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第9部 夢の先にあるもの
4-7明るい未来のための最善の選択とは?
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私は〈シルフィード協会〉の、八階の奥にある『ティールーム』に来ていた。赤い絨毯が敷かれ、広々としたスペースに、いすとテーブルが、何組か置かれている。大きな窓からは、町の様子が一望できる、とても見晴らしのよい場所だ。
私は、ハーブティーを飲みながら、今一度、資料に目を通す。今回、候補に挙がっている十名の資料は、何度となく、読み込んでいた。それぞれに、優れた能力を持ち、過去の経歴も実績も、申し分ない。
ただ一人、非常に、特異な人物がいた。他の上位階級たちと、経歴も実績も、明らかに違う。先ほども、会議で話題になっていた『天使の翼』だ。
彼女の経歴には、不思議と目を引かれるものがある。他の上位階級たちは、皆、無難な道を歩んでいるのに対し、彼女の場合、最初から今に至るまで、非常に起伏が激しく、とても型破りだった。
彼女は、十五歳の時に、単身こちらの世界にやって来た。『疾風の剣』から聴いた話によると、異世界に行くことを反対した両親と喧嘩し、家出してきたらしい。これは、他の理事たちは、知らない情報だった。
ナギサからも聞いたが、彼女は、親からの援助を全く受けずに、見習いの安月給をやり繰りし、一人暮らしをしていた。その生活が、いかに困難だったのかは、容易に想像がつく。だが、彼女はそれを乗り越えるだけの、タフネスを持っていた。
また『異世界人初のシルフィード』であり、名門の〈ホワイト・ウイング〉に、何のつてもない状態で、いきなり入社している。スタートの時点から、すでに、他のシルフィードたちとは、一線を画していたのだ。
『天使の羽』と、どう知り合ったのかまでは、分からない。だが、物凄い強運と、ずば抜けた行動力の持ち主であることは、疑いようがなかった。
見習い時代の彼女は、突出した能力は、特に、見られなかった。むしろ、能力的には、かなり劣っていたと思われる。シルフィードの専門学校も出ておらず、こちらの世界に来たばかりなので、無理もない。
だが『ノア・マラソン』を契機に、彼女の名は、一気に知れ渡った。『奇跡のレース』とも言われており、世界中の人々の注目を集めた。『シルフィード史上初のノア・マラソン完走』もあるが、十五歳の五十キロ完走も、史上初めてだ。
レース後、査問会に呼び出された際に、私は、初めて彼女と会った。とても真っ直ぐな目をした、好感の持てる少女だったのを、よく覚えている。
だが、他の理事たちは、見習い階級で目立ち過ぎたのが、気に入らなかったようだ。また、彼女が異世界人であることに対し、偏見を持つ者も多かった。平たく言えば、異世界人がシルフィードをやること自体に、皆、否定的だったのだ。
それから、しばらくして、彼女は、墜落事故を起こしていた。高さ10メートル以上から墜落し、乗っていたエア・ドルフィンは大破。しかし、彼女は、奇跡的にも無傷。体には、かすり傷一つ、なかったそうだ。
年が明けてから『繰り上げ昇級試験』の制度を使い、リトル・ウイッチの昇級試験を受けるが、一度目は不合格。二度目で合格して、晴れて一人前に。その後は、問題なく昇進を続け、エア・マスターに至る。
この時点では、まだ、取り立てて、優れた能力があったとは言えない。だが、この世界に来て、たった二年の人間が、ここまで登り詰めるには、大変な努力と、成長があったのは事実だ。
彼女が、エア・マスターになったあと『ノア・グランプリ』の『EX500』に出場。そこで、見事に優勝を果たした。しかも、十二年間、破られなかった、コースレコードを更新。ここで、さらに、彼女の知名度が高まったのだ。
彼女の人気は、世界中に広がり、シルフィード協会としても、無視できないレベルになった。そこで、理事会での協議の結果、スカイ・プリンセスに昇進。
昇進後、彼女は、再び『ノア・マラソン』に挑戦している。ここでは、完走のみならず、優勝を果たした。しかも、世界記録を樹立し、数々の新記録も打ち立てている。この時点で、もはや、彼女の人気は、不動のものとなった。
また、そのすぐあとに、火災現場からの、少女の救出。その後起こった、大震災での、数多くの救出劇。これにより、三つの勲章を授与された。
中でも、最も注目されたのが『グリュンノア名誉市民勲章』だった。この勲章は、この町で最高の栄誉であり、世界的にも大きな意味を持つ。異世界人が、これを授与されたのは、グリュンノア史上、初めてだ。
彼女が、この町の、いや、この世界の住人として、正式に認められた証だった。もはや、彼女が異世界人などとは、誰も思いはしない。その後、彼女は、英雄として扱われている。
この世界で、生まれ育った人間なら、まだしも。こちらの世界に来て、たった数年の少女が、短期間で、これだけの事をやってのけたのだ。彼女は、何と濃い人生を、歩んできたのだろうか。
他の上位階級たちも凄いが、彼女の濃密な数年間は、全く比較にならない。頭の固い理事たちも、流石に、彼女の実力と実績を、認めざるを得なくなって来ている。
常に、驚異的な実績を出し続けているが、その反面、危なっかしくもあり、とても不安定だ。また、伝統的なシルフィードとは、かけ離れている。そこを、どう評価するかが、今回の争点になるだろう。
私が、資料を見ながら考えていると、唐突に声を掛けられた。
「こちらの席、よろしいですか?」
視線を上げると、そこには、意外な人物が立っていた。私とは、しばしば、事理会で意見が対立している、ゴドウィン理事だ。てっきり、嫌われているものだと思っていたが、どういう風の吹き回しだろうか……?
