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今日こそは魔王討伐に出発します!
しおりを挟む一番鶏が鳴くにはまだ早い深夜、エルドはそれまで続けていた寝たふりを止めて静かに起き出した。
閉じた窓から漏れる月の光を頼りに着替えを済ませると、次は寝台の下に隠していた背負い袋と長剣を取り出して身に付ける。腰に帯びた剣の重さと柄頭の感触に満足したエルドは、母親の寝室がある方向を静かに見つめ、決意を固めた。
『・・・母さんごめんなさい・・・新たに現れた魔王を倒すのは俺の使命なんだ!』
そう心の中で呟くとエルドは胸に残る微かな迷いを捨てて窓から外に出るが、地面との着地には猫のように身体を丸めて音を殺す。隠密の技は、剣術とともに父親が亡くなる前に教えられた技能の中の一つだ。
「エルドちゃん!!どうしたの?こんな夜中に?!」
旅立ちの第一歩を出そうとしたところでエルドは唐突に後ろから声を掛けられる。
想定外の出来事に飛び上がりそうになるほど驚くが、彼はそれを寸前で抑えた。
「こ、これは・・・朝の稽古・・・いや、母さん!俺は魔王を討伐するために家を出るよ!・・・既に三つの街が魔王の軍勢に飲まれたらしいじゃないか!父さんの・・・勇者の血を引く俺がいつまでも安穏な生活をしているわけにはいかないんだ!」
振り返ったエルドは家の玄関前に立つ人物、自分の唯一の家族である母親に自分の真意を伝える。出発には万全の策を施したつもりでいたが、母の感覚を誤魔化すのは無理だったようだ。
暗闇の中なので表情は見えないが、声色から母は立腹しているらしい。そのため、エルドは咄嗟に思いついた嘘で誤魔化そうとしてしまうが、途中で決意を思い出して説得へと変える。
母親を恐れるような男が魔王を倒せるはずもないからだ。
「・・・それはもう何回も話し合ったでしょ、エルドちゃんにその任はまだ早いの!あなたは先週、十六歳の誕生日を迎えたばかりなのよ。それにエルドちゃんは四大精霊の内、風の王の声しか聴けないし、パンケーキも三枚焼いたら一枚は焦がしてしまうじゃない。繕いものもあまり上手くない。旅に出たら全部自分でしなきゃいけないのよ!」
「・・・確かに俺は母さんほど魔法の才能はないよ。それに料理も上手くないし、ボタン一つ付けるにも時間が掛かる。・・・でも俺には魔法以外にも父さんから剣術を始めとする様々な技がある!特に剣術は亡くなる前の父さんから一人前だと言われていたよ!」
母の言葉にエルドは反論を口にする。魔法の腕前はともかく、剣の腕前に関しては絶対の自信があった。
母親には内緒にしていたが、村はずれに現れた熊を退治したこともある。さらに付け加えるなら料理と裁縫については勇者の素質とは無関係と思われた。
「・・・もうあの人は・・・いえ・・・あのね、エルドちゃん!今更だけど、お母さんもかつては冒険者としてあの人と一緒に旅をしていたことがあるのよ。その冒険で色々な人間を見て来たわ。経験から言わせて貰えれば、自分が強いと思っている者ほど危ないの!下手に深入りして逃げ出す機会さえ見失ってしまう。そうやって命を落とした冒険者を私は何人も見て来た。お母さんはね、エルドちゃんにそんなふうになってもらいたくないの。せめて四大精霊の王達の声を全て聞き取れるようになるまでは、魔王討伐になんて出せないわ!」
「母さんの言うことはわかるよ!俺も引き際を誤って死にたくはない。けど・・・母さんの基準は高すぎるんだよ!!子供の頃は母さんの魔法が当たり前だと思っていたけど・・・洗濯物が乾かないからって大雨を一瞬で晴れに変えるなんて、常人のやれることじゃない。世間じゃ、いずれか一つの精霊王の声を聞けるだけでも大魔術士と呼ばれるほどなんだから!」
「エルドちゃん!あなたは魔王を倒そうとしているのよ!お母さんね、エルドちゃんがトロール退治に出掛けるというならここまで慎重になりはしないわ。今度の魔王の実力がどれほどのものかは知らないけど、先代の魔王は私の魔法でも手傷を負わせるのがやっとだった。あの人とかつての仲間達三人で協力して・・・やっと命からがら倒した。魔王はそういう存在なのよ!」
「・・・俺だって、一人だけで魔王を倒せるとは思ってない。父さんや母さん達のように、仲間を集めて経験を積んでから魔王に挑むつもりだ。それに・・・俺にはさっきも言ったように父さんから習った剣術がある。魔法だけが強さじゃないんだ。だから、母さん!俺を行かせてくれ!俺は魔術士ではなく、勇者として魔王と戦うんだ!」
二人の主張は平行線を辿っていたが、エルドの最後の言葉に母親は反論を飲み込む。魔術士としてではなく勇者として魔王討伐に参戦すると言うのであれば、魔術の師としてその腕前の未熟さを理由に止めることは出来ないからだ。
「・・・エルドちゃん、やっぱりあなたはあの人の子なのね・・・。いいでしょう。では、勇者としての実力を私との模擬戦で見せて貰います。エルドちゃんがこの戦いで私を納得させることが出来たらお母さんは出発を許しましょう。・・・手足の一本くらいは覚悟しなさいね!!始めるわよ!!」
「な、なんだって!!そんなこ・・・」
突然の宣戦布告に驚きの声を上げようとしたエルドだったが、母が精霊に働き掛ける魔法の詠唱を始めたので、精神を集中し防御体勢を取る。
彼女が冗談でこのようなことを言う性格ではないのは、息子であるエルドが最も知るところだ。狼狽えている暇はない。
一般的に魔法使い相手には接近戦が有効とされている。だが、エルドとしては実の母親を剣で殴るわけにはいかないし、何より母の詠唱はあり得ないほど速い。間合いを詰める間に完成した魔法で攻撃されるだろう。
エルドは敵、母の初撃を防御に専念する判断を下した。
「く!」
短い悲鳴を上げるとエルドは足元からの気配を感じ横に身体を投げ出すが、受け身で前転する彼の右足を何かが掠めた。それは地面を触手のように変化させ対象を絡め取って動きを封じる魔法〝束縛〟だった。
精神を集中し感覚を研ぎ澄ませていなかったら、独立した生き物のように滑らかに動く土の触手に捕まっていただろう。直前の言葉から打撃を与える攻撃魔法も覚悟していたが、母は自分が傷付くような魔法は使わなかったようだ。
『母さん、ごめん!』
自分への愛情を感じつつもエルドは反撃に移る。魔王討伐の旅に出発するためには母が納得する強さを示すしかないのだ。
と言ってもエルドも母親を傷付けるつもりはない。大抵の傷なら一瞬で完治させる回復魔法を扱える母ではあるが、やはり直接的な攻撃は抵抗があった。
『ならば!』
エルドはそう心の中で吠えると先程の受身時に拾っておいた小石を母に向って投げつける。
次の魔法の詠唱に入ろうとしていた母だったが、石を避けるために身体を捻り体勢を崩す。その隙をついてエルドは用意していた魔法を発動させる。
魔法は複雑な事象を発現させるものほど高度な精神集中と詠唱を必要とするが、エルドが使ったのは掛け声一つだけで発動可能な初歩の魔法だ。
「灯りよ!」
エルドの導きに従い彼の体内に宿る霊的活力、一般的に魔力と呼ばれるエネルギーが変換され彼の突き出した右手を源とする光となって溢れた。
「きゃ!!」
この魔法は本来、松明やランプのような照明の代わりに使用されるもので、人体に被害を与えるようなことはない。だが、暗闇に慣れた目の前でいきなり発動させれば目潰しとなる。
実際、エルドの母は目を片手で庇いつつ少女のような悲鳴を上げた。
母の反応によって自分の思惑通りになったことを知ったエルドは〝灯り〟の魔法を解除すると同時に固く瞑っていた瞼を開く。
夜目に慣れていたのは当然ながら母だけではない、タイミングを間違えれば自分も視力を一時的に麻痺する諸刃の策だった。
「なんとしても、認めてもらうよ!!」
狙い通り母を怯ませたエルドだったが、それで満足にせず彼女を組み伏せるために距離を詰める。母は精霊魔法を得意とする魔術士である。視力を封じただけでは戦闘力を奪ったとは言えない。
「やるわね、エルドちゃん!でもこの程度じゃまだ認められないわ!」
母を抑えつけようと接近するエルドだったが、突如吹き付けた激しい風によって行く手を遮られる。
この風の正体は母によって発動した魔法〝突風の壁〟であった。〝突風の壁〟はその名の通り小型の竜巻を複数生じさせ壁とする魔法で、竜巻の中心は真空状態となるほど激しく風が渦巻いており、通り抜けようとする者を切り裂く攻防一体型の機能を持っていた。
『くそっ!』
胸の中で悪態を吐くとエルドは〝突風の壁〟の前で足を止める。母の視力を封じたエルドだったが、彼女は範囲魔法でその不利を克服したのだ。
