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欠陥聖女クララ(1)
しおりを挟む銀色の柔らかい光が礼拝堂の祭壇にまたたく。
白を基調とした清廉な聖女服に身を包んだ女性──クララはゆっくりと目を開いた。
神聖な光の粒をまとったクララの姿を見た人々は、その神々しさに息をするのも忘れてしまう。
緩やかな青髪はまるで雄大な海のように深く、爽やかな空色の瞳は翳りひとつない。湖の女神を連想するような、麗しい聖女。
クララは、一縷の望みをかけてやってきた患者にとって、まさに女神そのものであった。
「これで病気は治りましたよ。よく頑張りましたね」
「聖女様、ありがとうございます……っ! ありがとうございます!」
「これからもあなたに慈愛に満ちたる女神の加護があらんことを」
額を床に擦り付けながら感謝を述べる患者に声をかけながら、優しく手を握る。
クララはゆっくりと立ち上がった。
(ふぅ……この人が最後の患者ね。流石に疲れたわ……熱がもう上がりきってしまったみたい)
立っているだけでも辛いほど高熱が出ていたが、クララは何食わぬ顔をして礼拝堂を後にする。
患者にとって、聖女は女神の使者。だから決して彼らの前で情けない姿を見せてはならないのだ。
これはビアト帝国、九人目の聖女クララとして絶対に譲れない信念であった。
中央神殿を出て、回廊に入る。人目がなくなると、張りつめていた緊張の糸が解けていく。
ふらりとクララの体が揺らめいた。
「聖女様、大丈夫ですか? 私が肩をお貸しします。すぐに部屋へ戻りましょう」
「ハンナ……いつもありがとうね」
「いえ。お勤めご苦労様でございました」
クララの世話役であるハンナの肩を借りて、廊下を歩く。熱で朦朧としており、足元はおぼつかない。
するとカツカツという高圧的な足音が、前方から聞こえてくる。
もはや足音だけで誰かわかってしまうほど聞き馴染んだ音色に、クララは唇を引き結んだ。
「はぁ、また発作か? まったく、この神殿に割り当てられたのがこんな欠陥聖女でなければ、もっと寄付金を募れただろうに……。卑しい出身者に、貴い神聖力は実に不釣り合いだ、そう思わぬか?」
「……ルジューア神殿長のおっしゃる通りでございます」
「ならばもっと患者を治癒できるように、その体質をどうにかしたまえ。穢らわしい頭ではそんなこともわからぬのか」
「申し訳ありません……。もっと精進いたします」
この神殿を取りまとめる神殿長に頭を下げる。
出自や発作のことで嫌味を言われるのには慣れた。こうして頭を下げ、罵声を浴びせられるのをじっと耐える。
(神殿長のお怒りは理解できるけれど、毎日顔を合わせるたびに言ってこなくてもいいと思うの。それに今日は機嫌が悪いみたい……はぁ、早く横になりたいのに…………)
この世に生まれ落ちた時からずっと一人だったクララにとって、こんなことは日常茶飯事だった。むしろ衣食住を保障され、仕事を与えていただいている身であり、どちらかといえば恵まれた環境である。
だから今更落ち込むことはない。
けれどその攻撃的な態度には、心臓を針で刺されるような痛みを感じる。自分の努力ではどうしようもない生まれや体質のことで蔑まれるのは、仕方ないとはわかっていてもやはり悲しい気分にさせられる。
「聞いているのかっ!!」
「きゃ……っ」
頬を打たれて思わず倒れ込む。甲高い音が回廊に響き渡った。熱と痛みが錯綜し、ガンガンと頭が割れそうだ。
支えてくれていたハンナまで、転倒に巻き込んでしまった。
「神殿長、聖女様は今発作を起こしておりますので、どうかご容赦を……!」
「何が発作だ! 女神の尊い神聖力を愚弄する下衆め……!」
「聖女様に傷があっては、今後のお勤めに障ります。どうか……!」
ハンナが必死に頭を下げ、神殿長の怒りを収めようと努めてくれている様子を、視界の端でぼんやりと見る。
