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15 嘔吐したのは烏賊とウィスキーだけではないのかもしれない
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優実との話しには、まだ続きがある。
しかし、一度にすべて話さなくてもいいだろう。
結論だけいうなら、彼女とのことに兆候のようなものはなかった。
ニュージーランドで僕に起こったことの中で一番ステキなことの一つだとは思うのだけれど。
そして、今、僕はようやく理解する。何も兆候というのは良いことばかりに起こるわけではないということに。
何から話せばいいのだろう・・・僕の目の前には便器があり、そのなかの水は真っ黒に染まっていて、僕はその便器に許しを乞うように頭を垂れ、汗ばんだ手はある男の手を握り、そして呻く。
「なんで・・・なんで最も見られたくない姿を最も見せたくない相手に・・・」
呼吸は荒れ、顔は涙でボロボロになり、また嘔吐物が喉元に這い上がってくる。
僕の前にいる男・・・彼の名前は"竜太郎"という。
さて、少しずつ整理しながら話していこう。時間はあるのだ。
ドバイで僕が勤めるジャパニーズ・レストランだが、何も同僚が全員フィリピン人のウェイター、ウェイトレスというわけでもない。
少ないが何人かは日本人が働いている。
ウェイトレスにも一人、日本人の女の子がいて、彼女の名前は"桃花"という。
アルコールが大好きで、韓国人のファッションやメイクを愛する、明るい茶髪の現代っ子といえば、大体の彼女の外見と雰囲気は説明できているのではないだろうか。
そして、竜太郎。
彼はレストランの寿司エリアのシェフで誕生日が僕と同じ3月6日だった。
彼は僕より二つ年下だが、世の中を上手く生きていく"コツ"みたいなものをすでに身につけていて。たくさんのお客様や友人に愛されている男だった。
そして、僕は彼のことがなかなか好きになれなかった。
彼が悪いのではないのだと思う。今だからはっきりと言える。僕は彼に嫉妬していたのだ。
しかし、僕は嫉妬や絶望といったネガティブな感情をうまく認知することが出来なくなってしまっていた。
正確にいうなら気づいても、それを決して認めなくなってしまったのだ。
それをしていたら、あのとき僕の精神はもたなかったにちがいない。
そう、あのとき・・・泉に最後の挨拶をしたときからだ。
僕は、楽しそうで、自信たっぷりで、そして才能があり努力もできる彼を、本人の前や同僚の前でよく称賛した。
それが嫉妬をしている自分を誤魔化す必死の行為だとも判らないままに。
おそらく僕は、彼は彼で自分は自分だから、比べて絶望したりしないし、良いところは誉めるくらいの余裕はあると見せたかったのだろうと思う。
それでも、やはり人間は弱い生き物なのかもしれない。
自分が少しでも絶望から救われるならば、簡単にそちらに靡く。
彼を少し批判するような意見があれば、僕はよく「素晴らしい男だけど、そういうことはあるかもしれないね」とそんな風に言っていた。
そして、その批判的な意見をよく発するのが桃花だった。
彼女はとても自由奔放な性格だったから、芯と自分の意見をしっかり持っていて、ときおりそれを人に熱く押しつけてしまうきらいのある竜太郎を、煩わしく思うことがあったようだ。
そして僕は、彼女のそんな不満をふむふむ、と聞きながら「素晴らしい男だけど、そういうことはあるかもしれないね」と例によって漏らしていた。
そうだ、なにも彼のすべてが正解ではない。僕の側にだって味方はいるのだ。
そんな風が吹けば飛んでいってしまうような軽い支柱を拠り所にしていたのが、今となっては愚かだったと反省するしかないのだろう。
そして、些細な事件が起こる。
僕ら、レストランのコックやウェイトレスは、会社が用意したビルを寮として、皆一緒に住んでいた。
キッチンは共用スペースとなっていて、仕事終わりに酒が好きなスタッフは、よくそこで溜まって朝まで無駄話に花を咲かせているようだった。
僕は酒を飲むのがそんなに好きなわけではないのでたまに参加する程度だったが、竜太郎と桃花、それに数人のフィリピン人スタッフは毎晩のようにそこで小さな宴会をしていた。
