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その14

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「ちょっと、サージ! お姉さまにくっつき過ぎじゃない?」
 御者台に座るサージの耳に不満を隠しきらないリーザの甲高い声が届く。その指摘の通り、ローザは魅力的な曲線を描く身体のラインを半ば押し付けるように彼の隣に腰を降ろしていた。馬を操る手綱がなければ、抱き着いていたと思われるほどである。
「俺が座っている隣にローザが来たんだ。俺に文句を言うのはおかしい」
「夫婦なのだから当然でしょう。うふふ」
 サージの主張にローザは微笑を浮かべながら妹達に言い聞かせる。
「ああ、だから俺も暑苦しいのを我慢している。まあ、感触は悪くはないが・・・それとも今から配役を変えるか?! リーザ、お前の平たい胸なら堅いが涼しそうだ!」
「お、お姉さまに寄り添われていながら、暑苦しい! いや?! 私の胸が平たいって!」
 一般的な価値観を持った男なら演技だとしてもローザのような豊満な女性に身体を預けられたら、決して文句など出て来ないだろう。だが、誰であっても自分の考えを曲げないのがサージという男だった。また、リーザからすれば自慢の姉と自分を蔑ろにされたとして、更に声を荒げた。
「リーザ! それ以上は! そろそろ町が見えて来ました。マイスターミリアもよろしいでしょうか?」
 暑苦しいと言われたローザだが、特に気にせずリーザを窘める。
「ええ、了解!」
 サージが御者を務める幌付きの荷台の奥には、様々な荷物の中に大きな樽が二つほど含まれており、その一つから仲間達のやり取りを眺めていたミリアが頭を引っ込めると、リーザが素早く蓋をする。窮屈ではあるが、目立つ彼女はここに隠れてジェダが治めるコンサーラ領の城下町に入るつもりなのだ。
 準備が整ったところでサージは手綱を操り、町の出入口である通用門へと馬車を進ませた。

 ジェダ領内に潜入するに際してサージ達は行商人の夫婦を装う策を選択していた。行商人ならミリアが隠れる樽を含めた多くの商材を持ち込んでも不思議ではなく、夫婦とその姉妹の三人ならば男一人と女二人の組み合わせでも何ら不自然でない。極めて合理的な策と言えた。
 夫役は当然ながら唯一の男であるサージが務め、妻役も順当にローザと決まる。姉夫婦に付き添う未婚の妹はいても、妹夫婦に未婚の姉の組み合わせは一般的とは言えないからだ。
 そのような事情があり、ローザは仲睦まじい夫婦を装っていたのである。年下の夫を溺愛する姉さん女房として。
 やがてサージ達は門番からの簡単な質問と通行税の支払いを終えると、低い壁に覆われた町中へと潜入する。樽の中身を調べられた場合への対策も考えていたのだが、幸いなことにそれは杞憂に終わった。もっとも、コンサーラ領は表向きには平和で安定した領地を装っているのである。門番や衛兵による旅人への追及が厳しければ、噂になるはずである。それはジェダが自身で煙を立てることと同義である。城下町までなら警備が甘いのは想定内だった。

 だが、門を越えて町中に入ったサージは本能的な違和感を覚える。一見すればコンサーラの城下町は何の変哲もない中規模の地方都市といった佇まいだ。通りはそれなりに活気があり、店先に並べられている商品も豊富である。
 だが、サージの勘は直ぐに違和感の正体を見抜いた。街並みが綺麗すぎるのと子供の姿が全く見当たらないのだ。どこの町でも何かしらのゴミは落ちており、昼間は子供が走り回る光景と甲高い声が聞こえるものである。それがこの町には一切なかった。
 町の人口を一定に揃えるなら、生産性の低い子供は間引きの真っ先の候補となるし、血液の供給元として無垢で若い子供は貴重だ。バンパイアが新鮮な獲物を放っておくはずがなかった。
 更に彼は、町に入ってから肌がざらつく様な嫌な気配も感じとっていた。これは敵意を持つ者から意識を向けられている証である。何者かが自分達を監視しているのだ。

「ローザ、気付いたか? この町は綺麗過ぎるし、子供が全く見当たらない。それに見張られているようだ」
 隣に寄り添う妻役のローザの耳に向けてサージは囁くように告げる。
「ふふふ。ええ、私も同じことを感じていました。・・・たぶん、人間ではありませんね?」
 それにローザは照れたような笑顔を浮かべながら答える。傍から見れば、夫であるサージが妻であるローザに歯の浮く台詞でも語ったように見えただろう。
「ああ、この肌をヤスリで擦るような気配は・・・人間ではないだろうな」
 ローザの質問にサージは僅かに口角を上げて頷く。彼女とリーザの姉妹は戦闘要員として勘定していなかったが、監視の気配とその正体にまで気付いたことで、それなりの腕の持ち主だと認めたのである。
「もっとも、町を包むクソったれな気配の元凶あそこからだな・・・」
 仲間が足手纏いでないことを知ったサージは、町を見下ろすように立つ城を睨みつけるとローザに告げる。

 ジェダの居城は城下町から少し離れた丘の上に聳えていた。もっと規模の大きい街ならば、街そのものを要塞として、更にその中に強固な城を築くのだが、伯爵程度の貴族では分割にした方が、都合が良かったのだろう。
 下手に籠城戦となれば住民すべての衣食住を確保しなければならない。地方領主にそれは負担が多すぎた。あるいはバンパイアからは家畜や食料に過ぎない人間達との関係を表わしているのかもしれない。
 いずれにしてもサージ達は監視のある敵地の中、無害な旅人を装うため、まずは宿屋を目指した。
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