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醜いアヒルの子は恥ずかしい呼び名に悶える
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「私のことをご存じだったとは流石、上延の人形姫」
聞き慣れぬ呼称に美雪は眉を顰める。
人形と言う言葉からすると自分のことだと自覚できるが、美雪は自分のことだとは考えたくはなかった。姫などと呼ばれる立場でもなければ、そんな大層な存在でもない。
姫と呼ばれるにふさわしいのは春菜のほうだ。
愛されている春菜ならともかく、疎まれている自分が姫などと呼ばれ筈がない。
「その恥ずかしい名称は何ですか?」
「貴女のことですよ、上延美雪さん。先代の上延夫人が連れ歩いていると昔から有名なお人形さん」
高遠は美雪の当たって欲しくない答えを返してくる。
美雪は頭が少し痛む気がした。
どこの誰が言い始めたのか知りたい。
その人物に訂正してもらいたい。
言い始める前に行けるなら、言わないようにお願いしたいくらい恥ずかしい呼称だった。
美雪は高遠だけでも訂正しておくことにした。
「昔から夕様に連れられていたことは合っています。しかし、私は上延の姫ではありません」
『おばあ様』ではなく、あくまで遠縁の娘として祖母を名前で呼ぶ。
「ですが、我々は皆、社交界に出る時に『上延の人形姫を見習いなさい』と言われているのですよ」
高遠のほうが美雪より歳上だが、美雪は小学校に上がるか上がらない頃には祖母に付いて社交界を出入りしていたので社交界では美雪のほうが古株だ。高遠が社交界に出入りを許されたのは高校生だろうから、その当時の美雪はまだ小学生。
高校生に小学生を見習えとはどういうことだ。
手本にされている事実に美雪の頭痛は幻ではなくなった。ズキズキと痛む感覚は確かにある。
同世代などの若手との交流がないせいで知らなかったが、自分の噂がとんでもないことになっていることに美雪は初めて気づいた。
自分と比較されている子どもがいることは知っていても、十歳近い歳上のお手本にされているとは思いもよらなかった。
もしかすると、大人が褒めるお手本のような美雪を逆恨みしている者もいるかもしれないのだ。
美雪は十五年を越えている社交界歴にした祖母を恨みたい気持ちになった。
ただの秘書をしている遠縁と言う立ち位置だと思っていた美雪にとって、青天の霹靂とはこのことだ。
「私は高遠様が見習うところのある人物ではありません」
苦い気持ちでどうにか言葉を絞り出した。
本当に誰が一番初めに言い出したのか美雪は知りたかった。
「自己紹介していなくても、私のことをご存じではありませんか」
「それは貴方様が有名な方ですから、噂は私の耳にも入ってきます」
高遠の噂は通りすがりで聞くこともあるが、祖母の社交の中で出てくることもある。前者は彼の妻の座を狙う令嬢たちだけではなく、ビジネスマンとしても注目されていることがわかる。
「話をしたことどころか、紹介もされていないのに?」
社交界では情報は力だ。たとえどんな小さな情報でも知っているだけで、知らないでいるのとは格段の差が出てくる。
話の引き出しをいくら持っていても、相手が興味を持つ話題がなんであるか知らなければ次はない。それ相応の段階になるまでは、共通の話題なしでは退屈な人間だと思われてしまう。
ただの噂話でも興味ある情報であれば歓迎され、逆に興味がなければ時間を浪費させられたと感じるものだ。
積極的に社交をこなす必要がないとは言え、自らの利に敏くなければいけない場所で、伊達に人生の3分の2を過ごしてきた美雪ではない。
パーティ会場ではないとは言え、ここは人目があり、立ち話などをしようものなら目立つ。
美雪はできるだけ早く話を切り上げようとする。
高遠との会話で要らぬ恨みを買っている可能性を知ったのだ。これ以上、恨みは買いたくない。
「狭い世界です。十年以上、出入りしていれば顔と名前くらい憶えますわ、高遠様。ご用件がなければ私を放っておいてくださいませんか」
身体に突き刺さるように感じる視線の持ち主を美雪は高遠に目で示す。高遠が二人を見ている令嬢たちを認めると、彼女らは急いでその場を離れて行った。
「これでよろしいですか、上延の人形姫」
「ご用件がなければ、私は夕様をお待ちする身ですのでご容赦ください。高遠様」
高遠目当ての令嬢たちはいなくなったが、廊下を行き来する人の姿はなくならない。
