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夫の愛情は不要な妻
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アルバートが彼女を初めて見たのは父にハルスタッド一族の女たちが住む離宮に連れてこられた時。その頃のアルバートはまだ10歳くらい。珍しく、父親に声をかけられ、「お前もそろそろ覚悟しておいたほうがいい」と連れてこられたのだ。
入り口のある面にしか窓がない為に外からは中を窺い知ることのできない離宮。それがハルスタッド一族の女たちが住む場所だった。
彼女らが王宮に上がった時はベールを頭からかぶっていて、誰もその素顔を見たことがない。そんな女たちが住む離宮。そこに出入りできる男は、彼女らの夫たちだけ。
彼女らの素顔を見たことがない者は離宮の窓から見える女をハルスタッド一族の女だと思っていた。
父に連れられて、その離宮の中に入ることのできたアルバートはそこで間違いを知った。
アルバートが父に連れられて入った離宮の中庭で、煙るような眼差しの黒い巻き毛の女たちが集まってお茶会を開いていた。その景色は壮観だった。まるで夢でも見ているようにただそれに見惚れてしまった。
当時まだ飲んだことのない酒精の強い酒にでも酔ったかのように、アルバートの頭は鈍くなって動かなかった。
甘い匂いは中庭に咲いている花の匂いだろうか?
ぼんやりとしているアルバートに父親が声をかける。
「アルバート。何を呆けておる」
「あ、はい」
慌てて返事をするアルバートを叔父たちが笑う。
父親に声をかけられたおかげで、そのお茶会には黒い巻き毛の女たちだけでなく、叔父たちや大叔父が参加していたのをアルバートはようやく気付いた。
「アルバートもまだ子どもだ。この楽園が現実だと認識できないのは仕方がないだろう、兄上」
「いや、子どもだと言い切れぬから、見惚れてしまうのだろう」
言いたい放題に言われてアルバートは悔しかったが、父親はそんな弟たちに手を振って答える。
「それも仕方がない。アルバートにはそろそろ心構えが必要な歳だからな」
声をかけられた時と同様に父親はアルバートに何かさせたいようだったが、アルバートの目はまた女たちに引き付けられ、頭はものを考えられない状態になっていた。
「アルバート。あれが私の一人目のリーンアン」
父親に手で指示されて微笑んだのは大叔父の隣にいる女。
「二人目がリーンセーラ」
今度は叔父の隣にいる女だった。
リーンセーラと紹介された少女を見たアルバートはそれ以降の記憶をおぼえていない。父親と同じように大叔父や叔父たちもそれぞれの妻たちを紹介したのだろうが、まったくおぼえていなかった。
アルバートは父親から二人目と紹介された女に意識を奪われていた。
他のハルスタッド一族の女たちと同じ色の髪。血縁者であることを色濃く表す似た顔立ち。同じように物憂げに伏せられた目。その眼の色だけが他の女たちとは違う。
どこまでも澄んだ空の色をした青がアルバートの網膜の裏に焼き付いた。
次にリーンセーラを見たのはアルバート自身の妻となるリーンリアナが離宮に移り住み、顔合わせをする時だった。
この時も、父や叔父たちなどハルスタッド一族の女たちの夫と一緒だった。
アルバートは離宮に入ってから、リーンセーラの姿だけを探し、リーンリアナを紹介されれば興味のない貴族との歓談をこなすように会話を楽しんでいる振りをしてみせた。
遅々として苦痛な時間は続き、リーンリアナが慕っている姉に目で助けを求めたり、話を振ってくれた時だけがアルバートにとって幸せな時間だった。
父の妻であるリーンセーラに婚約者であるリーンリアナの目の前で話しかけることはそれ相応の理由がいるからだ。
リーンリアナとの結婚はアルバートがこの国の結婚可能年齢である14歳になった時とされ、それまでアルバートはリーンリアナと親しくするのを目的に何度もハルスタッド一族の女たちが住む離宮でのお茶会に招かれた。何度も何度も苦痛の時間を耐えることになった。
そんなある日、そのお茶会はリーンリアナとその姉であるリーンセーラだけのものに変わった。他の王族の姿も、他のハルスタッド一族の女たちの姿もない。
お茶会の場所もリーンリアナやリーンセーラの居間を使われるようになった。
アルバートはリーンセーラに与えられた部屋の居間に入ることができて、より一層、リーンセーラに気持ちが傾倒していった。
愛する女性の私的な空間に出入りすることを許されたその時のアルバートの気持ちを考えればそれも仕方ない。
ただ、アルバートはそれがリーンリアナによって仕組まれたものだとは気付いていなかった。
初めて会った時からアルバートに心惹かれていたリーンリアナは、アルバートの気持ちが自分に向けられていなかったことを敏感に察していた。複雑な家に生まれたリーンリアナは同世代の異性に免疫がなく、初めて言葉を交わす同世代の異性に簡単に心奪われてしまっていたのだ。アルバートの言葉だけでなく、視線の先までも見ていたリーンリアナにはアルバートの関心が自分に一切向けられていないこともすぐに気付いてしまった。
では、誰に向けられているのか?
