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13-2.捨てられました
しおりを挟むトマスの淹れてくれたお茶を飲みながら、自分の部屋のソファでぼんやりと時間を過ごしていると、扉が叩かれる音がした。
あの音はベルだ。
部屋へベルを招き入れ、トマスは察したように部屋から出て行った。
ベルがいつものように僕の前に跪く。
「ガブリエレ様、お暇のご挨拶に参りました。この後、お屋敷を離れます」
「ここを離れても、健やかに過ごせるように祈っているよ」
「ありがとうございます。ガブリエレ様のご無事をお祈りいたしております」
これまでの教育から外れない挨拶をして、僕たちは別れていく。
ベルが僕の手を握り、そして、手の甲に唇を落とした。これは、今までになかったことだ。
「ベルは、この後どこに行くつもりなのだ?」
僕はベルの瑠璃色の瞳を見つめる。ああ、この金粉を散らしたような美しい瞳を見るのもこれが最後になるんだ。
「わたしは、この後……、ルーチェ帝国に渡る予定です」
「ルーチェ帝国?」
ルーチェ帝国……ルーチェ帝国は、以前、皇帝の後継者が決まらなくて、内乱が起きる危険があるといわれていた。それは、僕が子どものころの話だ。何年か国の中が荒れていた。後継者が決まって、国情が安定したのが四年ほど前。国交正常化が進んで、ちょうど僕が学園に入る前に父が外交大使として訪問した。そう、ベルが父の秘書候補として、外交に同行した国だ。
もしかしたら、そのときに何かしらの縁ができていたのかもしれない。父の話から推察すると、僕が卒業して、王家に嫁ぐのと同時に新しい仕事に就く予定だったのだろう。例えば、政治関係者や貿易関係者との縁。それが、今の僕には教えられないほどの大物だと考えれば辻褄が合う。
僕の知らないところで、ベルは自分の身の振り方を決めていたのか。
『ハナサキ』でベルが僕を裏切るという設定だったのは、僕の元を離れるから、もう、僕は用無しになるから、それでだったのかな。
ゲームの『ハナサキ』とはかなりストーリーが変わってしまっているようだけど、僕がベルに捨てられるのは変わらないんだ……
「ルーチェ帝国に行くのだったら、もう、会うことはできなくなるね」
「……ガブリエレ様っ」
ルーチェ帝国は隣国で、国交もあるから行き来はできるだろう。だけど、公爵家から離れた従者に簡単に会うことはできない。そして、僕はこの後断罪されて処刑されるかもしれないのだ。
ベルが辛そうな顔をして、僕の頬に触れる。自分から僕を捨てて、僕から離れていくのにどうしてそんな顔をするのだろう。
ベルの長い指が、僕の頬を撫でる感触。それでわかった。
僕は涙を流している。
僕の中のガブリエレが、ベルと別れるのが悲しくて慟哭しているようだ。
「ベルは……、ベルは、いつまでも僕の側にいると言ったのではないのか……?」
「ガブリエレ様……わたしはっ」
声がうわずる。涙がぽろぽろと流れる。誰かの前でこんなに感情を表すなんて、公爵令息にはあるまじきことだ。
僕は、ガブリエレにこんな激しい感情があるとは思わなかった。そして、それは僕自身の感情でもある。僕はガブリエレであり、ガブリエレは僕なのだ。前世の記憶が蘇ってから、ガブリエレの感情が僕の感情と乖離しているような感覚があった。それが、一気になくなっていく。
悲しい。悲しい。悲しい。
どうしてガブリエレが、ベルにあれほどの接触を許していたのか。
それは、ガブリエレがベルを愛しているから。
ガブリエレがベルに裏切られて壊れてしまったのは、信頼だけではなく、愛情を彼に向けていたからだったのか。
「ベルは、僕の側にいつまでもいると言ったではないかっ……どうして、どうして……」
僕はベルの手を振り払って、その首にしがみつく。まるで小さな子どものように。
ガブリエレはヴィオレ公爵家の子息であり、第一王子リカルドの婚約者だ。自由な恋愛は許されない。いち従者に過ぎないベルがいくら優秀でも、その恋が成就することはない。
だから、ガブリエレは、その気持ちを押さえ込んだ。
自分でも気づかないように、無意識の奥底にしまい込んだ。
ベルはいつまでも自分の側にいてくれる。いつまでも、自分を守ってくれる。
それだけで満足しようと、無意識のなかに全て閉じ込めていたのに。
「いやだ……ベル、ベル……」
僕を捨てないで。
僕を置いて行かないで。
それは言葉にならない。僕はベルにしがみついてただひたすら、涙を流した。
ベルは僕の体を抱きしめると、僕のこめかみに口付けをした。
だめだよ、ベル。そんなことをされたら、まるで愛されているんじゃないかと誤解してしまう。
それからベルは僕が首にまわしている腕をゆるめると、僕の額に、頬に、口付けを落としていく。こんなことして、されて、いいのだろうか。最後だからいいのかな。
悲しすぎて、もう思考力がなくなっている。
「ガブリエレ様、わたしはあなたを愛しています。
言わずに立ち去ろうと思っていたのに、そんな顔をされては我慢できない」
ベルの唇が僕の唇に降りてくる。触れるだけの優しい口付けだ。
その唇から、魔力が吹き込まれたのがわかった。僕の意識は僕からどんどん離れていく。
ベル、ベル……
僕のことを愛しているのなら、どうして……
「ガブリエレ様、必ず……」
ベルは、金粉を散らしたような瑠璃色の瞳で僕を見つめている。
どうやら、笑顔で何か言っているらしい。
意識がなくなっていく僕には、それは聞こえない。
どうしてベルは、あんなにうれしそうな顔をしているんだろう。
僕から離れるのが、そんなにうれしいのだろうか。
次の朝、僕は自分の寝台で目覚めた。
これから僕は、ベルのいない毎日を過ごさなければならないのだという絶望とともに。
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