美雪は高遠に煩わされるのが嫌だった。
魅力あふれる異性だから余計に嫌だった。
美雪はこのパーティに参加している中でもピラミッドの底辺に属しているのだ。令嬢たちの反感は買いたくないし、注目もされたくない。
美雪が嫌だと思っていても既に注目されている存在だとしても、これ以上は注目されたくない。
何が祖母の機嫌を損ねるのかわからないのに、これ以上、トラブルの種は抱えたくない。
「ここで話しかけなければ、貴女と話す機会はないことを知っていて言っているのですか?」
「・・・」
祖母は美雪を自分の住む棟から出すことを嫌い、お遣いや外出する用事は別の者に頼む。美雪も祖母に付いて出かける以外には休みの日に時々、出かける時しか外に出ない。
外出だけでなく、美雪は電話を取ることも禁じられている。勿論、携帯電話すら持ったことがない。
高遠がどこまで美雪のことを知っているのかわからないが、美雪と直接話す機会はこのようなパーティで、祖母が傍にいない、今のような状況でしかありえなかった。
「上延の人形姫。先の上延夫人への忠誠は素晴らしいですが、貴女自身は人形のままでいたいのですか?」
人形と呼ばれていることも不本意だが、自分は人形に違いないと美雪は自覚している。
美雪には自由に物事を決めることは許されていない。
祖母の気に障らぬようにしているだけしかできないのだから。それすらもうまくいっていないのだから、人形としても欠陥品に違いない。
自由のない人形のままでいたいかと言えば、そうではない。
人形でいなくていいのなら、そうしたい。
しかし、美雪には人形でなくなったら、自分がどうなるのか怖かった。
人形ではない自分が想像もつかない。
祖母の望む人形でいるからこそ、美雪は生きることを許されているのだ。
人形であることをやめた時は祖母に捨てられる時。
両親に捨てられた美雪にとって、祖母に捨てられると言うことは、美雪には存在がなくなることを意味する。
誰か頼れる相手がいれば話も違ってくるかもしれないが、美雪には頼れる相手がいない。友達すらいない。
落合は祖母の秘書で、家の使用人も祖母の使用人だ。
美雪は人形であることを自覚はしていたが、人形ではなくなった時のことを無意識に考えないようにしていた。
高遠の質問は美雪を根本から揺さぶり、恐怖に陥れた。
聞き慣れぬ呼称に美雪は眉を顰める。
人形と言う言葉からすると自分のことだと自覚できるが、美雪は自分のことだとは考えたくはなかった。姫などと呼ばれる立場でもなければ、そんな大層な存在でもない。
姫と呼ばれるにふさわしいのは春菜のほうだ。
愛されている春菜ならともかく、疎まれている自分が姫などと呼ばれ筈がない。
「その恥ずかしい名称は何ですか?」
「貴女のことですよ、上延美雪さん。先代の上延夫人が連れ歩いていると昔から有名なお人形さん」
高遠は美雪の当たって欲しくない答えを返してくる。
美雪は頭が少し痛む気がした。
どこの誰が言い始めたのか知りたい。
その人物に訂正してもらいたい。
言い始める前に行けるなら、言わないようにお願いしたいくらい恥ずかしい呼称だった。
美雪は高遠だけでも訂正しておくことにした。
「昔から夕様に連れられていたことは合っています。しかし、私は上延の姫ではありません」
『おばあ様』ではなく、あくまで遠縁の娘として祖母を名前で呼ぶ。
「ですが、我々は皆、社交界に出る時に『上延の人形姫を見習いなさい』と言われているのですよ」
高遠のほうが美雪より歳上だが、美雪は小学校に上がるか上がらない頃には祖母に付いて社交界を出入りしていたので社交界では美雪のほうが古株だ。高遠が社交界に出入りを許されたのは高校生だろうから、その当時の美雪はまだ小学生。
高校生に小学生を見習えとはどういうことだ。
手本にされている事実に美雪の頭痛は幻ではなくなった。ズキズキと痛む感覚は確かにある。
同世代などの若手との交流がないせいで知らなかったが、自分の噂がとんでもないことになっていることに美雪は初めて気づいた。
自分と比較されている子どもがいることは知っていても、十歳近い歳上のお手本にされているとは思いもよらなかった。
もしかすると、大人が褒めるお手本のような美雪を逆恨みしている者もいるかもしれないのだ。
美雪は十五年を越えている社交界歴にした祖母を恨みたい気持ちになった。
ただの秘書をしている遠縁と言う立ち位置だと思っていた美雪にとって、青天の霹靂とはこのことだ。