たまに、五月蝿いな、と思うこともないではなかったが、自分だって参加することはあるのだからと、それについて不満を漏らしたりはしなかった。
ある朝、僕がいつもと同じ時間に起床し、バスルームに顔を洗いに行くと、シャワーカーテンが落ち、トイレット・ペーパーが床まで垂れ下がって、クシャクシャになっていた。
僕は、やれやれ、またか、と思った。
竜太郎は酒に弱くはないが、よく飲みすぎて、ところ構わず寝てしまったり、バスルームを荒らして、そのまま出てきてしまったりする。
僕はレストランに勤めて日が浅く、狭いベッド・ルームを与えられてるだけである。彼のマスター・ルームのトイレや風呂を貸してもらっている身なので文句をいう筋合いはないのだが、朝からそんな状態を見るとげんなりはする。
取り合えず、シャワーカーテンだけでもかけ直そうとしたときに、そこにあるものを見て、僕の心臓がドクン、と脈打つ。
そこには、避妊具が落ちていた。
僕は少しの時間、混乱する。
正直、誰と誰が寝ていたところで興味はない・・・はずだ。僕はこの仕事場で、誰にも恋をしたりしてないし、それに避妊具が落ちていたからといって、必ずしも性行為が行われたとも限らない。
しかし、混乱は追憶を巻き込んで痛みへと徐々に、しかし確実に変化していく。
僕が知らないところで、誰かと誰かが親密になっていく・・・。
のりこと、あの料理長のように・・・。
知恵と優午のように・・・。
そして、泉と顔も知らないどこかの男のように・・・。
しかし、そんな心の変化を感じながらも、僕は顔を洗い、鏡で自分の顔を確認して、大丈夫だ、と言い聞かせる。
些細なことじゃあないか。
心にナイフが突き刺さったまま、あんな過剰な労働にも耐えきった自分だ。
こんなこと、些細なことじゃあないか。
そしてバスルームのドアを閉じ、僕は仕事に向かったのだった。
それから数日が経った。
僕は正気を保つのが、少し難しくなっていた。
気になって仕様がないのだ。何一つ集中できないのだ。
誰と誰なのか。何かあったのか。もう殆んど答えは出ているようなものなのに。それを知っても傷つく以外に辿り着く場所はないのに。それでも破滅へと歩幅を狭めていく僕は狂っていた。
そして、そのときを自分で選び、崩壊する。
ある晩、桃花と二人っきりになった深夜のキッチンでビールを片手に僕は切り出す。
もちろん笑顔は崩さない。あくまで自然に。
彼女は自由奔放だ。
お酒を飲んでお客さんと簡単に身体の関係をもってしまったと笑いながら、話したりする。
だから、大したことではないのだ。大したことでは・・・。
「最近、もしかして同僚の誰かと寝たかい?」
彼女は無邪気に、しかし少しだけばつが悪そうに笑う。
「バレちゃいました?」
「この前、酔っ払ちゃって竜太郎さんと」
「覚えてないんですけど、私から迫ったみたいで」
「笑っちゃいますよね」
「笑っちゃうね」と僕は言い「秘密にしておくよ」と笑った。
あくまで自然に。
そして、僕は次の日もキッチンでの宴会に参加した。
始めはみんな珍しい、と喜んでいたが、酒量が異常だと気づくと慌てて止めて、僕を部屋に返し、もう寝るように勧めた。
深夜の、4時頃だったと思う。
僕は暗闇のなかで夢から目が覚めた。
とても鮮明な夢だ。
場所は曾右衛門邸の縁側。時間は夕刻。竹林が風でざわざわと音と葉を散らす。僕は胡座を組んで煙草を吹かしている。夜に予約がない日で少し休憩できる余裕がある日なのだ。
そして、気づく。ああ、これはあの日だ、と。
彼と最初に会った、あの日を夢で繰り返しているのだと。
どんなことが起こるのか知っているから今回は驚きはしない。恐ろしくもない。
彼が竹林の中からゆっくりと現れる。
予想したとおりだ。
しかし、一通り彼と過去にしたように会話を終えたあとに、異変が起きた。
彼が着ぐるみのフードをゆっくり脱ごうとしている。
待てよ。君はそのまま竹林の中へ消えていったはずじゃあないか。
捲れた彼の口許がニコリと笑ったところで、夢が覚めた。
自分の部屋のベッドの上で、真っ暗な闇のなかだ。
そして、僕は突然激しい吐き気に襲われる。
我慢が出来ず、トイレに駆け込む。
最初の嘔吐物は真っ黒だった。昼間に飲んだコーヒーの色だろうか。あとは数時間前にウイスキーと一緒に摘まんだ烏賊がそのなかに浮かんでいる。