「えぇ、どうぞ」
私が答えると、彼は手にしていたコーヒーを、そっとテーブルに置き、静かに着席した。
「そういえば、こうして、二人で話すのは、初めてですな」
「確かに、その通りですね」
「以前『天使の翼』の昇進会議の際は、大変な失礼をしました。ずっと、そのお詫びをしなければと、思っていたのです」
「いえ。あれは、お互いに、自らの信念に基づき、意見を言い合っただけのこと。お気になさらずに」
会議で意見が対立するのは、よく有ることだ。それに、他者の言葉に迎合するだけの人間よりも、ハッキリ意見を言うほうが、むしろ、私は好感が持てる。今の理事会で、忌憚なく、自分の意見を言えるのは、私と彼ぐらいだ。
「今回の件『白金の薔薇』は、どうお考えです?」
「どう、とは?『天使の翼』についてですか?」
「えぇ。これは、極めて重要な案件です。シルフィード業界にとっても、この町にとっても。特に、今の状況を考えると、誰がエンプレスになるかで、未来が大きく変わるでしょう」
彼の眼は、とても真剣だった。少々頭の固いところもあるが、彼は、この業界も、町のことも、よく考えている。実際、今回の町の復興事業も、極めて精力的に動いており、多額の私財も投じていた。
「彼女の今回の活躍は、本物です。危険を顧みない、勇敢な行為。迅速かつ、的確な判断と行動力。皆をまとめ鼓舞する、強いカリスマ性。上位階級として、申し分のない働きでした」
「それに、きっと彼女は、シルフィードでなかったとしても、同じ行動をしたでしょう。多少、大げさに報道されているものの、ほぼ、事実に近いと思います」
彼女の場合、優れた能力というよりは、性格の問題だ。シルフィードだからではなく、素であの行動をしたのだろう。何度か会ったが、とても真っ直ぐで、アグレッシブな性格だ。
「なるほど。確かに、彼女の活躍は、本物でしょうな。ただ、私は、彼女が『エンプレスには相応しくない』と、思っているのですよ。別に、異世界人だから、という訳ではないのです」
「まぁ、異世界人に対する偏見が、完全に、なくなった訳ではありません。私は、古く頑固な人間ですからな。だが、私情を挟むほど、愚か者ではない。もし、本当に、この業界にとって、有益な人材なら、迷わず賛成するつもりです」
彼は、しばし沈黙したあと、再び話し始める。
「もう、だいぶ前になりますが――。『白金の薔薇』が現役時代の『グランド・エンプレス』の選出を、覚えておいでですか?」
「えぇ、今でも、はっきりと。残念ながら、私は『白き翼』に、負けてしまいました。色々と、及ばないところが、あったのでしょう」
正直、あの時は、大変なショックを受けた。誰よりも完璧に仕事をこなし、誰よりも気品のあるシルフィードだと、絶対の自信を持っていたからだ。
「そんなことは、けっして有りませんよ。あらゆる点で、あなたのほうが上でした。ただ『白き翼』が、時流に乗っていただけです」
「私は、最初から最後まで、あなたを推していました。『白金の薔薇』以上に、エンプレスにふさわしい人材は、他にいなかったですから。ただ、残念ながら、僅差で敗れてしまった……」
彼は、再び沈黙する。
「つまり、今回の『天使の翼』も、前回と同じで『時流に乗っているだけ』ということですか?」
「えぇ。こんな時だからこそ、人々は英雄を求める。だが、その熱も、いずれは冷めるでしょう。本当に大切なのは、もっと先のことなのです。彼女は、あまりにも、危うすぎる。そうは、思いませんか――?」
「……」
確かに、彼女の行動は、常に、危うさを伴っている。過去の輝かしい実績も、ギリギリの勝負が多い。安定性からは、最もかけ離れた存在だ。
「蒸し返すようで、申しわけないが。あなたが、エンプレスになっていれば『三・二一事件』のような悲劇は、起こらなかったでしょう。もし、あなたが、同じ場面に遭遇したら、立場をわきまえた行動を、したのではありませんか?」
彼は、真っ直ぐな目で、私を見つめて来た。
あの事件については、いまだに、賛否両論になっている。もちろん、人道的に考えれば、勇気のある、素晴らしい行動だった。だが、そのせいで、多くの人に、悲しみや不安を与え、長きにわたり、エンプレスが不在になってしまったのだ。