熱の籠もった視線の先を手繰り、姉を見つけたリーンリアナは、少しでもアルバートに見てもらいたくて、お茶会を姉との三人でのものにした。
愛するアルバートが少しでも姉と一緒にいられるように。
そしてほんの少しでもいいから、私を見てくれますように。
あなたがお姉様を望むなら私が会える機会を作るから、少しだけでいいから私のことも見て。
その願いが叶えられることもなく、リーンセーラを愛するアルバートと彼を愛することで絶望を知ったリーンリアナは結婚を意味するものが何一つないままで夫婦となった。
その日から、リーンリアナは夫の愛情を求めるのをやめた。
入り口のある面にしか窓がない為に外からは中を窺い知ることのできない離宮。それがハルスタッド一族の女たちが住む場所だった。
彼女らが王宮に上がった時はベールを頭からかぶっていて、誰もその素顔を見たことがない。そんな女たちが住む離宮。そこに出入りできる男は、彼女らの夫たちだけ。
彼女らの素顔を見たことがない者は離宮の窓から見える女をハルスタッド一族の女だと思っていた。
父に連れられて、その離宮の中に入ることのできたアルバートはそこで間違いを知った。
アルバートが父に連れられて入った離宮の中庭で、煙るような眼差しの黒い巻き毛の女たちが集まってお茶会を開いていた。その景色は壮観だった。まるで夢でも見ているようにただそれに見惚れてしまった。
当時まだ飲んだことのない酒精の強い酒にでも酔ったかのように、アルバートの頭は鈍くなって動かなかった。
甘い匂いは中庭に咲いている花の匂いだろうか?
ぼんやりとしているアルバートに父親が声をかける。
「アルバート。何を呆けておる」
「あ、はい」
慌てて返事をするアルバートを叔父たちが笑う。
父親に声をかけられたおかげで、そのお茶会には黒い巻き毛の女たちだけでなく、叔父たちや大叔父が参加していたのをアルバートはようやく気付いた。
「アルバートもまだ子どもだ。この楽園が現実だと認識できないのは仕方がないだろう、兄上」
「いや、子どもだと言い切れぬから、見惚れてしまうのだろう」
言いたい放題に言われてアルバートは悔しかったが、父親はそんな弟たちに手を振って答える。
「それも仕方がない。アルバートにはそろそろ心構えが必要な歳だからな」
声をかけられた時と同様に父親はアルバートに何かさせたいようだったが、アルバートの目はまた女たちに引き付けられ、頭はものを考えられない状態になっていた。
「アルバート。あれが私の一人目のリーンアン」
父親に手で指示されて微笑んだのは大叔父の隣にいる女。
「二人目がリーンセーラ」
今度は叔父の隣にいる女だった。
リーンセーラと紹介された少女を見たアルバートはそれ以降の記憶をおぼえていない。父親と同じように大叔父や叔父たちもそれぞれの妻たちを紹介したのだろうが、まったくおぼえていなかった。
アルバートは父親から二人目と紹介された女に意識を奪われていた。
他のハルスタッド一族の女たちと同じ色の髪。血縁者であることを色濃く表す似た顔立ち。同じように物憂げに伏せられた目。その眼の色だけが他の女たちとは違う。
どこまでも澄んだ空の色をした青がアルバートの網膜の裏に焼き付いた。
次にリーンセーラを見たのはアルバート自身の妻となるリーンリアナが離宮に移り住み、顔合わせをする時だった。
この時も、父や叔父たちなどハルスタッド一族の女たちの夫と一緒だった。
アルバートは離宮に入ってから、リーンセーラの姿だけを探し、リーンリアナを紹介されれば興味のない貴族との歓談をこなすように会話を楽しんでいる振りをしてみせた。
遅々として苦痛な時間は続き、リーンリアナが慕っている姉に目で助けを求めたり、話を振ってくれた時だけがアルバートにとって幸せな時間だった。
父の妻であるリーンセーラに婚約者であるリーンリアナの目の前で話しかけることはそれ相応の理由がいるからだ。
リーンリアナとの結婚はアルバートがこの国の結婚可能年齢である14歳になった時とされ、それまでアルバートはリーンリアナと親しくするのを目的に何度もハルスタッド一族の女たちが住む離宮でのお茶会に招かれた。何度も何度も苦痛の時間を耐えることになった。
そんなある日、そのお茶会はリーンリアナとその姉であるリーンセーラだけのものに変わった。他の王族の姿も、他のハルスタッド一族の女たちの姿もない。
お茶会の場所もリーンリアナやリーンセーラの居間を使われるようになった。
アルバートはリーンセーラに与えられた部屋の居間に入ることができて、より一層、リーンセーラに気持ちが傾倒していった。
愛する女性の私的な空間に出入りすることを許されたその時のアルバートの気持ちを考えればそれも仕方ない。
ただ、アルバートはそれがリーンリアナによって仕組まれたものだとは気付いていなかった。
初めて会った時からアルバートに心惹かれていたリーンリアナは、アルバートの気持ちが自分に向けられていなかったことを敏感に察していた。複雑な家に生まれたリーンリアナは同世代の異性に免疫がなく、初めて言葉を交わす同世代の異性に簡単に心奪われてしまっていたのだ。アルバートの言葉だけでなく、視線の先までも見ていたリーンリアナにはアルバートの関心が自分に一切向けられていないこともすぐに気付いてしまった。
では、誰に向けられているのか?
熱の籠もった視線の先を手繰り、姉を見つけたリーンリアナは、少しでもアルバートに見てもらいたくて、お茶会を姉との三人でのものにした。
愛するアルバートが少しでも姉と一緒にいられるように。
そしてほんの少しでもいいから、私を見てくれますように。
あなたがお姉様を望むなら私が会える機会を作るから、少しだけでいいから私のことも見て。
その願いが叶えられることもなく、リーンセーラを愛するアルバートと彼を愛することで絶望を知ったリーンリアナは結婚を意味するものが何一つないままで夫婦となった。
その日から、リーンリアナは夫の愛情を求めるのをやめた。
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