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夫の償い2
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あの日以降、アルバートがリーンリアナと面会できたのは二か月以上は経ってからだった。
アルバートの訪問が許された中庭での短時間のお茶会は、身内だけの私的なお茶会よりも更にくだけたもので、母子や姉妹が一緒にお茶の時間を楽しむような形のものだった。
姉や叔母たちに守られるように囲まれて座っているリーンリアナは幻か何かですぐに消えてしまいそうな雰囲気をしていた。
面会は許されていなくても、中庭と外界を遮る門の扉越しには何度かリーンリアナと話すことは許されたアルバートにはそれが衝撃にだった。
扉越しに話している限り、リーンリアナは以前と変わらないようにアルバートには思えた。
しかし、こうして目にしてみると、明らかにその妖しい美しさは凄みを増している。それでいて儚く見えるのにその印象は強烈で、まるで伝説や物語に登場する人外のように捉えどころがない。
「こうしてお会いするのはお久し振りですね、アルバート様」
黒い巻き毛と伏せがちの目。そして、長く量の多い睫毛が目の下に影を落としている。
他のハルスタッド一族の女たちと同じ特徴をしているのに、物憂げな感じは誰よりも勝っていて、アルバートは目が離せなかった。
この女は昔からこうだったか?
壮絶なまでに漂わせている哀愁が、一族の持つ妖しい美しさを際立たせていることなどアルバートにはわかっていなかった。
「アルバート様?」
返事がないアルバートの名前をリーンリアナはもう一度呼ぶ。
そこでようやく、アルバートは我に返った。まるでリーンセーラと出会ったあの時のように、今度はリーンリアナ以外に意識が向かなかった。
「あ、ああ・・・。扉越しには話していたが、こうして顔をあわせるのは久し振りだな」
リーンリアナが倒れた翌日に眠る姿を垣間見た次の日から、アルバートは女騎士たちの制止を振り切って離宮に入ったものの、アルバートが離宮に来たとの侍女の知らせでリーンリアナの部屋の前に集まったハルスタッド一族の女たちに阻まれるようになり、リーンリアナの姿を目にすることすら叶わなくなった。
女騎士たちはともかく、ハルスタッド一族の女たちには敬意を表さなければいけない。相手は父親の側妃を筆頭に、叔父や大叔父の側妃なのだ。側妃だからとあなどることは夫である彼らに対する侮辱になる。
弱っているリーンリアナに安静が必要だという女騎士たちの要求は誰の目から見てもおかしなところはなく、アルバートとしては引き下がるしかない。
その中にリーンセーラの姿もあったが、自責の念に駆られているアルバートは彼女がいることしか認識できなかった。
もし、自責の念に駆られていなければ、リーンセーラと出会うことができたこの機会を、愛しい彼女が自分に会いに来てくれたとアルバートは都合の良い夢を見ただろう。しかし、現実では自分が誰かを傷付けたという事実を目の当たりにした衝撃に打ちのめされていた。
門の扉越しにリーンリアナと話せるようになったのは偶然だった。
いつものように見舞いの品を持って離宮を訪れたところ、女騎士たちが中の人物と閉まった門を挟んで話をしていた。
侍女たちなら多少手間はかかっても、門の外に出て話すことができるので、相手は門の外に出ることを許されていない人物。つまり、ハルスタッド一族の女たち。
会話に集中している女騎士たちはアルバートが傍に近付いても気付かなかった。
そんな会話の最中に門の内側に呼びかけている名前がリーンリアナだった。
あの結婚した当初に起きたリーンリアナに盛られた毒でリーンセーラが倒れた事件で、リーンリアナが侍女の代わりをしていた女騎士たちと親しくなり、こうして気軽におしゃべりを楽しむようになったことを知らなかったアルバートは驚いた。
女騎士たちが警備もそっちのけに話し込んでいるのがようやく終わった頃、アルバートは門の内側に声をかけた。
想像もしていなかった人物に話しかけられたリーンリアナと、アルバートの訪問に気付いていなかった女騎士たちは驚きの声を上げた。
そんなに驚かれたアルバートのほうがショックだったが、そんなことはどうでもいい。
直接会うことはリーンリアナに拒まれたが、扉越しに話すことは了承された。
アルバートとしても、どのような顔をして自分が傷付けたリーンリアナと会えば良いのかわからなかったので、二人は物理的な障害を挟んで話をすることに落ち着いた。
二カ月ぶりに会ったリーンリアナはいつものようにアルバートには興味がないようだった。
