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第二十一話

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 第五層で新たに発見した下層への階段を下り終え、平行に伸びる通路を前にしたところでエスティはこれまで以上に、上質のエメラルドを思わせる緑の瞳でその先を値踏みしていた。メルシアが杖の先に灯した〝灯り〟によって数十歩先には第六階層に繋がる扉が見える。
「なんか、怪しいのよね。この通路・・・」
 前方から視線を外さずにエスティは呟く。これまでは何事もなく順調に進んで来られたが、何かが彼女の盗賊、あるいは冒険者としての勘を刺激したようだ。
 もっとも、レイガルにはこれまでと同じ整然とした石造りの通路にしか感じられない。
「皆、不測の事態に備えて!前衛はあたしとレイガルで!メルシアは援護を、マイラは後ろで待機!」
「・・・わかりました!」
 その言葉にマイラが率先して反応する。彼女は寝ているコリンを背負っている。戦うには彼を降ろす必要があった。そして、レイガルとメルシアに至ってはリーダーの言葉を信じて無言で頷くだけだ。
 準備が整うと、エスティは目配せをしながら、こんな時のために用意している小石を通路に向かって投げつけた。
 小石は乾いた音を響かせながら二度ほどバウンドすると何事もなく動きを止める。通路は再び静寂が支配し、微かに聞こえるのは自分と仲間の呼吸音だけだ。
「・・・何もなかったわね。あそこだけ石の置き方が単調だから何か・・・」
 当てが外れて、照れ笑いを浮かべるエスティだったが、言い終わらないうちにその整った顔を引き攣らせる。あろうことか、それまで硬い石床と思っていた通路が、まるで時化の海原のように激しくのたうち始めたからだ。
 やがて床から軟体生物の足を思わせる複数の触手が生えだすと、投げ付けられた小石を目掛けて攻撃を行う。
 それは奇妙でおぞましい存在だったが、疑似的な知能は宿しているのだろう。自身の縄張りに入った獲物が小石に過ぎないことを知ると、もっと手応えのある敵を探すように触手の先端を震わせながら周囲を警戒する。そして、何かしらの方法でレイガル達を察したのか、飢えた狼の如き速さで襲い掛かった。
「気味が悪い!」
 悪態を吐きながらエスティは攻撃を交わし、レイガルも盾で触手を弾きながら同時に剣の切っ先で反撃を与える。流体化した石のように見える敵の身体だが、それに相応しい重い手応えを彼に伝えた。やったことはなかったが、固めた土の柱に斬り掛かればこのような感触を得るのかもしれない。
 予め備えていただけに初撃をやり過ごしたレイガルとエスティだが、本格的な反撃には躊躇していた。状況からして迂闊に飛び込むのは危険と思われたからだ。
「〝火球〟を使います!」
 メルシアの警告が耳に届くと同時に二人は弾かれたように後方に飛び退いた。更にレイガルは身を屈めて盾を前面に突き出して爆発に備える。エスティが彼の影に入ると同時に激しい炸裂音が鼓膜を襲い、一瞬遅れて熱波が身体を包む。
 効果の範囲外のはずだが、余波だけでもそれだけの力があった。初めて出合った頃に比べると格段にメルシアの〝火球〟は威力を増していた。
 耳鳴りを無視して身を起こしたレイガルは、千切れかけた触手が緩慢にこちらに迫る姿を目にすると止めを刺すために剣を振り上げた。

「皆、よくやったわ! 特にメルシア。でも、魔力は大丈夫?」
「・・・ええ、何とか。今のはフロアイーターと呼ばれるミミックの上位種とされる怪物です。擬似的な命を与えられた魔法生物で、大きさからしてかなりの耐久力があったことでしょう。火球を使うのが最も効果的と判断しました」
 通路に擬態していた謎の怪物を倒すとエスティはメルシアを労わる。口では平静を保っているが、彼女の表情には疲労の色が強く出ている。先程の〝開錠〝でかなりの魔力を消費していたはずなので、無理をしたに違いなかった。
 もっとも、メルシアの尽力はパーティーに計り知れない恩恵となった。あの直面で火球の援護があったからこそ、大きな被害もなく敵を倒すことが出来たのだ。そして、仮初めの命を絶たれた通路は元の硬く冷たい石造りの通路に戻っていた。
「二人も大丈夫ね?」
「はい。問題ありません」」
「では、行きましょう。もうこの通路は安全よ!」
 更にエスティは起き出したコリンの世話をするマイラに出発の確認を行う。
「なんだ、俺のことは気にしてくれないのか?」
 レイガルが戯けた調子で問い掛けるが、エスティは柳眉を下げながら鼻で笑うと彼の胸元をやんわりと叩く。どうやら、下らないことを聞くなという意思表示のようだ。
 こうして第六層の洗礼を受けたレイガル達は更に奥、未知の領域へと向かうのだった。

