・グレー・クレイ

くれいん

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第九話 ネクロマンサー・オジョウサマ ②

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 ──死者の群れが迫る。
 その数はもう分からない。辺りの壁から、あるいは床から這い出た新たなゾンビが互いを押し合い、巻き込みながらこちらへ殺到してくる。ゾンビパニックものというジャンルの映画がこの世にあるらしいが、生憎と見た「記憶」が失われているため、その主人公がこういった状況をどのように打破するのかを僕は知らない。
 イメージするに、手りゅう弾のような爆発物で道を開くのだろうか?
 あるいは、突撃銃による乱射でゾンビをなぎ倒す?
 車なんかがあれば、そのまま群れを轢いて抜け出せるかもしれない。

 何にせよ、「攻撃を以て道を作る」以外に残されていない。
 だが、シノさんをどうする?置いていくことはできない。一緒に行動するにも……。
 そう考えているとき、僕の背中に何か軽めの物が乗ってきたのを感じた。
「えっ? えっ?」
「私だ。お前の考えは大体分かった。お前の背にしがみつく。お前は私を気にせず好きにやれ」
 どうやらシノさんが僕の背に乗ったらしい。

 形としては、子供とはいえ人を一人負ぶって戦闘を行うことになる。だが、手を繋ぐにも抱えるにも、戦闘の起点である「手」が塞がってしまうため、それはこの状況においては良い案だと思った。最善策とは言えないかもだが、それを呑気に考えていられるほどの余裕はない。

 青ざめた指が鼻先に伸びる。死臭が香る。高笑いが聞こえてくる。
 シノさんはガッチリと背中に掴まり、振り落とされる心配はしなくても良さそうだ。

 僕は間近のゾンビの腕を掴み、自身の肉体の限界を意図して突破させた。
 その際に起きる筋肉の断裂や骨折等のダメージは自己再生の範疇で回復。
 そのままゾンビの腕を「持ち手」として振り回し──、
「……オオオオオオオッ!」
 ──人間大の鈍器として、周囲の群れを薙ぎ払った。


 肉で肉を、骨で骨を、人で人を文字通りに砕いていく。
 当然、「人体」は武器としての運用を前提とした造りをしていないため、振るうことができて、その耐久力は二度が限界。しかし、少年は手にした武器が使い物にならなくなると、辺りに散らばる新たな武器を掴んでは振り回した。
 ゾンビは恐怖それを理解する知能が無いのか、あったとしても主の突撃命令には逆らえないのか、肉片が飛び、血飛沫の雨ができる嵐の中に次々と飛び込んでいく。
 さながら畑から人がとれるかの如く、ゾンビは無制限とばかりに周囲の壁や床から腕を伸ばすが、それが少年の身体を掴むことは無い。ただ少年が床を駆けるだけで指が砕け、腕が半ばから無くなる。壁から伸びる腕は足場、逃げ場として利用され、ついでとばかりに折られては投擲武器として群れを裂いた。
 時折、少年の死角から腕を伸ばし、その首を折ろうとする個体もあったが、
「──させるものか」
 と、少年の背に乗った少女が針のような魔力塊を指から放ち、死人の眉間を貫いた。
 その様は、ある種 神話的であり、凄惨さの中にあって少年の姿は英雄的でさえあった。

 その嵐の中で恐怖を覚える者はいない。少年も、少女も、死者の群れも。
 ただ、その様を外から眺める刺客と、死霊術師は違った。

(なんだ、アイツ!? 死体を武器にしているのか!? いや、できたとしてやるか!? あの膂力もそうだが、大量に返り血を浴びようと、腸が首に巻き付こうと、平然と前だけを向いていやがる……!)
 男は自身に迫る群れを粗方壊し尽くすと、唖然とした様子でホール内を荒ぶる少年を見た。
 今や、男は死者の主たる女に敵として見られてはいなかった。
 全てのゾンビが少年の近くから産まれては死に、産まれては死にを繰り返している。
 その嵐の中心にある少年の表情を、刺客は恐れた。

 そこに、喜色は無く、悲嘆は無く、怒りも無かった。ただ、余裕があるかと言えばそうではなく、歯を食いしばり、目を見開いている。その瞳には強い覚悟、あるいは使命感が宿り、迷いが無い。
 時折、天井にいる死霊術師へ叫びを上げるが、それは人の声帯から出ているものとは思えない、獣の如き叫びだった。
 それは、男から見れば、戦場に吶喊する狂信者のそれに見えていた。

