上 下
16 / 88

16.罪悪感

しおりを挟む
「は……、は?」
「……兄上」
「ああ、なんと素晴らしい提案でしょう。ぜひ、そのお話を進めましょう」

 アルフレッドの予想外の提案に、三人は完全に貴族の仮面が外れていた。アラステアはぽかんとしているし、名前をだされたクリスティアンは口元を抑えてアルフレッドを睨み、ローランドは満面の笑みで賛成をしている。アルフレッドだけが、王族らしい腹黒そうな笑顔を浮かべているのだ。

 アラステアは深呼吸をして気持ちを落ち着けようとするが、膝の上でハンカチを握る手が小刻みに震えている。

 アラステアが継承するラトリッジ侯爵家は、伝統ある家柄で家格も高い。第三王子であるクリスティアンが婿入りする家としては申し分ない。そのうえ、クリスティアンはアルファで、アラステアはオメガだ。王家は伝統があって裕福な侯爵家に第三王子を婿入りさせることができ、ラトリッジ侯爵家は優秀なアルファの婿が王家との縁を持ってくるのだ。王家にとってもラトリッジ侯爵家にとっても良い話だといえるだろう。
 だが、そうは言っても、第三王子の婚約というのは、簡単に決めることはできない、政治的で重大なことだ。
アルフレッドは、その重大なことを単なる茶会の冗談として口にしたのではない。アラステアにもそれはわかっている。


「そのように黙ってしまうとは。アラステアにとってはクリスティアンとの婚約は不本意かな? どうしても嫌だというのなら、この提案は取り下げるが」
「いえ、嫌だなどということは……ありません……」

 そう、アラステアはクリスティアンのことを嫌だなどと思わない。アラステアにとってのクリスティアンは、共通の話題も多く、ともにいて楽しく過ごせる親密な友人なのだ。
 貴族であれば、愛のない政略結婚をすることも多い。そう思えば、たとえ恋人に持つような恋情はなくとも、人柄も好ましいクリスティアンと婚約できることは、アラステアにとっては良いことでしかない。

 ただし、それは本当に婚姻に結びつく婚約であった場合のことだ。

 確かに登場人物としては存在しないクリスティアンと婚約してしまえば、物語を大きく変えることができる可能性が広がる。しかしそれは、婚姻に結びつく婚約といえるのか。王族の婚約という重大事をそんなことで決めてしまっても良いのだろうか。そして、望まぬ婚約でクリスティアンの人生を縛ってしまうことには問題はないのだろうか。

 アラステアは、心に引っかかっていることを口にする。

「そのように重大なことを、物語を変えるためになどという理由で進めてしまって良いのでしょうか?」
「いや、アラステアに拒否する気持ちがないのであれば、問題はない。
 そうだな、クリスティアン」
「はい兄上。わたしに異存はありません」

 それまで黙っていたクリスティアンは、その赤い瞳をアラステアに向けると、美しく微笑んだ。
 クリスティアンに見つめられたアラステアの頬に、熱が集まる。
 クリスティアンがそれで良いと言うのであれば、アラステアがそれ以上異論を差し挟むわけにはいかない。

「アラステアも……その顔では、それで良さそうだな」
「……はい、アルフレッド殿下の仰せのままに」
「よし、今後のことは我に任せるように。なに、もしも後になって好ましい婚約者候補が見つかれば、円満に解消すればよいことだ。ラトリッジ侯爵がどう反応するかわからぬが、我が説得しよう。
 ……我としてはそのまま婚姻を結んで欲しいがな」
「わあ、これで婚約成立だね、アラステア。クリスティアン、おめでとう!」

 アルフレッドが満足気に微笑んだのを見て歓声を上げたローランドは、離れた場所に控えさせていた侍女を呼び寄せ、新しいお茶を淹れるように命じた。
 この場でのこの話は、一旦終了だ。

 その後は、四人で茶会に相応しい芸術や文学の話をして過ごした。



 アラステアは、第三王子との婚約についての打診があったことだけをラトリッジ侯爵に伝えることになっている。
 帰宅して晩餐をとった後に、アラステアは今日の出来事を祖父母に話すことが習慣となっている。今日はジェラルドも同席しているので一度に話が終わるだろう。今はラトリッジ侯爵家の嫡子となっているアラステアであるが、コートネイ家の息子でもあるのだ。ジェラルドからジョナサンにうまく話を伝えてもらえるだろう。アラステアはそう考える程度に、兄を信頼していた。

「今日アルフレッド殿下から、内々にクリスティアン殿下との婚約の打診を受けました」
「えっ、やったな! アラステア!」
「まあまあ、良かったこと」

 アラステアは、自分が思っているよりも前向きな反応がジェラルドと祖母から出て来たことに驚いた。
 こういうことは、慎重に検討することなのではないのだろうか?
 皆の反応に首を傾げるアラステアであったが、祖父母やジェラルドはそういう話がいずれ出るのではないかと考えていたようだ。

「アラステアもクリスティアン殿下に対しては、良い感情を抱いているようだし、釣り合いも良いからな」

 祖父はそう言って、香りを楽しむように手元のブランデーを口に含んだ。

 アルフレッド第一王子には既にローランドという婚約者がいる。レイフ第二王子の婚約者は未だ正式には結ばれていないものの、ベアトリス・アッシュフィールド公爵令嬢でほぼ決定している。しかし、クリスティアン第三王子には、これまで婚約の話が出たことがなかった。
 優秀なアルファの美しい王子。王位からは遠いが、婿に欲しい高位貴族はいくらでもいるだろう。しかし王家は、婚約者を探してもいなかったのだ。

「そんなクリスティアン殿下がオメガのアラステアと仲が良いということになれば、わしらもいろいろと考えることがある。
 まあ、クリスティアン殿下は婿に来てくださるだろう。アラステアがずっとわしらと一緒にいて、幸せになってくれるのならば言うことはない」
「そういえば、俺が学院在学中にアルフレッド殿下にアラステアのことを聞かれたことがあるのは、そういう意図もあったのかもしれないな」
「そのようなことがあったの?」
「そう、俺が二年のときにね……」

 祖父母とジェラルドの話は、どんどん盛り上がっていく。アラステアは、『コイレボ』の物語を変えるためにクリスティアンと婚約するのだと思うと罪悪感に苛まれたが、そのようなことを話すわけにはいかない。

 自分は、素直に喜んでくれている三人を騙しているのだ。

 アラステアはどうしてもそんな風に考えてしまう。楽し気な三人の話を聞きながら、アラステアは気持ちを落ち着けるためにハーブティーを口にした。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】聖人君子で有名な王子に脅されている件

綿貫 ぶろみ
BL
オメガが保護という名目で貴族のオモチャにされる事がいやだった主人公は、オメガである事を隠して生きていた。田舎で悠々自適な生活を送る主人公の元に王子が現れ、いきなり「番になれ」と要求してきて・・・ オメガバース作品となっております。R18にはならないゆるふわ作品です。7時18時更新です。 皆様の反応を見つつ続きを書けたらと思ってます。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛想を尽かした女と尽かされた男

火野村志紀
恋愛
※全16話となります。 「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

処理中です...