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それでも、わたくしは彼を愛するわけにはいかない
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「エドウィナ」
優しい声でわたくしをそう呼ぶ彼の愛には一片の疑いもない。
信じて、すべてを委ねてもかまわない。
心まで捧げても、喜びこそあれ、悲しみを与えることなどない。
安全だとわかっている。
わかっていても、彼を愛することはできない。
わたくしの婚約者は――クラウス様は、自分の意志を捻じ曲げられて、あの女を選んでしまったのだから。元婚約者が自分の意志で裏切っていたのなら、わたくしは躊躇うことなどなく彼を愛せたでしょう。
けれど、クラウス様は、何者かに身体を乗っ取られて婚約破棄した。
身体を乗っ取った者が誰かはわからない。
ただ、彼の義妹も同じように何者かに身体を乗っ取られていた。
彼の義妹はあの女から物理的に距離を置くことで、元に戻ることがきた。
でも、クラウス様はそれができない。
学園の異変を突き止めようとして、あの女に近付いた為に乗っ取られてしまったクラウス様。
操られているとはいっても、王太子であるクラウス様と新進気鋭の商人である彼では権力は違いすぎる。クラウス様は王のただ一人だけの子ども。王位争いもなかった。
宰相家だろうが、騎士団長家だろうが、公爵家だろうが、敵対している勢力もあれば、寝首をかこうとしている勢力もあった。しかし、王家と、現王と敵対する勢力も表立ってはなかった。
宰相家と騎士団長家、公爵家を没落させて力を削いでも、それでも彼が立ち向かうには強大すぎた。
◆◇◇◇
それはまだわたくしが婚約破棄される前――
前とはいっても、婚約破棄されたパーティーの数週間前。
「レディ・エドウィナ。このままでは貴女の身が危ない」
飄々としている普段の彼からは想像できない真剣な声音。
「何をおっしゃっているの?」
「貴女は婚約破棄され、家からも除籍されるだろう」
「そんな! まさか、そんなこと――」
わたくしは声を失った。
お母様もお父様も子煩悩な人だ。クラウス様に婚約破棄されたとしても、除籍などするはずがない。
ズキンと胸が痛む。
クラウス様に婚約破棄されることは既に覚悟していた。
もう、アレはクラウス様ではない。
クラウス様の身体を乗っ取った何者かだ。
すべてわかっていて、婚約破棄されることを覚悟していても、胸が痛む。
わたくしが愛し、わたくしを愛していたクラウス様はアレの中で苦しんでいる。婚約破棄するのは、クラウス様の身体を乗っ取った何者かだ。
わかっていても、クラウス様を愛しているわたくしの胸は痛む。
「貴女のご両親も乗っ取られる可能性がある」
「なんですって――!! あの女に近付いていない、わたくしのお母様とお父様も乗っ取られるというの?!」
「ああ」
彼は眉根を寄せて、やや低い声で言った。
「嘘よ。嘘だわ。そんなこと、あるわけ――」
「悪役令嬢は婚約破棄されて、家からも追い出される。最悪、処刑されるそうだ。何らかの刑が実行されそうなら、助け出す。だから、心構えをしていて欲しい。追い出されても、逃亡生活が始まっても良いように」
「アクヤクレイジョウ? 追い出される? 処刑? 何、それ・・・」
知らされた内容が理解できない。
知らない単語があるからかしら?
それとも、処刑されると言われたから?