リーンリアナのところにせっかくお茶を楽しみに訪れても、関心が薄い妻の隣でリーンセーラが訪れるのを心待ちにするうちに待ちくたびれてアルバートは眠ってしまうのが常だった。時々は妻への義理であったり、リーンセーラに産んでもらえない子どもを産ませる為に抱くことはあっても、夫婦らしいのはそれぐらいだ。
「私などに興味がないと思いましたのに、どうしてこんなに足を運ばれるのか不思議ですわ」
「それはお前が私の妻だからだ」
リーンリアナは考えるように首を傾げる。
「そう言えば、そうでしたわ」
「お前を傷付けたことを悪いと思っているから、こうして顔を見て謝りたいと思っている」
謝るという言葉にリーンリアナの目が心持ち大きめに開く。
「まあ」
紅をひいた薄いリーンリアナの唇が丸くなる。
ハルスタッド一族の女たちも驚いた声を出す。
そこまで驚かれたことにアルバートは不快だった。
「私が謝ることが驚くことか?」
鼻を鳴らして、不貞腐れたアルバートに
「いいえ。とんでもないですわ」
リーンリアナは完璧すぎる笑顔で首を横に振るが、声は白々しかった。
リーンセーラを含むハルスタッド一族の女たちの険しい顔に囲まれてリーンリアナと話すアルバートはふと思い出した。
リーンリアナがこのように自分に空々しい言葉をかけず、退屈そうな様子を見せなかったことがあったことを。それがいつのことだったか、アルバートには思い出せなかった。
離宮の入り口の棟にいる女騎士のエミリーとユーニスの話を、リーンリアナは侍女に門の傍に運んでもらった椅子に座って他人事のように聞いていた。
女騎士たちは毒が盛られた事件も知っており、その後に直接世話をしてくれていたので、リーンリアナはこうして扉越しに話をするようになっていたからだ。
「王太子殿下は何を贈ったらいいのか、側近の方々に相談されたそうよ」
「自ら買いに行かれたと姉が申しておりましたわ」
騎士をしていても、侍女たちと同じく女騎士たちは噂に聡い。女だけが住む離宮の警護という仕事柄、同僚や上司も同じ女性ということで男と張り合ったり、それ以上の結果を出さなくてはいけないという重圧がない為か、女性らしい感性はあまり損なわれていないからだ。
ちなみに情報源は王宮の侍女たちであったり、母親や姉妹だったりする。
「あら。そうなの? アルバート様がそんなに骨を折ってくださっているとは思いませんでしたわ」
「リーンリアナ様、反応が薄すぎます」
「もっと感激なさってくださらないと困ります」
欲しくもない相手からものを押し付けられているリーンリアナとしてはこれ以上うまく言える自信がない。
「そう言われても、ねえ」
つい最近、死産して体調を崩したリーンリアナをアルバートが蔑ろにしたことは女騎士たちは知っているにもかかわらず、わざとリーンリアナにアルバートの優しさをアピールしてくる。
「今日の贈り物がお気に召しませんでした?」
「あんなに見事なネックレスでしたのに?」
女騎士たちはアルバートが弱っているリーンリアナを殺しかけたことの償いなのか、謝罪なのかわからない品を話題にアルバートをこき下ろしたいだけであった。
「欲しいなら、あなた方に差し上げますわよ」
「そんなことをされたと知られれば、王太子殿下のお怒りを買うかもしれませんわ」
「ご辞退いたしますわ」
丁重に断ってみせていても、実際はアルバートから贈られたものなど女騎士たちは欲しくない。品は良くても、それを選んで贈った人物が人物なだけに欲しいとも思わない。
女騎士たちは貴族の子女ではあるものの、騎士になっているだけにアルバートの側妃や愛妾に収まろうという野心は抱いていない。そんなことをするのなら、騎士として訓練することで失われる肌の白さやできてしまうそばかすなどのほうを気にしなければならない。ところが、この離宮の女騎士たちは貴族の令嬢としての素養が著しく欠けていて、学校の普通科にすら残ることが許されなかった者たちだ。
騎士として城仕えをある程度務めた後はそれなりの恩給を得て一人で暮らすのもよし、自分の財産を手に家族と同居するもよし、はたまた貴婦人の警護をして生きていくもよしと、普通の令嬢とは異なる人生を望んでいた。
そもそも女騎士たちはリーンリアナと同じように駆け引きというものが得意ではない。
それどころか、この離宮の警護に回される女騎士たちはどちらかと言えばその駆け引きなどができなくて、学校で騎士科に転入させられた普通科の落ちこぼれだったりする。
騎士科と文官科への入学は14歳以上の少年のみで、騎士科に在籍する女生徒は普通科に通えるだけのマナーや社交術などの素質がないと早々に見なされた落ちこぼれなのだ。転入させられる先は女生徒の在学2年の期間のうち、卒業までの残りの年数に必要なクラスではあるが、武術の実技などには参加させてもらえない。お情けで学校を卒業させる為に座学と馬術の授業を受けさせているくらいだ。
卒業後、騎士として仕官してから必要な訓練を今現在受けている良家のお嬢さん。それが離宮の女騎士たちである。
