しい、そう思う反面、来ないで欲しい。
碧は自分とどこか似ているような気がする――そう受け取っていた。
気付いた時には逃げ出した黒斗を必死で追いかけていた。
追いかけられる事が怖いのは碧自身がよく知っている。
それでも独りにさせてはいけないと思ったのだ。
あの時ルナがそうしてくれたように、碧は必死で追いかけた。
崖から落ちた後は魔獣に追いかけられて散々な目に遭ったが、黒斗の防壁魔法のおかげで二人は無事でいられた。
ルナに叱られはしたが瑠璃とも無事合流出来たので、結果的に本当に良かったと碧は心の底から思っていた。
『二人とも無事で良かった』
あの時、腰が抜けて動けなくなっている碧に対して瑠璃が笑顔で言った言葉だ。
出会った時から噛み合わない部分がある――そう思ってはいたが、その疑念が確信に変わってしまった事に対して碧はショックを受けていた。
◆
この時から、黒斗には映像と共に碧の反響した声が聴こえている。
やはりこの薄暗い声はあの時聞いたものと同じものだと解り、静かに息を零した。
――俺にとってもあの時は、瑠璃の反応に違和感を抱いた時だ。
黒斗はあの時、碧が怯えた顔で座り込んでいる様子が、微かな魔力の揺らぎを通して視えていた。
当時は疲労から来る視力の低下で目がぼやけてしまったのではないかと思っていたが、アトリエで過ごしていく内にその疑念が確信に変わってしまうほど、噛み合わない場面に何度も遭遇する事になる。
敷地内の水車小屋の前で宝石達が騒がしくしている中、思い詰めた表情で訴えかけている碧の姿を遠くから視た事があった。
助けを求めるように訴えかけているにも関わらず、表面上の碧は何事もない様子で笑顔を向け、宝石達は誰も気付かず、彼女に笑顔を返している。
ルナが居る時も似たような場面を度々見かけていた。
◆
声をかけようとしても、この声は誰にも届かない。
自分は独りなんだと、碧はいつも泣いていた。
碧が落ち込む度に犬の姿のルナが『お尻に敷いてあげている』と言いながら背中に乗って気を紛らわせてくれる。
だが幾度か言葉を交わそうと試みてはみたが、どうやらルナにも碧の声は届いていないようだ。
視つけてもらえるだけ有難い事だと言い聞かせる日々を送っていた。
そんな中でルナが居ない時に碧の落ち込みが酷いと、黒斗が頬をつついてくる事があった。
最初は気の所為だと思っていたが、その場面には何度も出くわしている。
宝石の意思に背いている碧を宝石は許してくれず、閉じ込められたまま抜け出す事が出来ない現状の中でどうしても期待してしまうのだ。
黒斗は本来の碧の姿が視えているのではないかと――
◆
場面は翔平の家に行った時――クリスタから色々と説明を受けていたシーンへ移る。
『人間のセカイでは、クラックストーンは効果をより発揮すると言われておるらしいが、ワシら魔石にとっては真逆。宝石が砕けやすくなる事、つまりは宿す魔力に耐えられなくなるのじゃ』
クラックストーンの現実を聞かされ、この世の終わりを見ているかのような表情で身体を震わす碧の姿があった。
当時の黒斗は魔力感知能力を発動させていない。
クリスタが視せたいのはあくまでルナだ。
深入りはするべきではないし、したくはない。
だけど、そんな、まさか……。
あの時抱いた予感は的中していたのかと知ると、黒斗の息苦しさが増していく。
――だから話が一段落ついたあの時、碧をあの家から連れ出したんだ……。
あんなに怖がっている状態でここに居座る事は困難だと察した黒斗は、誰にも止められないように碧を連れ出した。
ルナとは直接会話や目配せは行っていない。だけどルナは気付いていただろう。
立場上離れられないルナの代わりに、黒斗がその役割を担ったのだ。
――その時にふと思い出したんだっけ。あの時のお礼の事……。
彼女にしてあげられる事は少ないが、せめて少しでも和らげられたならと即席で決めた事だった。
映像は黒斗が考えていたあの場面へと変わる。
◆
あの時、碧は黒斗に連れ出されて森の中を歩いていた。
