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うちのお嬢様が悪役令嬢って、どういうことですか?

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 肩に担いでいる怒り狂って叫ぶ娘の声を完全に無視して、ウィレムは貴族たちの通うウィニフィール学園の馬車止まりに置いてあるエスター伯爵家の馬車を目指して歩く。

 途中、学園で働く使用人たちの目はあったが、ウィレムとエスター伯爵令嬢の姿を認めると何事もなかったかのように目を逸らした。
 エスター伯爵令息ポールの二番目の従者であるウィレムが若君の妹ノミナの暴挙を止めるべく走り回っていたことを知っているからである。

 エスター伯爵家の御者が慌てて御者台から降りて来ようとするのをウィレムは手で制して、馬車の扉を開け、ノミナを席に無頓着に下ろす。

「痛っ!」

 痛みに顔を歪めた後、ノミナは自分を放り出した相手に食って掛かる。

「愛人の息子風情が私をこんなふうに扱っていいと思っているの?!」

 ウィレムは琥珀色の目に冷たい光を宿して、茶色の髪の娘を見る。

「旦那様の娘として無様な姿を晒す前に運んでやっただけでも感謝して欲しいくらいですよ、お嬢様・・・
「なっ!」

 軽蔑を露わにした低い声で兄の従者が告げる内容があまりにも無礼でノミナは息を飲んだ。
 金切り声をノミナが上げる前にウィレムが覆いかぶさるように身を乗り出して告げる。

「まだご自分の立場がおわかりでないようですね。あなたをエスター伯爵家の名で守ることができなくなったから、旦那様は家そのものを潰したというのに。そして、あなたは私にとってノミナお嬢様・・・でしかない」

 あからさまに殺意をぶつけられ、ノミナはウィレムから少しでも逃れようと馬車の壁に身を押し付けて震え始める。悪さをしでかそうとする前にウィレムに捕まえられ、暴言を吐かれ、身動きが取れなくなるまで毎回躾を受けた経験から身体が勝手に反応する。
 本当なら、ウィレムはノミナを殺したかった。
 だが、ウィレムはノミナを殺したりはしない。正確には殺せない。

 ウィレムはエスター伯爵のかつての恋人・・の息子だった。伯爵の血は引いていないが、母親を迎えに来た伯爵に連れられてエスター伯爵邸で暮らすようになった。そんな彼にとって、エスター伯爵の子どもであるポールやノミナを実の弟妹のような存在だった・・・のだ。

 伯爵の子どもたちと同じ扱いを受け、共に育ったウィレムは、学園内で伯爵の代わりに伯爵の子どもたちの監督を任せられた。それがポール付きの二人目の従者である。

 実家を離れたポールが浮き足立っているのを一人目の従者であるゲイブと共に温かく見守り、導き、新学期に胸躍らせるポールやノミナの学園での下準備もしていた。

 しかし、新学期のノミナは別人のようだった。

 ほんの数日前にポールが帰省していた時にはノミナはいつものノミナであった。それがたった数日で、ポールとは睨み合って口汚く罵り合い、兄と慕っていたウィレムを明らかに目下の使用人扱いしたのだ。

 それだけではない。

 ポールや他の学友すらノミナを忌み嫌って無視や辛辣な言葉をかけるのだ。

 ウィレムには信じられないことばかりだった。

 ウィレムは戸惑い、ゲイブと顔を見合わせた。
 本職の従者であるゲイブが頷き、この異変を伯爵に報せるよう促してもらわねば、事態は後手後手に回るところだった。

 最早、ウィレムの眼の前にいる娘はウィレムの知るノミナではなく、ノミナの身体にとり憑いているモノに過ぎない。
 本物のノミナはノミナお嬢様・・・の内側に閉じ込められている。
 だから、ウィレムはノミナをノミナお嬢様・・・と呼ぶ。

