北畠の鬼神

小狐丸

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 弘治二年(1556年)六月

 伊勢の開発も順調に進み、静かに北畠氏に組み込まれていた伊賀や甲賀の味方の勢力も、飢える事なく凍え死ぬ事もなくなった。

 甲賀は、べったりと六角氏と繋がりのある三雲氏や山中氏など以外の家は、北畠家主導の農政改革と北畠家からの仕事で随分と豊かになった。

 六角左京大夫義賢も、甲賀の土豪が北畠家に臣従する事には、何も問題視していなかっただろうが、望月出雲守の娘千代女が側室に入った事で、甲賀五十三家筆頭の望月家が北畠家に臣従している事を知ってしまった。

 だからと言って左京大夫に甲賀に強い口出しは出来ない。
 甲賀が貧しく、素破として使い捨て同然の仕事をしないと生きていけなかった頃、六角家は何も援助もしていない。六角家として大事なのは、甲賀でも一部の重臣となっている家だけだ。

 左京大夫としても、甲賀の所領を維持していれば、文句はなかったのだろう。

 そのお陰で、今や伊賀と甲賀の殆どは、八部衆の影響下にある。

 中には一族を分けて伊勢に仕官した者も多い。

 今部屋に入って来た八郎殿(滝川 資清)のように。

「殿、美濃から仕官希望者が訪ねて来ています。どうされますか?」
「美濃から?」
「はい」

 美濃は今揺れている。

 つい先日、斎藤道三が息子の義龍に殺されたんだ。

 美濃からとなると、道三側に付いた者だろうか。まだそれ程日にちが経っていないが、美濃と伊勢の距離なら不思議でもないか。



 八郎殿と仕官希望者の待つ部屋に入ると、主人と一人の武士が頭を下げた。

 ああ、何となく分かっちゃったよ。
 越前朝倉に行かずにうちに来たんだね。

 俺の予想通りなら、明智光秀と彼の重臣である明智秀満だな。
 明智秀満も若いね。二十歳くらいかな。

 明智光秀は俺の一回りくらい歳上だろう。実年齢以上に落ち着いて見えるのは、この時代の人はだいたい同じだ。

「御目通り頂き感謝致します。某、明智十兵衛光秀と申します。此処に居るのは、某の家臣明智秀満に御座います」
「それはご丁寧に、私が北畠左近衛少将義具です」

 俺が上座に座ると明智光秀と挨拶を交わす。

 明智光秀かぁ、賢そうだな。謀略策謀を好みそうではあるが、主君を裏切ったりするイメージはないな。史実の織田信長は色々と問題も多かったみたいだから、爆発しちゃたのかな。








 斎藤道三殿が息子義龍との長良川の戦いで討死し、明智城も義龍に攻められ一族離散の憂き目にあった。

 妻煕子や一族郎党を養うため、仕官先を探さねばならない。

 左馬介(明智秀満)と相談し、何処を目指すか決めねばならなかった。

 我が明智家は、土岐氏に仕えていた明智家の傍流にあたる。清和源氏の家系などと胸を張るのも烏滸がましい程度の血筋だ。

 生活も決して楽ではなく、煕子には苦労かけている。それに追い討ちを掛けるように、今回の明智城の落城だ。出来るだけ早く仕官先を探さねば……

「矢張り越前朝倉家を頼るか」
「殿、越前の地は隣に火薬を抱かえていますぞ」
「一向宗か……あれでは武士と変わらぬな」

 左馬介は、越前の朝倉家は反対のようだ。確かに煕子の事を思えば、美濃から越前は気候が変わり過ぎるか。

「とは言え、今の尾張はまだまだ不安定だからな。しかし、敢えて織田弾正忠家で出世を目指すのも悪くはないか」
「殿、伊勢はどうでしょう。北畠家が伊勢を統一したと聞きます」
「北畠権中納言具教殿か……名門中の名門ではあるが、それだけではなさそうだな」

