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妻が悪女に変わる時2
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「リーンリアナからの誘う言づてがあったからやったそうだ」
それを耳にした時の自分と同じ何とも言えない表情をしている甥を見ながらリカルドは言った。
王宮に出入りしている限り、誰もが一度は黒薔薇と称されるハルスタッド一族の男たちを目にし、娼館でその名が特別な意味を持つ理由を理解する。
しかし、王族に嫁ぐ娘以外、その一族の女が彼らの館の敷地から出ることは稀だ。
ハルスタッド一族の男たちを目にした者の中には、ハルスタッド一族の女を望む者が少なからずいる。そこに王族に嫁いでいるとはいえ、手の届く距離にいる相手から招待を受ければ応じてしまう人間だっている。
自称リーンリアナの愛人はそんな一人だった。
「あー。叔父上? 何ですか、その表情は」
王家の特徴以外にも甥の似たところに気付いたのはいいが、リカルドはこみ上げてきた笑いを抑えることができなかった。
それを不機嫌な甥に咎められても、笑いは治まらない。
「いや、何。気にするな」
捕らえられた離宮の不審者。もとい、自称リーンリアナの愛人の姿を思い出してしまうとリカルドは不謹慎にも笑いがこみ上げてくる。
夫に内緒で浮気している既婚夫人や評判を守りたい未亡人たちが愛人を家に引き込む際には従僕のお仕着せを愛人に着せておくことがある。
自称リーンリアナの愛人も女の園である離宮で不審がられないように変装していたのだが、もちろん女装で・・・。違和感がないと言えば、違和感がない相手で良かったとは思う。
笑い事ではない出来事ばかりなのに、リカルドはそこを思い出して仕方がない。
離宮のハルスタッド一族の女が愛人を作るということもそうだが、それを引き入れる為に門を守る夜勤の女騎士たちの食事に睡眠薬が入っていたのだ。
女騎士がぐっすり眠りこんでいたのは自称リーンリアナの愛人によるとリーンリアナの仕業らしい。
中庭より先に出られないリーンリアナが門の向こうの女騎士たちに直接薬を盛ることはできないが、侍女にやらせることはできるから。その言い分がすべて言いがかりと言えるわけでもない。
夜勤の女騎士たちは離宮の他の人間と違って、早めに夕食をとっているので、他に睡眠薬を口にした人間はいない。
離宮にいる人間は夜会とは縁がなく、あの時間帯は夜勤の女騎士たち以外が起きていることはない。たまたま目を覚ました人物が夜勤の女騎士たちの状態に気付き、急いで非番の女騎士たちを叩き起こして、離宮の捜索をしたところ不審者を捕らえることができたのだ。
流石に不審者も離宮の中の部屋割りは知らなかったと見え、リーンリアナの部屋どころか、王女の母体が使っている部屋には辿り着かなかった。
これは今回のことを計画した人物は離宮の中までは知らないということである。
リーンリアナの名前が出ているということは、アルバート絡みで今回も起きたということだ。
前回はまだ結婚まで時間が空いていたベッケンバウアー公爵令嬢がアルバートが離宮訪問ばかりしていることに危機感を持っておこなった毒殺未遂事件。
今回はリーンリアナとの和解と懐柔でアルバートが離宮に日参しているのが原因だろうとリカルドは考えている。
リーンリアナが伽をできない状況が続いていた間はアルバートは他の妃のところを順番に回っていた。昼間にリーンリアナのところに訪れていようが、夜は必ず他の妃のところにいるのだ。その時は良かったのだろう。
だが、またアルバートが離宮に泊まることを順番に入れてきたことからバランスが崩れた。前にリーンリアナが妊娠した時のアルバートの浮かれっぷりや真綿に包むような過保護さから、寵がリーンリアナだけに向かうのではないかと危惧するものが出てきてもおかしくはない。
「ですが・・・」
「問題は誰があの自称愛人に偽の言づてをし、王宮の侍女の服を用意したのか、だ。それに、ハルスタッド一族の女だけを特別扱いするなとは言われていただろう?」
「それは・・・。・・・はい」
殊勝に頷くアルバートを見て、リカルドは心痛まないわけではない。