・・・だめだ。わからない。
わからないのに、身体だけが震えてくる。
「今回は俺の動きより奴の動きのほうが早かった。レディ・エドウィナ、家を放逐されたら、すぐに回収する。ただ回収しても、何らかの罪を捏造して貴女に危害を加えらるかもしれない」
「放逐・・・、捏造・・・」
震えるわたくしに彼は言う。
「婚約破棄されたら、俺と結婚しろ。身寄りのないただの町娘と違って、王宮のパーティーに招待される商人の妻なら、簡単に手は出せない」
思考停止して、言葉がすり抜けていく。
◇◆◇◇
婚約破棄されたわたくしを彼が連れ出す。
覚悟していたことでも、クラウス様が身体を乗っ取られているとわかっていても、胸が張り裂けそうだった。
「結婚してくれれば、王太子を取り戻してやる」
泣き崩れたわたくしに彼はそう言って慰める。
ようやく落ち着いて帰宅すれば、手荷物も何もなく、家を追い出された。
彼の言った通りの展開だった。
回収された馬車の中で彼が言う。
「奴を排除して、王太子を取り戻せたら、いつでも別れる。だから、俺と結婚してくれ」
お母様やお父様から見捨てられ、もう、どうでもよかった。
身体を乗っ取られたクラウス様。
身体を乗っ取られたお母様とお父様。
わたくしが心の支えにできる相手は、彼しかいなかった。
信頼している人々に裏切られて、居場所を奪われて、一人で立っているにはあまりにも苦しくて、彼の手を取った。
◇◇◆◇
すべては期間限定。
愛していると、言ってくれる彼との関係は期間限定。
子どもが生まれても。
彼を愛するようになっても。
終わる時がくる、期間の関係。
わたくしは彼を愛してはいけない。
愛していると言いながら、クラウス様があの女から解放されたら、わたくしは彼と別れる。彼を捨てて、クラウス様を選ぶわたくしが彼に愛を告げることは許されない。
せめて、子どもが生まれる前にあの女を排除できていたら。
せめて、婚約破棄される前にあの女を排除できていたら。
わたくしは彼も、子どもたちも捨てることはなかった。
けれど、婚約破棄される前は、彼は王太子の恋人を排除できるほどの力はなかった。
宰相家や騎士団長家の力を削ぐ前に、あの女を排除できていたら。
そうは考えても、クラウス様たちがおかしくなったのは、あの女が現れてすぐ。時を置かずに、排除できる存在ではなくなった。
宰相家や騎士団長家、公爵家なら、政敵を味方に付けていくらでもやりようがある。
でも、王太子たちが全面的に庇う恋人を排除するには、庇える権力者を一人一人排除していくしかなくて。
彼もただの人で、暗殺などを考えられるような人ではなくて。
一介の商人でしかない彼にはそれが精一杯だった。
彼が宰相家のジェレミー様や騎士団長家のクレイグ様、公爵家のアレン様なら、あの女の排除は容易かったでしょう。
彼は名高い商人でも、国王の信頼厚い貴族の一人の、庶子でしかなくて。
貴族ですらなく、嫡子でもない、彼の力では微々たるもので。
それでも、彼は王になれた。
あの女のしでかしたことは、貴族には耐えがたいことで。
あの女がしでかして犠牲になったのは、貴族よりも庶民がはるかに多くて。
多くの良心のある貴族は領地の民や近隣の民の苦しみに心を痛めて、彼が王位を簒奪することに協力をした。国王も王太子も、あの女を止めず、民に苦しみを与えたから。
それに、失敗しても、旗印である彼はただの貴族の庶子で、父親は爵位を返上していて国を出てしまっている。失くして困るものは何もない身の上だったから。
わたくしは彼を愛さずにはいられない。
無力な存在でありながら、獅子に立ち向かう彼を。
わたくしは彼を愛さずにはいられない。
わたくしがクラウス様を愛していると知っていても、わたくしを愛し続ける彼を。
わたくしは彼を愛さずにはいられない。
すべてを賭けて全身全霊でわたくしを愛する彼を。
すべては必然。
わたくしが婚約破棄されるのも。