暢気なお飾り集団でもある離宮の女騎士たちは外部から危険なものが持ち込まれていないか、許可された人物以外の出入りを監視しているだけだ。
同じ女騎士でも離宮に配属されるかそうでないかは、普通科を卒業して武術などができるかどうかの違いで決まるだけに歴然の差がある。
が、リーンリアナにはそんなことは関係ない。
リーンリアナにとって、離宮の女騎士たちが安心して話せる相手であれば、普通科を落ちこぼれようが、貴族の令嬢らしくなかろうが関係ないのだから。
ついでに離宮に配属されている侍女も仕事はこなせても、侍女としてのマナーや言葉遣いなどに欠点のある落ちこぼれだったりする。
これは離宮の中で飼い殺しにされているハルスタッド一族の女たちにとって完璧な使用人よりも、話し相手にもなる友達感覚の使用人のほうがいいだろうという配慮の結果だった。決して、役立たずな人物を王宮と貴族が押し付けたものではない。
「困ったわ・・・。どう処分したらいいのかしら? 侍女の誰ももらってくれないのよ?」
既に身近な侍女に声をかけて同じように断られたリーンリアナは本気で贈り物の処分に困っていた。
姉や叔母たちにも「あなたがもらったものなんだから」と笑顔で断られている。
「リーンリアナ様。お早めに戻らなくていいのですか?」
「今ならまだ王太子殿下はお見えになっておられませんから、戻っても大丈夫ですわ」
体調が回復したリーンリアナが女騎士たちとおしゃべりを楽しもうとこうして話しているところにアルバートが遭遇して以来、アルバートとも扉越しに話をするようになってしまった。
本来なら顔を見て話をしなければいけないのだが、リーンリアナはあの事件以来、アルバートが怖くて顔を合わせることができない。
アルバートのことをおもちゃだと弄び、嫌気がさしたら他の妃たちのところに差し向けていたというのに、あっさりと立場を逆転されてしまったのである。
これは出産で疲れ切って精神的に弱っていた状態で受けた脅しの影響だった。
ハルスタッド一族の女たちも侍女たちも女騎士たちもあの脅しでリーンリアナが衰弱し、死にかけてしまったのを知っている為、アルバートの訪問を体調不良を理由に阻んでくれていた。
そして、今もアルバートと遭遇して扉越しでも話をさせないようにと心を配ってくれている。
だが、リーンリアナは守られてばかりいるわけにはいかなかった。
怖くてもそれを克服しなければいけない理由があった。
リーンリアナはアルバートの妻なのである。
リーンリアナの姉を愛する男の妻なのだ。
死産(・・)した身体と心が癒えたら、また夫を受け入れなければいけないのである。
姉の身代わりに抱き、姉の代わりに子どもを産ませようとする愚かな男を。
ハルスタッド一族の本家に生まれたからには王族に嫁ぎ、王女を産まなければいけない。
現状では産まなくてもいいほど各国にハルスタッド一族の血を引く王女かその娘がいる。その為、今、2歳の妹は王族に嫁ぐ必要はないらしい。
それでも、リーンリアナは念の為に王女を産んでおかなければいけない。
おもちゃだとまた思えるようになって、姉の身代わりにされる日々にまた耐えられるようにならなければいけない。
まずは姿が見えない状態で話をすることから慣れなくては。
それがアルバートを事実上の夫として選んだ過去の義務。
お姉様ではなく、私を愛させてみせると驕った罰だから。
「あなたたちの気持ちは嬉しいわ。エミリー、ユーニス。でもね、あなたたちとの話を切り上げるほどの価値はないわ」
あの男に恐怖を感じていることなど、悟られてはいけない。
そうこうしているうちに、リーンリアナはアルバートと顔を合わせるお茶会をする日がやってくるのだった。
アルバートの訪問が許された中庭での短時間のお茶会は、身内だけの私的なお茶会よりも更にくだけたもので、母子や姉妹が一緒にお茶の時間を楽しむような形のものだった。
姉や叔母たちに守られるように囲まれて座っているリーンリアナは幻か何かですぐに消えてしまいそうな雰囲気をしていた。
面会は許されていなくても、中庭と外界を遮る門の扉越しには何度かリーンリアナと話すことは許されたアルバートにはそれが衝撃にだった。
扉越しに話している限り、リーンリアナは以前と変わらないようにアルバートには思えた。
しかし、こうして目にしてみると、明らかにその妖しい美しさは凄みを増している。それでいて儚く見えるのにその印象は強烈で、まるで伝説や物語に登場する人外のように捉えどころがない。
「こうしてお会いするのはお久し振りですね、アルバート様」
黒い巻き毛と伏せがちの目。そして、長く量の多い睫毛が目の下に影を落としている。
他のハルスタッド一族の女たちと同じ特徴をしているのに、物憂げな感じは誰よりも勝っていて、アルバートは目が離せなかった。
この女は昔からこうだったか?
