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俺、踏み込む

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 二週間目も無事仕事をこなし、休日を迎える。
 少し慣れてきたのか、一週間目よりは疲労が少ない気がする。ただ、今はまだ慣れていないからと土曜に休みを貰っているけれど、本来土曜は一番忙しい日である。来週からは土曜も出勤することになっている。つまり、今が一番楽な時期なのだ。それにもかかわらず、俺には勉強ができるほどの元気がない。日課にした腹筋と腕立て伏せは何とか続けているけれど。

 そういえば、やり込んでいたネトゲにもここ最近ログインをしていない。このままフェイドアウトしてもよいのだけれど、せっせと作り込んだキャラクターたちに愛着もあるので、落ち着いたら仕事に支障がない程度に楽しめるようになれたらと思う。

 ほんの数ヶ月前の俺には全く想像できなかっただろうな、と自嘲する。母親に放逐されたのが8月の下旬で今は11月半ば。この短期間で、こんなに変わるとは思わなかった。

 きっとフレンド達には切られているだろう。彼らはかつての俺のように引きニート生活を送っている。もちろん、ネット上に挙げている情報が真実かどうかわからないけれど、少なくとも仕事はしていない人たちである。それは彼らのログイン時間の長さを考えれば明らかだった。彼らは有り余る時間をネトゲに費やしている。そうであれば、不定期にしかログインできない俺などお呼びでないだろう。

 先週と違い、朝飯の時間に間に合うようにダイニングへ向かう。

「あ、野口さん。俺ちょっと出ないとなんで。台所に置いてあるの食べてください」

 慌てた様子の中里がそれだけ言い置いて家を出て行った。

 そういえば、中里はこのシェアハウスの管理人だと言っていたが、それ以外は何もしていないのだろうか。それにしては日中家にいない時が多い気がする。
 不思議に思いながら用意された朝食をのんびり食べた。

 朝食を食べ終わって日課の筋トレをした後、俺は散歩に出かけることにした。
 引きこもっていたときは、必要に駆られなければ外に出ようなどと思うことはなかった。けれど、仕事を始め、昼夜逆転の生活をやめてから、一日一度は外に出るようになった。ずっと家に篭ることに、罪悪感というか、後ろめたさというか、そういうものを感じるようになった。それに、明るい時間に外に出た方が、体の調子も良い気がする。

 外に出て、大きく息を吸う。
 だいぶ寒くなってきたな、と思う。ずっと引きこもっていた俺は、あまり服を持っていない。今度、服も買いに行かないとなー、と思いながら歩く。ネットで買ってもいいのだが、自分のサイズがわからない。しかも何を買っていいのかもわからない。

 俺は本当に何もわからないんだな。

 何かをしようと考えるたび、十五年間を悔いることに繋がる。時間は戻せないし、どうしようもないことだから後悔するだけ無駄だとわかっていても、無駄にした時間があまりに長すぎた。
 
 ふと視線の端にこの前坂崎と話した公園が目に入る。

「よっこいしょ」

 この前と同じ古びたベンチに座り、ふう、と息を吐く。
 公園に人はいない。小さな公園で、遊具もあまりなく、子供が遊ぶには魅力が足りないのだろう。

 スマホで時間を確認すると、まだ10時を少し過ぎたところだった。こんな時間に外に出ているなんて、本当信じられない。
 後悔は止まらないが、今俺は変わってきている。ちゃんと、成長している。そう、自分を慰める。

 三十分くらいぼーっとしてから俺は立ち上がった。
 駅まで出て、昼飯を買ってから帰ろう。
 ぷらぷらと歩いて駅に出て、昼飯を物色する。久しぶりにハンバーガーもいいな、と思いつつ、惹かれるのはチェーンの牛丼屋。
 牛丼を買ってほくほくした気持ちで帰路に着こうとすると、ちょうど駅から出てきたらしい中里と目が合った。