 ノミナの様子がおかしくなってから、ウィレムはノミナの居所を把握しておくようにしていた。

 そして、恐ろしい事態に遭遇した。
 ある日、ウィレムは男子生徒たちと悪事の密談するノミナを何とか私室に連れ戻す羽目に陥った。
 ノミナを連行する際に、男子生徒たちは使用人であるウィレムの出しゃばりに腹を立てたが、相手は伯爵令嬢であるノミナが地位で言うことをきかすことのできる子爵以下の令息たち。使用人とは言え、伯爵の命を受けてポールとノミナを監督するウィレムのほうが立場は上だ。
 ウィレムはノミナを叱ったが、それから一時間も経つとノミナはまた先程、密談していた場所で密談していた相手と会っていた。
 ウィレムはノミナを連れ戻して叱ることを二度繰り返し、三度目にこの異常さに気付き、ノミナの気力を削りきって寝込むように仕向けた。

 怖いのはこの悪事の密談の内容ではなく、密談自体だ。
 まるでからくり時計のように、彼らは密談を同じ場所で同じ顔触れでする。場所は男子生徒たちの溜まり場だとしても、施錠されている時間になっても密談はされる。
 彼らはどうやって鍵のかかっているはずの場所に入り込めたのか?
 ウィレムが学園の使用人に鍵を借りたように、彼らは学園の使用人を脅したのか?
 ノミナが寝込んでいる間にウィレムが密談の場所に行くと、男子生徒たちは虚ろな表情で壊れた音盤レコードをかけているかのように密談をし続けていた。
 異常すぎるその情景にウィレムは鍵の入手方法など、どうでもよくなった。

 それから毎日、密談をしようとしていたノミナを捕獲し、気力を削る日々。
 始めの頃はウィレムもいくら性格が変わってしまったとは言え、ノミナを傷付けることは躊躇った。しかし、ノミナの気力を削りきって眠りに逃げ込ませなければ、本来のノミナが望まない悪事の密談をさせてしまうことになる。
 密談がウィレムによって邪魔されない限り、密談をしようとするノミナと男子生徒たちの異常な行動は終わらないのかもしれない。

 ウィレムは徹底的にノミナを躾の名のもとに虐げた。身体に傷跡は残さないように配慮はしたが、それでも数十日に及ぶ連日の躾はトラウマを植え付けるほどひどいものだった。
 ある日、眠りに逃げたノミナは『あり・・・がとう』と口にした。
 ウィレムはそれを寝言か自分が夢でも見ているのかと思った。
 伯爵の家を出てから初めてノミナが感謝の言葉を口にしたのだから。
 それも我れながら精神的に追い詰め、眠りに救いを求めさすと言うろくでもないことをしている自覚のある自分しかいないところで。
 眠ったと思ったノミナが目を開け、『ありがとう。止めてくれて』と言った時、ようやくそれが現実だと実感した。

『ノミナ?』
『ウィレムが止めてくれてよかったわ。止めてくれていなかったら、私、もう、生きていけない』

 両手で顔を覆って泣き出すノミナはウィレムの知るノミナだった。

『・・・ごめん・・・なさい。・・・ひくっ。・・・ひどいこと・・・いっぱい言って』

 ウィレムにはそれで全部わかった。
 ノミナは自分の言ったこと、していることをすべて知っていることを。
 知っていても、自分を止められず、苦しんでいたことを。
 ウィレムは神や運命と言うものがあったら恨みたい気持ちだった。
 可愛い弟妹の意識を封じ、思い通りに動かして、苦しめる存在は許せるはずがない。

『気にしないでくれ。僕のほうこそ止めるためとは言え、怖い思いをさせた』

 まずは怖い思いをさせたことを謝罪をしようとするウィレムに、ノミナは首を横に振る。

『謝らないで。今は平気よ。でも、最初は怖かったわ。ウィレムが知らない人みたいで怖かった。・・・でも、目を見てわかったの。ウィレムはあんな目でポールや私を見ない。ウィレムはペニーと同じように私たちを可愛がってくれていたから、あんな憎しみの目で私を見たりしない。だから、ウィレムが見ているのが私ではない存在だとわかったの』
『ノミナ・・・』

