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37.りんごの蜜漬け

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 アラステアたちはローランドの家に、重奏の練習をするために集まった。
 芸術祭で披露するのは、「愛のよろこび」というロマンチックでありながら軽やかな曲だ。
 しかし、アラステアもローランドも『コイレボ』のイベントの中身が気になって仕方がないようで、些細なミスを繰り返してしまう。

「ふむ。少し休憩して、二人を落ち着けてやった方が良さそうだな」

 アルフレッドがそう切り出し、一度休憩してクリスティアンに『コイレボ』の話をするように促した。

 ローランドは侍女に命じて隣の応接室にお茶の用意をさせる。温かいお茶を飲んでから、クリスティアンは話を切り出した。

「『コイレボ』では剣術祭で優勝した攻略対象が主人公に優勝杯を贈ることになっている」
「王族は剣術祭に出場できないよね……」
「そうなのだけれど、『コイレボ』の物語の中ではそのときに好感度の高い王子が、飛び入り参加をして優勝する。主人公のために優勝杯を手に入れるという流れだ」

 ローランドの言うとおり本来、王族は剣術祭には出場できないし、ましてや飛び入り参加などという迷惑なことはご法度だ。物語だから劇的な演出になっているのだろうけれど、この現実世界では難しいことだろう。
 愛する主人公のために、決まりを破ってでも望みをかなえてやりたい。それぐらい物語の中の王子は主人公を溺愛しているという設定なのだ。
 そして、優勝杯を手に入れて主人公に手渡した者が、結ばれる相手としてほぼ決定となる。しかし、このイベントは誰も優勝杯を手に入れないということもある。攻略対象の主人公への好感度が上がっていなければ、誰も優勝しないし、結ばれる相手の決定は先送りとなるのだ。

 現在の状況では、主人公のために剣術祭に出ようという者はいない。実際、現在一番仲が良いといえるエリオットですら出場したくないと言っていたのだ。
 どう考えても、現在の状況で攻略対象から優勝杯が贈られることはないのだが、カフェテリアの様子から考える限り、ノエルはそれを諦めていないのだろう。
 ノエルの攻略はうまくいっていないどころか、別の人生を考えた方が幸せになれるのではないかという状況だといえるのであるが。


 イベントの内容を聞いてアラステアとローランドが落ち着いたのをみてから、四人は重奏の練習を再開した。
 アラステアのピアノと、ローランドのヴァイオリン、クリスティアンのヴィオラ、アルフレッドのチェロが謳い、音楽の世界を作り上げる。
 四人の息が合っているので、素人演奏でもそれなりに皆が楽しんでくれるのではないかと思われる出来栄えだ。

 侍女や護衛騎士は、四人の演奏を聴くことができる幸せを噛み締めていた。

 練習の後は、再びお茶を楽しむ時間となる。

 今日のシフォンケーキには、クリームとともにラトリッジ領で加工されているりんごの蜜漬けが添えられている。ラトリッジのりんごの蜜漬けは主に製菓用として販売されているため、そのまま食べることはあまりない。ラトリッジ領でこれを食べたクリスティアンが、その美味しさをアルフレッドに話したため、今回のお茶の席に登場することになったのだ。

「おお、本当に美味だな。製菓用の材料を、我が口にすることなどないゆえ貴重だ」
「素晴らしいでしょう。コートネイ商会の小売部門で扱えば良いのにと思ったのですが」
「そのまま食べるために作られた小さな瓶詰は、ホーリー伯爵領のものが有名ですからね。ラトリッジとホーリーで棲み分けしているような状態なのです」
「わたしたちは、アラステアのおかげで貴重なものを食べることができたのか。本当に、美味しいよ」

 アルフレッドは嬉し気にりんごの蜜漬けを口に運び、クリスティアンとアラステアが生産の現状を説明する。
 ローランドは、りんごを侍女に追加させていた。余程気に入ったのだろう。


 りんごをのせたシフォンケーキを口にしながら、アラステアはクリスティアンの話を思い出していた。そう、『コイレボ』のことだ。

 例えばアルフレッドが主人公に夢中になっていたとすれば、王族が剣術祭に出場している現実があったのかもしれない。そんなことを考えていた。

 現在のアルフレッドは、愛するローランドが、「剣術祭で活躍するアルフレッドの姿が見たい」と強く望んだ場合はどうするだろう。おそらくアルフレッドは、王族が剣術祭に出ることができる特例を作ろうと画策するはずだ。
 実際には、ローランドはそんな非常識な人物ではないからそのようなことは起きない。そして、そういうローランドだからこそアルフレッドはあれほど溺愛しているのだろうということはわかっている。
 しかし、起きたかもしれない現実について、アラステアは考えてしまうのだ。

 溺愛している者が望めば、人間は何をするのかわからないのではないだろうか。
 その非常識さを受け入れるのか、それともそれをきっかけに厭うようになるのか。

 そのときになってみないと人間の思考は、行動は、わからない。

 アラステアは、優雅にお茶を口に運ぶクリスティアンを見る。

 現在仮初の婚約者であるこの王子は、そのような溺愛からは遠いところにいるように見える。
 それとも、愛する人ができたならば、この美しい王子もアルフレッドがローランドに示すような愛を相手に向けるのだろうか。

 アラステアは、そこから先を考えることはやめた。

 なぜか、心が痛いような気がした。しかし、それにも気づかないふりをすることに決めたのだった。

 りんごの蜜漬けは、ほろ苦い思いを隠したアラステアの口の中で甘く香っていた。

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