色食う鳥も好き好き

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遊男の恋物語

第九話

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「胡蝶?…なぜ泣いているのよ」

昼見世の時間が終わり、紅葉が部屋で泣き潰れている胡蝶を見つけた。

「ぅ……紅葉。」

「こら、泣くのをやめなさいよ。目が腫れるでしょう?」
「…ごめん」
「っ、鼻水まで垂らすなんて。」
「ごめん」
「…もう。困った子ね」

ぐずぐずと泣いてる胡蝶の顔を紅葉は手拭いを取り出し、涙を拭いてやった。

「……紅葉ぁ…!」
「何よ、もう…」

胡蝶は紅葉に抱きついた。涙と鼻水で濡れた顔が着物に付かないように、胡蝶は顔だけ離していた。

「…紅葉は…わかってくれる?」
「……」

胡蝶のたったその一言で、紅葉は汲み取った。

「……えぇ。わかってるわ。」

「……何のことだか分かってないくせに。…腹立たしいくらいに優しいのね。」
「…いいえ、本当よ。」
「はいはい、ありがとうね……。」
「……」

紅葉は胡蝶の頭を撫でて、あることを思い出していた。

「…胡蝶。」
「ん?」

「…なぜ、貴方に〝胡蝶〟という名前を鶴姫様が付けてくださったか知ってる?」
「…私の舞踊が蝶みたいだからって…」
「いいえ…。貴方が〝繊細〟だからよ。」
「私が?」

「…実はね、鶴姫様から聞いたの。貴方は誰よりも繊細なのに、人一倍強がるから…って。蝶は美しい羽を大きく羽ばたかせて飛ぶでしょう?でも、羽は脆く繊細で。……それが、まるで貴方みたいだからって仰ってたわ。」

「…鶴姫様とだなんて、お話したの一度しかないのに。」

「……鶴姫様は何でもご存知なのよ。」

楼主である鶴姫と一番長い付き合いである紅葉にとっても、不思議な存在であった。
師匠でもあり、母親のような存在でもあり、時に兄弟に、時には友になる。

そして何より不思議なのが、全て知っていること。いつも店の三階にいるはずなのに、自分の大事な遊男たちのことは全てお見通し。他人に化けて、何処かに潜んでいるのでは?という噂もあるほど。

鶴姫も、紅葉も、傍で胡蝶を見てきた。


「……だからね、胡蝶。鶴姫様も女将も、もちろん 私と立夏だって、貴方のことをちゃんと理解してる。どんな時も貴方の味方だし、強がる貴方が頼れるような兄姉でありたい。…貴方が悲しむ必要なんて無いのよ。」
「……ありがとう。」

「…ほら、そろそろ泣くのをやめなさい。後で、白粉塗り直しなさいね。」
「はい。」

胡蝶は鼻を啜って、紅葉に笑ってみせた。

「…紅葉、ありがとう。」
「……いいえ。」

胡蝶が部屋を出たのを見届けて、紅葉も立ち上がった。


「…鶴姫様の言う通りだわ。」

鶴姫が言っていた、胡蝶は人一倍繊細で強がっていることに気付けなかった。

紅葉が心のどこかで焦りを感じていた。


早く、追いつかなきゃ。鶴姫様に。
私も鶴姫様のようになりたい。

鏡の前で紅を引いた。

焦らなくていい。鶴姫様はそう言っていた。


「……焦ってない。焦ってないけど…。どうしてこんなに、遠いのかしら。」


この店を開く前から、紅葉は鶴姫と共に過ごしていた。花魁とその新造だった。

鶴姫はその時から街で一番の花魁だった。

客をもてなす姿を一番間近で見てきたはずなのに。一番傍で教えてくださったのに。どうしてこんなにも、追いつけないの。


鶴姫が当時から女将と仲が良かったのもあって、自分も独立したいと言ったのをきっかけに この店が開かれた。紅葉も花魁として認められ、立夏も仲間に入り、今は可愛くて美しい遊男がこんなに揃った。