 その渦中に目を向ける死霊術師……ジュリエッタも、今や高笑いを止めていた。
「な、なんなんですの! ワタクシのバトラー達をちぎっては投げ、ちぎっては投げ! 人形オモチャではないんですのよ! もっと品のある壊し方をなさいな!」
 死霊術師は、少年の様に僅かな怖れを感じつつも、それ以上に焦っていた。
 本来であれば、『工房ラボ』の中で、その主である魔術師と戦うのは無謀だとされている。当然、『工房』内の構造を把握している上、魔力が主に自動で生産・供給される状況下において、その有利不利ははっきりしているためだ。
 魔力量残弾を気にすることなく侵入者を迎え撃てる要塞と、僅かな弾数で戦うしかない侵入者であれば、通常であれば戦いになることなく侵入者は殺される。

 だが、少年は違った。
 壁から、あるいは床から伸びる無数の腕に拘束され、群れバトラーの一員になるという結末を迎えない。
 手足の躍動がそのまま武器となり、手にできるあらゆる物を用いて攻め来る敵を滅ぼし続けた。

 その肉体の躍動に、身体強化の魔術は用いられていない。。
 肉体の限界を意図して超える。肉体にかかる負荷や損傷を度外視したそれは、魔術ではなく、少年がハトとの実戦の中で生き延びるために、敗北しないために編み出した技術であった。
 緊急時にのみ発揮される「火事場の馬鹿力」。それを再生能力を以て帳消しにし、維持し続ける。確かに魔力は減っていくだろう。だが、それが尽きるのはあと数分という話ではない。


 その暴威を見て、刺客の男は考えた。
 依頼通り、こちらを見ていない死霊術師を殺して脱出するか。
 あるいは、敵である『明星』の魔術師に加勢するか。

(前者は可能性があるぜ。あのクソ女はこっちを見てねぇ! 今のうちに背後から……いや、失敗してみろ! 残りの魔力も少ねぇんだぞ! 逃れるにしろ防ぐにしろ攻めるにしろ魔力は重要なんだ!)
 ならば、あの少年に加勢するのが己の得か?
 否、否!男は頭を振って否定する。
(アイツらに加勢して、クソ女をブッ殺して……いや、まだ殺せると確定したわけじゃねぇし、仮に殺せたとしてその後をどうすりゃいい!? あんな化け物みてぇなガキから逃げる? できねぇよ!)
 男は自分が狙われてない間に大いに逡巡し……結論を出した。

(よし、クソ女を殺す! 後ろから首をバッサリ裂いて、その高そーなドレスを朱に染めてやるぜ! その後で、全力で魔術を行使して何とか脱する! いくら化け物みてぇに強いと言っても、所詮はガキ! 俺の方が経験において勝る! 魔術師三人分の首を持って帰って、そして──!)


 ──疲労が無いと言えば、嘘になる。
 それは、肉体的なものではない。身体の疲れは、再生能力の恩恵か、あるいは今までの訓練によって鍛えられたからか、そこまで重いものではない。
 ただ、精神面でジリジリと追い詰められている。
 人の形をした敵をひたすらに倒し続けている。それもある。だがそれ以上に、際限なく湧き続ける群れと、壁や床から伸びる腕を捌き続けるのは、想像以上に集中力を使った。
 僅かな気配、空気の動き、視界の隅に映る敵影。それらに気を配り、さらにはシノさんが背にいることを意識して、なるべく壁を背にしないように動き続ける。彼女には既に5回ほど、背後からの奇襲から救われている。だが、その残弾回数がどれほどなのか、僕は知らない。

 ……否、考える必要はない。
 脳を平常時のそれから、ハトさんと実戦を行う時のそれに切り替える。
 考えはする。だが思い浮かべない。迷わない。
 脊髄で考えて体を動かすように、思考のタイムロスを削減する。

 群れを薙ぐ。増援を来た順に壊していく。
 敵を人として認識しない。近くの敵を盾に、群れを裂いていく。
 倒せば倒すほど敵は増える。……不要な思考。消去。

 最終的に、死霊術師をシャンデリアから引きずり下ろす。
 方法は? 跳べばいい。
 術の解除方法? シノさんに任せる。
 可能か? ……不要な思考。消去。
 刺客の男は? 動くまで無視。死んではいない。

 そうして何を見ても、何に触れようとも、動きが止まることの無いよう、身体だけでなく脳や脊髄の限界も少しずつ外していく。パチパチと弾ける音が頭蓋骨の中から聞こえたが、身体が麻痺したり視界が真っ黒になることは無い。死なない以上は続行だ。
 テスさんには申し訳無いが……いや、今ばかりはこれ罪悪感も不要。消去。
 
