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今を生きる
①
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「啓司さん、啓司さん……」
「ん、貴巳?」
「うなされてた、大丈夫?」
ぼんやりとした視界の中、心配そうな貴巳の顔だけが、啓司の瞳に映る。
「大丈夫……僕、うなされてたのか。何の夢見てたのかもわからないんだけどね」
苦笑いしながら、啓司は貴巳の頭を撫でる。
いつもうなされるのは貴巳の方で、こんな風に自分も貴巳を起こしていたなと啓司は考える。
自分がどんな夢を見て、うなされたのかわからないけれど。啓司も貴巳がうなされていると、心配になる。だから貴巳に心配かけてしまっという気持ちの方が大きい。
夢を見た不快感なんて、どこにも存在しなかった。
「ごめんね。貴巳起こしちゃって」
「それは大丈夫だ。いつもは啓司さんが起こしてくれてるから。俺の方が申し訳ない頻度多いんだけど」
謝る啓司に、貴巳はそう返す。
ぐいっと啓司は貴巳の体を引き寄せて、腕の中に閉じ込める。
「啓司さん?」
不思議そうな貴巳の声。
「こうしてたら、もう嫌な夢見ないかなって。ほら、貴巳がうなされてた後も、こうしてたら貴巳普通に眠れるでしょ?」
ふんわりと笑って、啓司は貴巳の熱を感じる。
傍にこの暖かい貴巳がいてくれるから、僕は大丈夫なんだと。
「ん。たしかに。まだ早いし、今度はゆっくり眠れるよね?」
腕の中から、心配そうな貴巳の瞳がのぞく。
「大丈夫だよ」
貴巳の不安を拭い去る様に、貴巳の頭を撫でて。
朝になるには、まだまだ時間は早いからと。二人でもう一度眠りについた。
※
大地は未だに乾いている。
雨は未だに降り続いている。
それでも、二人は少しづつ、少しづつ。小さな変化をして行く。
大きく変わることは無い。
それは二人ともが、仕方のないことだと。
小さな変化も見逃さない。
二人でゆっくりと歩みを進める。
変わらないことも、もちろん有る。
でも、小さな小さな変化が、二人をゆっくりと進ませる。
ともに在ることが、ともに生きることが、大切なことなのだと。
※
「行って来ます」
啓司の顔色をうかがって、貴巳は会社へと出勤する。
うなされていた痕跡はなく、顔色も良かったから、貴巳は普段どおりに部屋を後にした。
「行ってらっしゃい」
微笑む啓司の姿は、本当にいつもどおりだ。
平日の今日、啓司は仕事が休みだった。貴巳は普通の会社勤めだが、啓司は本屋の店員だ。
貴巳は土日が休みになるが、啓司は土日働いている。
共に暮らしてはいるが、生活リズムは全く違っていた。
啓司が早番の時は、貴巳より先に家を出る。遅番だと貴巳を見送ってから啓司は家を出る。どちらの場合も、帰って来るのは貴巳の方が早い。
一日通しての仕事に啓司がなると、貴巳より早く家を出て、貴巳より遅くに帰って来る。
土日は啓司が休めないので、休みを合せることもなかなかに難しいのだ。
貴巳はたまに休日出勤をして、何とか平日の休みをもらおうとするのだが。まだ入社一年目の貴巳には、あまりそんな自由はない。
啓司が入社三年目の自由を活かして、たまに土曜日に休みを取る事で、二人の休日を合せている。
「やっぱり俺も、シフト制のサービス業にすれば良かった」
一人呟きながら、貴巳は駅を目指して歩く。
自分で事務業を選んだとはいえ、ここまで生活リズムが違ってくると、貴巳自身寂しさがある。
貴巳の性格からサービス業には向かないだろうと、啓司も言っていた。そうだろうなと納得した貴巳の会社選びだったのだけど。
啓司の本屋に就職は、活字中毒故の本好きが高じた為だ。
本に関しては啓司は何でも読むので、仕入れ等に役立つのだそうだ。本の紹介文など、啓司はよく持ち帰り仕事としてやっていた。
八時間以上の残業有りで、週休二日にならない場合も多々有っても、啓司は本屋の仕事が好きだと言う。
