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21-1.これからは寂しくないはずです

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 ベルが、再度我が家にやって来る。今回は、前日に先触れがあった。父は仕事があるので急いで帰って来るが、ベルの到着には間に合わないという。皇弟殿下が来るというのだから、事前に確認をしているのではないのか。
 通常であれば、帝国の皇弟殿下が公爵家にたびたび訪れるということは考えにくいが、ベルと我が公爵家の関係を考えれば違和感はないらしい。それでよいのだろうか。

 僕は、朝から磨かれて、衣服を整えられ、貴人を迎える準備をする。

「ようこそお越しくださいました」

 やがて訪れたベルを、僕は一人で迎える。父が到着するまでは、二人きりだ。
 今日の本題は、ベルと僕の婚約に関わることだろう。皇弟殿下から国を通じて公爵家に正式な申込みをされてしまえば、断ることはできない。

 これまでのガブリエレ・デ・ヴィオラは、『しなければならないことを真面目に行うこと』を行動規範として生きてきた。
 前世の僕はどうだっただろうか。日を追うごとに薄らいでいく記憶を呼び起こそうとするけれど、何も思い浮かばない。
 僕はこれまで、真面目に自分に与えられた役割をこなすことを意識して生きてきた。しかし、自分の望みについてはあまり考えてこなかったような気がする。

「ガブリエレ様、先日のわたしの申し出について、お考えいただけましたか?
もう一度お願いいたします。どうか……わたしと結婚してください」

 応接室で、ベルが僕の前に跪いてそう告げる。
 おそらく、父とベルは、僕の意志を確認するために、先に二人きりの時間を作ったのだろうと思う。本来であれば、自分の意志を尊重されるということについて喜ぶべきなのだろう。

 けれども、決断のできていない僕は、戸惑うばかりだ。

 ベルの瑠璃色の瞳が、懇願するように僕に向けられる。

「僕は……」

 そうだ、僕はどうしたいのだ?

 ここで重要なことは、それだ。父からもリカルドからも諭されたことだ。ずっと考えていたのに、明確な答えは出てきていない。考えれば考えるほど、自分の望みがわからなくて、不安定になっていく。
 僕を見つめるベルの瑠璃色の瞳が、金粉を散らしたように煌めく。

 七歳のときから、僕を見つめ続ける美しい双眸。

 あのときまで、僕は、いつまでもこの瑠璃色と見つめ合っていられると思っていたのだ。いつまでも、何があっても僕の側にこの瞳はあって、僕を護ってくれると信じていた。ベルに見つめられるだけで、不安な気持ちはすべて解消された。
 そう、ベルが僕の元を去ると言ったあのときまで。

 その後、僕は、ベルを諦めた。そもそも、従者がいつまでも側にいることを信じていた自分が愚かだったのだと、そんな自分を切り捨てたのだ。

 僕が望んでいたことは、いつまでもベルが側にいること。それは、自ら『そうしたい』と考えなくてもその通りになるはずだった。僕はそれを信じていた。

 だけど、その通りにはならなかった。だから、すべてを諦めた。

 僕の感情が、ガブリエレのあのときの感情が、一気に溢れ出す。

「ベルが僕と結婚したいのならば、ルーチェ帝国の皇弟殿下としてフィオーレ王国に申し入れればすぐに了承されるだろう。たとえ、僕が拒否しようとも。
 なぜ、僕の意志を確認するような回りくどいことをするのだ」
「ガブリエレ様の了承なしに、結婚の話を進める気はありません。わたしは、ヴィオレ公爵家の子息と結婚したいのではなく、ガブリエレ様と結婚したいのです」

 ベルは僕の言葉を聞いて驚いたように目を見開くと、悲しそうな表情を浮かべてそう言った。

 どうしてそんな悲しそうな顔をするのだろう。僕から離れて行ったのは、ベルの方なのに。
 
「そもそもベルは、僕を捨てて行ったのに……、どうして今になって、結婚しようなどとわざわざ僕に言いに来るのだ」
「ガブリエレ様……、捨てられた?」
「そうだ。ベルはいつまでも僕の側にいると言っていた。それなのに、あの日僕を置いて出て行っただろう? ベルは、僕を捨てて行ったではないか。
 僕は……、僕は……」

 それ以上の言葉は出てこない。寂しかったと、泣きながら眠った夜が幾度もあったと、それを言葉にすることはどうしてもできない。
 ベルはそんな僕の様子を見て微笑みを浮かべると、立ち上がって僕の頭を胸に抱え込むように両腕を回した。

「ガブリエレ様、しばらくの間おひとりにして、寂しい思いをさせたことをお詫びいたします。どうか、わたしに一生貴方の側にいるお許しをください」
「寂しくなんかっ……、ひぅっ」
「わたしは、ガブリエレ様と十年以上一緒にいるのですよ。寂しかったという顔をしていらっしゃいます」

 どうやら僕は泣いているらしい。ベルの手が、僕の頭を撫でている。僕は、まるで子どものようだ。

 ベルの体温とベルの匂い、耳元で聞こえるベルの声。そのすべてによって、今までの不安が嘘のように消えていく。まるで、魔法をかけられているかのようだ。

「これからは、ずっと、いつまでもお側から離れませんから、どうか私と結婚して、一生貴方の従者でいさせてください。どうか……ガブリエレ様」
「本当に、僕の側から離れない……か?」
「はい、決してガブリエレ様の側から離れることはありません」
「いつまでも……?」
「ええ、いつまでも……」
「……ベル、手を緩めてくれないか」

 僕の言葉に従って、ベルが僕を胸から解放する。見上げると、ベルの瑠璃色の瞳がすぐそばにあった。それは、きらきらと金粉を散らしたような光を帯びた美しい瞳だ。

 僕はベルの頬に両手を添えて、その瑠璃色の瞳を見つめてから、深呼吸をした。そして、すっかり落ち着いた気持ちで言葉を紡ぐ。


 やっと気づいた僕の『どうしたいか』。それを叶えるための言葉を。


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