紅葉はもう新造でもない。この店を、この街を、代表する花魁。


「…頑張らなきゃね。」

一言鏡の自分に言い聞かせて部屋を出た。


すっかり外は暗くなり、数々の店の灯りが街を輝かせていた。


夜見世の格子に並ぶ遊男達。

髪飾りが灯りを反射して眩しく感じた。


「紅葉、揚屋へ。」
「…はい。」

紅葉は瓶覗を呼んで花魁道中の用意を手伝わせた。

そこに通りかかった鶯がやって来た。

「今夜は花魁道中が見られる日だったわね。お客は、お偉いさんかしら」
紅葉が指名されたのを聞いた鶯がそう言って、ふふふと笑った。

「…そうかしらね」
「羨ましいわ、気を付けて いってらしゃい。」
「あ…ありがとう。」

鶯は笑顔で会釈して去った。


紅葉の身支度を手伝っていた瓶覗がにこにこ笑って、話し始めた。

「紅葉姐さんは流石ですね。お偉い方を客にとるだなんて。」
「…うちでは女将が客を選んでるのよ」
「紅葉姐さんは、お偉い方の相手も全うできると女将からも認められているってことですよ。私もそうなれたらいいのになぁ」
「瓶覗はすぐに出来るようになるわ」
「本当ですか!……よし、紅葉姐さん、出来ましたよ」
「ありがとう。…そろそろ時間かしら、行くわよ」
「はい」



紅葉が店を出る時、女将が言った。

「今夜は上級武士の方よ。猩々緋の旦那様。失礼のないようにね」
「……はい。」

誰だろう。聞いたことがない名前だった。


『今夜は紅葉さんだ』
『綺麗だなぁ』
『死ぬまでには呼んでみたいものだ』
『今夜の客は一体誰なんだろうな』
『えれぇ役人とかだろ、』
『やっぱりかい』

小さな声で話しているつもりの会話は全て紅葉に聞こえていた。

輝く簪を何本も付けて、艶やかな紅をひいて。涼しい秋風を感じさせる紅の着物と黄色の帯。

澄んだ瞳に、すうっと通った鼻筋と滑らかな曲線を描く輪郭。男か女か分からない、性の境目に立つような、紅葉の神秘的な美しさは誰もが目を奪われた。


そんな花魁を呼んだ、あの人。




「赤音彩紅葉にございます…」

紅葉が襖を開け、手をついて挨拶した。顔を上げた先に待っていたのは、あの時のあの人。

「……ぁっ…」

「やはり、一番の花魁は違うんだな。」

「…紅葉もみじの…お侍さん…」

「覚えていてくれたのかい」

「いいえ…忘れられませんでした。」

紅葉は彼の隣に座ったのは良いものの、胸が高鳴って目も合わせられなかった。


「…初めて、一人で遊男を呼んだものでな。まだ分からぬことが多い。」
「…まぁ、気楽に。」
「ありがとう」

食事と酒が運ばれて、紅葉は酒瓶を手に取った。

「どうぞ」

彼が酒に目をやった隙に、紅葉は彼の顔をじっと見つめた。

「……」

横顔の凄く綺麗な人。

「ん?」
「あっ……」

毎日やっている仕事なのに、今夜は思うように体が動かないし、上手く話せない。


「……旦那様のお名前を…お聞きしても?」
「猩々緋鷹宗だ。」
「…鷹宗…様。」
「あぁ。」

淡々と話す彼の声は男らしくて、その声を聞く度に心臓の鼓動が早まるのが分かった。

「君の歌が聞きたい。」
「えっ」
「得意だと聞いたんだが、人違いだったか?」
「…いえ。…歌が好きで…」
「そうか。では聞かせてくれないか。」
「……はい、喜んで。」

