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俺、買い物に行く1
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「じゃ、いくか」
「はい。よろしくお願いします。」
時間通り仕事を終わらせた中里と家を出る。午前中は惨敗したが、中里という強力な助っ人がいればきっといい買い物ができるだろう。
「ところで野口さんは何買いたいんだ?」
「えーと……俺冬服ほとんどないので……セーターとかトレーナーとか……あとコートも黒のダウンしかなくて……」
「あー……わかったわ。要は冬服一式な」
「……はい」
駅へ向かう道中、中里から服の好みなどを聞かれたが、無難なもの、としか答えられなかった。
でも、中里はそれだけでイメージは掴めたらしく、なるほどな、と頷いていた。
「……ここで買うんですか?」
連れて行かれたのは誰もが知っているマルクロ。
俺もインナーを持っている。けれど、三十五歳にしてここで買うのはどうなのか。どうも若者や若い父親が着ているイメージがある。
「いきなりブランドものや個性のあるもの買ったって着こなせねえからな。まずはそこそこの質でベーシックなものを安く揃えるんだよ。慣れてきたらだんだん自分の好みがわかってくるから、そん時に好みに合ったもんを買い揃えたらいい。ベーシックなやつ揃えてりゃ大抵何にでも合うからコーディネートも困らねえからな」
正直中里が何を言っているのかよくわからないが、まずここで一通りのものを買う、ということなのだろう。
中里はさくさく店内を歩いてはいくつかの商品を手に取り、それを俺に渡して試着室を示した。
「このシャツを中に着て、そんでその上にこのセーターな。ボトムスもそのダボっとしたジーンズは微妙だから、これも試せ。サイズが合わなかったら呼んでくれ」
訳がわからないまま服を持たされ、試着室に入れられる。
中里は他も見繕ってくる、と言って店内に消えていった。
茫然としながら手の中の服を眺める。
グレーのセーターに柄の入った厚手のシャツ。黒の細めのズボン。
シャツを先に着るって言っていたよな?
とりあえずこれを着るしかあるまい。のそのそと着ていた服を脱いで渡された服を纏っていく。
「どうだ野口さん。着られたか?」
ちょうど全て着終わったところで声をかけられた。
返事をして試着室を開ける。
「おお。サイズは大丈夫そうだな」
中里の手には服が何着もあった。もしかしてこれ全て俺が着るのだろうか。
「……でもこのズボンがなんかピチッとしてる感じがして……」
いつも余裕のあるゆるめのズボンを履いていたため、この密着する感じが慣れない。
「野口さんは全体的に細いから、そういうラインの服の方が似合うと思うんだが。だんだん慣れるからちょっと我慢してくれ」
どうやら俺の希望は聞いてくれないようだ。
しかし、俺一人では買い物などできないのだから、中里に従うしかない。
「あとこのコート着てみてくれ」
それはすとんとした形の紺色のコートだった。
「これならスーツとも合わせられるし、普段使いもできるから使い勝手いいと思うぞ」
袖を通して鏡を見ると、なんだか自分ではないようだった。こう、少しスタイルが良く見える。
「うん、悪くねえな。そしたらこっちも試着してくれ」
コートを脱いで渡すとどさりと別の服を渡される。
こんなに必要だろうか。
「……こんなにいるかな?」
さすがに口を出すと、中里は何を言っているんだといった顔をする。
「肌寒いくらいの日に着るものと本格的に寒くなってから着るものは違うだろ。ほら、このカーデなんかは今の時期にそっちのシャツとか、野口さんの持ってるロンTと合わせられるけど、真冬にこれだと寒いだろ。そのセーターとかトレーナーとかは中に着込めるから本格的に寒くなってきたら活躍するだろうよ。それと……」
「あ、そうですよね。はい、わかりました。着てみますね」
俺はもう何もいうまい、そう思った。
さっきから中里が何を言っているかわからないけれど、多分これを着ていれば問題ないのだろう。それだけはわかる。だからもう、俺は口を出すのをやめよう。全く対抗手段がないのだから。