甥は間違えたかもしれないが、それでもやり直そうと努力している。
それを誤解されただけなのだ。
「その血を引く王女を他国に嫁がせる為にハルスタッド一族の女を娶っているだけではいけない。他の妃からの嫉妬を買わないように配慮することも必要なのだ。息子が生まれてもハルスタッド一族に引き渡して王子とは認めないのもそう。一族だけ集めて暮らさせているのもそう。学校で落ちこぼれと言われた令嬢を集めて仕えさせているのもそう。ハルスタッド一族の女から生まれた王女を自国内に嫁がせないのもそう。同じ人物に嫁がせることはあっても、他の妃の王女より下の立場で嫁がせるのもそう。他の妃から見て、自分の劣等感を刺激しないような下の人物に思わせている環境に置いているのは、そういうことだ」
「え?」
アルバートは父に教えられた以上の叔父の言葉に驚きながらも耳を傾ける。
他国に嫁がせる為にハルスタッド一族の女を娶っていると聞いていたが、彼女たちが住む離宮が他の妃たちから守る為だとはアルバートは聞いていなかった。
言われてみれば、離宮の侍女や女騎士たちは王宮の侍女や女騎士たちよりも間が抜けていたり、質が劣るようには見えていた。だが、それが離宮の住人たちを守る為のものだとは、アルバートも考えもしていなかった。
それに王子をハルスタッド一族に処分させるのを、引き渡すという表現を使っていることがアルバートの頭の片隅に引っかかった。
「気付かなかったのか? 美しいだけなら他の妃のほうが美しい。だが、ハルスタッド一族は人を惹きつけてやまない魅力がある。その抗えない魅力が他の妃から見たら夫の寵愛を一身に集めないか脅威に映るのだよ。だから、離宮に閉じ込めて、他の妃の目には触れさせないようにしているのだ。だからどんなに心惹かれようが、他の妃たちには気付かれないようにしなければいけない。距離を置いて他の妃とのバランスをとることは言われなかったか?」
「・・・いいえ、聞いたおぼえがありません」
聞いていたとしても、記憶にないのはアルバート自身がわかっている。
リーンセーラに心奪われていた自覚があるだけに。
「すっかりのぼせ上って、忠告を忘れてしまっていたのか。お前の場合は免疫を付ける為に会わせたことが逆効果になってしまったようだな」
「・・・叔父上」
他人から図星を刺され、アルバートはやめて欲しいとばかりに叔父を呼んだ。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「その通りです」
リカルドが心外だとばかりに片方の眉を上げれば、アルバートは言葉を飲み込んだ。
「だろうな。その結果が前回と今回の事件を招いたのだ。前回は婚約者とその父親。今回はどの妃が裁かれるのだろうな」
「・・・」
前は正妃になると言われていた婚約者とも言うべきベッケンバウアー公爵令嬢がリーンリアナに毒を盛り、婚約者親子がその責をとることになった。そして毒を盛られたリーンリアナも、実際に毒を口にしたリーンセーラもそれで寝込んだ。
今度もアルバートの浅はかさから、妃のうちの誰かがリーンリアナが不貞を働いているとでっち上げようとして、焚きつけられた人物が騒ぎを起こしている。命を狙っていないので前回ほど罰は重くならないだろうが、黒幕は妃の誰かなのだ。黒幕が判明したら、命までは奪われなくても幽閉されてもおかしくない。
アルバートに罪がなくても、周りの女たちはアルバートの寵愛を得ようと罪を犯す。
「叔父上、私は・・・多くの妃などいりません。子どもが性別でいらない子どもだからと取り上げられるなんてことには、耐えられません」
アルバートの望みは愛する彼女が欲しかっただけだ。ただ、それだけだった。
でも、アルバートの妻はリーンリアナで、その妻とやり直したくても、生まれた息子はいくら手を尽くしても、ハルスタッド一族の手に渡って以降の行方は知れない。
愛する女性に振り向いてもらえないことも、今ある家族を大事にしようと思ってもうまくいかない。
他の妃にも娘たちはいるが、行方の知れない息子のことがアルバートには気懸かりだった。
自分がリーンリアナに信用されていれば、息子は失わなかったかもしれないから。
自分のせいで失われた息子。