本に囲まれている事が、楽しいのだそうだ。
貴巳はそういう趣味が無い。ので、無難な会社の事務として入社した訳だが。
営業なんて、愛想の一つもない自分には向いていない。貴巳はそう感じたので、男でも事務員を募集していた会社に応募して、無事に受かった。
これで就職浪人になっていたらと考えると、啓司に負担をかけてしまうだろう事は目に見えていたので、貴巳はこれで良かったとは思っている。
だけれども。でも。
逆に就職浪人になって、シフト制のバイトをしていた方が、啓司と共にいられたんじゃないのか。とも貴巳は考えてしまうのだ。
バイトでも、社会保険に入れる所は探せば有るのだ。
「愛想が無きゃ、サービス業は無理だな。でもファミレスの厨房とかなら、愛想関係無さそう」
ぶつぶつ考えてしまう。
だが、愛想の無い自分を受け入れてくれた今の会社を、そうそう簡単に辞めるという気も起こらない。
「貴巳は貴巳の好きな事、したら良いんだよ。僕の負担とか、考えなくて良いからね。というか、貴巳に頼ってもらってる方が、僕は嬉しいかな」
啓司は貴巳が就職で悩んでいる時、貴巳にそう言った。
無理に就職しようとしなくても良いんだよ、と。
でも貴巳には、就職しないままでいても、好きにやりたい事なんて何も無い。
したい事は、啓司と共にいることで。それはもう叶っているから。
それは啓司が大学時代に、すでに叶えてくれたから。
だからせめてこれ以上、負担にならないようにと、就職したのだ。
※
貴巳の心に降り続く雨は、啓司と共にいることで、緩和した。
ゆるやかに。
降り止む事はなくとも。
心に開いた大きな穴は、啓司という存在で埋められた。
だから。
共に在りたいと。
ただ願うのは、その事だけ。
他には何もいらない、と。
色褪せた世界は、啓司がいる事で、色付いた。
空の青さを知った。
木々の緑を知った。
見えなかった物が、たくさん見える様になって。
他人を思いやる心を知った。
たくさんたくさん、啓司は貴巳に教えてくれたのだ。
だから、貴巳は思う。
失いたくないのは啓司だけだ、と。
「ん、貴巳?」
「うなされてた、大丈夫?」
ぼんやりとした視界の中、心配そうな貴巳の顔だけが、啓司の瞳に映る。
「大丈夫……僕、うなされてたのか。何の夢見てたのかもわからないんだけどね」
苦笑いしながら、啓司は貴巳の頭を撫でる。
いつもうなされるのは貴巳の方で、こんな風に自分も貴巳を起こしていたなと啓司は考える。
自分がどんな夢を見て、うなされたのかわからないけれど。啓司も貴巳がうなされていると、心配になる。だから貴巳に心配かけてしまっという気持ちの方が大きい。
夢を見た不快感なんて、どこにも存在しなかった。
「ごめんね。貴巳起こしちゃって」
「それは大丈夫だ。いつもは啓司さんが起こしてくれてるから。俺の方が申し訳ない頻度多いんだけど」
謝る啓司に、貴巳はそう返す。
ぐいっと啓司は貴巳の体を引き寄せて、腕の中に閉じ込める。
「啓司さん?」
不思議そうな貴巳の声。
「こうしてたら、もう嫌な夢見ないかなって。ほら、貴巳がうなされてた後も、こうしてたら貴巳普通に眠れるでしょ?」
ふんわりと笑って、啓司は貴巳の熱を感じる。
傍にこの暖かい貴巳がいてくれるから、僕は大丈夫なんだと。
「ん。たしかに。まだ早いし、今度はゆっくり眠れるよね?」
腕の中から、心配そうな貴巳の瞳がのぞく。
「大丈夫だよ」
貴巳の不安を拭い去る様に、貴巳の頭を撫でて。
朝になるには、まだまだ時間は早いからと。二人でもう一度眠りについた。
※
大地は未だに乾いている。
雨は未だに降り続いている。
それでも、二人は少しづつ、少しづつ。小さな変化をして行く。
大きく変わることは無い。
それは二人ともが、仕方のないことだと。
小さな変化も見逃さない。
二人でゆっくりと歩みを進める。
変わらないことも、もちろん有る。
でも、小さな小さな変化が、二人をゆっくりと進ませる。
ともに在ることが、ともに生きることが、大切なことなのだと。