俺は心を無にして言われるがままに何着も試着した。着せ替え人形になった気分だった。
そして気付いたら会計していた。
しかもなぜか買った服をそのまま着るよう言われた。シャツにカーディガンにピチッとしたズボン。あと帰るだけなのに何故この格好をする必要があるのだろうか。疑問に思うも、当然のような顔をしている中里に何も言えない。
とはいえ、沢山買った割にはそこまで高くなかったのは助かった。母親からもらった生活費はまだ残っているけれど、給料日までこれで生活するのだから、無駄遣いはできない。中里の店のチョイスに感謝しかない。
しかし、このまま帰るのだと思っていたら、中里に別の店へ連れて行かれる。そこはなんだかちょっとお洒落な感じの店だった。俺には、そうとしか表現ができない。
「ここはセレクトショップなんだよ」
セレクトショップなんだよ、と言われてもセレクトショップが何かわからない。何をセレクトしてるんだ。
「で、これ。これも買っといたらいい」
渡されたのは黒の光沢のないダウンコートだった。俺が持っているのと違ってあまりもこもこしていない。
俺は首を傾げる。
「ダウンコートなら持ってますよ?」
「どんなやつだ」
「こう……黒くてツヤッとした」
俺がそう言うと、中里が大きなため息をついた。
なんだ、俺はなんか変なことを言ったのか。
「別にそれがダメとは言わねえが、カジュアルすぎてさっき買った服にゃ合わねえだろ」
えっ合わないのか?
頭の中で想像してみてもよくわからない。
「でもそれならさっき買ったコートがありますし……」
「そればっか着てたらすぐダメになるぞ。形も崩れるし。それに毎回同じコートじゃ飽きるだろ」
飽きませんが? と言う言葉は飲み込む。中里的には飽きるのだろう。それに、確かにすぐ着られなくなるのは困る。
しかし、ふとダウンコートの値段を見て驚く。
「いやいやいや、高いですよこれ」
さっき買った服の合計より高い。こんな高いの買えるわけがない。
「いや、ダウンでこの値段ならお値打ちだぞ?」
「いいですいいです!俺給料前なんですよ!しかも俺今月から自分で家賃払うんで!」
そう言うと中里は目を丸くする。
「たしか……野口さんの母親からはもう少し払うと聞いていたんだが」
「ああ……この前電話して、自分で払うって言ったんですよ。俺の給料安いし、どうしても必要なら仕方ないですけど、そうでないならこんな高いの買えないです」
中里はうーん、と唸る。
「……まぁ、無理に買う必要はないわな。とりあえずすぐ困る訳じゃねえし。悪かったな、つい暴走しちまった」
「いや、俺じゃ何買っていいかわからなかったんで本当助かりました。なので……」
「じゃあ最後に美容院行くか」
そろそろ帰りましょう、と言おうと思ったのに遮られる。
美容院だと……?
「いや……いやいや……俺、美容院なんて行ったことないですし……」
今日は俺の服を見繕ってもらうという話だったはずだ。いつから俺大改造の日になったのか。
「普段どこで切ってるんだ」
聞かれて目を泳がせる。どこというか、なんというか。
「まさか……」
「はい、自分で適当に……」
長くなってきたら適当に切っている。我ながらどうかとも思うが、別に誰が見ているわけでもないし……と思っている。しかし、中里は信じられないものを見たような顔をしている。
「ダメだ野口さん。それはダメだ。騙されたと思って一度切ってもらえ」
「いやでも給料前ですし……」
「大丈夫だ、カットだけなら五千円くらいだ。さっきのダウン買うことに比べたら全然安い」
「いやでも、あの……」
シェアハウスの住人たちとはだいぶ話せるようになっているけれど、俺は人見知りコミュ障である。
俺の持つ美容院のイメージは、お洒落な若者が小気味いい会話をしながら髪を切っていくお洒落な空間。そんなところに俺が馴染める訳がない。嫌だ、絶対行きたくない。
しかし俺の抵抗も虚しく、中里には引きずられて美容院に放り込まれることになった。
幸いだったのは髪型をどうするとか、そういう話は全部中里がやってくれたことだった。
面倒見良すぎやしないか。三十五歳のおっさんの髪型なんてなんだっていいだろう。