壁は母を取り巻くように半円を描いて発動しており、周り込もうとしたら母に到達するまでしばらく掛かるだろう。その間に視力は回復してしまうと思われた。
「いや、そうか!・・・いいよ!母さん俺の覚悟を見せてやる!うおお!!」
母があえて完全に視線と攻撃を遮断する〝土の壁〟にしなかったことに気付いたエルドは頭部を両手で庇いながら〝突風の壁〟目掛けて突進する。もちろん肉体だけでなく精神を集中し魔法攻撃に備えることは忘れない。
弾き飛ばされそうなりつつもエルドは激しく吹き荒れる空気の層を抉じ開けた。直後に身体中に鋭い痛みが走る。
まるで生きた短剣の群に襲われているかのようだ。それでもエルドは前進を続け凶器の渦を押し通った。
「はあ!・・・母さん!降参してくれ!」
数時間にも感じられる苦しみだったが、エルドは生きて壁を抜けると間髪入れずに母を押し倒すように抱き付く。実戦ならば武器を持ったエルドが魔法使いの懐に飛び込んだということになる。
「エルドちゃん、あなた!・・・あの壁を抜けて来たの?!・・・わかったわ!!エルドちゃん。・・・お母さん、負けを認める!」
「じゃ、魔王討伐に行かしてくれるんだね?!」
「・・・ええ、約束だのも仕方ないわ・・・だからもうそんなに抱き締めないで、恥ずかしいじゃない!!」
「本当だね!やった・・・」
その言葉を聞いたエルドは腕の力を抜いて母を解放する。だが、同時に体中の痛みに耐えかねてその場に崩れるように座り込んでしまう。目的を達したことで張り詰めていた緊張が切れたのだった。
「もう・・・本当に無謀なことをして、お母さんの話をちゃんと聞いていたの?」
朝食を終えると母は呆れた声でエルドに問い掛ける。
「引き際を見極めるのが大切なのはもちろんわかっているよ。でも、あそこで退いてしまったら母さんのペースに嵌ってジリ貧となっていたはずだからね。一気に勝負に出たんだ。それに、母さんも俺の覚悟を確かめるつもりだったんでしょ?」
食後のお茶を飲みながらエルドは母の問いに答える。
模擬戦で身体に負った傷は既に彼女の魔法によって治療され、痛みだけでなく痕跡すらもなくなっている。魔王討伐の許可を母から得たからには、何も逃げるように深夜に出発する必要はなく、朝を待つと同時に母の食事を味わうことにしたのだ。
何しろ母の味を堪能するのはしばらくお預け、あるいはこれで最後になるかもしれないからだ。
「お母さんとしては、エルドちゃんが〝突風の壁〟を魔法で攻略するのを期待していたのよ。・・・だけど、確かにエルドちゃんの覚悟が本気だってわかったわ。それに・・・今思えば、あの人もあの状況だったらエルドちゃんと同じようにしたでしょうね」
「父さんも!」
母の意図とは異なる選択だったようだが、亡き父も同じことをしただろうと聞かれてエルドは胸を熱くした。
「それでね、エルドちゃん!お母さん約束を破るつもりはないけど、出発を三日だけ待って貰えないかしら?お母さん、エルドちゃんに協力してくれるようベステリオに頼みに行くから、その間だけ待っていて欲しいの」
「・・・三日か・・・わかったよ。俺も出発したらまずはベステリオさんに会いに行こうと計画していたところだから、母さんから話を通してくれると俺も助かる」
三日待てと告げられたエルドだが、母の提案に承諾を示す。
ベステリオとはかつて両親とともに魔王討伐に加わっていた僧侶の名前で、現在はエルド達の暮らす村から一日半ほどの距離に位置するバークスの街の大司祭を務めている人物である。
エルドも何回の面識があり、魔王討伐に彼自身を仲間に勧誘することは無理とは思っていたが、若くて有能な僧侶を紹介してくれるのではないかと期待していたのだ。
「ありがとう、エルドちゃん!じゃ、お母さん早速出かけ来るわね!だから、しばらく身の回りのことは自分でお願いね!」
「ああ、それくらいは大丈夫だよ」
数時間前には家出同然に旅に出るつもりだったエルドは快諾する。ある意味、一人旅の予行練習とも言えたからだ。
「出来るだけ、早く帰ってくるわね!」
そう言い残すと母は身支度を整えて旅の用のマントを纏うと魔法の詠唱を開始する。魔力が収束する気配が高まり、魔法の発動とともに母の姿が一瞬でその場から消える。
