北畠の鬼神

小狐丸

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39 伊賀の臣従

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 弘治三年(1557年)六月

 伊賀は貧しい土地だった。

 室町幕府の伊賀国守護職、仁木氏が治めるが、貧しい土地を多くの豪族が割拠するこの土地を制御出来ずにいた。

 俺が道順と出逢う前、伊賀の土地は三つの勢力の影響下にあった。

 阿山、柘植、大山田の六角氏派。

 上野や山城や大和に近い土地は、仁木氏派。
 だが服部氏は仁木氏派だったが、三河へと仕官してしまう。

 そして百地氏や藤林氏の名張、青山が、北畠氏派だった。


 そしてそれがここ十年で変化する。

 六角氏派は、柘植保重が残るのみとなり、影響下にある土地は激減した。
 仁木氏に至っては伊賀から逃亡し、結果的に伊賀の八割以上の土地と豪族が北畠氏に臣従していた。


 今までなら、六角氏も面白くないと兵を出したかもしれないが、近江の甲賀と違い伊賀は建前として仁木氏が守護職だ。守護代家の六角氏が、簡単に侵攻していい理由がない。


 この現状を創り出したのは八部衆だ。

 伊賀と甲賀の忍びが中心となっている八部衆だが、情報収集の為の仕事が広範囲にわたると、流石に物理的に人が足りない。

 飛び加藤も信州方面や関東の忍びをスカウトしてくれているが、到底人数が足りない。

 そこで今まで水面下での臣従に留めていた、伊賀の豪族たちが正式に北畠氏に臣従していると示す時期が来たと判断した。

 正直な話、伊賀は投資に見合わない程貧しい土地なので、最近になってやっと単年で赤字じゃなくなった。

 六角氏や仁木氏は北畠家が、伊賀にどれだけ銭を使ったか知らないだろうが。

 それはもう大変だったんだ。

 農政改革で、農作物の収穫量を増やし、忍び仕事が出来ない者に、内職で稼げる様にしたりと……


 ただ良い事ばかりじゃない。

 伊賀国守護職の仁木氏が居るのに、豪族たちの殆どが北畠家に臣従したのだ。問題しかない。

「仁木氏は今更でしょう」
「だな。殿、仁木義視は守護職の器ではありませんから」

 俺が伊賀の事を思案していると、百地丹波守殿と藤林長門守殿が、今更仁木氏では伊賀が混乱するだけだと言う。

 今日は、八部衆からの定期報告の日で、伊賀から百地丹波守殿と藤林長門守殿、甲賀からは望月出雲守殿、俺の家臣からは甲賀の出身という事で、八郎殿が参加している。

「甲賀は現状維持ですな」
「六角家には、今暫く畿内との防波堤になって貰わないとな」

 望月出雲守殿が、甲賀は暫くこのまま何も変わらないと言う。
 今、うちが本気ななれば、六角家を倒すのは可能だと思う。ただそうなると、畿内の争いに巻き込まれる可能性が高くなる。

 まだ時期尚早だと共通の認識だ。

「もっと六角家の力が衰えてからがいいでしょうな」
「うむ、今でも即時に二万の兵を動かせる力はあるからな」
「殿の率いる兵達は大丈夫でしょうが、御所様が率いる本隊はそれなりに被害が出るでしょうしな」

 百地丹波守、藤林長門守、望月出雲守三人の共通の認識として、今の六角家二万の兵を相手にしても、俺の率いる赤備えの精鋭部隊なら被害を殆ど出さずに戦えるだろうが、兄上の率いる本隊は、流石にそうはいかないと考えているようだ。

「戦う相手は、可能な限り少ない方がいいからな」
「ええ、調略にも時間はかかりますし、北近江の浅井氏は利用出来そうですしな」

 浅井氏は、史実と同じように六角家とは仲が良くない。一応臣従している状態なのだけど、史実のようにいつ戦さに発展しても不思議ない状態だという。

「だけど浅井氏を仲間にとは思わないんだよな」
「ですな。浅井氏は朝倉氏と近過ぎます」
「朝倉氏もよく分からない家ですから」

 朝倉氏も朝倉宗滴が健在なら別なんだろうが、俺や八郎殿、望月出雲守殿も今の朝倉義景がよく分からない人物だ。

 八部衆の報告では、戦さよりも芸事を好む人らしい。
 歌道、和歌、連歌、猿楽、作庭、絵画など多くの芸事を好み、特に茶道に凝っているようで、多くの名物を所持しているらしい。

