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39.主人公だと
しおりを挟むヒューム伯爵令嬢は、瞳を潤ませながらクリスティアンを見ている。しかしクリスティアンは、冷ややかな眼差しを彼女に向けていた。
「クリスティアン様っ! どうか真実の愛に目を向けてください!
あんな……、本当は伯爵家の息子なのに侯爵家の名を騙る不届き者より、わたしの方がクリスティアン様に相応しいですっ!」
ヒューム伯爵令嬢は、貴族令嬢にしては大きな声で自説をまくし立てている。それを見るクリスティアンの表情は周囲の人間が震えるほどの冷たさであるが、彼女はそれに気づかないのか気にしていないのかわからないが、黙ることはない。
「クリスティアン様っ! わたしと結ばれれば、貴方は幸せになれるのですっ。あんな、あんな男よりわたしの方がっ!」
「黙れ。お前にわたしの名を呼ぶ許しを与えた覚えはない。そもそもラトリッジ侯爵令息に接近することは禁止されていたはずだ」
「ひっ……! だっ、だから、あの男には話しかけていませんわ」
自分の思うことを欲望のままに言い募るヒューム伯爵令嬢を、クリスティアンは抑揚のない声で威圧した。
「わたしの婚約者が侯爵家嫡子となったのも、彼とわたしの婚約が結ばれたのも、王家と議会の裁可によるもの。それを否定し、あまつさえ自分の方がわたしの婚約者に相応しいなどと言うことができると思うとは、それこそ不敬であろう」
「でもっ!」
「親しいどころか、話をしたこともないお前がわたしの婚約に口が出せるとなぜ思うのか」
「わたしとクリスティアン様は運命でっ!」
「校内であると様子を見ておったが、これ以上は許すわけにはいかぬ。疾く捕らえて連行せよ」
なおもクリスティアンの言葉に反論しようとするヒューム伯爵令嬢に業を煮やしたアルフレッドが、護衛騎士に捕縛を命じた。
本来であれば、クリスティアンもアルフレッドもカフェテリアで騒ぎなど起こしたくはない。ましてや今日は祭りのため、一部の保護者も学院を訪れているのだ。
しかしながら、それがわかっていて王子とその婚約者に自分の妄想をぶつけようとした伯爵令嬢に非があるのだ。それは、周囲の者もわかっているだろう。
「いやっ! 離しなさいよ。無礼者!」
ヒューム伯爵令嬢は護衛騎士に取り押さえられ、貴族令嬢とは思えない暴れっぷりを見せながら、騒いでいる。
「運命だなどとわけのわからないことを。いったいどちらが無礼なのだろうね」
「僕は、彼女に恨まれるようなことをした覚えはないのだけれど……」
「いや、クリスティアンの婚約者であるというだけで、彼女はアラステアを恨んでも良いと思っているのではないかな」
「でもあれは……」
ヒューム伯爵令嬢は、王族と高位貴族に対する無礼という点では、主人公ノエルよりも酷い。
アラステアは、確かに以前は伯爵令息であったが、そもそもが現ラトリッジ侯爵の直系の孫である。ラトリッジ侯爵家の嫡子になるにあたっての問題は何もなかった。まったく関係のないヒューム伯爵家の令嬢にとやかく言われるようなことではない。
オネスト王国では、王族や高位貴族に限らずすべての国民の婚約について、裁判所などを通して正式に不服申し立てをする制度はある。しかしそれは、自分と婚約関係を結ぶ予定であったのに不履行となったというような場合だけだ。結婚が重要な契約である高位貴族については、ほとんどそのような申し立てをされることは無いし、議会で婚約を決定する王族については言わずもがなだ。
その制度にしても、カフェテリアで他人を足止めして婚約について物申すなどという想定ではない。
そもそもヒューム伯爵令嬢は、クリスティアンとろくに口をきいたこともないのに、自分の方が相応しいなどと言えるのはどうしてなのだろうか。
それについては、当事者であるアラステアやクリスティアンだけでなく、カフェテリアにいる者ほぼ全員がそう思い、首を傾げていた。
「まあ、もう今日を限りにわたしたちがヒューム伯爵令嬢に会うことはないだろう。修道院行きか、医療施設行きかな……」
ローランドは、アラステアにぽつりとそう言い、いつものように美しい立ち姿でこの騒ぎを見つめていた。アラステアも、背筋を伸ばしてその隣に立つ。
今後のヒューム伯爵令嬢は、社交界の表舞台に立つことはおろか、誰かの後妻になることももう難しいだろう。友人だったディル子爵令嬢やベッカー男爵令嬢のように厳しい学校へ転校して教育を受けなおしていれば何とかなったのかもしれないが、既に遅い。彼女は王族に対して、取り繕えないほどの無礼を働いてしまったのだから。
主人公補正というものや物語の強制力は、彼女にはないものだったのだろう。
彼女は主人公ではないのだから。
しかし、次に発したヒューム伯爵令嬢の言葉に、アラステアもクリスティアンも、そしてローランドもアルフレッドも驚かされることになった。
「わたしは、主人公なのに……っ!」
ヒューム伯爵令嬢は、騎士に拘束されながらそう叫んだ。
「主人公だと……?」
「ああ、確かにそう言ったな」
「……調査することが増えましたね」
「あれは、最初にアラステアに絡んだ時も、ノエル・レイトンの名を出していたのだったな」
「はあ。あの時点でもっと調査しておくべきでした」
クリスティアンとアルフレッドは、ヒューム伯爵令嬢の言葉について検証する必要があると判断した。
クリスティアンの記憶にある物語には、ヒューム伯爵令嬢は登場しない。しかも、彼女は自分のことを『主人公』であると言ったのだから、ノエル・レイトンが主人公である『コイレボ』とは違う物語がこの世界で展開している可能性が出てきたのだ。
もちろん、ヒューム伯爵令嬢の妄想である可能性もある。だが、それは調査してみなければわからない。
また自分の手の者に調べさせることが増えた。
クリスティアンはそう考えて、小さなため息を吐いた。
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