41 / 89
41.薄い本
しおりを挟む音楽祭は、前日のカフェテリアの騒ぎはまるでなかったかのような雰囲気で終了した。
むしろ、王子とその婚約者の演奏があったために盛況であったといえる。
午後からの武術祭も、『コイレボ』のイベントにあたるものはなく、例年通りの華やかさで観覧者を喜ばせた。
ノエルはエリオットと一緒に観覧席で武術祭を見ていた。その姿を見たアラステアは、このまま穏便に二人が幸せになってくれれば丸く収まるのではないかと思った。
現実問題として、ノエルがこのまま大人しくなることはないだろうけれど。
ヒューム伯爵令嬢は、公には同じ年に生まれた王子と『運命の番』であるという妄想に取りつかれていたこととなり、医療施設がある修道院に送られた。そこで数年を過ごし、症状が改善すれば一般修道院に移される。未成年であることから、本人の態度によっては修道院から出ることも可能である。しかし、貴族令嬢が若いうちから数年を修道院で過ごしてから、市井で生活することはかなり困難なこととなるだろう。
ヒューム伯爵令嬢は、恋愛小説をたくさん読んでいた。その影響で自分が第三王子の『運命の番』だという夢を現実に起きることだという妄想に取りつかれてしまったのだ。
アラステアは、そんなふうに噂され、やがて忘れられていく彼女のことを哀れだと思った。
「それで、ヒューム伯爵令嬢は『コイレボ』とかかわりのあるような記憶のある人だったの?」
ウォルトン公爵邸の四阿で、ローランドがアルフレッドとクリスティアンに質問をした。その声を聞きながら、アラステアは黙って薔薇の香りのお茶を飲み込む。
もちろん、アラステアもローランドと同じことを聞きたいと思っていた。しかし、それをストレートに聞くことはまだできないアラステアであった。
「ああ。どうやらヒューム伯爵令嬢も物語の記憶があったようだ。しかし、わたしが知っている『コイレボ』を改変したものの記憶だったのだが」
「改変したもの……ですか?」
自分の言葉に反応するアラステアの方を見て、クリスティアンは頷いた。
クリスティアンは、ヒューム伯爵令嬢の尋問内容を直接聞くことができるよう手配をした。通常、騎士団が尋問を行う部屋には、話を聞くことができる隣室がついている。尋問の日にそこへ足を運び、その内容を聞く。もちろん、事前に尋問する騎士に質問内容を渡してある。
「今後も運命だと付きまとわれては困るので、その妄想の出所を確認したい」
クリスティアンがそう告げれば、騎士は喜んで協力してくれた。おかげでクリスティアンは、ヒューム伯爵令嬢の記憶にあったという物語がどういうものかを推測することができたのだ。
「ヒューム伯爵令嬢の記憶にあったのは、どうやら『コイレボ』を好んでいる者が設定を使って作った二次創作による物語のようであった」
「二次創作による物語? どういうことなの?」
クリスティアンの言葉にローランドが首を傾げた。もちろん、アラステアもすぐにはわからない話であるし、アルフレッドも事前にクリスティアンから説明を受けていたから理解できた話だ。
クリスティアンの夢の記憶にある世界では、好きな物語の人物やその設定を使って新しい物語を作ることが盛んだった。それは文字通り『二次創作』と呼ばれ、物語や絵物語として創作され、場合によってはそれを印刷して『薄い本』を作り、皆に広めるということもなされていた。
どうやらヒューム伯爵令嬢には、『コイレボ』の設定を使った物語には登場しない第三王子と『運命の番』となる伯爵令嬢のことを書いた薄い本を読んでいた記憶があるようだ。
ダンスの合同授業で運命の出会いを果たした二人はその後控室で結ばれる。第三王子の婚約者はそれを知って愛を讃え、静かに身を引く。そして、公爵位を賜った第三王子と伯爵令嬢はたくさんの子どもに恵まれて幸せに過ごす。
その薄い本に書かれていた第三王子の婚約者は女性オメガであったため、ヒューム伯爵令嬢は男性オメガであるアラステアに違和感があったので、廊下で絡むことになったのだという。
「運命の番というのはフェロモンの相性が良いのだと言われていますが、そういう感覚は、クリスティアン様にはあったのですか?」
「いや、まったくなかったな。彼女も、あのあとフェロモンの数値に変化があったということはないようだ」
『運命の番』だと考えていたのであれば、何かしら体に兆候でもあったのではないかとアラステアは疑問を抱き、それを口にした。しかし、クリスティアンにはそのようなことはなかったと断言した。
そう、ヒューム伯爵令嬢は、最初にアラステアに絡んだ時にクリスティアンと近い距離で遭遇している。そこで『運命の番』だと認識されなかったのだから、現実問題としては物語通りにならないと考えるべきであった。
それは、主人公ノエルも同様だ。彼の場合は、物語の記憶があるクリスティアンに進行を邪魔されてはいる。しかし、物語が変化していることは認識できるはずなのだから、物語以外の行動をしなければ自分の望みは叶わないのではないのだろうか。