あの場所から出られた事に安心している自分がいた事に罪悪感を覚える。
頭が回らない。どうするべきなのか解らない。
『行きたい所がある』と言われてからは言葉をほとんど交わす事無く、碧はただついて行くだけだった。
何の役割も持っていない、何もしていない。
存在を否定されたと、碧は自分を責めていた。
ルナに救ってもらったくせに、ずっと死にたいと願っている。
何にもしないでやりたい事だけやって、殻に閉じ篭り、閉じ込められたままでいる。
碧の心は皆との距離が離れていくばかりだった。
『私、ここに居ていいのかな……』
何気なく零した言葉は涙を含んだ。今この場で出した声は誰にも届かない。
言葉に棘があったとしても誰も気付く事はない。
日に日にやるせない怒りを吐き出す頻度が増していく。
誰にも視えない身体の傷も増えていく。
誰も知らない碧の姿を、暴走した魔法が更に封じ込める。
そのおかげで、今日も皆は笑えている。
後ろ向きな考えを持つ碧の事など誰も知らない。
碧の意思なんて関係ないのだ。
綺麗な自分がここに居れば皆は笑顔になれる、居なくても支障はないのだと自分自身を更に追い詰めていった。
『いいに決まってんだろ』
黒斗の声が碧の耳に届く。
最初は幻聴――とうとう都合のいい妄想が広がってしまう程堕ちてしまったのかと、碧酷く自分を責めた。
彼と過ごすのは心地良い。望んでしまう事なんてたくさんあった。
この先もずっと、貴方と一緒に過ごしたい。
表面上だけじゃなく、本当の自分の事を知って欲しい。
そう願う反面、こんな自分を知られたくない、嫌われたくないという想いもあった。
これが本当だったらいいのにと思わず目を背けてしまうほどだ。
『つーか、居てくんねぇと困るんだけど』
黒斗は身体毎振り返って真剣な眼差しで碧を見つめている。
とうとう幻覚まで視えるようになってしまったのだろうか。
更に自分を追い詰めていく碧は、知らぬ内に歩みを止めて立ち尽くしている事に気付いた。
黒斗は碧の元へ歩み寄って来る。
『居てくんねぇと、困るんだけど?』
そう言って黒斗は碧の手を握り、優しく微笑みかけていた。
――嘘だ。
碧の手に体温が伝わってくる。
あの時から今日までずっと、誰かに声が届いた事なんてなかった。
泣いていたって、ルナ以外は誰も気付いてくれなかったのに。
色んな感情がぐるぐる廻り、碧の頬に一粒の涙が伝った。
『届いた……』
碧はそう理解したと同時に崩れ落ち、嗚咽が止まらなくなった。
ルナと出会ってからこの数ヶ月間、ずっと孤独を抱えていた。
――希望なんて言葉は嫌い。希望を持つ事を強要する私の宝石も大嫌い。
最初は輪の中に居られるだけで良かった。
居場所が出来たと信じてやまなかった。
けれど日々を過ごしていく内に現実を思い知らされ、最終的に碧が得たものは《絶望》だった。
だからあの時、黒斗に見つけてもらえた事は碧にとっては《奇跡》であり、ここに居てもいいんだと気付かせてもらった出来事だったのだ。
――少しだけ、前を向いてみようと思ったばかりだったのに、どうやら時間がないらしい。
もし、もう一度奇跡が起こるなら――
◆
「黒斗に会いたいな……」
一帯に響く声と目の前から聞こえる声が重なった。
映像はここで途切れている。
碧は胸を掴みながら、先程より苦しそうに呼吸をしていた。
――行かないと。
黒斗の硬直していた身体がようやっと動いた。
行かないと。
その言葉だけが脳内で反響する。
足は鉛のように重たいが、意識は目の前に居る碧以外には向いていない。
そうして彼女の一歩前まで近付いた。
碧の視線は地面に向いたまま、黒斗が居る事に気付いていない。
片膝を地面につけ、空高く泳いでいる光り輝くベールを見上げた。
ベールは隙あらば碧を包み込もうと、より強い魔力のある先端部分が彼女に向いている。
「…………」
黒斗は右手のひらを斜め前に翳して防壁魔法を発動させる。
目を見開き、手のひらから現れる自身の魔法と瘴気の流れに全神経を集中させた。