私自身も、何度も考えてみたが、正直、どちらが正解なのは、よく分からない。だが、私なら、別の選択をしたのは事実だ。
「私なら、彼女と同じ行動は、絶対にしないでしょう。私は、どこまでも、公人ですから」
私は、私情は挟まないし、感情的な行動もしない。常に、最善の結果を考え行動する。だから、大事のためには、小事を切り捨てることも、迷わずにするだろう。
「それが、エンプレスの立場としては、正解です。もし、再び、同じような事件があったら、この業界は、この町は、どうなります? 立ち直れないほどの、大きなダメージを受けるでしょう」
「だが『天使の翼』は、あまりにも『白き翼』に、似過ぎている。自分の立場を一切考えずに、私情だけで動いてしまう。そんな人間に、安心して未来は託せない」
彼の言うことには、一理ある。エンプレスは、平和や希望の象徴だ。能力や人格も重要だが、最も大事なのは、存在し続けること。皆の象徴は、永遠に不滅でなければならないのだ。
そう考えると、けっして、無茶をしない、堅実で大人しい性格の人間のほうが、向いているかもしれない。その点『天使の羽』は、最も適任だったと言える。
「私は『白銀の薔薇』を、エンプレスに推薦したい。私の他にも、彼女を推している理事は、何人もいます。彼女は、仕事も人格も完璧。どんな時でも、公人として、最善の選択をするでしょう」
「特別、派手な実績は出していないが、それは、関係のないこと。堅実にやってきた人間こそ、真に評価されるべきです。前回『天使の羽』が選ばれたのも、そういう経緯では、ありませんでしたか?」
確かに、ナギサは、特別、派手な実績は出していない。だが、全てを完璧にこなした結果、ここまで評価されて来たのだ。おそらく、今の上位階級の中で、最も完璧なシルフィードだろう。
「あなたが、誰よりも公正な性格なのは、よく分かっています。だから、身内を推すことには、抵抗があるのでしょう。しかし、ご息女だけ、特別、厳しく見るのも、公平とは言えないのでは?」
「是非、長い目で見て、誰を選ぶのが最善なのか、よく考えて頂きたい。休憩中、お邪魔して、申し訳ありませんでした」
彼は、静かに立ち上がると、軽く会釈して、立ち去って行く。
話を聴いていて、よく分かった。彼は、全く私情を挟んでいない。そもそも、彼は〈アクア・リゾート〉と、繋がりが深い。なので、本来は『金剛の戦乙女』を推すのが、筋だからだ。
それに、彼の言っていることは、しっかり筋が通っている。『天使の翼』は、次々と大きな実績を出し、人気も注目も集めているが、その中に、常に危うさを感じている。命懸けの危険な行為を、平然とやってのけるからだ。
ある意味、上位階級の中で、最も不安定な存在だ。彼女に未来を託すのは、色んな意味で、大きな賭けと言える。だが、それでも『今まで見たことのない、新しい未来を見てみたい』という、不思議な期待感があった。
ただ、彼が言ったように、私はナギサのことを、特別、厳しく見ているのも事実だ。私は、今まで、面と向かって、彼女を褒めたことも、評価したこともない。
だが、誰よりも努力家で、あらゆる物事を完璧にこなすのを、私は、誰よりもよく知っている。おそらく、上位階級の中でも、トップクラスの能力だ。
もし『天使の翼』が、エンプレスになれば、想像もつかない未来が、待っているだろう。逆に、ナギサが頂点に立てば、伝統を受け継ぎ、安定した未来は、確約されている。
このままの流れで行けば、今回の活躍で『天使の翼』が優勢だ。だが、私がナギサを推せば、皆も、同調するだろう。ゴドウィン派も、全員、賛成するはずだ。
私は、静まり返るティールームで、一人、頭を悩ませていた。先ほどのゴドウィン理事の話がなければ、迷わず『天使の翼』を推せたのだが。あの話のあとでは、もう一度、考えざるを得ない。
その時、メッセージの着信音が鳴った。確認すると、ナギサからだ。彼女のほうから、連絡が来るとは珍しい。メッセージを開くと、それは、ディナーのお誘いだった。何か渡したい物があるらしい。
指定の日を見て、私は、ふと思い出した。そういえば、その日は、私の誕生日だ。おそらく、渡したいのは、誕生日プレゼントだろう。
ナギサが幼かったころは、毎年、誕生日パーティーをやっていた。二人だけの、ささやかなものだったが、ナギサが、とても喜んでいたのを覚えている。その時の様子を思い出し、少し頬が緩む。