※
「行って来ます」
啓司の顔色をうかがって、貴巳は会社へと出勤する。
うなされていた痕跡はなく、顔色も良かったから、貴巳は普段どおりに部屋を後にした。
「行ってらっしゃい」
微笑む啓司の姿は、本当にいつもどおりだ。
平日の今日、啓司は仕事が休みだった。貴巳は普通の会社勤めだが、啓司は本屋の店員だ。
貴巳は土日が休みになるが、啓司は土日働いている。
共に暮らしてはいるが、生活リズムは全く違っていた。
啓司が早番の時は、貴巳より先に家を出る。遅番だと貴巳を見送ってから啓司は家を出る。どちらの場合も、帰って来るのは貴巳の方が早い。
一日通しての仕事に啓司がなると、貴巳より早く家を出て、貴巳より遅くに帰って来る。
土日は啓司が休めないので、休みを合せることもなかなかに難しいのだ。
貴巳はたまに休日出勤をして、何とか平日の休みをもらおうとするのだが。まだ入社一年目の貴巳には、あまりそんな自由はない。
啓司が入社三年目の自由を活かして、たまに土曜日に休みを取る事で、二人の休日を合せている。
「やっぱり俺も、シフト制のサービス業にすれば良かった」
一人呟きながら、貴巳は駅を目指して歩く。
自分で事務業を選んだとはいえ、ここまで生活リズムが違ってくると、貴巳自身寂しさがある。
貴巳の性格からサービス業には向かないだろうと、啓司も言っていた。そうだろうなと納得した貴巳の会社選びだったのだけど。
啓司の本屋に就職は、活字中毒故の本好きが高じた為だ。
本に関しては啓司は何でも読むので、仕入れ等に役立つのだそうだ。本の紹介文など、啓司はよく持ち帰り仕事としてやっていた。
八時間以上の残業有りで、週休二日にならない場合も多々有っても、啓司は本屋の仕事が好きだと言う。
本に囲まれている事が、楽しいのだそうだ。
貴巳はそういう趣味が無い。ので、無難な会社の事務として入社した訳だが。
営業なんて、愛想の一つもない自分には向いていない。貴巳はそう感じたので、男でも事務員を募集していた会社に応募して、無事に受かった。
これで就職浪人になっていたらと考えると、啓司に負担をかけてしまうだろう事は目に見えていたので、貴巳はこれで良かったとは思っている。
だけれども。でも。
逆に就職浪人になって、シフト制のバイトをしていた方が、啓司と共にいられたんじゃないのか。とも貴巳は考えてしまうのだ。
バイトでも、社会保険に入れる所は探せば有るのだ。
「愛想が無きゃ、サービス業は無理だな。でもファミレスの厨房とかなら、愛想関係無さそう」
ぶつぶつ考えてしまう。
だが、愛想の無い自分を受け入れてくれた今の会社を、そうそう簡単に辞めるという気も起こらない。
「貴巳は貴巳の好きな事、したら良いんだよ。僕の負担とか、考えなくて良いからね。というか、貴巳に頼ってもらってる方が、僕は嬉しいかな」
啓司は貴巳が就職で悩んでいる時、貴巳にそう言った。
無理に就職しようとしなくても良いんだよ、と。
でも貴巳には、就職しないままでいても、好きにやりたい事なんて何も無い。
したい事は、啓司と共にいることで。それはもう叶っているから。
それは啓司が大学時代に、すでに叶えてくれたから。
だからせめてこれ以上、負担にならないようにと、就職したのだ。
※
貴巳の心に降り続く雨は、啓司と共にいることで、緩和した。
ゆるやかに。
降り止む事はなくとも。
心に開いた大きな穴は、啓司という存在で埋められた。
だから。
共に在りたいと。
ただ願うのは、その事だけ。
他には何もいらない、と。
色褪せた世界は、啓司がいる事で、色付いた。
空の青さを知った。
木々の緑を知った。
見えなかった物が、たくさん見える様になって。
他人を思いやる心を知った。
たくさんたくさん、啓司は貴巳に教えてくれたのだ。
だから、貴巳は思う。
失いたくないのは啓司だけだ、と。
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