空気中を揺らいでいる風を魔力で操り、微量の瘴気を防壁魔法と同時に外へと押し出すと、防壁の内側にある空気は瘴気のない安全な空間へと変貌する。
ひと息ついて、もう一度空を見上げた。
防壁によって遮断されたベールの動きが止まる。
瘴気が無くなったと気付いたそれは勢いよく碧の元へ帰ろうとするが、黒斗が張った防壁魔法は光属性の魔法すら通さない。
ベールは防壁にぶつかると同時に消滅してしまった。
――あとは……。
黒斗は右手を碧の宝石へ向け、全てをそこに集中させた。
不安を抱いている時間はない。
「絶対防御付与」
黒斗の魔法が、今にも砕けそうな碧の宝石を優しく包み込もうとしている。
初めて試みる絶対防御付与は繊細な魔力操作が不可欠。
一歩間違えてしまえば最悪の事態となってしまう。
額に汗が滲み出し、無意識に呼吸を抑える。
黒斗の魔法は時間をかけ、着実にそれを包み込んでいった。
宝石が防壁魔法の膜に保護された事で崩壊を防ぐ事が出来たのだ。
無事に終わり、黒斗は大きく息をついて呼吸を整えた後、碧の名前を呼んだ。
先程より呼吸は落ち着いているように見えるが声は届いていない。
「碧っ! 俺はここにいる。もう大丈夫だから」
両肩を抱いて再度名前を呼ぶと、碧が声に反応して黒斗を見上げた。
《遅くなってごめん。救けに来たよ。もう大丈夫だ》
二人の間に浮き上がるかのような風が吹いた。
その風を境目に、先程までの慌ただしい空気が元の穏やかで静かな空間へと戻る。
頬を撫でる陽だまりが心地良さを生み出していた。
「奇跡だ……」
現実に気付いた碧の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
勢いよく黒斗に抱きついて大声を出して咽び泣いている。
そして、碧の体温をただただ受け取っていた黒斗の頬にも涙が伝った。
あれがどれほど危険な状態だったのか、今頃になって重くのしかかり、黒斗はすすり泣きながら彼女を強く抱きしめる。
あの走馬灯を二度と見る事がないように、今より強くなろうと心に誓ったのだった。
暫くしてお互いが落ち着いた事を見計らうと、二人は元いた場所へと戻った。
誰も居ない穏やかな気候のおかげで荷物は変わらずそこに留まってくれている。
「……あのね」
黒斗の左腕に掴まったままの碧が語る。
ベールに包まれた状態でも良かった事はある、と。
「きっとこの状態で皆の前に居たら、皆離れていっただろうし、皆と話をするだけで心が軽くなったの。ごはんもおやつも美味しいって思えるし、もっと食べたいって思えるから……」
「食いしん坊かよ」
「……それに、あの私だったから、黒斗は一緒に居てくれたんだもん」
「それは違うよ」
俯いたままだった碧が驚いて顔を上げた。
加工したかのような瞳孔と瞳の色は、紛れもない魔石族の証。
黒斗には澄んだ瞳に見えている。
その透き通った瞳が黒斗に理由を求めている。
「俺はあの時の、身を投げてまで助けようとしてくれた碧だから一緒に居たんだ」
そう言うと黒斗は視線を逸らして遠くを見つめた。
幾度も恐怖を味わってきたが、今回ほど怖いと思った事はない。
「俺、もっと強くなるよ。碧が何処でも行けるようにさ」
皆が安心して暮らせるように、黒斗はより一層、魔力をコントロール出来るようになろうと心に誓った。
失いたくないものがここにあるからだ。
「黒斗が一緒なら何処でも行けるよ」
碧の吐息が黒斗の腕にかかる。
確かなぬくもりと言葉が身体中に響くと同時に黒斗の胸の奥が熱を帯びた。
――嗚呼、そっか……。
もう一度顔を向けて碧の目を見た。
碧色の瞳はまっすぐ黒斗へと向けられている。
「もう俺から離れんなよ」
碧は嬉しそうに微笑み返すとそのまま黒斗にもたれかかってきた。
穏やかな時が流れ、黒斗は目を閉じ、そよ風と碧の体温をただ感じ取っていく。
自分の想いを自覚したこの瞬間は今後忘れる事はないだろうと、黒斗は心地良さと幸福感に浸っていた。
