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俺、思い出す
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和樹に手を引かれリビングに連れて行かれる。
抵抗したかったが、さすがに小学二年生の手を振り払うことなどできない。というか、思いの外力が強い。掴まれている腕が痛い。握力どうなってんだよ小学生。
俺をソファに座らせて満足した様子の和樹は、いそいそと俺の隣に座る。
というか本当に中里はどこにいるんだ。
きょろきょろしていると、和樹はそんな俺の様子から中里を探していることに気付いたらしい。
「中里の兄ちゃんなら買い出しに行ってるぞ。俺帰ってきた時に玄関ですれ違ったから」
俺はその言葉に絶望した。つまり今この家には俺と和樹しかいないのだ。
和樹を誰にも押し付けることができないことがわかって諦めのため息をつく。
仕方ないと思って和樹の方を向くと、膝に大きな絆創膏が貼ってあることに気付いた。
「その怪我……」
思わず指摘すると、和樹は自分の膝に一度視線を投げ、すぐ俺に向き直った。
「これはサッカーやってて転んだんだ。でも、転びながら蹴ったボールがちゃんと決まったからな。メイヨノフショーってやつだ」
そう言う和樹の顔はどこか誇らしげだった。
俺は運動にいい思い出なんて何もないしサッカーなんて大嫌いである。だから、へーそうなんだ、としか思えない。しかし、和樹はそんな俺の内心など露とも気付かず、にこにこしながら話を続ける。
「俺将来サッカー選手になるんだー」
和樹は嬉しそうに将来の夢を語る。
全く興味のない俺は適当な相槌を打ちながらその音だけを捉えていた。しかし、将来の夢、と頭の中で復唱した時、ふと懐かしい記憶が頭を過ぎる。
そういえば、俺にも昔は夢があったな……。
そのまま古い記憶に意識が向こうとしたところで和樹に腕を引っ張られた。
「おじさん聞いてるー?」
「う……うん……サッカー選手になれるといいね」
俺のおざなりな返事に不満そうな和樹の顔に、どうしていいかわからずおろおろしていると、玄関からドアを開ける音が聞こえた。
中里が帰ってきたようだ。和樹も気付いたようで、一気に俺への関心をなくすのがわかる。
どたどたと玄関に向かって走り出す和樹を見送り、俺はそそくさと自室へ戻った。
部屋の隅に積まれたまま放置していた段ボールを開けるとそれはあった。
「……母さん……これ捨てなかったのか……」
それは、ちょっと草臥れたノートだった。
きっと、俺が昔これを大事にしていたのを覚えていたんだろうな。
俺はノートを掴む手にぎゅっと力を入れた。
そして、このノートを使っていたときのことを思い出す。
俺は子供の頃から内向的で、運動が嫌いだった。本を読むのが好きで、それこそ和樹くらいの歳から小説家になるのが夢だった。
ちょうど中学に上がる頃、周りでラノベが流行り始めた。俺もハマりにハマって夢中で読んでいた。
そして、俺は自分でも書こうと思ったのだ。
パラパラとノートを捲る。
そこには当時の俺が考えたキャラクターの設定やストーリーが事細かに書き込まれていた。
色々なことを想像して、自分だけの世界を作って物語を考えることはすごく楽しかった。次々と思い浮かぶアイデアは際限を知らず、時間がいくらあっても足りなかった。
愚かな俺は、学校にもノートを持っていき、休み時間も創作に勤しんでいた。
陰キャが休み時間一人でノートに向かってごりごり何かを書いている姿はそりゃ異様だっただろう。
思春期のイライラを抱えた奴らの格好の餌食になるのは必然だっただろう。それまでだってことあるごとに馬鹿にされていた。とはいえ、彼らは根っからの悪人ではなかったから、ひどくいじめられることはなく、からかわれるにとどまっていた。
そういう意味では、あの発言が一番堪えた。
俺はノートを奪われ、勝手に読まれたのだ。そして言われたのだ。
「なんだこれつまんねえ」
それだけだ。彼らはそれだけ言って俺にノートを返した。ノートを破られたわけではないし、しつこく絡まれたわけでもない。
でも、その言葉は俺に大きなダメージを与えた。
面白いと思った設定、作り込んだ世界観、わくわくする話の展開。そう信じていたものを否定され、俺は急に恥ずかしくなった。俺が自信満々に書いていたものは、つまらないものだったのだと。
俺はそれから小説を書くことをやめた。俺には才能がないんだと諦めた。このノートに新しく何かが書き込まれることはなくなった。
改めてノートを読んでみて思う。
「……本当にくそつまんねえ」
設定は矛盾だらけだしご都合展開すぎる。こりゃつまんねえって言われても仕方ない。
笑いがこみ上げてくる。
別に、もう小説家になりたいなんて思っていない。
けれど、俺にも夢があったんだと思うとたまらない気持ちになる。
俺は一体何をしているんだ。
こんな大人になりたかったわけじゃない。
普通でよかったんだ。
普通に働いて、普通に自立して、普通に生きていきたかったんだ。
俺はノートを投げ捨てた。
ノートはベッドの淵に当たって、バサリと音を立ててそのまま床へ落ちる。古びたノートの姿が、今の俺に重なる。
もっと早く、もっと早く気付いていれば、こんなに絶望しなかった。
俺はもう三十五歳なんだ。何もしないまま、三十五歳になってしまった。