床に伏せたまま起き上がれないクララの青髪を、神殿長はぐしゃりと踏みつけた。
頭皮からブチブチブチッと髪が切れた音がした。
「……ッ!」
「まだまだ聖女の務めが残っている。さっさと行動したまえ」
そう言い捨てると、足音が小さくなっていった。
(あぁ、やっと終わったわ。床が冷たくて気持ちいい……このまま眠ってしまいたいけれど、さすがに信者に見られてしまうわ。移動しないと……)
「聖女様、大丈夫ですか……? 私の力不足で……申し訳ありません……」
「ううん、ハンナまで……ごめんね……。けが、してない?」
「私は大丈夫です。それよりも聖女様が……早く部屋に戻りましょう」
クララは再びハンナの手を借りて、自室へ向かってよろよろと歩き始めた──。
現在、ビアト帝国には九人の聖女が存在する。
"神聖力"という、人々の病気や怪我を治癒できる神のような力を持つ聖女は、国内にある九つの神殿に振り分けられ、そこで人々を癒している。
十三歳で強大な神聖力を発現させたクララは、ビアト帝国の北部にあるこの神殿で、聖女として民に女神の祝福を分け与えている。
しかしクララは他の聖女と異なり、神聖力を解放すると、発作として高熱が出てしまう特異な体質だった。
そのせいで日々こなさなければならない聖女の務め──つまり神聖力を使った治癒も、他の聖女たちよりも数をこなせられない。
神殿長はそんなクララを蔑み、疎い、早く別の聖女が誕生しないかと、会うたびに嫌味をこぼしていた。
そんなクララは『欠陥聖女』と揶揄されている。
『聖女の品位を下げている卑しい血』
『女神に見放された聖女』
『悪魔と手を取り神聖力を手にした聖女』
クララをこのように例える人もいる。
クララは肩身の狭い思いをしながらも、聖女の一人として人々の救いとなれるよう、日々邁進していた。
────下を向かないで。強大な神聖力を持った君は、尊ばれる存在だ。その事実は何があっても覆されることはない。胸を張って。堂々と生きるんだ。
宝石のように輝くバターブロンドの髪。
高尚な光を放つ紫水晶の瞳。
くっきりとした目鼻立ちに、迷いのない凛とした佇まい。
薄汚れた身なりの孤児であったクララに、手を差し伸べてくれた憧れのひと──。
「……私ったら、またあのときの夢をみていたのね」
こぢんまりとした小さな部屋にある、木製のベッドでクララは目を覚ました。
大量の汗をかいたせいでベタベタとしていて気持ちが悪い。けれど数時間寝て、高熱はすっかりと引いていた。
発作はこうして安静にしていればすぐに治る。聖女はその身に宿す神聖力のおかげで高い自己回復力を持っており、先程神殿長に打たれた頬の痣も、綺麗に治っている。
こうしてクララは毎日のように人々を癒しては倒れるように眠り、体を回復させていた。
「遠目からでもいいから、いつかまたあの人の姿を拝見できたらなぁ……」
夢で見た初恋の人の美しく凛々しい眼差しを思い出しながら、服を脱ぐ。顔を洗い、水で濡らした布で体を清拭し、木製のタンスから清潔な聖女服を引っ張り出した。
「二十歳の誕生日の祝いに、女神様が夢をみせてくれたのかな」
ふふ、と小さく笑みが漏れる。
今日はクララの二十歳の誕生日だ。正式には、孤児院の前に捨てられていたところを拾われた日であるのだけれど。
誕生日だからといって特別なことは何もない。けれど初恋の皇子様の夢を見ることができて、それだけで満ち足りた気分になった。
淡い恋心を大切に胸にしまって、クララは礼拝堂へ向かった。
聖女としてこなさなければいけない仕事が山積みだ。
「聖女様……! 体調は戻りましたか?!」
「大丈夫よ。ハンナ、そんなに慌ててどうしたの?」
「お、お客様がお見えです。すぐに神殿長室へ向かってください!」
「……わかったわ。ありがとう」
ハンナの慌てように、嫌な予感がする。
クララは一つ大きく息を吐き、踵を返した。
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