出会うもの全てが怖くて、泣いて、叫んで、逃げて。
助けて欲しい、そう思う反面、来ないで欲しい。
碧は自分とどこか似ているような気がする――そう受け取っていた。
気付いた時には逃げ出した黒斗を必死で追いかけていた。
追いかけられる事が怖いのは碧自身がよく知っている。
それでも独りにさせてはいけないと思ったのだ。
あの時ルナがそうしてくれたように、碧は必死で追いかけた。
崖から落ちた後は魔獣に追いかけられて散々な目に遭ったが、黒斗の防壁魔法のおかげで二人は無事でいられた。
ルナに叱られはしたが瑠璃とも無事合流出来たので、結果的に本当に良かったと碧は心の底から思っていた。
『二人とも無事で良かった』
あの時、腰が抜けて動けなくなっている碧に対して瑠璃が笑顔で言った言葉だ。
出会った時から噛み合わない部分がある――そう思ってはいたが、その疑念が確信に変わってしまった事に対して碧はショックを受けていた。
◆
この時から、黒斗には映像と共に碧の反響した声が聴こえている。
やはりこの薄暗い声はあの時聞いたものと同じものだと解り、静かに息を零した。
――俺にとってもあの時は、瑠璃の反応に違和感を抱いた時だ。
黒斗はあの時、碧が怯えた顔で座り込んでいる様子が、微かな魔力の揺らぎを通して視えていた。
当時は疲労から来る視力の低下で目がぼやけてしまったのではないかと思っていたが、アトリエで過ごしていく内にその疑念が確信に変わってしまうほど、噛み合わない場面に何度も遭遇する事になる。
敷地内の水車小屋の前で宝石達が騒がしくしている中、思い詰めた表情で訴えかけている碧の姿を遠くから視た事があった。
助けを求めるように訴えかけているにも関わらず、表面上の碧は何事もない様子で笑顔を向け、宝石達は誰も気付かず、彼女に笑顔を返している。
ルナが居る時も似たような場面を度々見かけていた。
◆
声をかけようとしても、この声は誰にも届かない。
自分は独りなんだと、碧はいつも泣いていた。
碧が落ち込む度に犬の姿のルナが『お尻に敷いてあげている』と言いながら背中に乗って気を紛らわせてくれる。
だが幾度か言葉を交わそうと試みてはみたが、どうやらルナにも碧の声は届いていないようだ。
視つけてもらえるだけ有難い事だと言い聞かせる日々を送っていた。
そんな中でルナが居ない時に碧の落ち込みが酷いと、黒斗が頬をつついてくる事があった。
最初は気の所為だと思っていたが、その場面には何度も出くわしている。
宝石の意思に背いている碧を宝石は許してくれず、閉じ込められたまま抜け出す事が出来ない現状の中でどうしても期待してしまうのだ。
黒斗は本来の碧の姿が視えているのではないかと――
◆
場面は翔平の家に行った時――クリスタから色々と説明を受けていたシーンへ移る。
『人間のセカイでは、クラックストーンは効果をより発揮すると言われておるらしいが、ワシら魔石にとっては真逆。宝石が砕けやすくなる事、つまりは宿す魔力に耐えられなくなるのじゃ』
クラックストーンの現実を聞かされ、この世の終わりを見ているかのような表情で身体を震わす碧の姿があった。
当時の黒斗は魔力感知能力を発動させていない。
クリスタが視せたいのはあくまでルナだ。
深入りはするべきではないし、したくはない。
だけど、そんな、まさか……。
あの時抱いた予感は的中していたのかと知ると、黒斗の息苦しさが増していく。
――だから話が一段落ついたあの時、碧をあの家から連れ出したんだ……。
あんなに怖がっている状態でここに居座る事は困難だと察した黒斗は、誰にも止められないように碧を連れ出した。
ルナとは直接会話や目配せは行っていない。だけどルナは気付いていただろう。
立場上離れられないルナの代わりに、黒斗がその役割を担ったのだ。
――その時にふと思い出したんだっけ。あの時のお礼の事……。
彼女にしてあげられる事は少ないが、せめて少しでも和らげられたならと即席で決めた事だった。
映像は黒斗が考えていたあの場面へと変わる。