 そうして目的である死霊術師の彼女に届くための、踏み台となる何十体目の死者を倒し……僕はシャンデリアに向かって伸びる蛇のようなものを目撃した。

 緑色の太い茎の至る所に生える白い棘。その茎の先端には真っ赤な花弁が大きく咲き誇り、ギラリと僅かな灯りを受けて金属のような光沢を……否、それはまさに金属製の薔薇だった。だが、その動きはさながら蛇のように滑らかで、植物としてはあり得ない速度で成長し、音もなく死霊術師の背後から伸び続けている。
 刺客の男の魔術。
 恐らくは『木属性』と『金属性』の融合によるものだろう。
 背にいるシノさんもそれに気づいたのか、何かを僕に対して語っているが、僕の耳はそれすら「不要」と断じて消去してしまった。耳には届いているが、言葉として理解できない。肉が爆ぜる雑音と大差ないものとなってしまっている。
 そう瞬間的に浮かぶ考えも、次の一瞬にはすべて消えていた。
 今、その光景を見て、僕にとって一番重要な情報は……。
 
 巨大な薔薇の茎に、刺客の男が乗っている。
 その手には、鉄のものとは違う、銀のナイフが握られ──。

 それを見た途端、僕は僕の身体の制御を失った。
 意識はあった。思考もあった。理性もあったはずだ。
 だが、ほとんど孤立した状況下で敵を倒し続けたせいによる前後不覚か、脳の制限を解除したが故の弊害か……恐らく、そのどれでもなかった。
 ただ、極限まで研ぎ澄まされた集中力の中で、脳ではなく肉体が。心ではなく魔性が。「現」ではなく「魔」が『最優先』のために体を乗っ取った。

 それは、全員生存。唯一の勝利条件。
 こちらに注視する死霊術師を背後から狙う、刺客の無力化。
 僕は戦闘中に何度も停戦を呼び掛けたように、死霊術師の彼女に対して背後の危機を教えようとした。


「───ォォォォオオオオオッ!」
 少年の吠え声がホール内に響き渡る。
 人のものとは思えない、獣のような叫び。
 その腕は僅かではあるが元のそれより肥大化しており、食いしばられた口元は皮膚が裂かれるように大きくなりつつある。黒髪はざわざわと別の生き物のように蠢いて伸びている。
 それに一番早く反応したのは、死霊術師でも刺客でもなく、少年の背にあるシノだった。

「──人狼化だと? いや、あり得ない。魔力は尽きてないはずだが……おい、クレイン! まだ正気か?」
 そう少年に向けて話し、その髪や耳を掴んでみるが、少年はそれに反応しない。さながら、傍らに人が無いかのごとし。一瞬、その頭部を強く叩けばこちらに反応するかとシノは考えたが、理性があるのかどうかも分からない相手を殴って、敵と見做されるのは危険と考え、やめた。シノにクレインを止める能力はあったが、それを行使した瞬間、湧き続ける死者の群れに呑まれてしまう。

 シノは険しい表情をしたが、すぐに平静を取り戻し、再び少年の身体にしがみついた。
「ええい、分かった。今は正気と信じよう。私はお前の背に乗った時点で、この場における運命をお前に託した。初めに言ったが、好きにやれ! もうお前を案じはしない」
 少女のその言葉が届いたのか、あるいはただ単純にタイミングが被ったのか、少年はそれを合図にするように目の前のゾンビを武器として振るい、一瞬だけ群れの中に道を開くと、天井へと伸びる巨大な薔薇目掛けて駆けだした。
 
「な、何事ですの!? いきなり吠えたかと思えば、今度は犬のように走って……やっぱり森の外には蛮族しかいませんわ!」
 死霊術師は少年を射程視界内に捉えるため、シャンデリアの下を駆ける少年を見ようと振り返り、
「あ──……」
 
 ナイフを振りかざす、刺客の男と目が合った。
「気づいたかクソ女! だがもう遅い!」
 男はナイフの持ち手とは逆の左手から縄のような蔓を放ち、死霊術師を縛り上げる。
 魔術師にとって、手は魔術を放つ際の銃身・銃口ではあるが、彼女のように肉体から直接『属性』や魔力を放出しない魔術師にとって、手はコントローラーのようなもの。それを体に縛られ、彼女は自分の武器である『屍歩き』を封じられた。
「侮ったな死霊術師ネクロマンサー! 俺の勝ちだ!──死ね!」
 男は死霊術師の首元目掛けて、手にした銀の刃を走らせた。
 女は死を覚悟し、目を強く瞑った。


 ……震えながら、来る痛みを恐れて数秒が経った。
 だが、首には何の痛みも走らなければ、血が噴き出る感覚もない。
 死霊術師は……ジュリエッタは、恐る恐る目を開けた。

