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《2》地味アラサー女は穏やかに過ごしたい(2)
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「この度は倭の国きもの学院 着付け基本コースにご入会いただき誠にありがとうございます。深谷瑛美様の個人レッスンを担当いたします、清澄大和と申します」
流れるような優美な所作で三つ指を突き、頭を下げたのはよく見知った人物で。先ほどまで共にキーボードを叩いていた仕事仲間だった。
亀甲文様の青藍色の着物をきっちりと着こなした品位ある装い。全国に展開する大手着物着付け教室の、師範たる雰囲気を醸しだしている。
(な、何で清澄部長が、ここに? 着付け師範なんて聞いてない……!)
瑛美は五畳ほどの小さな和室の畳の上で正座をしながら、口端を吊り上げる美形を呆然と見つめた。
サラサラの黒髪は前髪にかかっていて、襟足はすっきりと切り揃えられ清潔感があり、着物姿にもよく似合っている。仕事場とは違い柔和な笑みを浮かべ、穏やかに挨拶をする様子は貴公子然としていて、思わず緊張してしまう。
「事前にいただいていたアンケートでは、ご友人の結婚式での白無垢姿に感銘を受けて受講の運びとなったと伺っております。この基本コースでは自装と他装の両方を学んでいただき……」
同じファッションECサイトの企画部に所属する深谷瑛美だと絶対に気がついているのに、何事もないかのように説明を続ける。
指摘したほうがよいのか、しないほうがよいのか。ぐるぐると逡巡するが、別に恥ずかしいことをしているわけではないし、堂々とするべきだと思い至った。
教室の説明の区切りがついたところで、瑛美は小さく声をあげた。
「あの、清澄部長……」
「ここでは大和先生と呼んでください。師弟間において名前で呼び合うのがこの学院の習わしなので」
「わ、わかりました。やまと、先生……」
「はい。何ですか瑛美さん」
慣れない呼び合いにカァっと頬が熱くなった。
(会社では締切の鬼と呼ばれている清澄部長が。人とは思えない形相で容赦なく仕事を振ってくる鬼上司が。私のことを瑛美さん、だなんて……!)
着物効果も相まってか、ものすごい色香をまとった大和は直視しがたいほどのオーラを放っている。
襟合わせから除く鎖骨のくぼみ。真っ直ぐ天へのびる背筋。
案内のパンフレットを持つ手のたもとがめくれて、逞しい腕の筋が浮き上がっている。なんと男らしい着姿なのだろう。
視線を合わすことができず、大和の着物の文様を見つめながら瑛美は疑問を投げかけた。
「あの……大和先生は副業で着付け講師をされているのですか?」
「そうです。退社後十八時半から、毎日ですね」
「だから絶対定時退社なのですね……」
鬼部長は自分も部下も絶対に残業をさせない。その代わりに締切に非常に厳しく、企画部社員はヒィヒィ言いながら日々の業務をこなしているというわけなのだ。
もちろん瑛美も被害者の一人である。
「さて、説明は一通り終わりましたので、早速着物を着てみましょう。使う道具は全てこちらに用意してあります。ところで、今日つけている下着はどのようなものでしょう?」
「ふぇっ?!」
流れるような優美な所作で三つ指を突き、頭を下げたのはよく見知った人物で。先ほどまで共にキーボードを叩いていた仕事仲間だった。
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(な、何で清澄部長が、ここに? 着付け師範なんて聞いてない……!)
瑛美は五畳ほどの小さな和室の畳の上で正座をしながら、口端を吊り上げる美形を呆然と見つめた。
サラサラの黒髪は前髪にかかっていて、襟足はすっきりと切り揃えられ清潔感があり、着物姿にもよく似合っている。仕事場とは違い柔和な笑みを浮かべ、穏やかに挨拶をする様子は貴公子然としていて、思わず緊張してしまう。
「事前にいただいていたアンケートでは、ご友人の結婚式での白無垢姿に感銘を受けて受講の運びとなったと伺っております。この基本コースでは自装と他装の両方を学んでいただき……」
同じファッションECサイトの企画部に所属する深谷瑛美だと絶対に気がついているのに、何事もないかのように説明を続ける。
指摘したほうがよいのか、しないほうがよいのか。ぐるぐると逡巡するが、別に恥ずかしいことをしているわけではないし、堂々とするべきだと思い至った。
教室の説明の区切りがついたところで、瑛美は小さく声をあげた。
「あの、清澄部長……」
「ここでは大和先生と呼んでください。師弟間において名前で呼び合うのがこの学院の習わしなので」
「わ、わかりました。やまと、先生……」
「はい。何ですか瑛美さん」
慣れない呼び合いにカァっと頬が熱くなった。
(会社では締切の鬼と呼ばれている清澄部長が。人とは思えない形相で容赦なく仕事を振ってくる鬼上司が。私のことを瑛美さん、だなんて……!)
着物効果も相まってか、ものすごい色香をまとった大和は直視しがたいほどのオーラを放っている。
襟合わせから除く鎖骨のくぼみ。真っ直ぐ天へのびる背筋。
案内のパンフレットを持つ手のたもとがめくれて、逞しい腕の筋が浮き上がっている。なんと男らしい着姿なのだろう。
視線を合わすことができず、大和の着物の文様を見つめながら瑛美は疑問を投げかけた。
「あの……大和先生は副業で着付け講師をされているのですか?」
「そうです。退社後十八時半から、毎日ですね」
「だから絶対定時退社なのですね……」
鬼部長は自分も部下も絶対に残業をさせない。その代わりに締切に非常に厳しく、企画部社員はヒィヒィ言いながら日々の業務をこなしているというわけなのだ。
もちろん瑛美も被害者の一人である。
「さて、説明は一通り終わりましたので、早速着物を着てみましょう。使う道具は全てこちらに用意してあります。ところで、今日つけている下着はどのようなものでしょう?」
「ふぇっ?!」
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