壮絶なまでに漂わせている哀愁が、一族の持つ妖しい美しさを際立たせていることなどアルバートにはわかっていなかった。
「アルバート様?」
返事がないアルバートの名前をリーンリアナはもう一度呼ぶ。
そこでようやく、アルバートは我に返った。まるでリーンセーラと出会ったあの時のように、今度はリーンリアナ以外に意識が向かなかった。
「あ、ああ・・・。扉越しには話していたが、こうして顔をあわせるのは久し振りだな」
リーンリアナが倒れた翌日に眠る姿を垣間見た次の日から、アルバートは女騎士たちの制止を振り切って離宮に入ったものの、アルバートが離宮に来たとの侍女の知らせでリーンリアナの部屋の前に集まったハルスタッド一族の女たちに阻まれるようになり、リーンリアナの姿を目にすることすら叶わなくなった。
女騎士たちはともかく、ハルスタッド一族の女たちには敬意を表さなければいけない。相手は父親の側妃を筆頭に、叔父や大叔父の側妃なのだ。側妃だからとあなどることは夫である彼らに対する侮辱になる。
弱っているリーンリアナに安静が必要だという女騎士たちの要求は誰の目から見てもおかしなところはなく、アルバートとしては引き下がるしかない。
その中にリーンセーラの姿もあったが、自責の念に駆られているアルバートは彼女がいることしか認識できなかった。
もし、自責の念に駆られていなければ、リーンセーラと出会うことができたこの機会を、愛しい彼女が自分に会いに来てくれたとアルバートは都合の良い夢を見ただろう。しかし、現実では自分が誰かを傷付けたという事実を目の当たりにした衝撃に打ちのめされていた。
門の扉越しにリーンリアナと話せるようになったのは偶然だった。
いつものように見舞いの品を持って離宮を訪れたところ、女騎士たちが中の人物と閉まった門を挟んで話をしていた。
侍女たちなら多少手間はかかっても、門の外に出て話すことができるので、相手は門の外に出ることを許されていない人物。つまり、ハルスタッド一族の女たち。
会話に集中している女騎士たちはアルバートが傍に近付いても気付かなかった。
そんな会話の最中に門の内側に呼びかけている名前がリーンリアナだった。
あの結婚した当初に起きたリーンリアナに盛られた毒でリーンセーラが倒れた事件で、リーンリアナが侍女の代わりをしていた女騎士たちと親しくなり、こうして気軽におしゃべりを楽しむようになったことを知らなかったアルバートは驚いた。
女騎士たちが警備もそっちのけに話し込んでいるのがようやく終わった頃、アルバートは門の内側に声をかけた。
想像もしていなかった人物に話しかけられたリーンリアナと、アルバートの訪問に気付いていなかった女騎士たちは驚きの声を上げた。
そんなに驚かれたアルバートのほうがショックだったが、そんなことはどうでもいい。
直接会うことはリーンリアナに拒まれたが、扉越しに話すことは了承された。
アルバートとしても、どのような顔をして自分が傷付けたリーンリアナと会えば良いのかわからなかったので、二人は物理的な障害を挟んで話をすることに落ち着いた。
二カ月ぶりに会ったリーンリアナはいつものようにアルバートには興味がないようだった。
リーンリアナのところにせっかくお茶を楽しみに訪れても、関心が薄い妻の隣でリーンセーラが訪れるのを心待ちにするうちに待ちくたびれてアルバートは眠ってしまうのが常だった。時々は妻への義理であったり、リーンセーラに産んでもらえない子どもを産ませる為に抱くことはあっても、夫婦らしいのはそれぐらいだ。
「私などに興味がないと思いましたのに、どうしてこんなに足を運ばれるのか不思議ですわ」
「それはお前が私の妻だからだ」
リーンリアナは考えるように首を傾げる。
「そう言えば、そうでしたわ」
「お前を傷付けたことを悪いと思っているから、こうして顔を見て謝りたいと思っている」
謝るという言葉にリーンリアナの目が心持ち大きめに開く。
「まあ」
紅をひいた薄いリーンリアナの唇が丸くなる。
