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遊男の恋物語
第十三話
しおりを挟む「女将!女将!大変だ!」
「何よ、藤菫が居なくてそれどころじゃ…」
女将の元へ若衆が慌てて走って来た。
「ふ、藤菫が…!」
「居たの?」
「藤菫が………は、は…橋…橋から身を投げた」
「は……?」
藤菫が突然姿を消し、店の中をいくら探してもいなかった。女将はとにかく心配していた。
しかし、突然入ってきたのは悲惨な報告だった。
「…では、藤菫は…?」
「…」
若衆は目を瞑って首を横に振った。
「嘘、でしょう…?」
女将は膝から崩れ落ちた。
「今、他の奴らが運んでくれてるはず。裏から通せば良いか?」
「えぇ。鶴姫の元へ。」
「わ、分かった…」
若衆が去ると、女将は店の裏へ出た。
「女将。」
もう一人の若衆が、ぐったりとしている藤菫抱き上げて連れてきた。羽織を被せて、他から見えないようにはしていたが、布に赤黒い血が滲んでいるのが見えた。
「……藤菫で、間違いないよな…?」
「……っ」
羽織を捲ると、奇跡的に傷が付かなかった藤菫の顔が。目や鼻、口からも血が流れており、女将は見てられなかった。
「鶴姫の元へ、運んで頂戴。」
「あぁ。分かった。」
「女将!大丈夫ですか」
傍にいた下女が女将の肩を支えた。
「…鶴姫の元へ行くわ。」
女将は下女に肩を支えられながら、鶴姫のいる三階へ足を運んだ。
「鶴姫、入るわよ」
「どうぞ、」
女将が部屋へ入ってくると、鶴姫は直ぐに手を止めた。
「一体何があったの」
鶴姫は既に何かの異変には気付いていたようだった。
「……藤菫が、橋から身を投げた。」
「………。」
鶴姫はただ黙って、目を見開いた。
「どうして……?」
「分からない。今、若衆らが運んでくれるはずよ」
「……そう…」
流石の鶴姫でも、直ぐには受け入れられなかった。
「……失礼します。」
すると、藤菫を連れた若衆が来た。
「藤菫……。」
鶴姫は藤菫を膝の上に寝かせ、優しく撫でた。真白い高価な着物に、藤菫の血が付いてしまうことなどどうでも良かった。
「女将、手拭いを濡らしてくれる?拭いてあげたいの。」
「今持ってくるわ」
女将が持ってきた、濡れた手拭いで鶴姫はそっと血を拭いた。
「どうして…どうして……何が貴方をそんなに追い詰めてまったの…?」
鶴姫は涙を流していた。
「……ごめんね、気付いてあげられなくて」
藤菫の可憐な顔立ちはそのまま残っていたことだけは、幸いであったと思う。鶴姫は藤菫を強く抱きしめた。
「…藤菫は一人だったの?話を全て聞かせて。」
鶴姫は、すぐに駆けつけていた若衆から藤菫の状況や豊信が居た話まで全て聞いた。
「女将。夜が明けたら、皆をここへ集めて。」
「はい。」
「…何事なの?」
朝方、揚屋から帰ってきた立夏は、いつもより閑散とした店を見て眉をひそめた。
「…立夏。鶴姫の元へ。皆揃ってる。」
「……えっ?」
待っていた女将が立夏を連れて、三階へ上がった。鶴姫の元に皆が揃うなど、滅多に無いので立夏は急に怖くなった。
「鶴姫様、立夏にございます」
「入って。」
襖を開けると、店の遊男全員が揃っていた。
異様な光景に立夏は目を開いた。
「こっち。」
紅葉が呼んだので、隣に正座した。
立夏は気付いてしまった。
遊男全員、といっても、藤菫がいないこと。順番通りなら、瓶覗の隣に座るはずの藤菫が居ない。
どうしよう。何かあったんだ。
「……皆、揃ったわね。覚悟して聞いて欲しい。」
鶴姫が口を開いた。
「………」
心臓がうるさい。立夏は下唇を噛んだ。
「……藤菫が死んだ。」
「………。」
遊男が皆、呼吸するのを忘れて呆然とした。
「……何故…ですか?」
すると、瓶覗が言った。
「理由は分からない。橋から身を投げた。」
「……自殺…?」
「……」
鶴姫は簾の向こうで頷いた。
「お願いだから、後追いだけはしないで。それじゃどうにもならないのは、貴方達も分かっているわね。」
「はい。」
遊男は床に手を付いて、頭を下げた。
「…昼見世もありますから、下がっていいわ。それと…貴方たちの気持ちは分かるけど、他には知られないように。」
「はい。」
鶴姫がそう言うと、遊男達は三階から下りて行った。しかし、立夏と瓶覗は正座したまま動かなかった。
「…二人とも、どうしたの?」
「鶴姫様。…藤菫の顔を見させてください。」
瓶覗が頭を下げた。
「私も、藤菫の傍に居させてください」
立夏も共に頭を下げた。
「……どうして頭を下げるのよ。駄目だなんて言わないわ。…藤菫もそれを望んでるでしょうから。こちらへいらっしゃい。」
鶴姫は簾を上げた。
鶴姫の後ろに、真白の布団に寝た藤菫が。打ち覆いを掛けられた姿が見るに耐えなかった。
「葬儀は私達だけで行うつもりよ。…瓶覗は、どうしたい?」
「…仰せのままに。」