人間や物を別の場所に瞬時に移動させる〝転移〟の魔法である。秘儀とされている魔法で、エルドも存在は知っていたが母が扱えるのを知ったのはたった今である。
母の底に見えない魔法力にエルドは彼女が直前までいた台所を見つめるしかなかった。
「エルドちゃん!今帰ったわよ!」
あれから三日後、家禽の世話をしていたエルドは母の声を聞くと、仕事を片づけて母屋へと向かう。
約束どおり母が帰って来たのだ。時刻はまだ朝と呼べる時間帯あり、入れ替わりに出発すれば日没までにはバークスの街に着けるだろう。
正直、エルドとしては意外に早い母の帰宅である。魔王討伐の許可は出したがが、母としては本心でないはずだ。だから少しでもエルドの出発を遅らせるために、夕暮れ近くまで帰って来ないと思っていた。それが良い方向で裏切れたのだ。
「おかえり、母さん!ベステリオさんは息災だった・・・」
出発に心躍るエルドは歩きながら返事をするが、玄関前に立つ母を目に入れると言葉を飲み込んだ。
そこには母以外に三人の人物がいたからだ。その一人は当のベステリオ本人であり、残りの二人は漆黒の板金鎧を着こみ戦斧を担いだ大男と一目で業物とわかる長弓を持ったエルフ族の女性だった。
エルドにこの二人との面識はなかったが、只ならぬ強者の気配からその正体を直感で知る。両親のかつての仲間であった〝魔戦士レイガル〟と〝瑠璃の眼メルシセス〟に違いない。
自分の名前を呼ばれた、白い僧衣を纏いながらもその下には鎖帷子着込んだ中年の男、ベステリオはエルドに笑みを浮かべるが挨拶は口にせず、エルドの母に視線を送る。まずは彼女から説明を受けよということだろう。
「ただいまエルドちゃん!・・・実はお母さんね、ベステリオの他にも昔の仲間のレイガルとメルシウスにもエルドちゃんに協力してくれるよう頼み行ったの。・・・そしたらこの三人も新たに出現した魔王に危機感を持っていて、それで私達四人で魔王の戦力を図ろうと威力偵察に出掛けたの・・・」
エルドの胸に『まさか!!』という不安の色が広がり、説明を続ける母の声がどこから聞こえるように感じる。
「そうしたら、今回の魔王の軍勢は思っていたよりたいしたことなくて、一気に魔王を討ち取って来たの!これでエルドちゃんが魔王討伐に出る必要はなくなったわね!!」
「・・・これが証拠の魔王の首だ」
ちょっとした用事を済ませたかのように魔王討伐を語る母にエルドが言葉無く佇んでいると、それまで静観していたレイガルが麻袋をエルドの前に放り投げる。地面にぶつかったことで袋の中身が半分ほど露出するが、それは苦悶の表情を浮かべる巨人の生首だった。
一瞬、たじろぐエルドだが、確認のために良く見れば口内には鋭い犬歯が生えており、こめかみからは折れた角が二本突き出ている。生首の正体は人間とは異なる存在である魔族と思われた。
当然ながらエルドは魔王の姿を知らない。だが、頭部の大きさや切断された首の太さからして生前は堂々たる体躯であったことが窺える。そのような精強な魔族が只者であるはずもなく、母とその仲間が魔王を討ち取ったのは事実だと認める他なかった。
「・・・お前はまだ若い、焦ることはない。魔族は腐肉にたかる蝿のようにしつこい。また機会があるさ!」
「そう、その時は私も再び手を貸そう。ルゼイオとサリーナの息子エルドよ」
魔王の首検分を終えた後、命を賭した目的を失ったショックでしばらくの間呆けていたエルドにレイガルとメルシウスが慰めの声を掛ける。
「・・・そうならない方が良いのでしょうが・・・」
胸の中には大きく空いたような喪失感があったが、半ば伝説の存在と化していた英雄二人に励まされたことでエルドは正体を取り戻す。
「とりあえず、これは私が然るべき場所に封印するために預かろう」
「エルドちゃん!・・・お母さんもあなたには不本意なことをしたと思うわ。でも、とりあえず今は昔の仲間を歓迎する準備を手伝ってくれるわよね?」
ベステリオが投げ出されていた魔王の首を再び麻袋の中にしまったところで、エルドは再び母の声を聞く。
「それは・・・もちろん手伝うよ。その代わり、母さん達がどうやって魔王を倒したのか詳しく聞かせて欲しいな!」
エルドは苦笑を浮かべながら母の頼みを承諾するのだった。
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