 美濃に居ると、伊勢の情報はあまり入って来ない。
 商人の話では、この十年の発展は目まぐるしいらしい。

「某も商人から聞いたのですが、伊勢では澄んだ美味い酒が呑めるらしいのです」
「はぁ、左馬介、結局は酒か」
「殿、酒を侮ってはいけませんぞ。清酒というそうですが、これが高値で売れていると聞きます」

 そう言えば織田家と北畠家が同盟を結んだと聞いた。

「一度伊勢を見聞してみるか」
「桑名から伊勢神宮までの伊勢街道は、関所の数が星の数ほどあると言います。某と殿の二人で見極めましょう」

 桑名から大湊まで海路でも構わないが、伊勢街道を歩き、北畠家の治世をこの身に感じたいと思った。


 左馬介と二人、桑名から伊勢街道を南下する旅は、驚きの連続だった。

 先ず、関所は必要最低限の数に整理され、街道は広く綺麗に整備されている。それは今も続いている。
 左馬介が賦役に参加している領民に話を聞いて驚いていた。

「殿、何と、賦役に参加すると銭と飯が貰えるそうです」
「……領民を飢えさせぬ様にと、領民が銭を使えばそれだけ領内は発展するのか。どうりで賦役に参加する領民の顔が明るい筈だ」



 やがて神戸城の城下にたどり着いた。

 そこは大規模な工事が行われていた。

「城の改築みたいですね」
「ああ、しかもかなりの大工事だ」
「殿、見てください。鉄をふんだんに使った道具ですよ」

 左馬介が指摘したのは、工事に関わる者達の使う道具類だった。高価な鉄を贅沢に使って作られている。

 作業速度が速くする為だろうが、北畠家は裕福なのだと改めて感じる。

 そこから更に南下し続ける。

「街道が広くて真っ直ぐなだけでなく、川に橋が架かっていますね」

 攻められ難い様、細く曲がりくねった道が当たり前だと、思っていた自分の常識が崩れる音が聞こえた。

「その答えは、商人の行き来が多い事が理由だろう」
「そう言えば、街道に人が多いですね」

 成る程、船だけでなく陸路での商いをする者にとって、関所の整理も広く綺麗な街道も魅力なのだろう。

「こんな銭の稼ぎ方があるのだな」

 間者対策が大変だろうが、出入りする人が増えれば、そこで銭は落ちるのは道理か。



 道中、何度となく驚いて、もう驚く事もないと思っていたが、安濃津は我等を更に驚かせる城下町と城だった。

 南北の川を二重の外堀にした総構えの城下町は、道幅が広い。

「あの高い建物は櫓ですか」
「天守閣と言うそうだ」

 石垣が積まれた天守台に、まるで象徴の様な天守閣がそびえている。
 内堀も石垣と土塀で囲まれ、平城ながら堅固な城だと感じた。

 しかしこの城は、籠城する為の城ではないだろう。

 町を発展させる為の城。

「城下町も凄い賑わいですね」
「あ、ああ……」

 左馬介が話すのに生返事を返す。

 此処が北畠家当主の弟、北畠左少将殿の治める城と町か。

「左馬介、左少将様に仕官をお願いしよう」
「権中納言様ではないので?」
「うむ、聞けば左少将様は、北畠軍の最前線に立つお方らしい」
「おお! 我等が武功をあげるにはもってこいと言う事ですな」