酷い有り様だ。こんなの学生のとき以来だ。
感慨に耽ってる暇もなく、何度も何度も吐き気は襲ってきて、僕のすべての臓器がそれらを絞り出そうと身体を締めつける。
そうしている内に、寝ていた竜太郎がそれに気づき、部屋から出てきて、僕に声をかけた。
「×××さん、大丈夫ですか?」
彼は優しく背中を擦ってくれた。
僕はもう情けなくてどうしようもなかった。
そして、嘔吐物と一緒にすべて吐き出してしまった。
「なんで・・・なんで最も見られたくない姿を最も見せたくない相手に・・・」
「同じ誕生日に生まれているのに、なぜ僕だけが失い続けるんだろう・・・」
「こんなことになるなら、あのときに・・・吐き出しておくべきだったんだ・・・」
きっと彼には意味不明だったことだろう。
そんな台詞を何度も何度も繰り返した。
それでも彼はとても優しく背中を擦って、声をかけ続けてくれた。
「何を言ってるんですか。あなただって必要とされてるじゃないですか。仕事の役割がちがうだけですよ」
「あなたは僕のことが疎ましいかもしれませんけど、僕はあなたのこと好きですよ」
彼が声をかけてくれればくれるほど、余計に情けなくなり、僕はいつまでも吐いた。
そして、そのまま朝になった。
翌日、正確にはその当日は、午後から出勤をし、皆に非礼を詫びた。
竜太郎には、どう接していいか分からなかったが、それでも心から礼を言い、そしてやはり詫びた。
暫くは罪悪感や名前もつけられない感情が渦巻いていて、憂鬱な時間が流れたが、数日経つと以前より、何かが軽くなった自分が其処にいることに気づいた。
僕は竜太郎に感謝をするべきなのだろう。
僕は確かに彼に嫉妬をしていて、情けない姿など一番見せたくない相手であった。
しかし、よくよく考えてみれば、他の誰にあんな姿を見せられたであろう。
おそらく、それは彼でなければならなかったのだ。同じ誕生日であり、能力は違えど、どこかしら似たところがある優しい彼でなければ。
僕はあのときから、一つの区切りのようなものさえ得た気になっていた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
嘔吐したのは、烏賊やウイスキーだけではなかったのかもしれない。
しかし、一度にすべて話さなくてもいいだろう。
結論だけいうなら、彼女とのことに兆候のようなものはなかった。
ニュージーランドで僕に起こったことの中で一番ステキなことの一つだとは思うのだけれど。
そして、今、僕はようやく理解する。何も兆候というのは良いことばかりに起こるわけではないということに。
何から話せばいいのだろう・・・僕の目の前には便器があり、そのなかの水は真っ黒に染まっていて、僕はその便器に許しを乞うように頭を垂れ、汗ばんだ手はある男の手を握り、そして呻く。
「なんで・・・なんで最も見られたくない姿を最も見せたくない相手に・・・」
呼吸は荒れ、顔は涙でボロボロになり、また嘔吐物が喉元に這い上がってくる。
僕の前にいる男・・・彼の名前は"竜太郎"という。
さて、少しずつ整理しながら話していこう。時間はあるのだ。
ドバイで僕が勤めるジャパニーズ・レストランだが、何も同僚が全員フィリピン人のウェイター、ウェイトレスというわけでもない。
少ないが何人かは日本人が働いている。
ウェイトレスにも一人、日本人の女の子がいて、彼女の名前は"桃花"という。
アルコールが大好きで、韓国人のファッションやメイクを愛する、明るい茶髪の現代っ子といえば、大体の彼女の外見と雰囲気は説明できているのではないだろうか。
そして、竜太郎。
彼はレストランの寿司エリアのシェフで誕生日が僕と同じ3月6日だった。
彼は僕より二つ年下だが、世の中を上手く生きていく"コツ"みたいなものをすでに身につけていて。たくさんのお客様や友人に愛されている男だった。
そして、僕は彼のことがなかなか好きになれなかった。
彼が悪いのではないのだと思う。今だからはっきりと言える。僕は彼に嫉妬していたのだ。
しかし、僕は嫉妬や絶望といったネガティブな感情をうまく認知することが出来なくなってしまっていた。
正確にいうなら気づいても、それを決して認めなくなってしまったのだ。
それをしていたら、あのとき僕の精神はもたなかったにちがいない。