「そう。何か要望があれば、出来るだけ叶えてあげるから。」
「ありがとうございます。」
瓶覗は涙を必死に堪えていた。
「……」
その隣で、立夏は藤菫の顔に掛けられた打ち覆いを捲ることが出来ず、黙って正座していた。
「……藤菫、寒かったよね。こんなに冷たくなって。」
瓶覗は藤菫の打ち覆いを捲り、冷たくなった頬に触れた。
「お兄ちゃんが温めてあげる……。」
そんな双子の姿を見ていた鶴姫と立夏は、余計に胸が締め付けられた。
「…華江。」
瓶覗は藤菫をそう呼んだ。
「華江、どうして一人で行っちゃうの?…お兄ちゃん、寂しいよ……」
瓶覗は藤菫の頬を触って、話しかけていた。
「華江に、なにがあったの…?どうして、お兄ちゃんに聞かせてくれなかったの?」
立夏が鶴姫に小さな声で聞いた。
「…鶴姫様。藤菫は最期、ひとりだったのですか」
「……鴻水の旦那様がいたそうよ」
「えっ…?」
「旦那様の目の前で、身を投げたって聞いたわ。」
すると、瓶覗が反応した。
「藤菫は最期に何か、言っていませんでしたか?」
「聞きたい?」
「……はい。」
「…同じ顔はふたつも要らない、と。」
「……」
瓶覗の頬は涙で濡れていた。鼻を赤くして、鼻水をすすった。
「……なんで、その言葉を知っているの?」
瓶覗は藤菫に問いかけた。
「…僕が…言われてた言葉だよ。どうして?どうして華江が知ってるの?華江は知らなくていい言葉なんだよ、どうして……」
瓶覗は自分のことを 僕 と言った。
ここの店に来て、一人称は私にしなさいと直された。
藤菫が息を引き取った今、瓶覗は遊男としてではなく、藤菫の兄として話していた。
「……はぁ……」
瓶覗はふと、顔を上げた。
「…僕が、母に言われていた言葉なんです。」
「……」
「…父は出稼ぎに出ていて、中々帰ってきませんでした。一人で僕ら双子を育てていた母は、華江ばかりを可愛がりました。」
藤菫がこの店に来る前の名前。藤菫の、本当の名前は 華江 。
「…華江は素直で愛嬌があって…。顔は同じなのに、性格は何故か正反対でしたから、愛想の無い僕は母からいじめられていました。」
〝同じ顔はふたつも要らない!〟
〝早くしてよ、本当にあんたは亀みたいに遅いわね。〟
「…でも、華江と僕は仲が良かったんです。華江は凄く優しくて。華江が母からお菓子を貰ったとき、必ず僕に半分くれたんです。」
〝お兄ちゃん、あげる!〟
〝えっ!でも、華江が貰ったんだから食べなよ…〟
〝だって美味しいんだもん!だから食べて!〟
〝…ありがとう〟
「…飴玉なんて、紙に包んで袖に沢山隠していました。」
〝お兄ちゃん、あげる!〟
〝華江のは?〟
〝ほら!いっぱいあるの!〟
〝あははっ、こんなに?〟
〝うん、だから食べるの手伝って!〟
「…突然、父が病気で倒れてそのまま亡くなって…。金に困った母は、僕をこの街に売ろうとしたんです。…僕はいつか、こうなることを想定していたので、特に驚きもしなかったのですが。華江は、そうでなかったみたいで…母の手を離して、僕に付いてきました。何度も、母の所へ戻れ と言っても聞きませんでした。…あのとき、初めて華江が泣いて怒ったんです。」
〝お兄ちゃんと一緒がいいの!!どうして僕を一人にするの!!〟
「僕ら双子は、死ぬほど辛い日々を覚悟していました。でも…鶴姫様や女将、姐さん方もとても優しくて…。本当にこんな幸せでも良いのかと、疑ってしまうくらい。あ、身体を売ることが幸せとかじゃなくて、…姐さん方がいてくれたから……っていうか…」
瓶覗の涙は止まらなかった。次々と頬を流れてくる涙滴は、着物に染み込んでいった。
「…瓶覗。これね、藤菫が書いてくれたの。」
「……あ…。」
立夏は瓶覗に、あの唄が書かれた紙を渡した。その唄を読んでは、瓶覗は笑顔を見せた。
「懐かしい。」
瓶覗は笑った。
「藤菫が書いてくれたのよ、瓶覗と一緒に書いて詠ったと聞いたわ。」
「はい。父方の祖父が、教えてくれたんです。僕たちは祖父が大好きでした。旅をするのが好きな人で、よく土産を持って来てくれていました。祖父が教えてくれた、この詩…大好きなんです。」
「…私も、この詩が好きよ」
立夏も自然と笑顔になれた。
「…何よ、私にも見せて。」
鶴姫は微笑んで、詩を覗き込んだ。
三人で藤菫を囲んで話をした。
「…あははっ、華江、また間違えてる。」
「えっ?」
「見てください。この漢字、華江はいつも間違えるんです。」
「あら、本当だわ。」
「……前にも…教えたのに……」
瓶覗は藤菫との日々を思い出して、また涙が溢れてきた。
「…瓶覗。」
立夏は瓶覗を抱きしめた。
「…私の可愛い子。」
鶴姫は、また二人を抱きしめた。
「どうして……、華江……!」
瓶覗は姐たちに抱きしめられながら、咽び泣いた。
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