 左少将様に仕官すると、立場は北畠本家の陪臣になる。だが私の勘が告げている。この選択が正しいと。



 幸いなことに、直ぐに左少将様と御目通り出来る運びとなり、左馬介と部屋に通され待つ事少し、入って来たのは壮年の武士と若い武士が二人。

 そして上座の正面に座った若い武士が左少将様だろう。

 左少将様と護衛の若い武士は、共に六尺はある恵まれた体躯をしていた。

「御目通り頂き感謝致します。某、明智十兵衛光秀と申します。此処に居るのは、某の家臣明智秀満に御座います」
「それはご丁寧に、私が北畠左近衛少将義具です」

 そう名乗られた左少将様は、若いが王の威厳を保つ美丈夫だった。

 安濃津の町で聞いた「北畠の鬼神」と言う渾名で呼ばれるとは思えない涼しげな顔と佇まい。左馬介がこの場の空気に呑まれている。

「明智殿は、仕官をお望みとか。兄上ではなく私にですか?」
「はっ、左少将様の家臣の末席に加えて頂きたく」

 陪臣になるが大丈夫かと聞かれたが、私の気持ちは決まっていた。

「分かりました。では三百貫からで構いませんか?」
「!? よろしくお願い致します」

 三百貫頂けるとは、これで照子に楽させてやれる。

「八郎殿、明智殿の屋敷の手配をお願いします」
「はっ、畏まりました。明智殿、屋敷に案内する故、某に付いて来てくだされ」



 案内してくれたのは、滝川殿と名乗られた甲賀出身の土豪の出だという。
 身分不相応だと御自分で仰っていたが、滝川殿は左少将様、いやもう殿とお呼びせねばならぬな。滝川殿は殿の家老の一人だという。

 殿は譜代外様、氏素性にかかわらず評価するのだろう。働き甲斐があるというものだ。

 内堀と一重目の外堀との間にある家臣が暮らす場所、そこにある立派な屋敷に案内された。

「この屋敷をお使いくだされ。左馬介殿の屋敷は近くに手配すればいいでさかな」
「いえ、滝川殿、某は殿と一緒で構いません」
「手狭になってからで結構です」

 一族郎党を呼び寄せても、十分に広く使える屋敷だ。手狭になれば、その時に相談すれば良いだろう。

「それでは、少し安濃津の城を案内しましょうかな」
「お願いして宜しいですか」
「では付いて来てくだされ」

 滝川殿に案内され、安濃津の湊を案内される。

「此処は、北畠水軍の拠点ですな」
「……あれは南蛮船ですか?」
「南蛮船と言えるかどうか。南蛮船を模した船と思って貰えればいいと思います」

 水軍の拠点と言われた湊には、沢山の蔵が並び、黒く塗られた複雑な帆の大きな船が何隻も係留されていた。

 次に案内された場所は、掘りと土塀に囲まれた工業区画と言うらしい。

「此処では鉄を造っています。あと鍛治職人や鋳物職人、瓦職人など、職人達が此処で働いています」
「なんと、火縄も此処で?」
「ええ、火縄銃も造っていますな」

 左馬介は只々呆然としている。
 気持ちは分かる。私も同じ気持ちだ。

「あとは鍛錬場や射撃訓練場がありますな」
「火縄を訓練で撃つのですか?」
「撃たねば上達しないと、殿の方針です」
「…………」

 もう言葉もない。硝石は大変高価だ。故に弾薬を使っての射撃訓練など普通は出来ない。

 屋敷へと戻る途中、信じられない巨馬に乗る若いが巨軀の傾奇いた武士と出会う。

「こら慶次郎! また遊び呆けておるのか!」
「遊びも某の仕事のうち故、ではお先に」
「これ!」

 走り去る後ろ姿を見送っていると、滝川殿から謝られた。

「我が一族の傾奇者です。殿があれを好きにさせる故、傾奇放題です。お許しください」
「い、いえ、しかし立派な馬でしたな」
「殿の愛馬、黒影の子供達は皆大きく力強く速いのですよ」

 それを聞いて思わず「何と羨ましい」とこぼしてしまった。

「なに、武功をあげれば頂けるでしょう」
「そ、それは誠ですか!」
「これ左馬介」

 左馬介も私と同じで、あの馬を見た瞬間から釘付けになっていたようだ。



 屋敷に戻って一息つく。

「煕子を迎えに行かねばな」
「殿、それは某にお任せ下さい」
「そうか。では私は生活に必要物を調達しておこう」

 別れ際、滝川殿から百貫の支度金を頂いた。

 必要な物を買う場合、小者を付けると言って頂いた。

 早く慣れて北畠家の為に働かねばな。


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