ハルスタッド一族の女たちも驚いた声を出す。
そこまで驚かれたことにアルバートは不快だった。
「私が謝ることが驚くことか?」
鼻を鳴らして、不貞腐れたアルバートに
「いいえ。とんでもないですわ」
リーンリアナは完璧すぎる笑顔で首を横に振るが、声は白々しかった。
リーンセーラを含むハルスタッド一族の女たちの険しい顔に囲まれてリーンリアナと話すアルバートはふと思い出した。
リーンリアナがこのように自分に空々しい言葉をかけず、退屈そうな様子を見せなかったことがあったことを。それがいつのことだったか、アルバートには思い出せなかった。
離宮の入り口の棟にいる女騎士のエミリーとユーニスの話を、リーンリアナは侍女に門の傍に運んでもらった椅子に座って他人事のように聞いていた。
女騎士たちは毒が盛られた事件も知っており、その後に直接世話をしてくれていたので、リーンリアナはこうして扉越しに話をするようになっていたからだ。
「王太子殿下は何を贈ったらいいのか、側近の方々に相談されたそうよ」
「自ら買いに行かれたと姉が申しておりましたわ」
騎士をしていても、侍女たちと同じく女騎士たちは噂に聡い。女だけが住む離宮の警護という仕事柄、同僚や上司も同じ女性ということで男と張り合ったり、それ以上の結果を出さなくてはいけないという重圧がない為か、女性らしい感性はあまり損なわれていないからだ。
ちなみに情報源は王宮の侍女たちであったり、母親や姉妹だったりする。
「あら。そうなの? アルバート様がそんなに骨を折ってくださっているとは思いませんでしたわ」
「リーンリアナ様、反応が薄すぎます」
「もっと感激なさってくださらないと困ります」
欲しくもない相手からものを押し付けられているリーンリアナとしてはこれ以上うまく言える自信がない。
「そう言われても、ねえ」
つい最近、死産して体調を崩したリーンリアナをアルバートが蔑ろにしたことは女騎士たちは知っているにもかかわらず、わざとリーンリアナにアルバートの優しさをアピールしてくる。
「今日の贈り物がお気に召しませんでした?」
「あんなに見事なネックレスでしたのに?」
女騎士たちはアルバートが弱っているリーンリアナを殺しかけたことの償いなのか、謝罪なのかわからない品を話題にアルバートをこき下ろしたいだけであった。
「欲しいなら、あなた方に差し上げますわよ」
「そんなことをされたと知られれば、王太子殿下のお怒りを買うかもしれませんわ」
「ご辞退いたしますわ」
丁重に断ってみせていても、実際はアルバートから贈られたものなど女騎士たちは欲しくない。品は良くても、それを選んで贈った人物が人物なだけに欲しいとも思わない。
女騎士たちは貴族の子女ではあるものの、騎士になっているだけにアルバートの側妃や愛妾に収まろうという野心は抱いていない。そんなことをするのなら、騎士として訓練することで失われる肌の白さやできてしまうそばかすなどのほうを気にしなければならない。ところが、この離宮の女騎士たちは貴族の令嬢としての素養が著しく欠けていて、学校の普通科にすら残ることが許されなかった者たちだ。
騎士として城仕えをある程度務めた後はそれなりの恩給を得て一人で暮らすのもよし、自分の財産を手に家族と同居するもよし、はたまた貴婦人の警護をして生きていくもよしと、普通の令嬢とは異なる人生を望んでいた。
そもそも女騎士たちはリーンリアナと同じように駆け引きというものが得意ではない。
それどころか、この離宮の警護に回される女騎士たちはどちらかと言えばその駆け引きなどができなくて、学校で騎士科に転入させられた普通科の落ちこぼれだったりする。
騎士科と文官科への入学は14歳以上の少年のみで、騎士科に在籍する女生徒は普通科に通えるだけのマナーや社交術などの素質がないと早々に見なされた落ちこぼれなのだ。転入させられる先は女生徒の在学2年の期間のうち、卒業までの残りの年数に必要なクラスではあるが、武術の実技などには参加させてもらえない。お情けで学校を卒業させる為に座学と馬術の授業を受けさせているくらいだ。