どうして、主人公を名乗る人たちは自分の記憶にある物語と合致しない部分に目を向けないのだろうか。自分の都合の良い結末が必ず訪れると思っているのだろうか。
アラステアは、温くなった薔薇の香りのお茶を再び口にした。気持ちを落ち着けるために。
「しかし、その二次創作とやらもこの世界に影響を与えている可能性があるのか。
ということは、ノエル・レイトンの頭の中の物語が、クリスティアンのものと異なっているかもしれぬのだな」
「……そうですね。ノエル・レイトン自身に探りを入れる時期に来ているのかもしれません」
アルフレッドとクリスティアンは今後の対応を考える。『強制力』とやらで、大切な婚約者が傷つけられることがないようにと考えてのことだ。
クリスティアンはその赤い瞳でアラステアの紫の瞳を見つめてから、手を握った。
「必ずわたしたちが、二人を守ってみせるよ」
「ああ、我らが必ず守る」
ローランドはアルフレッドに抱き寄せられて告げられた言葉を聞いて、静かに微笑んだ。
ローランドにはアルフレッドの気持ちが正確に伝わっているだろうが、アラステアにはクリスティアンの気持ちが正確に伝わっていないことだろう。
アルフレッドとローランドは、目の前で手を握り合うクリスティアンとアラステアを見て、何とも言えないもどかしさを感じていた。
1,449
お気に入りに追加
2,812
あなたにおすすめの小説
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい
みおな
恋愛
私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。
しかも、定番の悪役令嬢。
いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。
ですから婚約者の王子様。
私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます
冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。
そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。
しかも相手は妹のレナ。
最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。
夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。
最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。
それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。
「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」
確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。
言われるがままに、隣国へ向かった私。
その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。
ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。
※ざまぁパートは第16話〜です
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
転生先がヒロインに恋する悪役令息のモブ婚約者だったので、推しの為に身を引こうと思います
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【だって、私はただのモブですから】
10歳になったある日のこと。「婚約者」として現れた少年を見て思い出した。彼はヒロインに恋するも報われない悪役令息で、私の推しだった。そして私は名も無いモブ婚約者。ゲームのストーリー通りに進めば、彼と共に私も破滅まっしぐら。それを防ぐにはヒロインと彼が結ばれるしか無い。そこで私はゲームの知識を利用して、彼とヒロインとの仲を取り持つことにした――
※他サイトでも投稿中
そんなに嫌いなら、私は消えることを選びます。
秋月一花
恋愛
「お前はいつものろまで、クズで、私の引き立て役なのよ、お姉様」
私を蔑む視線を向けて、双子の妹がそう言った。
「本当、お前と違ってジュリーは賢くて、裁縫も刺繍も天才的だよ」
愛しそうな表情を浮かべて、妹を抱きしめるお父様。
「――あなたは、この家に要らないのよ」
扇子で私の頬を叩くお母様。
……そんなに私のことが嫌いなら、消えることを選びます。
消えた先で、私は『愛』を知ることが出来た。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる