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快進撃北畠家と取り巻く環境

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 弘治四年(1558年)十一月 北伊勢

 安濃津城や安濃津湊の整備も進み、城下町が拡張され、伊勢神宮までの関所を半ば強引に撤廃した。
 街道整備も整備された事もあり、北畠領内の経済成長が著しく、当初関所の撤廃に反対していた国人達も、以前より利を得れる事が分かるとおとなしくなった。
 当然、そこには現金収入を得る為の、特産品の開発を補助したり指導したのは言うまでもない。


 特に今年に入り、源太郎は北伊勢方面の攻略を開始し、一門衆の神戸家と調略により臣従した赤堀家・浜田家と長野工藤家と関家の攻略を開始する。関氏側の羽津・白子・鹿伏兎を次々と撃破して行く。
 田植えの時期を狙い侵撃した北畠軍は、兵の集まりが悪い関側の砦や城を次々と落として行く。

 関盛信は降伏し、亀山城のみ安堵される。

 ここで北伊勢の総大将として一千騎を従えていた、千種忠治が北畠軍に牙を剥く。

 千種忠治は、宇都宮・後藤・赤堀・楠・稲葉・南部・菅生・冨田・浜田・阿下喜・白瀬・高松・茂福・木俣ら四十八家の諸武士が、千種氏に属していた。
 その中の赤堀・浜田が北畠家に寝返った事が、千種忠治には我慢ならなかったようだ。
 しかし結果は、北畠軍の精強さに撃破されて行く。やがて北畠家の調略に応じる国人が増え千種城を攻撃されるに至り、千種忠治は降伏する。
 忠治に男子が居なかったので、北畠具教の二男、次郎を養子に入れた。


 更に源太郎は、秋の収穫時期に合わせ軍を動かした。攻略先は桑名である。

 当時の桑名には伊藤氏・樋口氏・矢部氏の三人の有力者がそれぞれ城館を構え、その下に三十六家氏人(三十六人衆)が居た。彼ら会合衆が共同して自治をおこなっていた。伊藤武左衛門の東ノ城、樋口内蔵介の西ノ城、矢部右馬允の三崎城が桑名三城と呼ばれ、他にも四十余りの城砦が存在した。このうちの東ノ城が、近世桑名城の二之丸と朝日丸あたりに位置している。

 神戸・赤堀・関・千種の軍と合流しながら、朝明郡を併合し、途中、楠家の軍勢が合流し桑名へ進軍する。

 旗色が悪いと感じた、伊藤、樋口、矢部の三家は、桑名三城の中で規模の大きい東城に籠城した。

 周辺の城や砦を落としながら揖斐川を背に建つ東城を、源太郎達の軍勢が包囲する。 

 伊藤武左衛門達は籠城で粘り、六角家に助けを求め、自分達にの優位に講和を結ぶつもりだったが、その考えを轟音が掻き消す。


 揖斐川に浮かぶ多数の南蛮船の大砲が一斉に火を噴いた。
 城内に爆音が響きわたり、阿鼻叫喚の様相を呈していた。

「……な、なんじゃ、あれは…………」

 伊藤武左衛門が絶句する。川を埋め尽くす南蛮船から発射される大砲の轟音に、恐怖に駆られた雑兵や農民は真っ先に逃げだそうととする。

 さらに東城を包囲する北畠軍からも砲撃が始まる。その内の何発かが大門を破壊すると、北畠水軍に砲撃中止の合図の花火が上がる。後は水の流れる如く、北畠軍は僅かな時間で東城を制圧した。



 禁裏御料所であった桑名も「十楽の津」と言われ、自由な商売を認めた都市であり、当時戦国大名の介入を許さなかった。
 源太郎は、圧倒的武力を背景に一旦自治を取り上げ、その後北畠家から緩やかな自治を認め、桑名を事実上支配下に置いた。

 朝廷へは、桑名を北畠家が管理し、朝廷へは毎年北畠家から銭を送ることで話をつける。
 前年の後奈良天皇崩御の折、大喪の礼から正親町天皇即位に至るまでの費えを、皇居の修繕費と合わせ、北畠家の献金で行えたという事もあり、すんなり話は通った。

 源太郎は早速、桑名城の築城に取り掛かる。大山田川・町屋川の流れを変えて外堀に利用し町の守りとしまし、城下町と合わせて防御力を上げる。
 更に揖斐川を利用した水城とし、城内から船で川に出れるようにして水軍基地を兼ねる。
 天守閣は四重六層の勇壮な造りで、史実にある本田忠勝が築城した桑名城と比べ倍近い城を築く。
 六角家が動く前に、防備を固めることが先決だった。



 弘治四年(1558年)十一月 南近江 観音寺城

「父上!北畠を攻めましょう!」

 六角義治が激昂して、父義賢に詰め寄る。

「落ち着け四郎」

「落ち着いてなど要られません!北畠は我が六角の配下である関を攻めたのですぞ!」

 唾を飛ばして喚く義治に、義賢も眉をひそめる。

 六角家と北畠家は、婚姻を通して縁を結んでいる。北畠家当主、北畠具教の正室北の方は六角定頼の娘である。つまり義賢の兄妹であり、具教とは義兄弟である。
 今回、疾風迅雷の如く、北伊勢を平定したのは、具教の子、源太郎が総大将だという。義治は従兄弟にあたる源太郎が、自分よりも年下にも拘らず、大きな活躍を見せているのが、気に入らないのだろうと義賢は理解していた。

(男の嫉妬は見れたものではないのぅ)

 確かに北伊勢をこのままにしておく事は、六角家として許容出来ない。六角家も北伊勢には何度となく攻めたものの攻略に至らなかった。
 即座に二万の軍を動かす事も可能だが、そんな義賢に昨日信じられない報告が忍びから届いた。
 桑名には既に巨大な城が出来つつあり、砦周辺の城や砦も改修され、より堅固になっていると言う。最初は何の冗談かと思ったが、複数の報告がそれを事実だと告げていた。

 しかも五月から、将軍 足利義輝を奉じて三好長慶と交戦。十一月に入りやっと和睦が成立し、義輝の入洛を果したばかりである。更に、これから冬に向かい、春まで軍を起こすことが難しくなる。その間に北伊勢は更に堅固になっているだろう。
 正に絶妙のタイミングで北伊勢を平定した北畠家、いや、それを成した源太郎の器量に、我が子と比べずにはいられなかった。

「抗議の使者をたてるのが関の山か……」

「なっ!父上!」

「なら四郎が兵を纏めて攻め入るか?」

「ぐっ……」

 義賢の弱気な発言に咬みつく義治に、では義治に総大将として攻め入る事を勧めると、途端に言葉に詰まる義治。
 義賢は、義治が源太郎を恐がっているのを気づいていた。『龍馬に乗った鬼』とは北畠家と敵対する者達にとって恐怖の代名詞となっている。六角領内の国人の中にも、伊勢に近い者は特にその傾向が顕著だった。
 発展著しい北畠領内の秘密を探ろうと、甲賀忍びを動かしたが、誰一人帰ってこなかった。
 それの意味するところは、北畠家には既に強力な忍びの結界が敷かれているという事。伊賀はもとより甲賀にも影響力が及んでいる可能性がある。

 偉大な父定頼と比べられるが義賢は平時では、名門六角家の当主として問題ないだろう。だが、義治は当主を継ぐには器量が足らなさ過ぎた。
 名門六角家は滅びの道を歩み始めた。



 弘治四年(1558年)十一月 尾張 清洲城

 鋭い眼光をした二十代半ばの男が、難しい顔をして考え込んでいた。

 前年、弟信勝を殺し、織田家中の統制に成功していた。後は、尾張上四郡の守護代で岩倉城主である織田信賢を下せば、尾張統一を果たせるところまできた。

「吉兵衛、如何思う?」

 側に控える村井貞勝に問う。
 何がとは聞かない。それを察する事が出来る村井貞勝故に、信長に重用されている。

「脅威ではありますな。しかし、北に六角、直ぐ側に長島があります。西は伊賀から大和、もしくは紀伊ですが、紀伊はないでしょうな」

「しかし僅か数年で伊勢から志摩まで統一か、見事なものよの。しかも関所を廃して座の力を削いでおる」

「殿と考えが似ていますな」

 信長が首を横に振る。

「規模が違う。桑名、安濃津、大湊、湊の整備と伊勢街道の整備に関所の撤廃。会合衆や座の力を削ぎ、雑多な税も分かり易くして、しかも税率を下げている。北畠家の蔵には黄金が唸っておろう」

「北畠家嫡男殿と於市様は同じ歳だとか……」

「北畠家に益は?」

「津島まで街道を整備すれば、経済圏が尾張まで広がります。まあ、これは織田家にも益に成りますが、北畠嫡男殿は経済を重視しているようですから」

 村井貞勝の提案を思案する信長。

「長島にも協力出来るか。我が尾張を統一すれば次は美濃じゃ。北畠が六角と睨み合う内に美濃に専念出来るか……」

 信長は美濃を何としても欲しかった。尾張と美濃を合わせれば、約百万石。大軍を動かす事が可能になる。

「頼めるか」

「北畠家は名門故難しいかもしれませんが、六角と睨み合う今が、織田家にとって又とない好機やもしれません。何とか纏めてみせましょう」

 そうして主信長の命を受けた村井貞勝は、北畠家と縁を結ぶ為に奔走する。
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