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《64》とろける(1)

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 一時間もしないうちに、屋形船での夜桜観賞会は終わる。
 その間、二人は特に会話するでもなく、ぽぅっと光に照らされる桜を見ていた。

 なかなか涙は止まってくれなくて、瑛美はずっと鼻をズビズビと鳴らしていた。大和に背後から抱き込まれて、そのぬくもりにまた涙腺を緩ませる。その繰り返しだった。

 停留所に到着し、大和に手を引かれながら船を降りる。
 タクシーを捕まえて乗り込むと、大和は瑛美の住所を運転手に伝えた。
 車に揺られている間も無言で手を繋ぐ。

(もう、家に着いちゃう……)

 ようやく再会できて想いを通じ合えたのに、まだ離れたくない。
 そんな想いを眼差しにのせて、大和の顔を覗き込む。

「貴重品だけ取っておいで」
「貴重品、?」
「印鑑とかパスポートとかクレジットカードとかあるだろ?」
「はい……」

 路肩にタクシーを待たせて瑛美の部屋へ向かう。

「あの、すぐに取ってくるので待っていてもらえますか?」
「うん。玄関にいるから」

 駆け足で戸棚の引き出しを開ける。中の貴重品を鞄へ詰め込んですぐに玄関へ戻った。

「お待たせしました」
「忘れ物はない? 印鑑は?」
「入れました。通帳とカード、あとはあんまり使ってないクレジットカード……」

 鞄の中身をもう一度確認してタクシーへ戻る。

「大和、どうしてわざわざ貴重品を取りに?」
「だって必要だろ?」
「? ……確かに必要不可欠なものですが……」

 何故わざわざ遠回りしてまで瑛美の家に寄ったのだろうか。その真意がいまいちよく理解できなかった。
 しかし大和はぷいと窓の外に視線を向けてしまったので、仕方なく口を閉ざす。

 閑静な住宅街から、煌びやかな建物が増えてくる。オフィスビルが建ち並ぶ一等地の一角にある、高層ビルに到着した。瑛美が毎日通っている、倭の国きもの会社のビルだ。

 エレベーターに乗り込みカードキーをかざす。一年ぶりの光景に、再び目頭が熱くなった。

 最上階の部屋の入り口にはスーツケースとダンボールが積み重なったままだった。
 それらを素通りして、リビングダイニングに向かう。
 パタパタと吊り戸棚を開ける大和の後ろ姿を懐かしむように見つめた。

「あー、茶葉が無かったな……。帰りに買ってこればよかった」
「私、白湯がいいです」
「ごめんな」

 一年前も使っていた湯呑に熱い湯が注がれていく。
 ふぅ、と息を吹きかけて冷ましながら口に含むと、じんわりと熱が溶けていった。

 対面に座る大和をチラリと見遣って、また泣きそうになってしまう。ぐっと下唇を噛み締めた。

(大和の部屋……あのときと何にも変わってない……)

 ふわふわとした、夢見心地な気分だ。

 一息つき、大和がおもむろに立ち上がって鞄から一枚の紙を取り出した。それを机の上に置く。

「帰国したら瑛美に求婚するって決めてた。だから用意してたんだけど」

 そう言われて紙を見ると、婚姻届の文字があった。既に大和の署名がされている。

「俺と本当に結婚してもいいなら、サインして欲しい」
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