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遊男の恋物語
第十五話
しおりを挟む「女将さん、それはなんですか?」
店の一階。帳場にて女将と禿の桃が、ある紙を見ていた。
「…ここの遊郭の番付よ。」
「ばんづけ?」
「えぇ。ここの男遊郭で、誰が一番人気があるかって書いてあるのよ。」
「えっ、じゃあ、紅葉姐さんと立夏姐さんも書かれてるんですか?!」
「そうよ、ほら。」
女将が見ていたのは、この男遊郭の番付。
特に人気がある十名について、名前や料金が記載されている。
定期的に番付が決められては、遊郭中にばら撒かれる。
つまり、番付に載ることが出来れば遊郭中に名前が知れ渡り、店の名前も必然的に上がっていく仕組み。
「…これは、誰が決めているんですか?」
「遊郭のお偉いさんとか、お客さんよ。」
「へぇ…。あっ!瓶覗姐さんもいます!」
「まぁ。」
番付には、紅葉と立夏の名前が常に載っていた。そして、正式に格子へ出るようになった瓶覗の名前も。花魁たちと引けを取らない人気が出始めて、女将も少々驚いていた。
「…はぁ。確かに嬉しいけど、勝手に決められるのは何だか嫌ね。」
女将がそう呟いた。その隣で、桃はじっくり番付を見つめていた。
「胡蝶姐さんと陽凛姐さん…鶯姐さんは?」
「ん?ここには載っていないわね。…でもね、これを気にしていちゃいけないわよ。」
「でも、番付に載るって凄いんじゃないですか?」
「…確かに、凄いけど。私だけじゃなく、鶴姫もこういう番付は嫌いなのよ…!」
女将は番付表をくしゃくしゃに丸めた。
「嫌い、なんですか?」
「そう。勝手に優劣付けられるなんて、たまったもんじゃないわ。私と鶴姫が、大事に大事に育てた子達が、劣るなんて有り得ないもの。桃だってそうよ」
「えへへ!」
「私の可愛い桃。姐さんたちも皆、綺麗で可愛い。ねぇ?桃。」
「えへへっ!」
女将は桃が愛おしくて、ぎゅっと抱きしめた。桃も嬉しそうに、女将を抱きしめた。
「番付、見たことは姐さんたちには内緒よ?」
「はい!内緒にします」
「良い子ね。さ、姐さんたちのお手伝いしておいで。待ってるわよ」
「はぁい」
桃は帳場を出たとき、玄関の方を見た。
「猫ちゃんだ!」
店の前で、じっと座り込む三毛猫がいた。
猫にそっと近付いて、頭を撫でた。
みゃー。
初めて見る桃に警戒することなく、気持ちよさそうに頭を撫でられる猫だった。
「人懐っこいのね!可愛い子!おいで!」
桃は猫を抱き上げて、店の中へ入った。
「桃、どうしたの?その猫ちゃん。」
「えへへ!お店の前にいたんです!」
目を輝かせた桃が立夏に猫を見せた。
「飼い猫ではなさそうね…。どこかの優しい人が可愛がっていたのかしら…」
首輪などは付けておらず、野良猫かと思ったが野良猫にしては綺麗だった。
みゃー。
「まぁ、鳴いたわ。」
猫は大きく口を開けて欠伸をした。
「立夏姐さん、この猫ちゃんを飼ってもいいですか!」
「分からないわ、女将や鶴姫様に聞きなさい?」
「えーん、怒られてしまいそうです」
「大丈夫よ。女将も鶴姫様も、猫嫌いではないから。」
「そうですか?うーん…立夏姐さんも、一緒に来てください…、」
桃は猫をとても気に入ったらしく、おねだりするように立夏の袖を引っ張った。
「…もう、分かったわ。ほら、行くわよ」
「わぁい!」
「ま、私も桃に賛成なんだけどね…」
立夏も猫だけでなく、動物が好きだ。
二人で女将の元へ、猫の話をしに行った。
「あら、この猫ちゃんを?」
「はい、桃が気に入ったようで。私も、猫ちゃんを飼いたいんです。」
「…女将さん…、だめですか?」
「ん…」
みゃー。
猫がまた鳴いた。ゆっくりと瞬きをして、抱っこされるがままで、大人しかった。
「…いいんじゃない?私も猫好きだし。」
女将もあっさりと賛成した。
「えへへ、やったぁ!良かったね、猫ちゃん」
みゃー。
「…まるで、人の言葉が分かるみたいね」
立夏がそう呟くと、桃は猫の顔を覗き込んだ。
「伝わってるの?」
みゃー。
可愛らしい声で猫はまた鳴いた。
「伝わってるのね!あははっ!えらいね!」