そう、あのとき・・・泉に最後の挨拶をしたときからだ。
僕は、楽しそうで、自信たっぷりで、そして才能があり努力もできる彼を、本人の前や同僚の前でよく称賛した。
それが嫉妬をしている自分を誤魔化す必死の行為だとも判らないままに。
おそらく僕は、彼は彼で自分は自分だから、比べて絶望したりしないし、良いところは誉めるくらいの余裕はあると見せたかったのだろうと思う。
それでも、やはり人間は弱い生き物なのかもしれない。
自分が少しでも絶望から救われるならば、簡単にそちらに靡く。
彼を少し批判するような意見があれば、僕はよく「素晴らしい男だけど、そういうことはあるかもしれないね」とそんな風に言っていた。
そして、その批判的な意見をよく発するのが桃花だった。
彼女はとても自由奔放な性格だったから、芯と自分の意見をしっかり持っていて、ときおりそれを人に熱く押しつけてしまうきらいのある竜太郎を、煩わしく思うことがあったようだ。
そして僕は、彼女のそんな不満をふむふむ、と聞きながら「素晴らしい男だけど、そういうことはあるかもしれないね」と例によって漏らしていた。
そうだ、なにも彼のすべてが正解ではない。僕の側にだって味方はいるのだ。
そんな風が吹けば飛んでいってしまうような軽い支柱を拠り所にしていたのが、今となっては愚かだったと反省するしかないのだろう。
そして、些細な事件が起こる。
僕ら、レストランのコックやウェイトレスは、会社が用意したビルを寮として、皆一緒に住んでいた。
キッチンは共用スペースとなっていて、仕事終わりに酒が好きなスタッフは、よくそこで溜まって朝まで無駄話に花を咲かせているようだった。
僕は酒を飲むのがそんなに好きなわけではないのでたまに参加する程度だったが、竜太郎と桃花、それに数人のフィリピン人スタッフは毎晩のようにそこで小さな宴会をしていた。
たまに、五月蝿いな、と思うこともないではなかったが、自分だって参加することはあるのだからと、それについて不満を漏らしたりはしなかった。
ある朝、僕がいつもと同じ時間に起床し、バスルームに顔を洗いに行くと、シャワーカーテンが落ち、トイレット・ペーパーが床まで垂れ下がって、クシャクシャになっていた。
僕は、やれやれ、またか、と思った。
竜太郎は酒に弱くはないが、よく飲みすぎて、ところ構わず寝てしまったり、バスルームを荒らして、そのまま出てきてしまったりする。
僕はレストランに勤めて日が浅く、狭いベッド・ルームを与えられてるだけである。彼のマスター・ルームのトイレや風呂を貸してもらっている身なので文句をいう筋合いはないのだが、朝からそんな状態を見るとげんなりはする。
取り合えず、シャワーカーテンだけでもかけ直そうとしたときに、そこにあるものを見て、僕の心臓がドクン、と脈打つ。
そこには、避妊具が落ちていた。
僕は少しの時間、混乱する。
正直、誰と誰が寝ていたところで興味はない・・・はずだ。僕はこの仕事場で、誰にも恋をしたりしてないし、それに避妊具が落ちていたからといって、必ずしも性行為が行われたとも限らない。
しかし、混乱は追憶を巻き込んで痛みへと徐々に、しかし確実に変化していく。
僕が知らないところで、誰かと誰かが親密になっていく・・・。
のりこと、あの料理長のように・・・。
知恵と優午のように・・・。
そして、泉と顔も知らないどこかの男のように・・・。
しかし、そんな心の変化を感じながらも、僕は顔を洗い、鏡で自分の顔を確認して、大丈夫だ、と言い聞かせる。
些細なことじゃあないか。
心にナイフが突き刺さったまま、あんな過剰な労働にも耐えきった自分だ。
こんなこと、些細なことじゃあないか。
そしてバスルームのドアを閉じ、僕は仕事に向かったのだった。
それから数日が経った。
僕は正気を保つのが、少し難しくなっていた。
気になって仕様がないのだ。何一つ集中できないのだ。
誰と誰なのか。何かあったのか。もう殆んど答えは出ているようなものなのに。それを知っても傷つく以外に辿り着く場所はないのに。それでも破滅へと歩幅を狭めていく僕は狂っていた。
そして、そのときを自分で選び、崩壊する。
ある晩、桃花と二人っきりになった深夜のキッチンでビールを片手に僕は切り出す。
もちろん笑顔は崩さない。あくまで自然に。
