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遊男の恋物語
第七話
しおりを挟む「立夏。」
「あら、紅葉。」
夜見世の時、廊下で偶然すれ違った。
「藤十郎さん、胡蝶を指名したみたいよ」
「…そう…、良かったわ」
「何かあったの?」
「きっと素直になったんだなって。」
「ん……どういうこと?」
「…二人がまた結ばれて良かったわ」
立夏は微笑んだ。紅葉は少し疑問に思いながら頷いた。
ぎらぎらと街が輝き出す、夜見世の時間。
格子の間から遊男達の手が伸び、それを格子の外で得意気に見る男達。
遊男達の手を取る男は極わずかで。
「…今日は珍しいわね」
「……ん?」
珍しく格子に残っていた鶯と立夏。
「立夏さんと二人きりなんて久しぶりで。嬉しいわ。」
鶯は口元を袖で隠して、ふふふと笑った。
「そうね…」
柔らかい雰囲気を放つ鶯。肌は真白く、身体はすらりと細いが、身長が高い立夏と同じくらいの五尺六寸ほど。
立夏はこの高身長に高下駄を履くと、道中ではかなり目立つ。
「……」
目を輝かせて格子の外を見る鶯は、綺麗に見えた。顔立ちは中性的で、白粉を塗らずとも白い肌は色っぽくて。
身長だけは同じくらいだが、鶯とは何かがかけ離れていると立夏は感じていた。
「…鶯は手が綺麗ね。」
「まぁ、本当?立夏さんに褒められるなんて、嬉しいわ」
鶯の手は白くて細くて。男特有に骨張っているが、それも兼ねて美しい。
「……。」
自分のごつごつした大きい手とは違う。
花魁という高い位を何故自分が貰えたのか、未だによく分からない。
駄目だ。他人のものが、全部羨ましい。
立夏は鶯から目を逸らした。
すると女将の声がした。
「鶯、ご指名よ」
「はぁい。…いってきます」
「行ってらっしゃい。」
「……。」
遂に、最後の一人になってしまった。花魁なのに。
「私は高級だからよ、…うん、きっとそうね。」
自分に言い聞かすことしかできなかった。何度も顔を上げようとしても、人々が格子の前を通る度に、恥ずかしくて俯いてしまう。
「……今日は違う子だ」
「えっ?」
格子の向こうから声がした。
「…綺麗だなぁ。」
「……?」
その男は酒を片手に、格子のすぐ外に座り込んだ。そして、立夏を見つめては頬杖を着いてうっとりしていた。
「…な、何をされてるの?」
「んー?綺麗な人を肴に、酒飲んでんの。」
男は酒を飲み始めた。
「私が売れ残ってるのを、からかってるのですか?」
「残って貰わないと俺が困るの!」
男は笑った。
「……?」
立夏は戸惑った。世の中には色んな人が居るんだなと思い、少し面白かった。そして…少し救われた。
「名前は?」
「……立夏です。」
「ここの遊郭の遊男は皆、凄く綺麗な名前を、楼主さんが付けてるって聞いたんだけど…。君の名前、全部聞かせてくれない?」
「…緑青松葉立夏よ、」
「わぁ…素敵な名前だ。」
「旦那様はこの遊郭について、よく知っているのですね」
「…陽凛が教えてくれたんだ。」
「陽凛…。あの子は何でも喋るんだから。」
「お喋りな子で可愛いよ。」
「そうでしょう?」
彼と話していると、何故かこちらも笑顔になれる。
「…旦那様と格子を挟んでお話するなんて、不思議な感覚だわ」
「案外、悪くないだろう?」
「……そうね。でも、店としてはあまり嬉しくないんだけど。」
立夏は冗談でそう言うと、男は手を擦り合わせて見せた。
「悪かったよ!…金がないんだ。貧乏人に優しくしておくれぇ!!」
大袈裟な彼の真似は立夏を笑わせた。男もそれを見て嬉しそうに笑った。
「…貧乏そうには見えないですけど」
「足りないの、許して。」
「借りを作ったわね」
「あぁ。いつか借りは返すよ」