今から取り戻せるだろうか。
普通に生きていくことができるのだろうか。
抵抗したかったが、さすがに小学二年生の手を振り払うことなどできない。というか、思いの外力が強い。掴まれている腕が痛い。握力どうなってんだよ小学生。
俺をソファに座らせて満足した様子の和樹は、いそいそと俺の隣に座る。
というか本当に中里はどこにいるんだ。
きょろきょろしていると、和樹はそんな俺の様子から中里を探していることに気付いたらしい。
「中里の兄ちゃんなら買い出しに行ってるぞ。俺帰ってきた時に玄関ですれ違ったから」
俺はその言葉に絶望した。つまり今この家には俺と和樹しかいないのだ。
和樹を誰にも押し付けることができないことがわかって諦めのため息をつく。
仕方ないと思って和樹の方を向くと、膝に大きな絆創膏が貼ってあることに気付いた。
「その怪我……」
思わず指摘すると、和樹は自分の膝に一度視線を投げ、すぐ俺に向き直った。
「これはサッカーやってて転んだんだ。でも、転びながら蹴ったボールがちゃんと決まったからな。メイヨノフショーってやつだ」
そう言う和樹の顔はどこか誇らしげだった。
俺は運動にいい思い出なんて何もないしサッカーなんて大嫌いである。だから、へーそうなんだ、としか思えない。しかし、和樹はそんな俺の内心など露とも気付かず、にこにこしながら話を続ける。
「俺将来サッカー選手になるんだー」
和樹は嬉しそうに将来の夢を語る。
全く興味のない俺は適当な相槌を打ちながらその音だけを捉えていた。しかし、将来の夢、と頭の中で復唱した時、ふと懐かしい記憶が頭を過ぎる。
そういえば、俺にも昔は夢があったな……。
そのまま古い記憶に意識が向こうとしたところで和樹に腕を引っ張られた。
「おじさん聞いてるー?」
「う……うん……サッカー選手になれるといいね」
俺のおざなりな返事に不満そうな和樹の顔に、どうしていいかわからずおろおろしていると、玄関からドアを開ける音が聞こえた。
中里が帰ってきたようだ。和樹も気付いたようで、一気に俺への関心をなくすのがわかる。
どたどたと玄関に向かって走り出す和樹を見送り、俺はそそくさと自室へ戻った。
部屋の隅に積まれたまま放置していた段ボールを開けるとそれはあった。
「……母さん……これ捨てなかったのか……」
それは、ちょっと草臥れたノートだった。
きっと、俺が昔これを大事にしていたのを覚えていたんだろうな。
俺はノートを掴む手にぎゅっと力を入れた。
そして、このノートを使っていたときのことを思い出す。
俺は子供の頃から内向的で、運動が嫌いだった。本を読むのが好きで、それこそ和樹くらいの歳から小説家になるのが夢だった。
ちょうど中学に上がる頃、周りでラノベが流行り始めた。俺もハマりにハマって夢中で読んでいた。
そして、俺は自分でも書こうと思ったのだ。
パラパラとノートを捲る。
そこには当時の俺が考えたキャラクターの設定やストーリーが事細かに書き込まれていた。
色々なことを想像して、自分だけの世界を作って物語を考えることはすごく楽しかった。次々と思い浮かぶアイデアは際限を知らず、時間がいくらあっても足りなかった。
愚かな俺は、学校にもノートを持っていき、休み時間も創作に勤しんでいた。
陰キャが休み時間一人でノートに向かってごりごり何かを書いている姿はそりゃ異様だっただろう。
思春期のイライラを抱えた奴らの格好の餌食になるのは必然だっただろう。それまでだってことあるごとに馬鹿にされていた。とはいえ、彼らは根っからの悪人ではなかったから、ひどくいじめられることはなく、からかわれるにとどまっていた。
そういう意味では、あの発言が一番堪えた。
俺はノートを奪われ、勝手に読まれたのだ。そして言われたのだ。
「なんだこれつまんねえ」
それだけだ。彼らはそれだけ言って俺にノートを返した。ノートを破られたわけではないし、しつこく絡まれたわけでもない。
でも、その言葉は俺に大きなダメージを与えた。
面白いと思った設定、作り込んだ世界観、わくわくする話の展開。そう信じていたものを否定され、俺は急に恥ずかしくなった。俺が自信満々に書いていたものは、つまらないものだったのだと。
俺はそれから小説を書くことをやめた。俺には才能がないんだと諦めた。このノートに新しく何かが書き込まれることはなくなった。
改めてノートを読んでみて思う。
「……本当にくそつまんねえ」
設定は矛盾だらけだしご都合展開すぎる。こりゃつまんねえって言われても仕方ない。
笑いがこみ上げてくる。
別に、もう小説家になりたいなんて思っていない。
けれど、俺にも夢があったんだと思うとたまらない気持ちになる。
俺は一体何をしているんだ。
こんな大人になりたかったわけじゃない。
普通でよかったんだ。
普通に働いて、普通に自立して、普通に生きていきたかったんだ。
俺はノートを投げ捨てた。
ノートはベッドの淵に当たって、バサリと音を立ててそのまま床へ落ちる。古びたノートの姿が、今の俺に重なる。
もっと早く、もっと早く気付いていれば、こんなに絶望しなかった。
俺はもう三十五歳なんだ。何もしないまま、三十五歳になってしまった。
今から取り戻せるだろうか。
普通に生きていくことができるのだろうか。
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