◆
あの時、碧は黒斗に連れ出されて森の中を歩いていた。
あの場所から出られた事に安心している自分がいた事に罪悪感を覚える。
頭が回らない。どうするべきなのか解らない。
『行きたい所がある』と言われてからは言葉をほとんど交わす事無く、碧はただついて行くだけだった。
何の役割も持っていない、何もしていない。
存在を否定されたと、碧は自分を責めていた。
ルナに救ってもらったくせに、ずっと死にたいと願っている。
何にもしないでやりたい事だけやって、殻に閉じ篭り、閉じ込められたままでいる。
碧の心は皆との距離が離れていくばかりだった。
『私、ここに居ていいのかな……』
何気なく零した言葉は涙を含んだ。今この場で出した声は誰にも届かない。
言葉に棘があったとしても誰も気付く事はない。
日に日にやるせない怒りを吐き出す頻度が増していく。
誰にも視えない身体の傷も増えていく。
誰も知らない碧の姿を、暴走した魔法が更に封じ込める。
そのおかげで、今日も皆は笑えている。
後ろ向きな考えを持つ碧の事など誰も知らない。
碧の意思なんて関係ないのだ。
綺麗な自分がここに居れば皆は笑顔になれる、居なくても支障はないのだと自分自身を更に追い詰めていった。
『いいに決まってんだろ』
黒斗の声が碧の耳に届く。
最初は幻聴――とうとう都合のいい妄想が広がってしまう程堕ちてしまったのかと、碧酷く自分を責めた。
彼と過ごすのは心地良い。望んでしまう事なんてたくさんあった。
この先もずっと、貴方と一緒に過ごしたい。
表面上だけじゃなく、本当の自分の事を知って欲しい。
そう願う反面、こんな自分を知られたくない、嫌われたくないという想いもあった。
これが本当だったらいいのにと思わず目を背けてしまうほどだ。
『つーか、居てくんねぇと困るんだけど』
黒斗は身体毎振り返って真剣な眼差しで碧を見つめている。
とうとう幻覚まで視えるようになってしまったのだろうか。
更に自分を追い詰めていく碧は、知らぬ内に歩みを止めて立ち尽くしている事に気付いた。
黒斗は碧の元へ歩み寄って来る。
『居てくんねぇと、困るんだけど?』
そう言って黒斗は碧の手を握り、優しく微笑みかけていた。
――嘘だ。
碧の手に体温が伝わってくる。
あの時から今日までずっと、誰かに声が届いた事なんてなかった。
泣いていたって、ルナ以外は誰も気付いてくれなかったのに。
色んな感情がぐるぐる廻り、碧の頬に一粒の涙が伝った。
『届いた……』
碧はそう理解したと同時に崩れ落ち、嗚咽が止まらなくなった。
ルナと出会ってからこの数ヶ月間、ずっと孤独を抱えていた。
――希望なんて言葉は嫌い。希望を持つ事を強要する私の宝石も大嫌い。
最初は輪の中に居られるだけで良かった。
居場所が出来たと信じてやまなかった。
けれど日々を過ごしていく内に現実を思い知らされ、最終的に碧が得たものは《絶望》だった。
だからあの時、黒斗に見つけてもらえた事は碧にとっては《奇跡》であり、ここに居てもいいんだと気付かせてもらった出来事だったのだ。
――少しだけ、前を向いてみようと思ったばかりだったのに、どうやら時間がないらしい。
もし、もう一度奇跡が起こるなら――
◆
「黒斗に会いたいな……」
一帯に響く声と目の前から聞こえる声が重なった。
映像はここで途切れている。
碧は胸を掴みながら、先程より苦しそうに呼吸をしていた。
――行かないと。
黒斗の硬直していた身体がようやっと動いた。
行かないと。
その言葉だけが脳内で反響する。
足は鉛のように重たいが、意識は目の前に居る碧以外には向いていない。
そうして彼女の一歩前まで近付いた。
碧の視線は地面に向いたまま、黒斗が居る事に気付いていない。
片膝を地面につけ、空高く泳いでいる光り輝くベールを見上げた。
ベールは隙あらば碧を包み込もうと、より強い魔力のある先端部分が彼女に向いている。
「…………」
黒斗は右手のひらを斜め前に翳して防壁魔法を発動させる。