俺は死んだ魚のような目をしながら、予想通りお洒落な若者に身を委ねた。
もう知らん。どうにでもしてくれ。
「はい。よろしくお願いします。」
時間通り仕事を終わらせた中里と家を出る。午前中は惨敗したが、中里という強力な助っ人がいればきっといい買い物ができるだろう。
「ところで野口さんは何買いたいんだ?」
「えーと……俺冬服ほとんどないので……セーターとかトレーナーとか……あとコートも黒のダウンしかなくて……」
「あー……わかったわ。要は冬服一式な」
「……はい」
駅へ向かう道中、中里から服の好みなどを聞かれたが、無難なもの、としか答えられなかった。
でも、中里はそれだけでイメージは掴めたらしく、なるほどな、と頷いていた。
「……ここで買うんですか?」
連れて行かれたのは誰もが知っているマルクロ。
俺もインナーを持っている。けれど、三十五歳にしてここで買うのはどうなのか。どうも若者や若い父親が着ているイメージがある。
「いきなりブランドものや個性のあるもの買ったって着こなせねえからな。まずはそこそこの質でベーシックなものを安く揃えるんだよ。慣れてきたらだんだん自分の好みがわかってくるから、そん時に好みに合ったもんを買い揃えたらいい。ベーシックなやつ揃えてりゃ大抵何にでも合うからコーディネートも困らねえからな」
正直中里が何を言っているのかよくわからないが、まずここで一通りのものを買う、ということなのだろう。
中里はさくさく店内を歩いてはいくつかの商品を手に取り、それを俺に渡して試着室を示した。
「このシャツを中に着て、そんでその上にこのセーターな。ボトムスもそのダボっとしたジーンズは微妙だから、これも試せ。サイズが合わなかったら呼んでくれ」
訳がわからないまま服を持たされ、試着室に入れられる。
中里は他も見繕ってくる、と言って店内に消えていった。
茫然としながら手の中の服を眺める。
グレーのセーターに柄の入った厚手のシャツ。黒の細めのズボン。
シャツを先に着るって言っていたよな?
とりあえずこれを着るしかあるまい。のそのそと着ていた服を脱いで渡された服を纏っていく。
「どうだ野口さん。着られたか?」
ちょうど全て着終わったところで声をかけられた。
返事をして試着室を開ける。
「おお。サイズは大丈夫そうだな」
中里の手には服が何着もあった。もしかしてこれ全て俺が着るのだろうか。
「……でもこのズボンがなんかピチッとしてる感じがして……」
いつも余裕のあるゆるめのズボンを履いていたため、この密着する感じが慣れない。
「野口さんは全体的に細いから、そういうラインの服の方が似合うと思うんだが。だんだん慣れるからちょっと我慢してくれ」
どうやら俺の希望は聞いてくれないようだ。
しかし、俺一人では買い物などできないのだから、中里に従うしかない。
「あとこのコート着てみてくれ」
それはすとんとした形の紺色のコートだった。
「これならスーツとも合わせられるし、普段使いもできるから使い勝手いいと思うぞ」
袖を通して鏡を見ると、なんだか自分ではないようだった。こう、少しスタイルが良く見える。
「うん、悪くねえな。そしたらこっちも試着してくれ」
コートを脱いで渡すとどさりと別の服を渡される。
こんなに必要だろうか。
「……こんなにいるかな?」
さすがに口を出すと、中里は何を言っているんだといった顔をする。
「肌寒いくらいの日に着るものと本格的に寒くなってから着るものは違うだろ。ほら、このカーデなんかは今の時期にそっちのシャツとか、野口さんの持ってるロンTと合わせられるけど、真冬にこれだと寒いだろ。そのセーターとかトレーナーとかは中に着込めるから本格的に寒くなってきたら活躍するだろうよ。それと……」
「あ、そうですよね。はい、わかりました。着てみますね」
俺はもう何もいうまい、そう思った。
さっきから中里が何を言っているかわからないけれど、多分これを着ていれば問題ないのだろう。それだけはわかる。だからもう、俺は口を出すのをやめよう。全く対抗手段がないのだから。
俺は心を無にして言われるがままに何着も試着した。着せ替え人形になった気分だった。
そして気付いたら会計していた。