アルバートは普通の家族でいたかった。妃が何人もいなくてもいい、性別で子どもを手放さないですむ、そんな家族。
「それはできない。ハルスタッド一族がハルスタッド一族として生まれるように、王族に生まれた我々には我々の生き方しか許されていない。ハルスタッド一族は我々の庇護がなければ、狩られて消えていく存在だ。庇護を与える代わりに、彼らは我々に国を与える。国を与えられた我々は国を与えられた者として生きていくことしかできない」
女騎士たちに捕まって大食堂に連れてこられた不審者は、自称愛人のくせにリーンリアナの顔すらわからず姉や叔母たちを見惚れて怒りを買っていた。
それでいて、リカルドの尋問で判明したことがまた姉や叔母たちの怒りを激しくさせる。
フィリアに連れられて自分の部屋に戻れるようになった時、リーンリアナは安堵するくらいだった。
だが、そこですべてが終わったわけではなかった。
何者かがリーンリアナを陥れようとしたことをリカルドが伏せていたにもかかわらず、ハルスタッド一族の女たちよりは遥かに世知に長けているフィリアが気付き、ぶつくさと文句を垂れているのだ。
リーンリアナは新たにわかった”敵”の存在と、フィリアの愚痴という名の推測を聞いていた。
籠の鳥で物知らずなリーンリアナには、聞けば聞くほど、何をすればいいのかわからなくなってくる。
「では、どうしたらいいのかしら?」
「こういう時は攻撃あるのみだって、従姉妹が言ってました」
騎士科に転入するほどではなかったフィリアは既婚の従姉妹の言っていたことを思い出して言った。
「攻撃?」
「はい。女には女の戦いがあるそうです、リーンリアナ様。女は殿方の寵が得られているかどうかで、その価値が変わってきます。正妻でも、夫の寵がなければ負けます。夫の寵がなくても夫より素晴らしい殿方から気に入られれば、それで夫の気を引くことができ、寵を得られることもできます」
夫以外にも魅力的だと思わせることで夫の関心を引く。
そんなのはどうでもいい。
夫の寵などとうに必要としなくなったリーンリアナである。
でも、愛人志願者を差し向けてきた女に仕返しをする機会は欲しい。
この私があの男に愛されていると思っているのなら、愛されていない惨めな自分の姿を思い知らせてあげる。あの男に愛されていないこの私が。
あの男が愛しているのは姉様。
せいぜい、私みたいに愛されないことで苦しめばいいのよ。
毒を盛ったベッケンバウアー公爵令嬢のように、リーンリアナは今回の犯人に対して同情はしなかった。
正妃になる筈だった令嬢はアルバートが他の女に盗られたくないと、リーンリアナを亡き者にしようとした。
同じ排除の仕方でも、彼女はリーンリアナを殺された被害者にしようとしただけで、今回のように評判を傷付けて陥れようとはしなかった。
「そんなことで夫の関心を引けるの?」
「当たり前です。殿方は他の殿方に人気があるご婦人に興味を持つもんです。リーンリアナ様はハルスタッドの黒薔薇なんですよ。興味さえ持っていただければ、ハルスタッドの黒薔薇に魅了されない殿方がいると思っているんですか? そうやって魅了して、相手の女に負けたと思わすことができればいいんです。自信がない女なんて鬱陶しいだけだから、殿方の気持ちも離れていきます。自信があったら、愛人を仕立て上げるなんて真似をしたりはしませんからね」
その魅了できなかった相手が夫のアルバートであることをフィリアは忘れているとリーンリアナは思った。
アルバートは既にリーンリアナの姉に心奪われていたから。
「女の戦い・・・。私もやってみようかしら?」
以前のリーンリアナなら陥れられかけても怖がるだけで何もしないかもしれない。しかし、アルバートに想いを砕かれたリーンリアナは陥れられそうになったことに姉や叔母たちのように怒りを感じていた。
これは私につき付けられた挑戦。
見当はずれなことをしてきたあなたにふさわしい罰をあげるわ。
「それならみんなに声をかけますね。マリーのお兄様の奥様が確か社交界の華だそうですし、目に物を見せてやりましょう!」
落ちこぼれ侍女として離宮に勤めてはいても、フィリアたちも立派な上流階級の一員である。