紅葉は瓶覗を呼び、歌や舞をみせて目一杯、鷹宗をもてなした。


『床がまわりました』

部屋の向こう側に、屏風が立てられた。
紅葉は支度をせねばと立ち上がった。

「…少々お待ちください…」
「……。」





「鷹宗様…?」

支度を終えて、長襦袢姿で鷹宗の元へ向かった。いつもの客なら、今か今かと帯を解いて待っているのに。鷹宗は上着すらも脱がず、ただ黙って煙管を咥えていた。

「……」
細く煙を吐いて、鷹宗はようやく立ち上がった。


「……鷹宗様。」

鷹宗と一夜を共にするなど、夢にも見ていなかった。たったあの一瞬、目が合っただけでこんなにも胸が高鳴るなんて、馬鹿馬鹿しいけど。


鷹宗の胸にそっと手を触れて、彼と共に布団に座りこんだ。紅葉は恍惚として彼の首筋から、ゆっくりと見上げた。

「…はぁ…」
「………。」

切れ長の目元は何かを潜めていそうな雰囲気を醸し出す。ふと見つめ合えば、その妖艶な雰囲気に惹き込まれた。


「……鷹宗様。」

うるさいくらいに響く胸の高鳴りを抑えて、そっと上着を脱がせた。広い肩幅に、広い背中。厚く逞しい胸板に興奮を抑えられない。

沢山の男たちを相手にしてきた、花魁の紅葉でさえも息が荒くなりそうだ。

「……っ…、」

着物の間から見える肌。
早く、触れたい。

紅葉は彼の身体に手を伸ばし、そして顔を上げた。少し開いた口元を見て、口付けしようと顔を近付けた。

「……っ!」
「きゃっ」


その瞬間、鷹宗は紅葉を突き飛ばした。

布団の上だったので痛みは無かったが、心が痛くなった。


「……鷹宗様…」
「すまない……、本当に…、すまない。」

鷹宗は動揺していた。


「……旦那様…ご無礼をお許しください…」
ふと自分の職業を思い出し、咄嗟に床に手を着いた。

「……すまない…」




紅葉は察した。



〝…生憎だが、俺は男に興味は無い……〟
鷹宗と出会った時、彼がそう言いかけていたのを覚えていた。ただのあしらいではなく、本当の事だった。

「……」
それか、鷹宗はずっと黙っていて、目も合わせてくれず、呆然とした様子だった。



こんな空気に耐えられなかった紅葉は言った。

「…私は男です。必ず、しなければならないものではありませんから…。」
「………。」


その夜の二人は口付けすらせず、 抱きしめもせず。

紅葉は寂しさと虚しさに瞳を閉じた。




「また、いらしてくださいね」



鷹宗は夜が更ける前、早々に帰った。
紅葉は彼の背中を見届けながら、自分の手背を抓った。

自分が男であることを初めて後悔した。触れられただけでも嬉しいはずなのに。

翌日の朝になっても、紅葉の虚しさは消えなかった。机に顔を伏せて、鷹宗を思い出していた。というより、突き飛ばされた瞬間を何度も思い出していた。

「…期待していた私が馬鹿ね。」
一つ大きなため息をついて、顔を上げた。

「…どうして私が悲しまなきゃいけないのよ」
一周まわって腹立たしくもなってきた。



「紅葉姐さん?」

「…瓶覗。」

そんな紅葉の元に、瓶覗が訪れた。紅葉宛に手紙が届いたと言った。

「…何かありましたか?」
「いいえ。なんでもないわ」
「……そうですか」

瓶覗はにっこりと笑って、飴を差し出した。

「……飴?」
「はい。先程、女将さんから頂いたのです。」
「…あなたが貰ったのだから、あなたが食べなさいよ」
「遠慮しないでください!…色んな人から貰った飴を貯めているんです…!ほら」

袖に隠されていた飴の数々。

「…何してるのよ…」
「ふふっ!これあげます!」
「ありがとう…」

紅葉の手に、三つの飴を握らされた。瓶覗はにっこりと笑って見せて、逃げるように走っていった。

「まったく…子供って不思議ね」
ようやく紅葉に笑顔が戻った。

「…ん…甘いわ。」
小さな飴を一つ口にした。手紙を開けて、紅葉は返事を書き始めた。




「紅葉、」

「…女将さん。何か御用ですか」
「鶴姫様がお呼びよ」
「まぁ、鶴姫様が?…はい、只今。」


紅葉はすぐに筆を置き、店の三階へ駆け上がった。


「…鶴姫様。紅葉にございます。」

「はぁい。」


鶴が描かれた襖をそっと開けると、簾の向こうに美しい鶴姫の姿が見えた。

「…久しぶりだこと、紅葉。」

ぱちぱちと弾かれる算盤の音が聞こえた。

「御無沙汰しております」
「…もう。私が呼ばないと、誰も遊びに来てくれないんだから。こちらへいらっしゃらい。」
「…はい」

「それで、本題は…」

鶴姫は算盤から手を離し、こほんと咳払いをした。

「…瓶覗を格子へ」

「えっ?…ですが…瓶覗はまだ…」
「紅葉」
「はい。」
「貴方のやり方を否定する訳ではないけど…、この仕事は身体で覚えるものよ。それは貴方も分かっているわね」
「…はい」
「…だったら、瓶覗を格子へ出すわ」

「では、藤菫はどうなさるのです?」
「どうって…あの子はまだよ」
「瓶覗と同じ時に来たのに」
「藤菫と瓶覗は別人よ。双子だからといって、同じにする必要なんて無いわ。きっと、本人達が一番そう思ってるはずよ。」
「……」

「瓶覗には、貴方からお話してちょうだい。その後のことは女将に任せてある。」
「はい。」

「以上よ」
「…失礼致します。」
 

「……」
紅葉が部屋を出た後、鶴姫はふぅと息を吐き呟いた。

「参ったわ…」





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