 元のノミナが戻ってくるのはそれから時々あった。どうやら、ノミナを操っている存在が精神的に疲労しきって封印が弱まった時に、戻ってくるらしい。
 元に戻っている時間は長くても数十分。たった数分のこともあった。
 だが、それは伯爵とウィレムにとって朗報だった。呪いのような状況を変えることができると言う希望の一筋なのだ。

 ノミナの意識が封じ込めらていることを知る前から、ウィレムは自分の知らないノミナを別人だと思うようにしていた。
 実の妹と同じように可愛がっていたあのノミナが封じ込められていると知った今では、ノミナお嬢様・・・に殺意しか持てない。
 ノミナお嬢様・・・を殺せば、ノミナも死ぬとわかっているからこそ実行に移してはいない。
 それだけだ。

 ウィニフィール学園からポールとノミナを引き離せば元に戻るのではないかと伯爵は呼び戻そうとしたが、二人は帰省を拒否し、学園の寮に留まり続けた。
 だが、それも今日までのこと。
 伯爵は力づくでノミナだけを連れ帰ることにした。何かに操られているとはしても、親の指示を無視し、家族ノミナを守ろうともしないポールを見捨てることにして。
 国を出る決意をしている伯爵は、ポールならお仲間の王子や産みの母親である別れた妻の助力で国に返上したエスター伯爵位を手に入れるだろうと考えたからだった。

 伯爵はポールたちが取り巻きをしているイレイナ・ヨセドーフにとって、ポールがただの平民では意味がないと確信していた。その確信がどこから来るのかウィレムにはわからない。
 伯爵によるとエスター伯爵家の長男で次期エスター伯爵、それがポールの存在意義だ。
 同じ長男でも、伯爵の庶子である兄・パーシー・レンドルフはエスター伯爵になれないから価値はない。

 それを聞いたウィレムのイレイナ・ヨセドーフの印象は『肩書狙い』だった。
 ポールは肩書だけしか見てもらえず、ノミナはイレイナ・ヨセドーフにとって悪役。
 それを証明するかのようなノミナの豹変。
 ポールもノミナも大事な弟妹だと思っていたウィレムには、ノミナとポールの意識を封じ込めて乗っ取っている人格も、それを行っているイレイナ・ヨセドーフも許せない。

 ポールは放置していてもエスター伯爵になるから良いと伯爵は考えていた。
 だが、問題はノミナだ。ウィレムが何とかしなければ、本来のノミナが後悔するようなことばかりしでかすところだった。
 伯爵もノミナを連れて行かなければ、王妃になる娘に害をなした存在として、処刑をはじめとした悲惨な結末が待っているかもしれないと憂慮していた。
 だから伯爵はノミナだけを連れて行くことにした。
 初夜で花嫁に拒絶された伯爵だが、ポールとノミナのことは我が子として愛していた。

『ノミナはウィニフィール学園から離れれば元に戻るかもしれない。それに、あの女が王妃になれば、この国にノミナがいることは危険だ。この国自体がノミナの敵になるほど、おかしくなるだろう』

 いくら人が変わってしまったとは言え、妹のように思っていた少女に降りかかるだろう厄災にウィレムは血の気が引いた。
 確かにウィレムが悪さを止めなければそんなことをされても仕方がない。
 だが、ウィレムはノミナがそれができないようにしてきた。
 そう思う一方で、母親に暴力をふるっていた実父よりも父親らしいことをしてくれた伯爵がポールのことを口にしないことがウィレムは気にかかる。

『では、ポールは。ポールは、どうするのですか?』
『ポールがエスター伯爵位を手に入れられなくても、ポールの実父がエスター伯爵になり、ポールの母親はポールを伯爵にしようと躍起になるだろう』

 ノミナを連れて行くと告げた伯爵はウィレムの疑問にそう答えた。

 ウィレムは伯爵の想像通りウィニフィール学園から距離を置けばノミナが元に戻ることを祈り、横目で怯えるノミナお嬢様・・・を監視しながら、爵位の返上とポールとの絶縁をウィニフィール学園の卒業式で公表した伯爵が馬車に乗り込むのを待った。
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