目を見開き、手のひらから現れる自身の魔法と瘴気の流れに全神経を集中させた。
空気中を揺らいでいる風を魔力で操り、微量の瘴気を防壁魔法と同時に外へと押し出すと、防壁の内側にある空気は瘴気のない安全な空間へと変貌する。
ひと息ついて、もう一度空を見上げた。
防壁によって遮断されたベールの動きが止まる。
瘴気が無くなったと気付いたそれは勢いよく碧の元へ帰ろうとするが、黒斗が張った防壁魔法は光属性の魔法すら通さない。
ベールは防壁にぶつかると同時に消滅してしまった。
――あとは……。
黒斗は右手を碧の宝石へ向け、全てをそこに集中させた。
不安を抱いている時間はない。
「絶対防御付与」
黒斗の魔法が、今にも砕けそうな碧の宝石を優しく包み込もうとしている。
初めて試みる絶対防御付与は繊細な魔力操作が不可欠。
一歩間違えてしまえば最悪の事態となってしまう。
額に汗が滲み出し、無意識に呼吸を抑える。
黒斗の魔法は時間をかけ、着実にそれを包み込んでいった。
宝石が防壁魔法の膜に保護された事で崩壊を防ぐ事が出来たのだ。
無事に終わり、黒斗は大きく息をついて呼吸を整えた後、碧の名前を呼んだ。
先程より呼吸は落ち着いているように見えるが声は届いていない。
「碧っ! 俺はここにいる。もう大丈夫だから」
両肩を抱いて再度名前を呼ぶと、碧が声に反応して黒斗を見上げた。
《遅くなってごめん。救けに来たよ。もう大丈夫だ》
二人の間に浮き上がるかのような風が吹いた。
その風を境目に、先程までの慌ただしい空気が元の穏やかで静かな空間へと戻る。
頬を撫でる陽だまりが心地良さを生み出していた。
「奇跡だ……」
現実に気付いた碧の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
勢いよく黒斗に抱きついて大声を出して咽び泣いている。
そして、碧の体温をただただ受け取っていた黒斗の頬にも涙が伝った。
あれがどれほど危険な状態だったのか、今頃になって重くのしかかり、黒斗はすすり泣きながら彼女を強く抱きしめる。
あの走馬灯を二度と見る事がないように、今より強くなろうと心に誓ったのだった。
暫くしてお互いが落ち着いた事を見計らうと、二人は元いた場所へと戻った。
誰も居ない穏やかな気候のおかげで荷物は変わらずそこに留まってくれている。
「……あのね」
黒斗の左腕に掴まったままの碧が語る。
ベールに包まれた状態でも良かった事はある、と。
「きっとこの状態で皆の前に居たら、皆離れていっただろうし、皆と話をするだけで心が軽くなったの。ごはんもおやつも美味しいって思えるし、もっと食べたいって思えるから……」
「食いしん坊かよ」
「……それに、あの私だったから、黒斗は一緒に居てくれたんだもん」
「それは違うよ」
俯いたままだった碧が驚いて顔を上げた。
加工したかのような瞳孔と瞳の色は、紛れもない魔石族の証。
黒斗には澄んだ瞳に見えている。
その透き通った瞳が黒斗に理由を求めている。
「俺はあの時の、身を投げてまで助けようとしてくれた碧だから一緒に居たんだ」
そう言うと黒斗は視線を逸らして遠くを見つめた。
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皆が安心して暮らせるように、黒斗はより一層、魔力をコントロール出来るようになろうと心に誓った。
失いたくないものがここにあるからだ。
「黒斗が一緒なら何処でも行けるよ」
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――嗚呼、そっか……。
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長編小説を主軸にした一次創作活動(小説・絵・作詞作曲・歌等)を行っております。
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