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4.聞きなれないイベントという言葉
しおりを挟むアラステアは自分の名前を聞き返すエリオットの声が低くなるのを耳にして、途中まで作った笑顔を凍らせたまま頷いた。それに続くエリオットの声は、更に不穏なものとなっている。アラステアは直前にローランドが『挨拶だけ』と助言してくれたことをありがたく思いながら、それを口にした。
「あの、同じ学校に通うのだから、挨拶をしておこうかと思ったのだけれど……」
「なあ、馴れ馴れしくするのはやめてくれないか? 俺は父親から親同士の付き合いでの都合で病気の小汚い子どもと遊ぶようにって言われて、優しくしてやっただけなんだよ。
婚約者ヅラして近寄ってこないで欲しいんだ。もう、話しかけてこないでくれ」
その汚いものを見るような目も、低い恫喝するような声も、アラステアがこれまで他人から向けられたことはないほどひどいものだった。悪意に満ちたエリオットの様子に、アラステアは身を竦ませたまま何も言えなくなってしまったのだ。
エリオットはくるりと踵を返すとその場を立ち去って行く。
「へえ、あれがお前の言ってた強引に婚約しようとしてる幼馴染か」
「話ほどみっともなくないじゃないか。小汚いとか言われてカワイソーって感じ」
「うるせえ。付きまとわれる俺からしたらただのごみ屑だ」
「ま、しつこくされたら嫌だよなあ。田舎貴族の子どもだから身の程知らずなんだろう」
エリオットは友人たちにもアラステアのことを悪く伝えているのだろう。アラステアに対する中傷を何でもないことのように話しながら、エリオットとその友人たちは校舎の中に入って行った。
貴族に生まれたからには、人前で泣くわけにはいかない。それは、幼いころから、そしてアラステアの第二性が判明した十二歳の頃からは、更に厳しく言い聞かされてきたことだ。熱くなる目元に力を入れて涙を堪えていると、頭が痛くなってくる。それでも涙を流さずにいたアラステアを、ふわっと暖かいものが包んだ。
「随分と酷い態度を取る幼馴染だ。よく耐えたね」
ローランドが立ち尽くすアラステアを抱きしめて、耳元でそう囁いてくれた。幼馴染のエリオットより、出会ったばかりのローランドの方が思いやりに溢れている。
「ありがとう……ローランド」
アラステアは、ローランドのやさしさに身を委ねた。周囲から見れば、オメガがオメガを抱きしめているのは不思議な光景に見えるだろう。しかし、ウォルトン公爵家のローランドに誰が何を言うことができるのだろうか。
「おや、ローランド、学院の中で堂々と浮気かい?」
しかしそこに現れたのは、ローランドに気軽に声をかけることができる人物だった。
「アルフレッド様、浮気ではございません」
ローランドは顔を上げ、声をかけた人物、そう婚約者のアルフレッドを睨みつけた。
ローランドが呼んだ名前を聞いて、アラステアは慌てて体を離し、礼を取った。アルフレッドの隣には、クリスティアンもいる。予期せぬ王族の登場に、先ほどの悪意を受けたときの衝撃は飛んで行ってしまった。ローランドに触れるなど不敬だという理由で罰せられることはないだろうかと。アラステアの心臓の鼓動は破裂するのではないかと思うぐらい激しくなる。
「ここは学院内だ。堅苦しくせずとも良い。名を聞かせてくれ」
「はい、ラトリッジ侯爵家のアラステアと申します」
「ああ、君がラトリッジ侯爵の言っていた大切な孫か。なるほど、ラトリッジ家の紫の瞳だ」
アルフレッドの許しを得たアラステアが顔を上げて名を名乗ると、クリスティアンが事情を知っているらしく、ラトリッジ家の話を口にする。
「わたしたちは友人になったのです。アルフレッド様でも邪魔はさせませんよ」
「ふむ。ローランドに友人ができたというのは喜ぶべきことなのだろうな」
「ええ、オメガ同士でしかできない話もできるようになるでしょうし」
「少しばかり妬けるが、仕方なかろう」
笑顔で話し合う二人は、巷間で囁かれる通り仲の良い婚約者であるようだ。その場に何の違和感もなく溶け込んでいるクリスティアンとも仲が良いのだろう。彼らこそ、仲の良い幼馴染だと言っても良いのだろう。
それと比べて自分はなんと惨めなことかとアラステアは思った。
幼馴染のエリオットがアラステアに優しくしてくれたのは、父親であるステイシー伯爵に命じられていたからなのだ。エリオットからは、もう話しかけるなとまで言われてしまった。そう、言葉通り話しかけるのはやめよう。そして……、ラトリッジの祖父母にこの話をして、婚約の話などはなくしてもらおう。もともとラトリッジ家はステイシー家からの婚約の申し出に乗り気ではなかった。断るための良い口実になるだろう。
アラステアは三人の話をぼんやりと聞きながら、そのようなことを考えていた。
「兄上、そろそろイベントの時刻なのでご注意ください」
「なんだ、場所を違えていても、何か起きるのか?」
クリスティアンの言葉に反応して、アルフレッドが驚いたような仕草を見せる。それは、本心から驚いている様子でもないとアラステアが見てもわかるものだったが。しかし、『イベント』という聞きなれない言葉にアラステアは首を傾げた。
「ええ、物語の強制力というものがございますから」
「ああ、それでロッドフォード様とダルトン様と一緒にいらっしゃらないのですね」
「そうだよ。何も起こらないと良いのだけれどね」
ローランドも事情がわかっているような話を続けている。話題になっているサミュエル・ロッドフォードはロッドフォード侯爵家の嫡男で現宰相の子息であり、ティモシー・ダルトンはダルトン伯爵家の次男で騎士団長の子息だ。いつもはともにいるのに、現在は身を遠ざけているのだなということがわかる会話についていけず、アラステアはただ黙ってその場に佇んでいた。
すると、アルフレッドに向かって走って来るピンク色の髪の小柄な少年の姿が見えた。
「あっ危ないっ!」
アラステアはその様子を見て思わず声を上げた。
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