貧乏人、と彼は言うが少なくとも、酒を買えるだけの金は持っている人なのだろうと察した。
「…貴方の名前をお聞きしていなかったわ」
「……宇城雲雀。」
「可愛らしい名前ですね」
「もっと格好いい名前が良かったよ」
「そんなこと仰らないで」
他愛もない会話を楽しんでいた時、女将の声がした。
「立夏、ご指名よ」
「はぁい…」
「…それじゃ、俺もこれで。」
「……また、いらしてくださいね。」
「あぁ。ありがとう」
雲雀は立ち上がり、酒を片手に去っていった。その背中は何だか切なく感じた。
「…鳶之助様…。」
「……良かった。今日は運がいい。」
格子に残っていた立夏を指名したのは鳶之助だった。久しく顔を見ていなかったので、凄く嬉しかった。
「ご案内します…!」
「ありがとう。」
立夏は喜んで部屋へ案内して、食事や踊りを見せて楽器を弾いて…、鳶之助をもてなした。
鳶之助は次々と酒を喉に流し込んだ。
「今日はお酒が進みますね」
「あぁ。飲まないとやってられない。」
「何か、あったのですか。」
「結婚することになった。」
「……えっ。」
「両親や姉妹に言われたんだ。俺の歳もいい頃だし、家の後継ぎのことも考えろとな。まぁ…仕方ないな。」
「………っ。」
おめでとうございますって、言わなきゃ。
喉でつっかえるようで、言葉が出てこない。
「……立夏?」
「…あ…あぁ……えっと……」
言わなきゃ。言わなきゃ……。
「……酒を注いでくれるか?」
「は、はい……」
どうして言えないの。めでたいことなのに、おめでとうのおの字すら出てこない。
「どうぞ……」
「ありがとう」
鳶之助の酒は止まらなかった。そして、彼は珍しく酔っ払った。
「……こんやは、ふんぱつするんら。」
「…えっと…?」
「……りっか…、だかせてくれ。」
「…」
顔は赤く、ろれつの回らない鳶之助。
立夏は戸惑ったまま、床入りした。
「ん……んぅ…!え、鳶之助…様……!」
「立夏……!」
抱き合った体勢で鳶之助は腰を振った。
汗か潤滑剤かも分からない、肌と肌が当たる度に音が響き渡る。
「…ん……んぅ…!」
何度も口吸いして、抱き合った。
「…はぁ……はぁ……。っ……立夏…!」
「あんっあんっ…あぁんっ!…あぅ……鳶之助様…っ…!い、いく!いく……!!」
「あぁっ、いくっ……!」
「いくいくいく、あぁっ!!…いっくぅっ……!!あぁ……はぁっ…はぁ……」
立夏は長い足と爪先を伸ばして、絶頂に達した。その後の脱力感も堪らなく快感で、鳶之助の背中を力一杯抱いていた。
「……立夏。」
「…鳶之助様。」
鳶之助は汗だくになって顔も紅潮し、立夏を見つめながら想いを明かした。
「…俺の心は…立夏、君のものだ。」
「……?」
「…本当は、結婚など望んでいない。」
彼は酔っ払ってるから、こんなことを話すんだ、立夏はそう思っていた。
「……結婚の話が進んでいく時、君のことを何度考えたか。俺は君が恋しくて恋しくて…。」
「…鳶之助様、」
まるで、今生の別れみたいじゃない。
鳶之助は立夏の頬を触れた。
「……立夏。君と初めて出会った時もこうして涙を溜めていたな、君の泣き顔はそそられる。」
「……」
「君の泣き顔は可愛らしい。このまま連れ去って、食べてしまいたい。」
「……食べてしまったら…無くなりますよ。」
「あぁ、それは嫌だなぁ」
そんなことを話す鳶之助の目には涙が浮かんでいた。
「……立夏。どうして君はこんなにも愛おしいんだ?…数々の遊郭を渡り歩いてきた俺だが、こんなにも夢中になったのは君が初めてなんだ。嘘じゃない。」
「……」
酔っ払った勢いで言っているんだろうな、明日には忘れているんだろうな。
「鳶之助様。」
「ん?」
「私も同じ想いです。」