桃は無邪気に喜んで、猫を ぎゅう と抱きしめた。そんな姿を見たら、女将も反対なんてできない。
「あっ!猫ちゃん!どこいくの!待って!」
猫が突然、店の中を走り出してしまった。
「猫ちゃん…?」
猫はまるで、店の構造を全て把握しているように、迷わず階段を駆け上がっていく。
「そこ…藤菫姐さんのとこだよ?」
猫を追いかけた桃は首を傾げた。猫が迷わず行き着いた所は、藤菫の部屋だった。
「…藤菫姐さん?」
みゃー。
「えっ」
まさか と思った桃は藤菫の名前を呼ぶと、猫は返事をするように鳴いた。
「桃、猫ちゃんは?」
そこに追いかけて来た立夏が部屋を覗いた。
「立夏姐さん!この子、藤菫姐さんかも!」
「えっ?」
「そうだよね、猫ちゃん?」
みゃー。
藤菫の小さな部屋の真ん中に、猫がちょこんと座って返事をする。凄く穏やかな表情で、二人をじっと見つめた。
「まぁ、そうなのね」
立夏は、これが子供のよくある妄想だとは思えなかった。
「…藤菫姐さんなんでしょう?」
みゃー。
「…そう。おかえり、藤菫。…なんだか、肩の荷が降りたみたいね。…良かった。」
猫は身体を振るった。猫が立夏の膝上に乗り、ごろごろと喉をならした。
「…立夏姐さんに懐いてる!やっぱり藤菫姐さんなんだ!」
「そうなのね」
立夏は、つい嬉しくなって猫を撫でた。
みゃあん、
猫は部屋から飛び出した。
「あっ!待って!」
猫の逃げ足は早く、すぐに見失ってしまった。
「…どこに行っちゃったんだろう。」
「大丈夫よ、藤菫だから店の中は分かるはずよ。」
「えへへ、そっかぁ!」
立夏は桃の頭を撫でた。
みゃあん。
「…お帰り、藤菫。随分と早いわね。」
猫が向かった先は、鶴姫の元だった。
鶴姫の後ろに寝ていた藤菫の遺体。火葬しようと準備は進められていた。
猫は遺体の上に座った。
〝鶴姫様、お化粧して下さったのですか〟
「紅塗っただけよ。」
〝私ってこんなに綺麗だったっけ。〟
「貴方は元から綺麗よ。」
〝死んだ後に綺麗になってもなぁ…。…早く、燃やして下さい。〟
「…明日、持って行って貰うわ。」
〝良かった。〟
猫は大きく口を開けて欠伸をし、背伸びした。
「藤菫。もう、楽になった?」
〝はい。鶴姫様。…猫ですが、ここに居てもいいですか?〟
「勿論よ。」
〝えへへっ〟
猫は鶴姫の膝上に、身体を丸めた。
「…良かった。」
翌日の朝、藤菫の遺体は店を去った。
火葬されて、亡くなった遊男たちと共に墓へ入ったという。
鶴姫の店の遊男たちは、寂しくなかったと言った。
みゃあん。
この猫が居たから。
その時にも、彼らと一緒にいた。
「本当にこの猫ちゃん、藤菫なんでしょう?」
「きっと、ね。」
「能天気に欠伸しやがって。」
「藤菫かも、って思うだけで今まで悲しかったのが嘘みたい。」
「なんだか、本当に藤菫に見えてきたわ」
姐たちは常に眠そうにする猫を見て笑った。
「さ、戻るわよ。」
遊男たちが店の中に戻り、最後に残った瓶覗が猫に話しかけた。
「…華江、おかえり。」
「…猫ちゃんになっても可愛いね。」
〝目が覚めたら猫になってたの。〟
藤菫が猫になって帰ってきたのは、本当のようだった。
「あれ、立夏姐さん。」
瓶覗の元に、立夏が訪れた。
「銭湯へ行かない?女将も行って良いって。」
「まぁ!ご一緒したいです。」
「桃も、いるんだけどね」
「じゃあ、紅葉姐さんも。」
「そうね。誘ってくる。」
立夏が紅葉も連れて来て、四人で銭湯へ向かった。
「瓶覗姐さん。猫ちゃんが来たから、もう寂しくないですか?」
「えぇ。だって、藤菫ですもの」
「あははっ!やっぱり連れてきて良かった!」
「桃が連れてきた猫ちゃんだったのね」
「そうなんですよ!お店の前にいたんです!」
すっかり猫の話題で持ち切り。落ち込んでいた気分も明るくなったのは確かだ。
「ん?…まぁ、何かしら」
銭湯への道中にある、他の遊男屋。
〝この役立たず!お前はこんなことも出来ないのかい!?〟
女将と思われる女が、怒鳴り声を上げていた。
「凄い怒ってる…」
桃は驚いて、瓶覗の袖を少し掴んだ。
「…そこまで怒鳴らなくても。」
