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58.恐怖心

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「では、話が終わったらすぐに迎えに来るから待っていてくれ」
「はい、クリスティアン様」

 アラステアは、図書室の自習室でクリスティアンの言葉に笑顔で答えた。
 クリスティアンとアルフレッドは、卒業式とその後のパーティーの運営について生徒会メンバーに助言を求められたため、生徒会室に向かった。王子が二人も在籍している学年の卒業式ということで、親の立場の王族が訪れる際の注意事項を聞きたいということらしい。当然、レイフも呼び出されている。
 今日は、ローランドが予定より少し早くなってしまった発情期休暇を取っている。クリスティアンが生徒会室に行ってしまうとアラステアが一人になってしまうが、既に約束をしてしまっているのだからそれを反故にするわけにはいかない。

「十分に気をつけるようにね」
「わずかな間のことです。僕だって子どもではないのだから、大丈夫ですよ」
「ああ、うん……、そうだな」

 クリスティアンはアラステアのなめらかな頬を名残惜し気に撫でると、図書室から生徒会室に向かった。

 クリスティアンはすぐに自分を迎えに来てくれるはずだ。
 アラステアはそう思いながら、課題に則した本を開き、その中の必要事項をノートに書き写し始めた。


「あれ? アラステア、ひとりかい? 珍しいな」
「ヘンリー殿下こそ、おひとりで図書室においでとは珍しいことですね」
「おいおい、俺だって勉強しなきゃなんないときはあるんだよ」
「これは失礼なことを申し上げました。うふふ」

 ヘンリーは、留学の成果を示すための論文を書くための書籍を探しに来たらしい。普段はともに過ごすことが多いヘンリーは、ノエルと過ごすときには別行動をとっている。間もなく帰国するヘンリーは、ノエルと過ごす時間をなるべく長くしたいのだとアラステアは思っていた。
 今日もノエルとの逢瀬を楽しむために別行動なのだろうという予想していたのだが、そうではなかったようだ。ヘンリーは図書室で書籍を探し、さらに論文に手をつけるために別行動をとっていたようだ。
 アラステアは、クリスティアンが迎えに来るまでヘンリーとともに自習室で学習をすることにした。ヘンリーはホストとして動くクリスティアンと同級にする必要があったために、Sクラスに在籍していたが、学院の学習レベルでいえばAクラス程度の学力だ。そのため、クリスティアンとローランド、そしてアラステアが学習について行けるようにいつもフォローをしていた。
 今回の留学の成果を示すための論文についても、クリスティアンがかなりの資料を提供してヘンリーを援助していたのだ。その関係で、ヘンリーの論文の内容についても、アラステアは把握していた。


「アラステアのおかげでかなり進んだな。ありがとう」
「それは良うございました。ちょうど僕もクリスティアン様を待っていて時間がありましたからね」

 ヘンリーが人好きのする笑みを浮かべて礼を言うので、アラステアも穏やかに答えを返す。そして、ヘンリーは手元の資料を集めて、鞄に詰め込み始めた。

「俺はそろそろ引き上げるよ。ひとつ……、借りていきたい書籍があるんだけど『大陸における近代流通史』、あれはどこにあったっけ?」
「ああ、あれはわかりにくい場所にあるのですよね。僕がとってきましょう」
「俺も行くよ」

 アラステアはヘンリーとともに書棚の間を抜けて、貿易や流通の関係書籍があるところまで行き、書棚の上を指さした。

「あそこにあります。護衛にはしごを登らせて取らせましょう」
「いや、あれぐらいなら、俺が手を伸ばせば届くから大丈夫だ」

 ヘンリーが本を取るために右手を伸ばす。その時に、ヘンリーの左側の手に握られていた小瓶からふわりと嗅ぎなれない香りがアラステアの鼻をかすめた。

「え……?」
「悪いな、アラステア」

 アラステアはくらりと眩暈に襲われた。
 気持ちが悪い。意識が朦朧としてきて、耐えきれずに床に蹲った。

「アラステアっ! 大丈夫か! 大変だ、アラステアが倒れた! 俺が医務室へ運んで行くから、お前たちはクリスティアンを呼んできてくれ!」

 アラステアの耳に、ヘンリーが護衛に命令をする声が聞こえてくる。

 違う。ヘンリーが何か、僕に……
 嫌だ。ヘンリーに運ばれたくない。
 気持ち悪い、誰か助けて……!

 アラステアが心の中で叫ぶ声が誰かに聞こえるはずもない。

 意識がぼんやりとして体が自由に動かない。そのことに恐怖心を抱いたまま、アラステアはヘンリーに抱きかかえられて運ばれていく。

 どれぐらいの距離を移動しただろうか。まだ学院内にいるということはわかるが、本当に医務室に運ばれているのかどうかが、アラステアにはわからなかった。
 ドアが開けられ、その部屋の中に運び込まれたアラステアは、ソファの上に下ろされた。

「アラステア、ここは学院内の王族や高位貴族の特別室だ。だから危険はないからね。
 君がどうしても幼馴染に会いたくないなんて頑固なことを言うから、ちょっと手荒なことをしちゃったよ」
「ヘンリー殿下、ありがとうございました」
「ああ、じゃあ幼馴染同士でゆっくり仲直りしてね」
「では、またあとで」

 ヘンリーと……誰かの会話がアラステアの耳に聞こえる。どちらかが部屋から出ていく気配がして……そして扉が閉まる音がする。

「アリー、ああアリー。会いたかった。話したかったよ……、可愛いアリー」

 アラステアが目を開くと、砂色の髪と青い瞳が見える。

 これは、エリオット? いったい何が起きているの……?

 体の動かないアラステアの恐怖心は、高まっていくばかりだ。

「ステイシー伯爵令息……。どうして……」
「ああアリー、昔のようにエリオットと呼んでおくれ。そして、昔のように仲良くしよう」

 エリオットの手が、アラステアの頬に伸びて来る。アラステアはそれから逃れようとするけれど、まだ体が自由に動かない。

「や……」
「アリー、アリーから芳しい香りがするよ。ああ、本当にレボリューションは起きたんだな。
 俺は、アリーのためにレボリューションを起こしてもらったんだよ」
「レボ……レボリューション?」
「そう、アリーを俺のものにするためにね……」

 エリオットは、身動きすることがままならないアラステアを両手で抱きしめた。



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