「…本当かい?」
「はい。鳶之助様から頂いた翡翠の簪、これがないと貴方が離れているような気がして、肩身離さず持ち歩いておりました。」
「……そうだったか。」
「はい。鳶之助様を考えなかった日はありません。」
「……嬉しいな」
二人はまた口付けしては抱き合った。
「……鳶之助様…結婚なさらないで。」
「出来ることなら、今にでも逃げ出したい」
「…どうしても、お祝いできません。」
「祝わなくていい。」
「鳶之助様ぁっ……!」
立夏は溜め込んだ涙が一気に溢れ出し、子供のようにわんわん泣いた。
「泣かないでくれ立夏。」
「うぅ……!やだぁっ……!」
「……どうか、この運命に逆らう勇気の無い格好悪い俺を許してくれ。」
「うぅ…許さないぃ……!」
「分かった、許さなくていい。」
暫く泣き続けた立夏は、いつの間にか寝てしまっていた。
翌日の朝、鳶之助の腕の中で目が覚めた。
「……鳶之助様……」
「……ん。あぁ、おはよう、立夏。」
鳶之助は立夏を見て微笑んだ。
きっと、共に暮らしたらこんな素敵な朝が毎日迎えられたのかなと思ってしまった。あぁ、お嫁さんが羨ましい。
「……鳶之助様、お時間が…」
「あぁ。そろそろ出なくてはな。」
鳶之助は支度を始めた。
「……」
その姿を見て、胸が締め付けられた。
「…立夏。」
「はい。」
「…忘れないで欲しいから、もう一度言うが」
「なんでしょう?」
「……名義上で俺は他人のものでも、俺の心は君のものだから。それだけは、忘れないでほしい。これは…本当だから。」
「鳶之助様、まさか昨夜のこと…」
「覚えてるよ。とっくに酔いは覚めていた。」
「……まぁ…そんな」
「一生忘れることは無いと思うよ。」
鳶之助は笑って見せた。
「待って、鳶之助様。」
立夏は無意識に身体が動いていた。鳶之助の頬を引き寄せて、口付けした。
「……立夏。」
鳶之助はそれに応えるように、腰を抱いた。立夏の腰が反るほどに抱きしめて、口付けを交わす。徐々に舌を絡めるくらいに熱い口付け。
「…鳶之助様。またいらしてください。」
「もちろん。」
「お手紙もください」
「あぁ、毎日でも書こう。」
「…約束よ?」
「うん。」
立夏は店の外まで見送った。
こんなにも惜しい別れは初めてで、辛かった。
「不思議ね。」
慌てて羽織った着物は肩が落ち、はらはらと髪も顔を垂れてくる。冷たい秋風が立夏の髪を靡かせた。
「立夏。部屋に戻りなさい。風邪をひくわ」
「はい」
女将が声をかけた。立夏は何も考えず、部屋へ戻った。
「…はぁ…。」
立夏がとても辛い時にふらりと現れて、素敵な言葉をかけて微笑んでくれた。鳶之助は格子の外を生きる人。格子の向こうで誰にでも身体を売るような自分とは違う。
「案外私ってちょろいのね。」
自分を嘲笑った。
それから鳶之助が遊郭に来ることはぴたりと無くなった。
手紙は時々来たが、何処かの女子と結婚して幸せそうな内容ばかりだった。
「……私も強くならなきゃね」
「立夏姐さん?どうして泣いてるのですか」
「桃。」
立夏は目一杯桃を抱きしめた。
「おっ?…立夏姐さん?」
「私も頑張る。」
「んん?」
状況がよく分かっていない桃をとにかく抱きしめて、頭を撫でた。
凛々しい顔立ちは涙に濡れていた。
「立夏姐さん、大好きです」
状況がよく分からない桃なりにそう言った。
「ありがとう、私も大好きよ」
「えへへ!」
「…桃。何か辛いことがあっても、姐さん達だけは貴方の味方よ。これだけは忘れないでね。」
「はい!」
桃はあまり理解していないのだろうが、明るく返事をしてみせた。
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