わたくしと彼が結婚したのも。
子どもが生まれたのも。
彼が王となって、あの女を排除するのも。
◇◇◇◆
彼と子どもたちを捨てて、クラウス様と共に去るのは、身分を失い、居場所を失い、苦しむクラウス様を裏切れなかったから。
クラウス様と彼に対する気持ちは以前とは大きく違う。
国中の民の憎悪の対象はあの女だけではない。
あの女のしでかしたことで、傷付いているクラウス様を憎悪する民の前に放り出すわけにはいかない。
クラウス様。貴方が好きでした。
貴方に残された時間が数時間なのか、数年なのかはわかりません。
貴方を助けられなかったわたくしは、最後だけでもご一緒します。
だから、わたくしは貴方を愛する資格がない。
貴方だけは生きて、パーシー。
優しい声でわたくしをそう呼ぶ彼の愛には一片の疑いもない。
信じて、すべてを委ねてもかまわない。
心まで捧げても、喜びこそあれ、悲しみを与えることなどない。
安全だとわかっている。
わかっていても、彼を愛することはできない。
わたくしの婚約者は――クラウス様は、自分の意志を捻じ曲げられて、あの女を選んでしまったのだから。元婚約者が自分の意志で裏切っていたのなら、わたくしは躊躇うことなどなく彼を愛せたでしょう。
けれど、クラウス様は、何者かに身体を乗っ取られて婚約破棄した。
身体を乗っ取った者が誰かはわからない。
ただ、彼の義妹も同じように何者かに身体を乗っ取られていた。
彼の義妹はあの女から物理的に距離を置くことで、元に戻ることがきた。
でも、クラウス様はそれができない。
学園の異変を突き止めようとして、あの女に近付いた為に乗っ取られてしまったクラウス様。
操られているとはいっても、王太子であるクラウス様と新進気鋭の商人である彼では権力は違いすぎる。クラウス様は王のただ一人だけの子ども。王位争いもなかった。
宰相家だろうが、騎士団長家だろうが、公爵家だろうが、敵対している勢力もあれば、寝首をかこうとしている勢力もあった。しかし、王家と、現王と敵対する勢力も表立ってはなかった。
宰相家と騎士団長家、公爵家を没落させて力を削いでも、それでも彼が立ち向かうには強大すぎた。
◆◇◇◇
それはまだわたくしが婚約破棄される前――
前とはいっても、婚約破棄されたパーティーの数週間前。
「レディ・エドウィナ。このままでは貴女の身が危ない」
飄々としている普段の彼からは想像できない真剣な声音。
「何をおっしゃっているの?」
「貴女は婚約破棄され、家からも除籍されるだろう」
「そんな! まさか、そんなこと――」
わたくしは声を失った。
お母様もお父様も子煩悩な人だ。クラウス様に婚約破棄されたとしても、除籍などするはずがない。
ズキンと胸が痛む。
クラウス様に婚約破棄されることは既に覚悟していた。
もう、アレはクラウス様ではない。
クラウス様の身体を乗っ取った何者かだ。
すべてわかっていて、婚約破棄されることを覚悟していても、胸が痛む。
わたくしが愛し、わたくしを愛していたクラウス様はアレの中で苦しんでいる。婚約破棄するのは、クラウス様の身体を乗っ取った何者かだ。
わかっていても、クラウス様を愛しているわたくしの胸は痛む。
「貴女のご両親も乗っ取られる可能性がある」
「なんですって――!! あの女に近付いていない、わたくしのお母様とお父様も乗っ取られるというの?!」
「ああ」
彼は眉根を寄せて、やや低い声で言った。
「嘘よ。嘘だわ。そんなこと、あるわけ――」
「悪役令嬢は婚約破棄されて、家からも追い出される。最悪、処刑されるそうだ。何らかの刑が実行されそうなら、助け出す。だから、心構えをしていて欲しい。追い出されても、逃亡生活が始まっても良いように」
「アクヤクレイジョウ? 追い出される? 処刑? 何、それ・・・」
知らされた内容が理解できない。
知らない単語があるからかしら?
それとも、処刑されると言われたから?
