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私の仕事

社用車の中はラジオが流れていた

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 車内にはラジオが流れていた。
 高峰さんは空港に向けて運転している。助手席に座る私は手順の確認をしていた。
 
 抜かりなく、スピーディに手続きができるように。
 
 福田工業の社長とはまだ連絡はついていない。
 
 会社の方とは電話でき、迷惑そうだったものの、もし手続きが無事にできたのなら印鑑を預かってもらうことに了承してもらった。福田工業の近くに寮があり、経理担当者がそこにいたらしい。夜遅くの対応も可能だ。
 
 ただ、印鑑については何も任されていないらしく、経理担当者に頼んで代わりに押してもらうことは不可能になった。
 
 だからこそ、こうして空港に向かっている。
 気まずい空気が流れている。
 ちらり、彼の横顔を見れば、いつも通りの無表情だ。仕事をしている時なんかは愛想笑い……というか営業用として笑うことが多いみたいだけれども。元来彼は表情に乏しい。

 私に怒っているのか、呆れているのか。
 全く持って読めないけれど。

 唐突に高峰さんは口を開いた。
 
「ハワイに行くんだと」
 何を言い出すのだろうか。

「新婚旅行でハワイに行ってから、偉く気に入ったらしく、何かの節目のたびにハワイに行っているんだと。今日のろけられた」

「……そう、ですか。私たちは、その旅に水を差すようなことを今からしにいくんですね」

 楽しい旅行、その前に銀行員が「印鑑下さい!」なんて叫んで雰囲気を破壊する。

 心臓が痛い。
 鉛のように体が重い。

「ハワイの話を聞いてたら、ハワイに行きたくなった。新婚旅行はハワイにしようか」
「はい?」

「そうだ、まず結婚前に温泉に行ってみたい。熱海、有馬、湯布院……まぁ、つづらと一緒なら俺はどこでもいいけれど」
「この状況で何言ってるんですか?」

「貸し切り温泉がついている部屋がいいか? ……浴衣姿のつづらを想像するだけであれだな。なんというか……いや、止めておこう。もっと健全なことを考えよう」

「何を考えたんですか! 何を!」
 高峰さんは、表情筋を崩し、薄く笑った。
 優しい横顔だった。
 職場では見たことのないような、優しい顔。

「そんなに張り詰めなくても、大丈夫だ。つづら」

 穏やかな声だった。
 そんなこと、言わないでほしい。

 鼻の奥がツンとした。泣いてしまいそうになるから、優しいことを言わないでほしい。
 私を責めて、罵って。

 お前のせいで、しなくてもいい仕事をすることになったのだ、と。
 お前が『できない』せいで、問題が起こった。

『できない』のに、諦めず、やろうとするから。
 姉のように―――なんでもできるわけじゃないって、わかってるのに。

 責めているのは誰。
 頭の中でぐるぐると、自分を責める言葉が回っていた。

 一瞬でその言葉が無くなった。

 優しい言葉に頭の中が塗り替えられる。

「何……で、そんなこと言うんですか」
「なんでだろうな」

「支店の人を巻き込んで、社用車までだして、空港まで行って。そんな事態を引き起こしているのに。私は、とんでもないことをしているのに―――」

「つづらだけの責任じゃない」

 なんで、そんな簡単に言ってのけるのか。
 私のことをすべてわかったように、いつもいつもいつも。

「つづらのことが好きだから、言ってるわけじゃない。つづらも、矢野さんも、支店長も、俺も、そのミスに気付かなかった。誰に肩入れせず、発言だけを信用するのなら、の話をすると、営業の書類をつづらに任せた矢野さんは悪いし、印鑑を貰い忘れたつづらも悪い。そして行員間の相互のコミュニケーションをとれないような支店にしてしまってる支店長も悪いし、応援に来ていながら問題に気付けず、臨時担当してる営業先でミスを起こしてしまった俺が悪い」

「……そんな」

「そんなことあるんだよ」

「だって」
「だってじゃない」

「私が」
「つづらだけじゃない」

 優しくて、でもきっぱりとした物言いで。
 苦しくなる。

 涙をこらえるのが、精いっぱいだ。
 今、何かを喋ったらきっと涙声になってしまう。
 少しばかり上を向いて、決して涙をこぼさないように、耐えた。

「つづら、良く考えたら、これってデートなんじゃないか? ドライブデートなんじゃないか? ……券使ったことになるか?」
 唐突に高峰さんが慌てた様子で言った。

 真剣に言ってる、間違いない。
「ふ」

 声が漏れた。

「ふふっ」
 笑ってしまった。

 どこまでも、お堅い。
 今、この場で考えることじゃないし、いうことでもない。

 笑い泣きしてしまう前に、口を開いた。

「馬鹿なこと言ってないで、限界ぎりぎりまでスピードあげてください。早く空港まで私を届けるのが高峰さんの仕事ですよ」
「む、そうだった……いや、券の使用うんぬんについて、つづらの見解は?」

「無駄口叩かない。ほら、アクセルいっぱい踏んでください」
「デートとしてくれるなら、帰った後で食事に」

「はい、よそ見しないで運転してください」
 観念したかのように、高峰さんはハンドルを握り直し、アクセルを踏む。


 その時、社用携帯が震えた。
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