44 / 49
空白を埋めるように(2)
しおりを挟む「女神よ。俺とクララに宝物を授けてくれてありがとう」
落ち着きのある低くて通る声が、神聖宮に反響する。
「クララ」
まるで蕩けるような声色で名を呼ばれ、ゆっくりと顔をあげる。美しく気高い、紫色を見つめた。
「俺の子を産んで、ここまで立派に育ててくれてありがとう」
ライオネルの幸福感に満ちた表情を見て、引っ込んだはずの涙がまた溢れ出す。
──まさか感謝されるとは思っていなかった。事実を知って、怒られると思ったのに……こんなに幸せそうに笑うだなんて。
「産むときはさぞ痛かっただろうね……大変だったこともたくさんあったと思う。そばにいて支えてやれなくて、ごめん。本当にごめん」
「……っ、っ、でんかぁ……」
「二人きりのときは名で呼んでほしいな」
今は凹んでいる下腹部を慰めるように優しく撫で、ライオネルはクララを抱きしめた。
妊娠中不安でいっぱいだったこと。
死に物狂いだった出産。
初めてばかりで戸惑いの毎日だった子育て。
それらが走馬灯のように脳内に浮かぶ。
──私が絶対にユリビスを幸せにしてみせるわ。
ユリビスの母として、唯一の家族として、ユリビスをちゃんと育てなくちゃと、ずっと気を張ってきた。出自がバレないように、こっそりと隠れながら平穏な日々を過ごせるように、一人で抱えこんで。
でも、もう一人で背負わなくていい──。
ライオネルのぬくもりに包まれていると、安心感で満たされて涙が止まらない。
妊娠する前はどれだけ体を痛めつけられても蔑まれても、泣くのを堪えることができたのに。どうしてか、ユリビスが生まれてから、涙を抑制することができなくなってしまった。
「らい、さま……っ」
「うん。ユリビスは利口で明るい、とても立派な子だ。クララにそっくりだな。見た目は俺にそっくりだけど」
「っ……らいさま……」
これだけは伝えなくちゃ、とクララはすんと大きく鼻をすすった。
「ライ様との御子を授かったとわかったとき、人生で一番幸せでした。こうして無事に産まれて、ユリビスがそばにいて。私は帝国一の幸せ者です」
ユリビスを妊娠したから仕方なく産んだのではなく、クララが望んで産み、愛し育てたということを、どうしても伝えておきたかった。
「うん」とライオネルは優しく相槌をうった。
「これからは俺もユリビスとともにいたい。一緒に育ててくれる?」
「もちろんです。ライ様がお父さんなんですから」
「ふふ、お父さんか。なんかくすぐったいな」
額同士を合わせて、小さく笑い合う。
「女神なんてあんまり信じていなかったけど、今なら信じてもいいかもね」
「ふふ、女神像の前でそんなこと言っては怒られますよ」
至近距離で目があって、吸い込まれるように唇を重ねた。そっと触れるだけのキスが、たまらなく幸せだった。
「今までのユリビスの話、たくさん聞かせてほしいな」
「もちろんです。ユリビスは赤ちゃんのときからすごく可愛かったんですよ。お腹から出てきたとき、ユリビスがライ様に似ていたから嬉しくって、よく覚えています」
「どうして? 俺よりもクララに似たほうが絶対可愛いのに」
「ライ様に会えなくても、小さいライ様を抱きしめているみたいで幸せで……」
思わず本音を言ってしまった、とハッとすると、ライオネルにがしりと肩を掴まれた。
「クララ? それはどういう意味? 詳しく教えて?」
「あ、えっと、その。口が滑って……」
「それって俺を好きだからってことでしょ?」
「え、あ……う……」
「いつから? いつのタイミングで!?」
ライオネルがぐいぐい顔を寄せてくる。至高の紫瞳の瞳孔が、完全に開いている。
掴まれた肩には力が込められて、痛いくらいだった。
「初めて……聖女の儀で、ライ様に拝謁してお声を掛けていただいたときに……。ライ様は、私の……初恋の皇子様です」
白状させられて顔が火照る。恥ずかしい。あれだけ散々逃げ回っておいて、十三年も前から好きだったなんて。
「はぁ、なんだよ……なら我慢せずに毎日抱けばよかった……!」
「毎日!?」
話が飛躍しすぎだとかぶりを振る。やっぱりライオネルはクララに対してネジが飛びすぎていないだろうか。
再び麗しいかんばせが目の前に近づいてきて、鼻先がぶつかり合う。
「クララ、もう一回聞きたい」
「えっ、いや……恥ずかしいですし……」
「だめ。逃がさない」
肩にあった手が背に回されて、逃げられない。
クララはおずおずと顔を上げ、最愛の人を見つめた。
「ライ様がずっと昔から好きです……」
「今は?」
「い、まも……すき……」