一人ひとりは淑女として及第点ギリギリでも、得意な分野もあれば、苦手な分野もある。それに縁戚、姻戚、人脈を辿れば様々なことができる。
リーンリアナとフィリアは笑顔で見交わした。
それを耳にした時の自分と同じ何とも言えない表情をしている甥を見ながらリカルドは言った。
王宮に出入りしている限り、誰もが一度は黒薔薇と称されるハルスタッド一族の男たちを目にし、娼館でその名が特別な意味を持つ理由を理解する。
しかし、王族に嫁ぐ娘以外、その一族の女が彼らの館の敷地から出ることは稀だ。
ハルスタッド一族の男たちを目にした者の中には、ハルスタッド一族の女を望む者が少なからずいる。そこに王族に嫁いでいるとはいえ、手の届く距離にいる相手から招待を受ければ応じてしまう人間だっている。
自称リーンリアナの愛人はそんな一人だった。
「あー。叔父上? 何ですか、その表情は」
王家の特徴以外にも甥の似たところに気付いたのはいいが、リカルドはこみ上げてきた笑いを抑えることができなかった。
それを不機嫌な甥に咎められても、笑いは治まらない。
「いや、何。気にするな」
捕らえられた離宮の不審者。もとい、自称リーンリアナの愛人の姿を思い出してしまうとリカルドは不謹慎にも笑いがこみ上げてくる。
夫に内緒で浮気している既婚夫人や評判を守りたい未亡人たちが愛人を家に引き込む際には従僕のお仕着せを愛人に着せておくことがある。
自称リーンリアナの愛人も女の園である離宮で不審がられないように変装していたのだが、もちろん女装で・・・。違和感がないと言えば、違和感がない相手で良かったとは思う。
笑い事ではない出来事ばかりなのに、リカルドはそこを思い出して仕方がない。
離宮のハルスタッド一族の女が愛人を作るということもそうだが、それを引き入れる為に門を守る夜勤の女騎士たちの食事に睡眠薬が入っていたのだ。
女騎士がぐっすり眠りこんでいたのは自称リーンリアナの愛人によるとリーンリアナの仕業らしい。
中庭より先に出られないリーンリアナが門の向こうの女騎士たちに直接薬を盛ることはできないが、侍女にやらせることはできるから。その言い分がすべて言いがかりと言えるわけでもない。
夜勤の女騎士たちは離宮の他の人間と違って、早めに夕食をとっているので、他に睡眠薬を口にした人間はいない。
離宮にいる人間は夜会とは縁がなく、あの時間帯は夜勤の女騎士たち以外が起きていることはない。たまたま目を覚ました人物が夜勤の女騎士たちの状態に気付き、急いで非番の女騎士たちを叩き起こして、離宮の捜索をしたところ不審者を捕らえることができたのだ。
流石に不審者も離宮の中の部屋割りは知らなかったと見え、リーンリアナの部屋どころか、王女の母体が使っている部屋には辿り着かなかった。
これは今回のことを計画した人物は離宮の中までは知らないということである。
リーンリアナの名前が出ているということは、アルバート絡みで今回も起きたということだ。
前回はまだ結婚まで時間が空いていたベッケンバウアー公爵令嬢がアルバートが離宮訪問ばかりしていることに危機感を持っておこなった毒殺未遂事件。
今回はリーンリアナとの和解と懐柔でアルバートが離宮に日参しているのが原因だろうとリカルドは考えている。
リーンリアナが伽をできない状況が続いていた間はアルバートは他の妃のところを順番に回っていた。昼間にリーンリアナのところに訪れていようが、夜は必ず他の妃のところにいるのだ。その時は良かったのだろう。
だが、またアルバートが離宮に泊まることを順番に入れてきたことからバランスが崩れた。前にリーンリアナが妊娠した時のアルバートの浮かれっぷりや真綿に包むような過保護さから、寵がリーンリアナだけに向かうのではないかと危惧するものが出てきてもおかしくはない。
「ですが・・・」
「問題は誰があの自称愛人に偽の言づてをし、王宮の侍女の服を用意したのか、だ。それに、ハルスタッド一族の女だけを特別扱いするなとは言われていただろう?」
「それは・・・。・・・はい」
殊勝に頷くアルバートを見て、リカルドは心痛まないわけではない。
甥は間違えたかもしれないが、それでもやり直そうと努力している。
それを誤解されただけなのだ。