「あ……中里くん、帰ってきたんだ」

「あ、はい。野口さんは……昼飯買いに来てたのか」

「はい。散歩がてら……」

 言いながら中里の顔をよく見ると、なんだかすごく疲れた様子で、普段より幾分暗く見えた。

「中里くん、何かあったんですか」

 思い出したのは坂崎の言葉だった。暗い顔した人には、何かあったのかって聞くだけでいい、そんなことを言われたことを思い出したのだ。

 少し驚いた顔をした中里は、一つ息をついた後、頷いた。

「ちょっと仕事でトラブって……家帰りながら話してもいいか」

 促されて頷く。今みたいに人に話を振ったことは初めてで、ドキドキする。

「……仕事って……シェアハウスの管理人のことではないですよね」

「ん? ああ……そっちは副業だ。本業は別でね」

 中里は持っていた紙袋をゴソゴソとさぐる。そして中から取り出したのは、シルバーのペンダントだった。

「俺の本業は、シルバーアクセサリーのデザイナーなんだよ」

「デザイナー……」

 想像力が乏し過ぎて、なんかとりあえずお洒落ですごそう、くらいの感想しか出てこない。

「個人で発注受けて細々とやってるから、まあ本業って言っても俺がそう思ってるだけで、実際はシェアハウスの管理人の方が収入的には大きいんだがな」

「そうなんですか……」

「まあそんで、俺の作品置いてくれてる店があるんだが、先日発注受けて作ったこのペンダントがな……注文したのと違うって客に言われてな。昨日の夕方引き取って、そのときは満足げだったらしいんだが、深夜に店の問い合わせに怒りのメールを送ってきたらしくてな。今朝呼ばれて行ったわけだ」

 見せてもらったシルバーのペンダントは、センスのない俺にはよくわからないけれど、すごくお洒落に見える。これの何が不満だというんだろうか。

「打ち合わせしたデザイン画と照らし合わせても、ちゃんとそれ通りにできてんだよ。でも、客はご不満なんだな。何が不満かを確認しようとしてくれたみたいなんだが、注文したのと違うの一点張りだそうだ。仕方なく引き取ってきたけど、どうしたもんだか」

 中里は大きくため息を吐く。
 それはクレーマーというものではないのだろうか。

「それは……キャンセルすることは」

「信用問題に関わるからな。昨今はSNSですぐ評判が広がる。俺みたいに細々口コミでやってるような人間は、ちょっとのことで大ダメージだ」

 それはあまりに理不尽ではないだろうか。そう思うと同時に、中里の言っていることもわかるため、なんともいえない気持ちになる。こういうとき、大抵店側が悪く言われるのだ。

「まあ、店の方が客対応はしてくれるっていうから、大丈夫だとは思うんだがな。ペンダント引き取ってきたはいいが、どう直したもんだか」

「なんか……大変ですね」

「まあなあ。相手のあることだから、そりゃトラブるときはトラブるんだよ。けど、ここまで何言ってるかわかんねえことは俺も初めてだ」

 中里がため息をついたところでシェアハウスに着く。

「野口さん、話聞いてくれてありがとな。話したらちょっとすっきりしたわ」

 中里は微かに笑って部屋へ戻って行った。
 俺はなんだかむず痒い気持ちで部屋に戻った。

 人の話を聞いて感謝されたのって初めてかもしれない。

 坂崎との話がなければ、きっと俺は中里に何も聞かなかっただろう。気になっても、余計なことかもしれない、と何も言わなかっただろう。
 でも、だから俺は一人だったのだ、とすとんと納得した。相手に踏み込まなければ、相手もこちらに踏み込まない。結局、そうやって俺自身が壁を作っていたのだ。
 中里や坂崎がそれを気にせず踏み込んでくれたから、俺は成長できた。そのきっかけは、母親だ。母親が事前に俺のことを話してくれていたから、中里も坂崎も踏み込んできてくれたのだ。

 こらからは、自分で切り開いていかなければならない。
 中里の事情を聞けたのは、その一歩だった。坂崎の言葉を思い出して何の気無しに聞いたことだった。けれど、そういう何気ない一つ一つが、人との関係を構築していくものなのだろう。

 三十五年間生きてきて、今更こんなことに気付くなんて、本当に情けない。
 けれど、今日中里に踏み込んで、確かに何かが変わった気がするのだ。
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