「私は高遠様が見習うところのある人物ではありません」
苦い気持ちでどうにか言葉を絞り出した。
本当に誰が一番初めに言い出したのか美雪は知りたかった。
「自己紹介していなくても、私のことをご存じではありませんか」
「それは貴方様が有名な方ですから、噂は私の耳にも入ってきます」
高遠の噂は通りすがりで聞くこともあるが、祖母の社交の中で出てくることもある。前者は彼の妻の座を狙う令嬢たちだけではなく、ビジネスマンとしても注目されていることがわかる。
「話をしたことどころか、紹介もされていないのに?」
社交界では情報は力だ。たとえどんな小さな情報でも知っているだけで、知らないでいるのとは格段の差が出てくる。
話の引き出しをいくら持っていても、相手が興味を持つ話題がなんであるか知らなければ次はない。それ相応の段階になるまでは、共通の話題なしでは退屈な人間だと思われてしまう。
ただの噂話でも興味ある情報であれば歓迎され、逆に興味がなければ時間を浪費させられたと感じるものだ。
積極的に社交をこなす必要がないとは言え、自らの利に敏くなければいけない場所で、伊達に人生の3分の2を過ごしてきた美雪ではない。
パーティ会場ではないとは言え、ここは人目があり、立ち話などをしようものなら目立つ。
美雪はできるだけ早く話を切り上げようとする。
高遠との会話で要らぬ恨みを買っている可能性を知ったのだ。これ以上、恨みは買いたくない。
「狭い世界です。十年以上、出入りしていれば顔と名前くらい憶えますわ、高遠様。ご用件がなければ私を放っておいてくださいませんか」
身体に突き刺さるように感じる視線の持ち主を美雪は高遠に目で示す。高遠が二人を見ている令嬢たちを認めると、彼女らは急いでその場を離れて行った。
「これでよろしいですか、上延の人形姫」
「ご用件がなければ、私は夕様をお待ちする身ですのでご容赦ください。高遠様」
高遠目当ての令嬢たちはいなくなったが、廊下を行き来する人の姿はなくならない。
美雪は高遠に煩わされるのが嫌だった。
魅力あふれる異性だから余計に嫌だった。
美雪はこのパーティに参加している中でもピラミッドの底辺に属しているのだ。令嬢たちの反感は買いたくないし、注目もされたくない。
美雪が嫌だと思っていても既に注目されている存在だとしても、これ以上は注目されたくない。
何が祖母の機嫌を損ねるのかわからないのに、これ以上、トラブルの種は抱えたくない。
「ここで話しかけなければ、貴女と話す機会はないことを知っていて言っているのですか?」
「・・・」
祖母は美雪を自分の住む棟から出すことを嫌い、お遣いや外出する用事は別の者に頼む。美雪も祖母に付いて出かける以外には休みの日に時々、出かける時しか外に出ない。
外出だけでなく、美雪は電話を取ることも禁じられている。勿論、携帯電話すら持ったことがない。
高遠がどこまで美雪のことを知っているのかわからないが、美雪と直接話す機会はこのようなパーティで、祖母が傍にいない、今のような状況でしかありえなかった。
「上延の人形姫。先の上延夫人への忠誠は素晴らしいですが、貴女自身は人形のままでいたいのですか?」
人形と呼ばれていることも不本意だが、自分は人形に違いないと美雪は自覚している。
美雪には自由に物事を決めることは許されていない。
祖母の気に障らぬようにしているだけしかできないのだから。それすらもうまくいっていないのだから、人形としても欠陥品に違いない。
自由のない人形のままでいたいかと言えば、そうではない。
人形でいなくていいのなら、そうしたい。
しかし、美雪には人形でなくなったら、自分がどうなるのか怖かった。
人形ではない自分が想像もつかない。
祖母の望む人形でいるからこそ、美雪は生きることを許されているのだ。
人形であることをやめた時は祖母に捨てられる時。
両親に捨てられた美雪にとって、祖母に捨てられると言うことは、美雪には存在がなくなることを意味する。
誰か頼れる相手がいれば話も違ってくるかもしれないが、美雪には頼れる相手がいない。友達すらいない。
落合は祖母の秘書で、家の使用人も祖母の使用人だ。
美雪は人形であることを自覚はしていたが、人形ではなくなった時のことを無意識に考えないようにしていた。
高遠の質問は美雪を根本から揺さぶり、恐怖に陥れた。
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