「……──!」
「なぁっ……手前ェ……!」
 
 そこには、刺客の腕を掴み、その手にした凶刃を止める少年の姿があった。その背には太陽のような髪色の少女が掴まっていて、その少女は少し疲弊したような顔で、死霊術師の顔を見ていた。
「どうも、……ジュリエッタ嬢。とんだ勘違いをしてくれたものだが……私達は貴女を助けに来たんだ。この、口の悪い刺客の仲間では無い。……それを、今証明しよう」
「ああ!? ……なんだよ、これ。俺は、俺は勝ってただろうがっ! クソッ、化け物がぁ!」
 男はまだ自由な左手を振るい、蔓ごとジュリエッタを落として殺そうとしたが、その腕もまた少年に掴まれる。ヒッと男の喉から短い悲鳴が出たが、それは掴まれた腕が砕かれると同時に絶叫へと変わった。そのまま男は力と魔術のコントロールを失い……、

 ……足場にしていた、鉄の如き茨が急速に枯れ逝く。

 瞬間、男と少年、女と少女は体を支えられなくなり、落下する。
 シャンデリアへと手を伸ばす者。
 痛みに意識を手放す者。
 諸共に落ちる者。
 掴んでいた手を放した者。
 その反応はそれぞれであったが、全員の辿る末路は同じだった。
 
 床への落下。その中で、その損傷に耐えうる者は少年ただ一人。
 しかし、結果として全員が生存することになったのは、死霊術師の奮起のお陰であった。
 床から幾つもの腕が伸び、頭が、肩が出て、青ざめた肌の死者バトラーが現れた。彼らは肉のクッションとなって全員を落下のダメージから守護し、その後、正体を現したかのように死者の群れは土塊つちくれとなって崩れた。

 『土』に『闇』……死者のデータを転写する魔術。散らばった血も肉も臓物も、魔術的繋がりを失い、汚れた土に戻って、館の床や壁に還った。ジュリエッタは魔術を維持する精神力を失い、今にも飛び出そうなほどに跳ねる心臓を抑えるのに必死となって床にへたり込んだ。
 刺客の男も、意識を失ってはいたが助かっていた。当然、ジュリエッタが助けようと思って助けたわけではない。ただ、必死に魔術を行使した際、自分を確実に受け止められるだけの死者バトラーを用意し、命令も単純に「受け止めること」に一律したため「ついで」で助かっただけであった。
 『明星』のクレインも同じく……だが、シノはクレインによって受け止められていた。空中に放り出された彼女を素早く捕まえ、落下の衝撃から守ろうとしたためだ。シノは数秒ほどクレインの腕の中で放心していたが、すぐに腕から降りてクレインに語りかけた。
「おい、お前……私が分かるか? まさか、自分のことまで忘れてないだろうな?」
 クレインは ぼーっとした様子で虚空を眺めていたが、身体の肥大化していた筋肉が縮小し、口が閉じられ、髪も元の特徴の無い黒く短いものに戻ると、ハッと夢から醒めたように数度瞬きをした。
「あー……はい、無事です、シノさん。その……すみません。無茶しました……」
 その言葉に、シノは少し安心したように息を吐いた。
「まったく……馬鹿だよ、お前は。私にこんな心配をかけさせて、タダで済むと思うなよ? とりあえず、この件が終わったら、テスからありがた~い説教を受けてもらえ。その後で、今回のことについて詳しいレポートをだな──」
 そうクレインに対して話していると、ジュリエッタがフラフラと立ち上がって二人に近づいた。片足を引きずる様なその動きは、落下の際に骨を痛めた故のものか、歩く度に苦し気な呻きが御簾みすのようなヴェール越しに聞こえてくる。
「さ、先ほどは助かりましたわ……しかし、あなた方は、本当にあのお刺客の方と……」
「ああ、『助けろ』とか『引き付けろ』だとか言っていたが、アレと私達は仲間ではない。……本当はすぐに弁解したかったが、戦闘が始まってしまったのでな。声をかけてはいたが……やはり聞こえていなかったか」
「一応、僕も声掛けはしたんですけど……」
 その言葉に、ジュリエッタは強く反応した。
「まさか、あの獣のような叫びが声掛けだったと? まぁ! それではまるで人狼のようですわ! それに……」
 そう言って、その御簾を上げ、クレインの顔をまじまじと見始める。クレインは少し気恥ずかしそうに視線を逸らそうとしたが、その顔を両手でグイと掴まれ、やや強引に正面を向かせられた。
「な、なんでふ……?」
 頬を手で挟まれ、フグのような面持ちで問うクレインに対して、ジュリエッタは眉根を寄せる。


「……あなたのお顔……どこかで見たことがありますわ……」


 その言葉に、クレインは目を見開いた。電流が走ったように、ビリビリと体の芯が震え始める。シノもまた、言葉を失ってジュリエッタの顔を見つめた。
 二人の注目が集まる中、ジュリエッタは鋭い視線をクレインに向けた。

「あなた……本当に、魔術師人間ですの……?」
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