「その血を引く王女を他国に嫁がせる為にハルスタッド一族の女を娶っているだけではいけない。他の妃からの嫉妬を買わないように配慮することも必要なのだ。息子が生まれてもハルスタッド一族に引き渡して王子とは認めないのもそう。一族だけ集めて暮らさせているのもそう。学校で落ちこぼれと言われた令嬢を集めて仕えさせているのもそう。ハルスタッド一族の女から生まれた王女を自国内に嫁がせないのもそう。同じ人物に嫁がせることはあっても、他の妃の王女より下の立場で嫁がせるのもそう。他の妃から見て、自分の劣等感を刺激しないような下の人物に思わせている環境に置いているのは、そういうことだ」
「え?」
アルバートは父に教えられた以上の叔父の言葉に驚きながらも耳を傾ける。
他国に嫁がせる為にハルスタッド一族の女を娶っていると聞いていたが、彼女たちが住む離宮が他の妃たちから守る為だとはアルバートは聞いていなかった。
言われてみれば、離宮の侍女や女騎士たちは王宮の侍女や女騎士たちよりも間が抜けていたり、質が劣るようには見えていた。だが、それが離宮の住人たちを守る為のものだとは、アルバートも考えもしていなかった。
それに王子をハルスタッド一族に処分させるのを、引き渡すという表現を使っていることがアルバートの頭の片隅に引っかかった。
「気付かなかったのか? 美しいだけなら他の妃のほうが美しい。だが、ハルスタッド一族は人を惹きつけてやまない魅力がある。その抗えない魅力が他の妃から見たら夫の寵愛を一身に集めないか脅威に映るのだよ。だから、離宮に閉じ込めて、他の妃の目には触れさせないようにしているのだ。だからどんなに心惹かれようが、他の妃たちには気付かれないようにしなければいけない。距離を置いて他の妃とのバランスをとることは言われなかったか?」
「・・・いいえ、聞いたおぼえがありません」
聞いていたとしても、記憶にないのはアルバート自身がわかっている。
リーンセーラに心奪われていた自覚があるだけに。
「すっかりのぼせ上って、忠告を忘れてしまっていたのか。お前の場合は免疫を付ける為に会わせたことが逆効果になってしまったようだな」
「・・・叔父上」
他人から図星を刺され、アルバートはやめて欲しいとばかりに叔父を呼んだ。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「その通りです」
リカルドが心外だとばかりに片方の眉を上げれば、アルバートは言葉を飲み込んだ。
「だろうな。その結果が前回と今回の事件を招いたのだ。前回は婚約者とその父親。今回はどの妃が裁かれるのだろうな」
「・・・」
前は正妃になると言われていた婚約者とも言うべきベッケンバウアー公爵令嬢がリーンリアナに毒を盛り、婚約者親子がその責をとることになった。そして毒を盛られたリーンリアナも、実際に毒を口にしたリーンセーラもそれで寝込んだ。
今度もアルバートの浅はかさから、妃のうちの誰かがリーンリアナが不貞を働いているとでっち上げようとして、焚きつけられた人物が騒ぎを起こしている。命を狙っていないので前回ほど罰は重くならないだろうが、黒幕は妃の誰かなのだ。黒幕が判明したら、命までは奪われなくても幽閉されてもおかしくない。
アルバートに罪がなくても、周りの女たちはアルバートの寵愛を得ようと罪を犯す。
「叔父上、私は・・・多くの妃などいりません。子どもが性別でいらない子どもだからと取り上げられるなんてことには、耐えられません」
アルバートの望みは愛する彼女が欲しかっただけだ。ただ、それだけだった。
でも、アルバートの妻はリーンリアナで、その妻とやり直したくても、生まれた息子はいくら手を尽くしても、ハルスタッド一族の手に渡って以降の行方は知れない。
愛する女性に振り向いてもらえないことも、今ある家族を大事にしようと思ってもうまくいかない。
他の妃にも娘たちはいるが、行方の知れない息子のことがアルバートには気懸かりだった。
自分がリーンリアナに信用されていれば、息子は失わなかったかもしれないから。
自分のせいで失われた息子。
アルバートは普通の家族でいたかった。妃が何人もいなくてもいい、性別で子どもを手放さないですむ、そんな家族。
