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9.攻略対象と悪役令息
しおりを挟むアラステアは、ウォルトン公爵家のお茶会のために朝早くから湯に入れられ、マッサージをされて磨かれた。お茶会に行く前に既に疲れ切ってしまっている。
しかしそんなことは言っていられない。アラステアは、魔導車に乗ってウォルトン公爵家に向かう間も背筋を伸ばして緊張していた。
「アラステア、よく来てくれたね」
大きなウォルトン公爵家の玄関ホールで、アラステアはローランドに迎えられた。公爵家の屋敷は、豪華で品のよい設えだ。そこでは、ウォルトン公爵と公爵夫人の迎えもあって、アラステアは恐縮した。公爵閣下と元王女の令夫人が未成年の侯爵令息を出迎えてくれるなど、大歓迎にもほどがある。子どものお茶会だからと侍女が会場へ案内してくれるのだろうと考えていたアラステアは、緊張のあまり指先が冷たくなった。
「ラトリッジ侯爵が嫡子、アラステアと申します。お目にかかれて光栄でございます」
「堅苦しい挨拶は抜きにしてくれたまえ。ローランドに学友ができたと聞いて、会うのを楽しみにしていたのだよ」
「まあ、清楚で綺麗な方ね。ローランドが可愛いと言っているのがよくわかるわ。
今日はお茶会を楽しんでいってね」
公爵夫妻の美しい笑顔と好意的な態度に、アラステアは少しばかり安心をした。そして、全員がアラステアを迎えているのだから、まだ他のお客様は来ていないのだろうと思った。
他にどのような人が来るのかは教えてもらっていないけれど、自分が先に席に座っていれば、あまり緊張しなくてすむかもしれないと、アラステアは考えた。
そんなことを考えていて、アラステアは、少しばかり油断していたのかもしれない。
ローランドに連れられて案内された部屋は、大きなガラスが入ったソラリウムで、そこから見える庭園には見事な薔薇が植えられていた。
しかし、アラステアはその素晴らしい部屋よりも、既に着席していた人物を見て驚いた。
「ようこそ、アラステア」
「待っていたよ。さあさあ座って」
「アルフレッド殿下と、クリスティアン殿下……?」
ここは校内ではない。アラステアは慌てて、正式な礼を取る。
王族を待たせていたのだと思うだけで、アラステアの動悸が激しくなっていく。あれほど祖母から礼儀について厳しく指導をされていたのにこのような事態になってしまった。アラステアは心臓が口から飛び出そうな気持になっていた。だが、表情にそれを出すわけにはいかない。
アルフレッドとクリスティアンはアラステアがそこまで緊張しているなどと想像もしていない。いつも学院で一緒に課題に取り組んだりランチを食べたりしている仲なのだ。
二人の頭の中には、アラステアの礼の姿勢や立ち居振る舞いが美しくなったという感嘆がまず浮かんでいたのだった。
「アラステア、アルフレッドとクリスティアンは今日は王子ではなくてわたしの従兄弟として来てくれたんだ。だから、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」
眩暈がして倒れそうになっているアラステアを助けてくれたのは、ローランドの言葉だった。
「ローランド……」
「正式なお茶会ではあるけれど、二人にそんな気を使わなくて良いからね」
ローランドはアラステアに椅子を勧め、侍女にお茶の用意をさせる。
シーラン島で栽培された芳醇な香りの紅茶と、クリームたっぷりのシフォンケーキを供されて、アラステアは目を輝かせた。他にもチョコレートのパウンドケーキや小さなフルーツタルト、ナッツクッキーなど、供されている紅茶に合うお菓子が並べられ、お茶会は始まった。
美味しいお菓子と楽しい会話。アラステアは、腹の探り合いになった時の対処方法についてジェラルドから教示されていたが、今日はそのようなものは必要なさそうだった。
「では、アラステアの香油はコートネイ商会で独自開発されたものなのかい?」
「はい、兄が開発した、試作段階のものですが。香りが安定するような油の加工がされているのが、特徴なのです。実際に、僕が使い切るまで、香りに変化はありませんでした。これからも、いくつかのブレンドを試す予定になっています」
「あの香油は、本当に良い香りだったのですよ。兄上」
「ふむ、好きな香りを調合できるというのも、興味深いな。アラステア、商品化されたら、すぐに我に教えるように」
「かしこまりました」
アルフレッドは、クリスティアンからアラステアの香油についての話を聞いたらしい。王族の御用達となれば、コートネイ商会の宣伝にもなるだろう。商売の役に立つことができた。そう考えたアラステアは、心の中で喜びをかみしめた。
「やはり、ジェラルド・コートネイは有能だな。我の側近に欲しかった」
「兄上、彼は、ジェラルド・コートネイは『攻略対象』ですからね。それは有能に決まっているでしょう」
「いや、有能でない攻略対象もいるぞ」
「ああ、もうそのお話をするのね」
また、よく知らない『攻略対象』という言葉が出てきた。いつものように三人が、アラステアにわからない話を始めたところで、ローランドは心得たように、侍女に話の聞こえない場所まで下がるよう指示を出している。
どうやら、このよくわからない話はあまり知られてはいけないものなのだと、アラステアは思った。
でも、それならどうして自分の前では、その話をしているのだろうか。今の流れで行くと、自分の兄に関係があるからだろうか。
「アラステア、わけのわからない話に参加させられているように感じるだろう?」
「いえ、あの」
クリスティアンがその赤い瞳をアラステアに向けながら美しい笑顔を作る。
「やがてアラステアは、わたしたちがしている話に巻き込まれるだろう。いや、もう巻き込まれつつあるかな。知らないで巻き込まれるよりは、知っていて酷い目に遭わないように準備しておいた方が良いと思わないかい?」
「酷い目に遭わないように……?」
クリスティアンはときどき未来が予測できているようなことを語る。そして、それを変えていく気であることも。
これは、その話なのだろうかとアラステアは戸惑いながらも考えた。
「クリスティアン殿下は、先見ができるのですか? 先ほど兄のことを攻略対象だとおっしゃったのと関係が?」
「うん、そうだね、僕の兄、アルフレッド・オネストと、君の兄、ジェラルド・コートネイは『攻略対象』だ」
「え……?」
「そして、君とローランドは『悪役令息』なんだよ」
「悪役令息……?」
アラステアは、クリスティアンの口から次々に出てくる知らない言葉に困惑した。
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