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俺、働く

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 生まれて初めて働くことになった。それが三十五歳だっていうんだから、我ながら笑える。

 俺は初出勤の日、かつてないほど緊張しながら職場へ向かった。
 最初が肝心、最初が肝心、そう頭の中で繰り返しながら、元気な挨拶をシミュレーションする。

「おはやっ……おはようございます」

 噛んだ。
 なんだこのお決まりみたいなやつは。気まずくて俯く。

「おー、今日からの野口くんか。俺は相田だ。よろしく」

 声をかけてきたのは四十代半ばくらいのおっさんだった。中肉中背の、取り立てて特徴のないおっさん。ただ、優しそうな雰囲気でほっとする。

「はい、よろしくお願いします」

 俺は改めて姿勢を正して礼を言う。事務所内には他にも何人かおっさんがいて、バラバラによろしくーという声が聞こえる。

「今日は初日だから、仕事の流れと気をつけることを簡単に説明してから、一緒に見回りをしてもらうつもりだ。」

 相田はそう言いながらダンボールからガサゴソと何かを探している。

「はい、これ制服な。あとこれ、トランシーバー。そっちにロッカーあるから着替えてきて。これが鍵な」

 渡された制服を受け取り、促されるままロッカールームに入る。きょろきょろと見回し、野口のネームプレートの貼られたロッカーを見つけた。俺は言われた通りに着替えてから事務室に戻る。

「うん、サイズは大丈夫だな。じゃあこっちきてくれ」

 テーブルに促されるとそこには館内マップが広げられていた。

「今日見回ってもらうのはこのエリアな。見回ってる間に機器のチェックを行ってもらう。基本はそれなんだが、迷子がいたら迷子センター、急病人がいたらここの医務室に連れて行くこともある。どっちにしても持ち場を離れるときは必ず報告を入れること。あと怪しいやつな。一人で対処せず絶対に連絡して応援を呼ぶこと」

 相田はその後も見回る際特に注意する場所機器やAEDの場所、使い方等一通りの仕事内容を説明する。
 思っていた以上に気をつけることが多く、目を白黒させながらメモを取る。

「最後にこれが一番大事なことだ。もし、自分では判断できない、対処できない事態が発生したら、すぐに連絡すること。滅多なことはないが、このご時世いつ何が起きるかわからないからな」

 真剣な面持ちで言われ、こくこくと頷く。斡旋所で警備員の仕事内容を聞いた時、ただ見回ったり立ったりするだけなら簡単だな、と思った自分を恥じる。あんなに反省したのに、まだ俺はどこかで肉体労働を下に見ていたようだ。
 少し落ち込みつつ、しっかり言われたことをやろう、と己を奮い立たせる。

「そんじゃ早速見回りに行くぞ。一通り大丈夫だったら受付業務も教えてやる」

 さあ、初仕事だ。

 

 シェアハウスに戻った俺は、自室に入った瞬間にへたりこんだ。

 やばい。足がプルプル震える。

 走ったわけじゃない。見回っただけだ。歩いただけだ。当然力仕事なんてなかった。
 受付業務なんて出入り口に立っていただけだ。

 にも関わらず足は棒のようだ。
 こんなに大変なのか、立ち仕事は。

 このまま眠ってしまいたいが、そんな俺の考えを非難するようにお腹が鳴る。
 こんなに空腹を感じるのは久し振りだった。
 へろへろになりながらダイニングへ向かい、中里から夕飯を受け取る。

 美味い。いつもより美味しく感じる。

 ガツガツ一心不乱で食べていると視線を感じ、顔を上げると中里と目が合った。

「野口さん、今日はいい食べっぷりだね」

「……すごくお腹空いてて……」

「そっか」

 仕事のことを聞かれるかと思ったが、特に何も聞かれず、中里はそのままどこかへ移動していった。自分から話すのもはしゃいでいるみたいでどうかと思ったので、俺から何か言うこともなく食事に戻る。

 腹が膨れると途端に眠気がやってくる。自室に戻るとすぐにでもベッドに沈みたかった。しかし、明日も仕事がある。このまま寝るのはさすがにまずい。

 眠い目を擦りながらなんとかシャワーだけ浴びてベッドに倒れ込む。

 初めて感じる疲労感。しかし、悪くないと思った。
 
 この疲労感は俺が仕事をした証だ。

 あっという間に視界は黒に染まり、俺は夢の世界へ旅立った。
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