「それはできない。ハルスタッド一族がハルスタッド一族として生まれるように、王族に生まれた我々には我々の生き方しか許されていない。ハルスタッド一族は我々の庇護がなければ、狩られて消えていく存在だ。庇護を与える代わりに、彼らは我々に国を与える。国を与えられた我々は国を与えられた者として生きていくことしかできない」
女騎士たちに捕まって大食堂に連れてこられた不審者は、自称愛人のくせにリーンリアナの顔すらわからず姉や叔母たちを見惚れて怒りを買っていた。
それでいて、リカルドの尋問で判明したことがまた姉や叔母たちの怒りを激しくさせる。
フィリアに連れられて自分の部屋に戻れるようになった時、リーンリアナは安堵するくらいだった。
だが、そこですべてが終わったわけではなかった。
何者かがリーンリアナを陥れようとしたことをリカルドが伏せていたにもかかわらず、ハルスタッド一族の女たちよりは遥かに世知に長けているフィリアが気付き、ぶつくさと文句を垂れているのだ。
リーンリアナは新たにわかった”敵”の存在と、フィリアの愚痴という名の推測を聞いていた。
籠の鳥で物知らずなリーンリアナには、聞けば聞くほど、何をすればいいのかわからなくなってくる。
「では、どうしたらいいのかしら?」
「こういう時は攻撃あるのみだって、従姉妹が言ってました」
騎士科に転入するほどではなかったフィリアは既婚の従姉妹の言っていたことを思い出して言った。
「攻撃?」
「はい。女には女の戦いがあるそうです、リーンリアナ様。女は殿方の寵が得られているかどうかで、その価値が変わってきます。正妻でも、夫の寵がなければ負けます。夫の寵がなくても夫より素晴らしい殿方から気に入られれば、それで夫の気を引くことができ、寵を得られることもできます」
夫以外にも魅力的だと思わせることで夫の関心を引く。
そんなのはどうでもいい。
夫の寵などとうに必要としなくなったリーンリアナである。
でも、愛人志願者を差し向けてきた女に仕返しをする機会は欲しい。
この私があの男に愛されていると思っているのなら、愛されていない惨めな自分の姿を思い知らせてあげる。あの男に愛されていないこの私が。
あの男が愛しているのは姉様。
せいぜい、私みたいに愛されないことで苦しめばいいのよ。
毒を盛ったベッケンバウアー公爵令嬢のように、リーンリアナは今回の犯人に対して同情はしなかった。
正妃になる筈だった令嬢はアルバートが他の女に盗られたくないと、リーンリアナを亡き者にしようとした。
同じ排除の仕方でも、彼女はリーンリアナを殺された被害者にしようとしただけで、今回のように評判を傷付けて陥れようとはしなかった。
「そんなことで夫の関心を引けるの?」
「当たり前です。殿方は他の殿方に人気があるご婦人に興味を持つもんです。リーンリアナ様はハルスタッドの黒薔薇なんですよ。興味さえ持っていただければ、ハルスタッドの黒薔薇に魅了されない殿方がいると思っているんですか? そうやって魅了して、相手の女に負けたと思わすことができればいいんです。自信がない女なんて鬱陶しいだけだから、殿方の気持ちも離れていきます。自信があったら、愛人を仕立て上げるなんて真似をしたりはしませんからね」
その魅了できなかった相手が夫のアルバートであることをフィリアは忘れているとリーンリアナは思った。
アルバートは既にリーンリアナの姉に心奪われていたから。
「女の戦い・・・。私もやってみようかしら?」
以前のリーンリアナなら陥れられかけても怖がるだけで何もしないかもしれない。しかし、アルバートに想いを砕かれたリーンリアナは陥れられそうになったことに姉や叔母たちのように怒りを感じていた。
これは私につき付けられた挑戦。
見当はずれなことをしてきたあなたにふさわしい罰をあげるわ。
「それならみんなに声をかけますね。マリーのお兄様の奥様が確か社交界の華だそうですし、目に物を見せてやりましょう!」
落ちこぼれ侍女として離宮に勤めてはいても、フィリアたちも立派な上流階級の一員である。
一人ひとりは淑女として及第点ギリギリでも、得意な分野もあれば、苦手な分野もある。それに縁戚、姻戚、人脈を辿れば様々なことができる。
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