しかもなぜか買った服をそのまま着るよう言われた。シャツにカーディガンにピチッとしたズボン。あと帰るだけなのに何故この格好をする必要があるのだろうか。疑問に思うも、当然のような顔をしている中里に何も言えない。
とはいえ、沢山買った割にはそこまで高くなかったのは助かった。母親からもらった生活費はまだ残っているけれど、給料日までこれで生活するのだから、無駄遣いはできない。中里の店のチョイスに感謝しかない。
しかし、このまま帰るのだと思っていたら、中里に別の店へ連れて行かれる。そこはなんだかちょっとお洒落な感じの店だった。俺には、そうとしか表現ができない。
「ここはセレクトショップなんだよ」
セレクトショップなんだよ、と言われてもセレクトショップが何かわからない。何をセレクトしてるんだ。
「で、これ。これも買っといたらいい」
渡されたのは黒の光沢のないダウンコートだった。俺が持っているのと違ってあまりもこもこしていない。
俺は首を傾げる。
「ダウンコートなら持ってますよ?」
「どんなやつだ」
「こう……黒くてツヤッとした」
俺がそう言うと、中里が大きなため息をついた。
なんだ、俺はなんか変なことを言ったのか。
「別にそれがダメとは言わねえが、カジュアルすぎてさっき買った服にゃ合わねえだろ」
えっ合わないのか?
頭の中で想像してみてもよくわからない。
「でもそれならさっき買ったコートがありますし……」
「そればっか着てたらすぐダメになるぞ。形も崩れるし。それに毎回同じコートじゃ飽きるだろ」
飽きませんが? と言う言葉は飲み込む。中里的には飽きるのだろう。それに、確かにすぐ着られなくなるのは困る。
しかし、ふとダウンコートの値段を見て驚く。
「いやいやいや、高いですよこれ」
さっき買った服の合計より高い。こんな高いの買えるわけがない。
「いや、ダウンでこの値段ならお値打ちだぞ?」
「いいですいいです!俺給料前なんですよ!しかも俺今月から自分で家賃払うんで!」
そう言うと中里は目を丸くする。
「たしか……野口さんの母親からはもう少し払うと聞いていたんだが」
「ああ……この前電話して、自分で払うって言ったんですよ。俺の給料安いし、どうしても必要なら仕方ないですけど、そうでないならこんな高いの買えないです」
中里はうーん、と唸る。
「……まぁ、無理に買う必要はないわな。とりあえずすぐ困る訳じゃねえし。悪かったな、つい暴走しちまった」
「いや、俺じゃ何買っていいかわからなかったんで本当助かりました。なので……」
「じゃあ最後に美容院行くか」
そろそろ帰りましょう、と言おうと思ったのに遮られる。
美容院だと……?
「いや……いやいや……俺、美容院なんて行ったことないですし……」
今日は俺の服を見繕ってもらうという話だったはずだ。いつから俺大改造の日になったのか。
「普段どこで切ってるんだ」
聞かれて目を泳がせる。どこというか、なんというか。
「まさか……」
「はい、自分で適当に……」
長くなってきたら適当に切っている。我ながらどうかとも思うが、別に誰が見ているわけでもないし……と思っている。しかし、中里は信じられないものを見たような顔をしている。
「ダメだ野口さん。それはダメだ。騙されたと思って一度切ってもらえ」
「いやでも給料前ですし……」
「大丈夫だ、カットだけなら五千円くらいだ。さっきのダウン買うことに比べたら全然安い」
「いやでも、あの……」
シェアハウスの住人たちとはだいぶ話せるようになっているけれど、俺は人見知りコミュ障である。
俺の持つ美容院のイメージは、お洒落な若者が小気味いい会話をしながら髪を切っていくお洒落な空間。そんなところに俺が馴染める訳がない。嫌だ、絶対行きたくない。
しかし俺の抵抗も虚しく、中里には引きずられて美容院に放り込まれることになった。
幸いだったのは髪型をどうするとか、そういう話は全部中里がやってくれたことだった。
面倒見良すぎやしないか。三十五歳のおっさんの髪型なんてなんだっていいだろう。
俺は死んだ魚のような目をしながら、予想通りお洒落な若者に身を委ねた。
もう知らん。どうにでもしてくれ。
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