じわじわと羞恥心が込み上げてきて、語尾は小さくなってしまったけれどちゃんと目を見て伝えられた。
「やばい、どうしよう……ちょっと、泣きそうかも」
はは……と自嘲しながら、ライオネルは顔を隠すようにクララを強く抱きしめた。ライオネルの胸がバクバクと暴れているのが、衣服の上からも伝わってくる。
顔が見えなくなったからか、羞恥が薄れて素直になれた。
「ライ様が好き……大好きです」
「クララ……俺のこといじめるつもり?」
「いいえ。今までずっと言ってはいけないと思っていたので」
「ユリビスと俺、どっちが好き?」
「そんな……比べられませんよっ」
「じゃあ、俺のことどのくらい好き?」
「え? どのくらい、とは……? ライ様、少し落ち着いてください」
「落ち着けるわけないでしょ。好きな人が好きって言ってくれたんだから。舞い上がりたくもなるよ」
はああぁ──と天を見上げながら、ライオネルは大きく息を吐いた。
「ふふふっ」
ライオネルがこんな風に取り乱しているところなんて初めて見た。憧れ恋した皇子様然とした姿とは違うけれど、あまりにも可愛らしくていとおしくて、そっと頬に口づける。
そして今までの空白の時間を埋めるように、たわいもない話を繰り返した。
離れがたくて、ずっとぬくもりを感じていたくて、二人は抱き合ったまま女神の前で長い時間を過ごした。
36
お気に入りに追加
831
あなたにおすすめの小説
責任を取らなくていいので溺愛しないでください
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
漆黒騎士団の女騎士であるシャンテルは任務の途中で一人の男にまんまと美味しくいただかれてしまった。どうやらその男は以前から彼女を狙っていたらしい。
だが任務のため、そんなことにはお構いなしのシャンテル。むしろ邪魔。その男から逃げながら任務をこなす日々。だが、その男の正体に気づいたとき――。
※2023.6.14:アルファポリスノーチェブックスより書籍化されました。
※ノーチェ作品の何かをレンタルしますと特別番外編(鍵付き)がお読みいただけます。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

転生令嬢は婚約者を聖女に奪われた結果、ヤンデレに捕まりました
高瀬ゆみ
恋愛
侯爵令嬢のフィーネは、八歳の年に父から義弟を紹介された。その瞬間、前世の記憶を思い出す。
どうやら自分が転生したのは、大好きだった『救国の聖女』というマンガの世界。
このままでは救国の聖女として召喚されたマンガのヒロインに、婚約者を奪われてしまう。
その事実に気付いたフィーネが、婚約破棄されないために奮闘する話。
タイトルがネタバレになっている疑惑ですが、深く考えずにお読みください。
※本編完結済み。番外編も完結済みです。
※小説家になろうでも掲載しています。
嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道
Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道
周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。
女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。
※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※
義兄の執愛
真木
恋愛
陽花は姉の結婚と引き換えに、義兄に囲われることになる。
教え込むように執拗に抱き、甘く愛をささやく義兄に、陽花の心は砕けていき……。
悪の華のような義兄×中性的な義妹の歪んだ愛。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
獣人公爵のエスコート
ざっく
恋愛
デビューの日、城に着いたが、会場に入れてもらえず、別室に通されたフィディア。エスコート役が来ると言うが、心当たりがない。
将軍閣下は、番を見つけて興奮していた。すぐに他の男からの視線が無い場所へ、移動してもらうべく、副官に命令した。
軽いすれ違いです。
書籍化していただくことになりました!それに伴い、11月10日に削除いたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる