北畠の鬼神

小狐丸

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 天文十七年(1548年)三月

 近江国 観音寺城

 六角定頼

 室町幕府管領代、六角弾正少弼定頼は、応仁の乱以降の畿内の戦乱を調停する為、調停に乗りだし、幾度となく戦さをしてきた。

 南近江を中心に大きな勢力を持つ、今の六角家の隆盛を創り上げた人物。それが六角定頼だった。

 その定頼が重臣のみを呼び六角家の今後の方針について話し合っていた。

 この場には、平井加賀守定成、後藤但馬守賢豊、蒲生下野守定秀、三雲対馬守定持が集まっていた。

「ふむ、北畠の嫡男は相変わらず剣術狂いか」
「嫡男の具教だけでなく、四男の鬼王丸も鹿島新当流、塚原土佐守に師事し、熱心に鍛錬に取り組んでいるようです」
「ふん、公家の癖に相変わらずだなあの家は。娘をやったのは失敗だったか」

 定頼が南伊勢五郡を支配する名門に嫁がせた娘の事を言う。

「ただ南伊勢はこの数年豊作続きで、領民が飢えて死ぬ事もなくなり、商人の出入りも活発です」
「……理由は分かるか?」

 甲賀の有力国人で、素破を使い各国の情報収集をしている三雲対馬守の報告を聞き、この数年の北畠家領内で商人の出入りが増えている理由を聞く。

 米に関しては、去年は近江でも豊作だったので、伊勢で数年豊作だったとしても、それには定頼は何も思わなかった。

「米が豊作なのは未だ調査中ですが、塩田に奇怪なからくりが出来、その所為か塩の生産量は増えているようです」
「塩は海を持たない我が家では関係ないな」
「お屋形様もご存知かと思いますが、北畠家の澄み酒が引く手数多なようです」
「うむ、あれは旨い。あれを一度呑むと、濁り酒は呑めなくなる。あれの作り方を探れ」
「申し訳ございません。配下の者を何度も送り込みましたが、伊賀者の数が多く中々近寄れません」
「……ふむ、無理をせぬ範囲で引き続き調べよ」

 定頼も北畠家が数年前から伊賀者を多く雇っているのは知っていた。ここで無理をさせて対馬守配下の素破を無駄に失うのは避けたかった。
 定頼が表情で促し、対馬守が報告を続ける。

「南蛮から少数が高値で手に入る程度だった石鹸が、大湊や桑名、津島や熱田、宇治、山田の商人が扱うようになっていますが、出どころは北畠のようです」
「何と、澄み酒に石鹸もか」

 三雲定持から報された事実に加賀守が驚きの声を上げる。
 定頼が先を続けるよう視線で促す。

「干し椎茸や醤油に味噌など、近年北畠は銭を稼ぐのに熱心なようで」
「それで、それらの作り方は分かったか?」
「申し訳ございません」

 三雲定持が悔しそうに頭を下げる。
 ここ数年、北畠領内に間者を送り込むのが難しくなり、重要な場所へ近づく事も容易ではない。多くの伊賀の素破が結界を張って北畠領内を護っていた。

 三雲定持は、六角家に近い伊賀者や甲賀の他家にも協力を持ち掛けたが、三雲家と同じく六角家の禄を喰む山中家以外には、いい返答を得られなかった。

 正条植えなどは一目瞭然なので、既に北畠領内全域に広がっている現状、隠しようがないが、だからといってそれを六角家で直ぐに真似できるものでもない。理屈の分からない未知のものを取り入れるには実験と検証が必要だった。

「娘の文では、四男の鬼王丸という童は公家とは思えぬ自由人で困っていると書かれていたが……」
「某も四男が農民の子や河原者の子らを集めて徒党を組んでいると聞いています」
「名門らしからぬうつけですな」

 定頼は娘から鬼王丸の様子が書かれた手紙を受け取っていた。その行状はお世辞にも公家として相応しい振る舞いだとは言えぬものばかりだった。

 ただ何故か違和感が拭えない定頼だったが、鬼王丸は十歳にも満たない童だ。ここ数年の北畠領内の発展と繋げる事は出来なかった。

「それと甲賀の土地を棄てて北畠領に流れる土豪の数が増えています」

 次に三雲定持からの報告は、甲賀の土豪の流出だった。
 それに定頼はピクリと眉を動かすも、反応はそれだけだった。他の重臣達も反応は変わらない。何故なら甲賀は数家、いや、はっきり言ってしまえば三雲家と山中家以外は、六角家の影響下にありはするが直臣ではない。六角と言う傘の下に護られているとも言えるが、六角家から援助などがある訳でもない。

 もっとはっきりと言えば、素破や乱破など下賎な輩と見下している。それが此処に居る重臣達でさえそうなのだから、六角家中の者の考えなど推して知るべしだった。

「土地は誰かが引き継いでいるのなら問題なかろう」
「では、そのように」

 定頼はその一言でこの問題を片付けた。それが後に六角家にどの様な影響を及ぼすか知らぬまま。

「次に、美濃の斎藤山城守利政と尾張織田弾正忠信秀との間で和睦が結ばれたもようです」
「蝮か、守護様が危ういの」

 美濃守護土岐 頼芸の室もまた六角定頼の娘であった。
 斎藤山城守利政、斎藤道三と呼んだ方が分かりやすい美濃の蝮に尾張へと追放されていた土岐 頼芸だが、織田信秀と斎藤利政が和睦した事で、美濃へと戻っている。

「孫と娘は近江で保護したいが、土岐 頼芸はもう要らぬな」
「はい。六角家の毒にしかならぬでしょう」

 定頼も重臣達もこれ以上厄介ごとは避けたかった。

 畿内の争いに首を突っ込んでいる間に、気が付けば敵に囲まれていたなどと笑えない。

 浅井家は従属してはいるが、潜在敵国なのは変わらない。当主の久政の器が知れているだけ気は楽だが、北近江には京極も居る。
 そして東の美濃には娘婿を追放した蝮が居る。戦さには強いが、信用するに値しない男だ。
 西には六角家だけでは対抗するのが難しくなって来ている三好長慶が健在だ。
 南伊勢の北畠具教も娘婿だが、ここに来て北畠家が何を考えているのか分からない。

 ここで定頼は自分亡き後を考える。
 嫡男の義賢は愚鈍ではないと思う。思うが、決して優れた当主に成れるかと問われると否と言わざるをえない。義賢は、短気で短慮な部分も見受けられる。その孫はまだ四つなので資質は分からないが、余程の事がなければ、六角家は重臣達が護ってくれるだろうと信じていた。

 六角定頼をしても管領代としての役割を果たし、畿内の騒乱を収めたい程度の意識しかなかった。

 今川義元や武田信玄も上洛を目指したが、それはこの時代畿内を抑える事が、イコール天下という認識なのは変わらなかったのだろう。

 唯一、織田信長は日ノ本の統治体制からひっくり返し、本当の意味での天下を目指した武将なのではないか。

 この数年後、病の床で六角定頼は、違和感を感じながらも甲賀に興味を持たなかった事を死の淵で悔やむ日が来るのだが、それに気が付いた時には全てが手遅れとなっている事だろう。


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