彼女は自由奔放だ。
お酒を飲んでお客さんと簡単に身体の関係をもってしまったと笑いながら、話したりする。
だから、大したことではないのだ。大したことでは・・・。
「最近、もしかして同僚の誰かと寝たかい?」
彼女は無邪気に、しかし少しだけばつが悪そうに笑う。
「バレちゃいました?」
「この前、酔っ払ちゃって竜太郎さんと」
「覚えてないんですけど、私から迫ったみたいで」
「笑っちゃいますよね」
「笑っちゃうね」と僕は言い「秘密にしておくよ」と笑った。
あくまで自然に。
そして、僕は次の日もキッチンでの宴会に参加した。
始めはみんな珍しい、と喜んでいたが、酒量が異常だと気づくと慌てて止めて、僕を部屋に返し、もう寝るように勧めた。
深夜の、4時頃だったと思う。
僕は暗闇のなかで夢から目が覚めた。
とても鮮明な夢だ。
場所は曾右衛門邸の縁側。時間は夕刻。竹林が風でざわざわと音と葉を散らす。僕は胡座を組んで煙草を吹かしている。夜に予約がない日で少し休憩できる余裕がある日なのだ。
そして、気づく。ああ、これはあの日だ、と。
彼と最初に会った、あの日を夢で繰り返しているのだと。
どんなことが起こるのか知っているから今回は驚きはしない。恐ろしくもない。
彼が竹林の中からゆっくりと現れる。
予想したとおりだ。
しかし、一通り彼と過去にしたように会話を終えたあとに、異変が起きた。
彼が着ぐるみのフードをゆっくり脱ごうとしている。
待てよ。君はそのまま竹林の中へ消えていったはずじゃあないか。
捲れた彼の口許がニコリと笑ったところで、夢が覚めた。
自分の部屋のベッドの上で、真っ暗な闇のなかだ。
そして、僕は突然激しい吐き気に襲われる。
我慢が出来ず、トイレに駆け込む。
最初の嘔吐物は真っ黒だった。昼間に飲んだコーヒーの色だろうか。あとは数時間前にウイスキーと一緒に摘まんだ烏賊がそのなかに浮かんでいる。
酷い有り様だ。こんなの学生のとき以来だ。
感慨に耽ってる暇もなく、何度も何度も吐き気は襲ってきて、僕のすべての臓器がそれらを絞り出そうと身体を締めつける。
そうしている内に、寝ていた竜太郎がそれに気づき、部屋から出てきて、僕に声をかけた。
「×××さん、大丈夫ですか?」
彼は優しく背中を擦ってくれた。
僕はもう情けなくてどうしようもなかった。
そして、嘔吐物と一緒にすべて吐き出してしまった。
「なんで・・・なんで最も見られたくない姿を最も見せたくない相手に・・・」
「同じ誕生日に生まれているのに、なぜ僕だけが失い続けるんだろう・・・」
「こんなことになるなら、あのときに・・・吐き出しておくべきだったんだ・・・」
きっと彼には意味不明だったことだろう。
そんな台詞を何度も何度も繰り返した。
それでも彼はとても優しく背中を擦って、声をかけ続けてくれた。
「何を言ってるんですか。あなただって必要とされてるじゃないですか。仕事の役割がちがうだけですよ」
「あなたは僕のことが疎ましいかもしれませんけど、僕はあなたのこと好きですよ」
彼が声をかけてくれればくれるほど、余計に情けなくなり、僕はいつまでも吐いた。
そして、そのまま朝になった。
翌日、正確にはその当日は、午後から出勤をし、皆に非礼を詫びた。
竜太郎には、どう接していいか分からなかったが、それでも心から礼を言い、そしてやはり詫びた。
暫くは罪悪感や名前もつけられない感情が渦巻いていて、憂鬱な時間が流れたが、数日経つと以前より、何かが軽くなった自分が其処にいることに気づいた。
僕は竜太郎に感謝をするべきなのだろう。
僕は確かに彼に嫉妬をしていて、情けない姿など一番見せたくない相手であった。
しかし、よくよく考えてみれば、他の誰にあんな姿を見せられたであろう。
おそらく、それは彼でなければならなかったのだ。同じ誕生日であり、能力は違えど、どこかしら似たところがある優しい彼でなければ。
僕はあのときから、一つの区切りのようなものさえ得た気になっていた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
嘔吐したのは、烏賊やウイスキーだけではなかったのかもしれない。
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