 扉の先にはこれまでと同じく石造りの通路が続いており、第六層は密閉型の階層であることが伺えた。本来なら、通路の合間に時折姿を現わす部屋を順に探索するはずなのだが、レイガル達は先を急ぐためにその全てを無視して幾つかの辻や十字路を越えて行く。
 しかし、追っ手の存在とパーティーに蓄積する疲労を天秤に掛け、そろそろ限界と感じ取ったのだろう。リーダーのエスティは部屋の一つを選ぶと、中の安全を確認した後に今回の夜営地とした。
「・・・コリンはもちろんだけど、マイラとメルシアも先に休んで頂戴。最初の歩哨はあたしとレイガルがするから」
 食事を終えるとエスティは二人に休息を促す。マイラは途中からコリンを背負って移動していたし、メルシアに至っては肉体的な疲労だけでなく魔力も相当に消耗しているはずだった。
 魔力は人間、あるいは高度な知能を持つ種族が備えている霊的な活力だ。種族や個体差によって総量は異なるが、魔術士は自身の持つ魔力を消費することによって魔法を実現させる。
 この世界にはメルシアの扱う根源魔術に限らず、精霊や祖霊の力を借りるエスティの祈祷魔法、そして神の力を術者が発揮する神聖魔法等、系統が異なる魔法が多々あるが、いずれも使い手が修行や、瞑想、神託等によって制御法を身に付けている。正確には制御法を学べた者だけが魔術士として生き残ったというべきだろう。
 無意識のまま魔法の力に目覚めてしまい暴走させ、魔力を使い尽くして命を落とす。そんな悲劇も珍しいことではないのだ。目に見ることはないが人間にとって貴重な活力。それが魔力だった。
 それでも疲れた肉体が休息や睡眠で回復するように、魔力もまた休息によって失った分を取り戻すことが出来る。メルシアへ優先的に睡眠を与えるのはパーティーとしての義務だった。
「ありがとうございます、エスティ。では、その言葉に甘えるとしましょう」
 実際メルシアは一言礼を告げると、早速とばかりに毛布を石床に敷きマントを掛けて横になる。やはり、今までかなり無理をしていたに違いなかった。マイラも下手な遠慮は無意味と判断したのだろう。既に寝かしつけたコリンの近くでマントに包まる。しばらくすると三人分の寝息が部屋の中に響き渡った。
 見張りを続けながら、レイガルは一際大きな寝息を漏らすメルシアに視線を送る。一時期は記憶の回復を黙している彼女へ疑問を抱いていたが、先程の献身的な活躍でそれが誤解であると改めていた。
 確かにメルシアはどこか浮世絵離れしたところがある。だが、その本質は一方的に仲間を裏切るような卑劣さとは無縁と思われた。記憶の回復について自分やエスティに語らないのも、何かやむを得ない理由があるだろう。
 疑問に思うのなら、こそこそと疑うのではなく直接本人に問うべきだ。そのように判断すると、レイガルはエスティとの相談を先延ばしすることにした。
「メルシアって可愛い顔をしているわよね・・・」
 レイガルがメルシアを見つめていた時間は数秒に過ぎなかったが、エスティは彼の心の動きを見逃さなかったようだ。
「・・・表情は硬いが、それが逆に人形のように愛らしいな」
「ええ本当にそう。おまけに我慢強いから倒れるまで頑張ってしまう子よ」
 誤魔化すための冗談だったが、エスティはレイガルの言葉を肯定する。さすがの彼女も彼とメルシアとの仲を邪推することはないようだ。
「ああ、生真面目というか・・そういう性格なのだろう」
「うん。まあ、あたしからするとレイガルもかなり真面目なんだけどね。援護があるとはいえ、ワイバーンのような大型の怪物にも臆することなく前に出てパーティーの盾となってくれる。当たり前と言えば当たり前のことだけど、今まで文句の一つも垂れたことがないじゃない。セコイ奴なら取り分をもっと寄越せって言うわよ」
「・・・俺が持っているは、この身体と武器を扱う技術だけだからな。それにメルシアも魔力をすり減らしているし、エスティも罠や待ち伏せを見破るため危険な先頭に立っている。俺達はそれぞれ命を張っているわけで、お互い様さ」
「ふふふ、その辺は良くわかっているじゃない。・・・レイガル、そろそろあんたを一人前の冒険者として認めないといけないわね」
「・・・それって?!」
 その返答にレイガルは身を乗り出してエスティに近づく。
「もう、今は駄目よ!今回の件が片付いてから!」
「・・・ああ、わかっているさ。この状況で迫るほど俺も馬鹿じゃないさ!」
 窘められたレイガルはそう答えながらも、名残惜しいとばかりにエスティの顔を見つめる。微かな光の中に浮かぶ彼女の顔は、この世の存在とは思えないほど美しく幽玄に感じられた。
 その後はレイガルとエスティも順番に仮眠を摂り、彼らは次の出発に備えた。
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