 三郎殿に任せっきりだと、史実通りに灰になるかもしれないな。流石に後の世に遺したいと思ってしまう。

「それと織田殿ですが、伊勢守家と戦さになるかは微妙ですな」

 叔父の孫三郎殿が死なずに、三郎殿の味方なのが影響しているのか、尾張は史実よりだいぶ苦労は少ないようだ。

 俺と於市の婚約による同盟が効いている。

 斎藤義龍が織田信広に、三郎殿を裏切るように要請する様な事もない。

 そうなると伊勢守家だけでは、元々弾正忠家には対抗できないので、こうべを垂れるかもしれないな。

 意地を取るか、家を残すか、どっちになるだろうね。

「勘十郎殿は大人しくしてるのかな」
「くっくっくっ」

 俺が三郎殿を押し退け弾正忠家の当主になろうとしていた勘十郎信勝(信行)の話をすると、出雲守が笑いを我慢するような仕草をする。
 見ると丹波守と長門守も同じように笑いを我慢していた。

「……殿、織田殿の弟は大人しく寺で暮らしているようです」
「戦さ場での殿を夢に見て恐怖で目覚めるとか」
「恐怖から逃れる為に、熱心に仏に祈り修行に励んでいるそうですぞ」
「……ああ、少し脅し過ぎたか」

 狙い通りではあるんだが、俺がトラウマになっているらしい。でもそれなら二度と三郎殿に謀反を起こす事もないだろう。



「武田の三つ者が増えています。もっとも寝返る者が多いですが」
「その対応はどうしてる?」
「直ぐに八部衆として使えませぬので、甲斐から信濃で働かせています」
「うん、それでいいよ」

 武田の三つ者だけじゃなく、北畠家の忍びへの厚遇を知ると、伊賀や甲賀以外の忍びが雇って欲しいと寝返る事が増えている。流石に直ぐ八部衆で使える訳もなく、遠方での情報収集の仕事を与えている。

 その際、盗みや強盗などの騒ぎを起こさない事を徹底させている。その分、報酬は弾んでいる。

「しかし武田晴信、信義や誠実というものを母親の腹の中に忘れて生まれた様な男ですな。武田に敗れた土地は、全てを奪われ雑草も残らないと言われています」
「出雲守殿の本家は武田でしたっけ」
「はい。どうやら所領を無くした様ですが、今のところ我等に接触はありません」

 出雲守殿は本家との関係で、武田信玄、今は武田晴信を知っているようだ。

 武田晴信ほどうちと正反対の存在は居ない。

 甲斐が貧しい土地という理由もあるだろうが、武田晴信は戦さで全てを奪い取る。食料から人まで……

 この時代、乱取りで人を奴隷に売る武将は珍しくないかもしれないが、武田晴信は、えげつない程徹底している。


「願証寺の寺領からの避難民は順調に増えています」
「上手く噂は広がっているみたいだな」
「流民の村も幾つか完成し、平穏な日々を送っています」

 一向宗の門徒をゆっくりと減らしていく計画は、概ね上手くいっているようだ。

 伊勢ならば現世でも幸せな人間らしい暮らしが出来ると八部衆が噂を広めている。その効果が徐々に出ているのだろう。

 これもあまり一気にやり過ぎると、願証寺と揉める事になるので、さじ加減が難しい。

「最後に甲賀ですが、六角左京大夫は所領さえ維持していれば、素破に興味はありませんから暫くは問題ありません。ただ三雲定持が警戒し始めているようです」
「甲賀は暫く現状維持だな」
「北畠家についた勢力と、そうでない勢力の格差が多少問題ではありますが、特に直ぐ何かある訳ではないので、放置で大丈夫だと思います」

 八部衆の一員や、うちからの仕事をする者と、六角派との経済格差が広がっている。三雲家が金持ちなので、表立って騒ぎになる程じゃないので、六角関係は暫く現状維持だ。

 ただ丹波守殿が六角とはいつ戦さになっても不思議じゃない状態になるだろうと言う。

「六角とは険悪になっていくでしょうな」
「丹波守殿、それはもう仕方ないよ。ただ左京大夫も敵が周りに多い事を理解したから、直ぐに暴発する事はないと思うよ」
「殿、某の事は三太夫でいいですぞ」
「ははっ、慣れるようにするよ」

 話が終わり掛けた頃、三太夫殿が思い出したように追加の情報を話す。

「伊賀に大樹より三好長慶暗殺の依頼がありましたが、今は腕利きが忙しく無理だと断っておきましたが」
「ああ、それでいいよ。伊賀としても仕事を依頼されるのは仕方ないしても、そんな使い捨ての様な仕事は受ける必要はないかな。畿内のゴタゴタに巻き込まないで欲しいんだけどなぁ」

 きっと大樹のご機嫌をとる幕臣連中の仕業なんだろうが、溜息が出るね。

 ひと通りの報告が終わった後、八部衆の増強に関して話し合い、定時報告を終えたのだった。


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