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俺、母親に連絡する1

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 俺がシェアハウスに入居してからすぐ、母親から一通、メールが入っていた。
 おそらく、新しい住所を伝えるために送られたものだろう。
 何故おそらくなのかというと、俺がそのメールを未だに開封していないからだ。

 俺は怖かった。
 大学時代、この世界に居場所がない、俺は他人にとって不要な存在なんだと絶望して逃げた。
 でも、親だけは、親だけは俺を大事にしてくれていた。親だけは俺を必要としてくれていた。
 そこに縋って生きてきたのだ。

 その親が、もし俺を見放したのだとしたら、俺は本当に、誰にも不要な人間になってしまう。不要な人間など、ゴミと何が違うのだろうか。俺は、自分がゴミになることが怖くて堪らなかった。

 仕事を見つけた、シェアハウスの住人たちとも少しずつ交流できるようになった。でも、それは別に俺を必要としているわけではない。
 俺がいなくても仕事は回るし、俺がいなくてもシェアハウスの住人達はいつも通りの生活を送るだろう。
 職場もシェアハウスも、俺の存在を肯定するものではない。

 考えすぎなのかもしれない。いや、きっと考えすぎなのだ。
 けれど、俺にとって大学時代の出来事は、そう簡単に忘れて過去のことにできるものではない。
 ちょっとしたことで、俺の心はいつでもポキリと折れて砕けてしまうだろう。それは、面接で心が折れた時とは違って、修復できないものになるだろう。

 だから、怖い。このメールを見ることすら怖い。

 でも、と思う。
 中里も、坂崎も、何かあったら一緒に酒を飲んでくれると言ってくれた。俺は酒なんてほとんど飲んだことがないし、別に酒を飲みたいとは思わないが、その気持ちが嬉しかった。彼らの存在は、今や親以外の心の拠り所となりつつある。
 彼らにとって俺は必要ではないかもしれないけれど、少なくとも、気を配る存在ではあるのだ。その辺に捨てられたゴミとは違うのだ。

 俺は、ゴミではない。

 一つ息をついて、メールを開く。
 そして、一文字一文字、ゆっくりと読む。

 やはりそこには新しい住所が書かれていた。
 スクロールしてその続きを読む。
 読んでいるうちに、どんどん視界が歪んでいった。

 そこには、シェアハウスに入った後に気をつけることや、人との会話の仕方とか、仕事の探し方とか、俺がちゃんと生活するために必要なことが書き連ねてあった。
 そして最後は、とにかく身体を大事にして、風邪には気をつけてね、と締め括られていた。

 ぼろぼろと溢れてくるものを止められない。
 俺はここへきて、一体何度泣いただろう。こんなに涙脆かっただろうか。

 俺は嗚咽を堪えながら、もう一度メールを見る。

 そこには、母親の俺に対する愛が溢れていた。母親は俺を見捨てたんじゃなかった。心の底から俺を心配して、俺が生きていくために必要なことを真剣に考えていたんだ。

 母親の気持ちを少しでも疑っていた自分が恥ずかしくなる。こんなに俺のことを想ってくれているのに、俺はずっとぞんざいな扱いをして、ありがとうと、感謝を述べることすらなかった。
 あまりに、親不孝だった。

 十五年間のことを思い出し、申し訳ない気持ち、感謝の気持ち、様々な気持ちがないまぜになって、涙が止まらない。

 ありがとう、ありがとう。
 俺、ちゃんと変わるから。これからはきっと、親孝行するから。
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