・・・だめだ。わからない。
わからないのに、身体だけが震えてくる。
「今回は俺の動きより奴の動きのほうが早かった。レディ・エドウィナ、家を放逐されたら、すぐに回収する。ただ回収しても、何らかの罪を捏造して貴女に危害を加えらるかもしれない」
「放逐・・・、捏造・・・」
震えるわたくしに彼は言う。
「婚約破棄されたら、俺と結婚しろ。身寄りのないただの町娘と違って、王宮のパーティーに招待される商人の妻なら、簡単に手は出せない」
思考停止して、言葉がすり抜けていく。
◇◆◇◇
婚約破棄されたわたくしを彼が連れ出す。
覚悟していたことでも、クラウス様が身体を乗っ取られているとわかっていても、胸が張り裂けそうだった。
「結婚してくれれば、王太子を取り戻してやる」
泣き崩れたわたくしに彼はそう言って慰める。
ようやく落ち着いて帰宅すれば、手荷物も何もなく、家を追い出された。
彼の言った通りの展開だった。
回収された馬車の中で彼が言う。
「奴を排除して、王太子を取り戻せたら、いつでも別れる。だから、俺と結婚してくれ」
お母様やお父様から見捨てられ、もう、どうでもよかった。
身体を乗っ取られたクラウス様。
身体を乗っ取られたお母様とお父様。
わたくしが心の支えにできる相手は、彼しかいなかった。
信頼している人々に裏切られて、居場所を奪われて、一人で立っているにはあまりにも苦しくて、彼の手を取った。
◇◇◆◇
すべては期間限定。
愛していると、言ってくれる彼との関係は期間限定。
子どもが生まれても。
彼を愛するようになっても。
終わる時がくる、期間の関係。
わたくしは彼を愛してはいけない。
愛していると言いながら、クラウス様があの女から解放されたら、わたくしは彼と別れる。彼を捨てて、クラウス様を選ぶわたくしが彼に愛を告げることは許されない。
せめて、子どもが生まれる前にあの女を排除できていたら。
せめて、婚約破棄される前にあの女を排除できていたら。
わたくしは彼も、子どもたちも捨てることはなかった。
けれど、婚約破棄される前は、彼は王太子の恋人を排除できるほどの力はなかった。
宰相家や騎士団長家の力を削ぐ前に、あの女を排除できていたら。
そうは考えても、クラウス様たちがおかしくなったのは、あの女が現れてすぐ。時を置かずに、排除できる存在ではなくなった。
宰相家や騎士団長家、公爵家なら、政敵を味方に付けていくらでもやりようがある。
でも、王太子たちが全面的に庇う恋人を排除するには、庇える権力者を一人一人排除していくしかなくて。
彼もただの人で、暗殺などを考えられるような人ではなくて。
一介の商人でしかない彼にはそれが精一杯だった。
彼が宰相家のジェレミー様や騎士団長家のクレイグ様、公爵家のアレン様なら、あの女の排除は容易かったでしょう。
彼は名高い商人でも、国王の信頼厚い貴族の一人の、庶子でしかなくて。
貴族ですらなく、嫡子でもない、彼の力では微々たるもので。
それでも、彼は王になれた。
あの女のしでかしたことは、貴族には耐えがたいことで。
あの女がしでかして犠牲になったのは、貴族よりも庶民がはるかに多くて。
多くの良心のある貴族は領地の民や近隣の民の苦しみに心を痛めて、彼が王位を簒奪することに協力をした。国王も王太子も、あの女を止めず、民に苦しみを与えたから。
それに、失敗しても、旗印である彼はただの貴族の庶子で、父親は爵位を返上していて国を出てしまっている。失くして困るものは何もない身の上だったから。
わたくしは彼を愛さずにはいられない。
無力な存在でありながら、獅子に立ち向かう彼を。
わたくしは彼を愛さずにはいられない。
わたくしがクラウス様を愛していると知っていても、わたくしを愛し続ける彼を。
わたくしは彼を愛さずにはいられない。
すべてを賭けて全身全霊でわたくしを愛する彼を。
すべては必然。
わたくしが婚約破棄されるのも。
わたくしと彼が結婚したのも。
子どもが生まれたのも。
彼が王となって、あの女を排除するのも。
◇◇◇◆
彼と子どもたちを捨てて、クラウス様と共に去るのは、身分を失い、居場所を失い、苦しむクラウス様を裏切れなかったから。
クラウス様と彼に対する気持ちは以前とは大きく違う。
国中の民の憎悪の対象はあの女だけではない。
あの女のしでかしたことで、傷付いているクラウス様を憎悪する民の前に放り出すわけにはいかない。
クラウス様。貴方が好きでした。
貴方に残された時間が数時間なのか、数年なのかはわかりません。
貴方を助けられなかったわたくしは、最後だけでもご一緒します。
だから、わたくしは貴方を愛する資格がない。
貴方だけは生きて、パーシー。
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