卒業後、騎士として仕官してから必要な訓練を今現在受けている良家のお嬢さん。それが離宮の女騎士たちである。
暢気なお飾り集団でもある離宮の女騎士たちは外部から危険なものが持ち込まれていないか、許可された人物以外の出入りを監視しているだけだ。
同じ女騎士でも離宮に配属されるかそうでないかは、普通科を卒業して武術などができるかどうかの違いで決まるだけに歴然の差がある。
が、リーンリアナにはそんなことは関係ない。
リーンリアナにとって、離宮の女騎士たちが安心して話せる相手であれば、普通科を落ちこぼれようが、貴族の令嬢らしくなかろうが関係ないのだから。
ついでに離宮に配属されている侍女も仕事はこなせても、侍女としてのマナーや言葉遣いなどに欠点のある落ちこぼれだったりする。
これは離宮の中で飼い殺しにされているハルスタッド一族の女たちにとって完璧な使用人よりも、話し相手にもなる友達感覚の使用人のほうがいいだろうという配慮の結果だった。決して、役立たずな人物を王宮と貴族が押し付けたものではない。
「困ったわ・・・。どう処分したらいいのかしら? 侍女の誰ももらってくれないのよ?」
既に身近な侍女に声をかけて同じように断られたリーンリアナは本気で贈り物の処分に困っていた。
姉や叔母たちにも「あなたがもらったものなんだから」と笑顔で断られている。
「リーンリアナ様。お早めに戻らなくていいのですか?」
「今ならまだ王太子殿下はお見えになっておられませんから、戻っても大丈夫ですわ」
体調が回復したリーンリアナが女騎士たちとおしゃべりを楽しもうとこうして話しているところにアルバートが遭遇して以来、アルバートとも扉越しに話をするようになってしまった。
本来なら顔を見て話をしなければいけないのだが、リーンリアナはあの事件以来、アルバートが怖くて顔を合わせることができない。
アルバートのことをおもちゃだと弄び、嫌気がさしたら他の妃たちのところに差し向けていたというのに、あっさりと立場を逆転されてしまったのである。
これは出産で疲れ切って精神的に弱っていた状態で受けた脅しの影響だった。
ハルスタッド一族の女たちも侍女たちも女騎士たちもあの脅しでリーンリアナが衰弱し、死にかけてしまったのを知っている為、アルバートの訪問を体調不良を理由に阻んでくれていた。
そして、今もアルバートと遭遇して扉越しでも話をさせないようにと心を配ってくれている。
だが、リーンリアナは守られてばかりいるわけにはいかなかった。
怖くてもそれを克服しなければいけない理由があった。
リーンリアナはアルバートの妻なのである。
リーンリアナの姉を愛する男の妻なのだ。
死産(・・)した身体と心が癒えたら、また夫を受け入れなければいけないのである。
姉の身代わりに抱き、姉の代わりに子どもを産ませようとする愚かな男を。
ハルスタッド一族の本家に生まれたからには王族に嫁ぎ、王女を産まなければいけない。
現状では産まなくてもいいほど各国にハルスタッド一族の血を引く王女かその娘がいる。その為、今、2歳の妹は王族に嫁ぐ必要はないらしい。
それでも、リーンリアナは念の為に王女を産んでおかなければいけない。
おもちゃだとまた思えるようになって、姉の身代わりにされる日々にまた耐えられるようにならなければいけない。
まずは姿が見えない状態で話をすることから慣れなくては。
それがアルバートを事実上の夫として選んだ過去の義務。
お姉様ではなく、私を愛させてみせると驕った罰だから。
「あなたたちの気持ちは嬉しいわ。エミリー、ユーニス。でもね、あなたたちとの話を切り上げるほどの価値はないわ」
あの男に恐怖を感じていることなど、悟られてはいけない。
そうこうしているうちに、リーンリアナはアルバートと顔を合わせるお茶会をする日がやってくるのだった。
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