瓶覗が呟いたのを聞いた花魁二人は反応した。
「…残念だけど、吉原遊郭だろうが、男遊郭だろうが、これが普通なのよ。うちが変わってるだけで。」
「そうなんですね。なんだか、心苦しい。」
「何か仕出かせば、縛られて袋叩きにする所だってあるわ。」
「…じゃあ、私も袋叩きですね」
瓶覗は、ふっと笑って先を歩いた。
「何よ。」
「鴻水の旦那様を怪我させたから。」
「あぁ……」
そのことは既に噂で流れていた。
花魁たちは頷いて、やれやれと言わんばかりに口角を下げて笑った。
「鶴姫様には、縛ったりはしないと言われて、罰として帳場作業をさせられました。」
「罰なのか褒美なのか。」
「そうなんです。鶴姫様のお側に居られるのは、私にとって褒美のようなものですから。」
そう話す姐たちを見た桃は首を傾げた。
「どうしてご褒美なんですか?」
「鶴姫様はこの街で一番の太夫だから。中々、お目にかかれない方なのよ?」
「そっかぁ…」
「とってもお綺麗な方だったでしょう?」
「うん…?近くで会ったことありません…」
「いつかちゃんと、お目にかかることが出来るはずよ。」
「見てみたいなぁ!」
桃は目を輝かせた。
「ここの遊郭にある店が全部、鶴姫様と女将のような方で溢れたらいいのに。」
「それは…つくづく思うわ。」
花魁たちは心の底からそう思った。
「…そこのお店の子、大丈夫なのかしら」
「多分…ね……」
店の中で怒鳴られていた、桃色の着物を来た遊男。殴られたような顔の傷が 痛々しかったのは、遠くからでも見えた。
そして、銭湯からの帰りの道中でも…。
〝この出来損ないが!そこで黙って反省してな!〟
「まぁ、また怒鳴っているのね」
未だに怒鳴り声を上げていた他店の女将。
店の前には、突き飛ばされた遊男の姿があった。秋の終わり頃には寒すぎる薄着で、着物には汚れや穴があいていた。
「紅葉、先に行ってて。」
逞しい腕に血管が浮き出るほど、拳を握っていた立夏。
「…無茶しないでよね…」
紅葉は瓶覗と桃を連れて、少し先に離れた。
「ねぇ、大丈夫?」
立夏はその遊男の肩を支えた。
「だ、大丈夫です…。こんなの常ですから。」
彼はどう見ても、大丈夫そうでは無かった。
「……ちょっと…」
彼は慌てて店の中へ戻ったが、立夏はそれを追いかけて、ずかずかと店の中へ入った。
「おい!」
立夏の男らしさを全開に、低い声を張り上げた。
「あ、あんた何者だい!?」
女将や他の遊男たちも、目を丸くして驚いた。
「…そんなにこの子が、出来損ないか?ならば、私が貰おうじゃないか。ほら、金ならやる、拾えよ。…この子は、私が連れてくよ。後悔したって返さないんだから!」
「えっ!えっ!?」
立夏は地面に金を投げては、遊男の彼を抱き上げて店を出た。
「あ、あの!…貴方は…!」
「……ごめんなさい、突然。」
「…立夏花魁だ…!」
「まぁ、知ってるの?」
彼は立夏のことを知っている様子だった。
「…貴方、この店に戻りたい?」
「いいえ」
立夏は申し訳なさそうに聞くと、彼は即答したので思わず笑ってしまった。
「そ、そう。…うちへ、いらっしゃい。」
「…いいんですか」
彼はすらりとした体型で、可愛らしい顔立ちをしていた。そんな子がぼろぼろになるまで、酷く扱われていたなんて耐えられない。
「…ええ。」
すると、店の女将が出てきた。
「ちょっと!あんた!」
「…っ!!逃げるよ!」
「えっ!!」
立夏は走り出した。
その先に紅葉たちの姿が見えた。
「立夏、本気なの!?」
「紅葉!!逃げるよ!!!」
紅葉たちも連れて店まで走った。
「立夏、あの金は何処から出したのよ?」
「…客から小遣いだって言われて、渡されたの。申し訳ないけど、出しちゃった。」
「もう、そういうのは受け取ったら駄目よ」
「仕方ない。これで証拠隠滅したわ。」
「はぁ、立夏ったら。」
紅葉は困惑していたが、瓶覗や桃、連れ出した彼は面白がって笑っていた。
「……?」
その頃、鶴姫は鼻を すん と鳴らした。
「……梅の香りがする。どうしてかしら。」
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