私は、窓の外を眺め、小さくため息をついた。私とて、人の親だ。娘が一番かわいいし、娘の幸せを、誰よりも願っている。だが、シルフィード業界の未来を背負った、公人でもあった。
私の言葉には、大きな影響力がある。なので、私の発言で、趨勢が大きく変わってしまう。つまり、私の判断で、この先の未来が、決まってしまうのだ。
まだ見ぬ改革を選ぶべきか、今まで通りの安定を守るべきか。厳粛な公人か、娘を想う母親か。おそらく、今までの人生の中で、最も難しい選択をしなければならないのだろう……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『憧れと現実では責任と重圧がまるで違う……』
人間とは、責任感と自負心をもったときに最もよく働く
私は、ハーブティーを飲みながら、今一度、資料に目を通す。今回、候補に挙がっている十名の資料は、何度となく、読み込んでいた。それぞれに、優れた能力を持ち、過去の経歴も実績も、申し分ない。
ただ一人、非常に、特異な人物がいた。他の上位階級たちと、経歴も実績も、明らかに違う。先ほども、会議で話題になっていた『天使の翼』だ。
彼女の経歴には、不思議と目を引かれるものがある。他の上位階級たちは、皆、無難な道を歩んでいるのに対し、彼女の場合、最初から今に至るまで、非常に起伏が激しく、とても型破りだった。
彼女は、十五歳の時に、単身こちらの世界にやって来た。『疾風の剣』から聴いた話によると、異世界に行くことを反対した両親と喧嘩し、家出してきたらしい。これは、他の理事たちは、知らない情報だった。
ナギサからも聞いたが、彼女は、親からの援助を全く受けずに、見習いの安月給をやり繰りし、一人暮らしをしていた。その生活が、いかに困難だったのかは、容易に想像がつく。だが、彼女はそれを乗り越えるだけの、タフネスを持っていた。
また『異世界人初のシルフィード』であり、名門の〈ホワイト・ウイング〉に、何のつてもない状態で、いきなり入社している。スタートの時点から、すでに、他のシルフィードたちとは、一線を画していたのだ。
『天使の羽』と、どう知り合ったのかまでは、分からない。だが、物凄い強運と、ずば抜けた行動力の持ち主であることは、疑いようがなかった。
見習い時代の彼女は、突出した能力は、特に、見られなかった。むしろ、能力的には、かなり劣っていたと思われる。シルフィードの専門学校も出ておらず、こちらの世界に来たばかりなので、無理もない。
だが『ノア・マラソン』を契機に、彼女の名は、一気に知れ渡った。『奇跡のレース』とも言われており、世界中の人々の注目を集めた。『シルフィード史上初のノア・マラソン完走』もあるが、十五歳の五十キロ完走も、史上初めてだ。
レース後、査問会に呼び出された際に、私は、初めて彼女と会った。とても真っ直ぐな目をした、好感の持てる少女だったのを、よく覚えている。
だが、他の理事たちは、見習い階級で目立ち過ぎたのが、気に入らなかったようだ。また、彼女が異世界人であることに対し、偏見を持つ者も多かった。平たく言えば、異世界人がシルフィードをやること自体に、皆、否定的だったのだ。
それから、しばらくして、彼女は、墜落事故を起こしていた。高さ10メートル以上から墜落し、乗っていたエア・ドルフィンは大破。しかし、彼女は、奇跡的にも無傷。体には、かすり傷一つ、なかったそうだ。
年が明けてから『繰り上げ昇級試験』の制度を使い、リトル・ウイッチの昇級試験を受けるが、一度目は不合格。二度目で合格して、晴れて一人前に。その後は、問題なく昇進を続け、エア・マスターに至る。
この時点では、まだ、取り立てて、優れた能力があったとは言えない。だが、この世界に来て、たった二年の人間が、ここまで登り詰めるには、大変な努力と、成長があったのは事実だ。
彼女が、エア・マスターになったあと『ノア・グランプリ』の『EX500』に出場。そこで、見事に優勝を果たした。しかも、十二年間、破られなかった、コースレコードを更新。ここで、さらに、彼女の知名度が高まったのだ。
彼女の人気は、世界中に広がり、シルフィード協会としても、無視できないレベルになった。そこで、理事会での協議の結果、スカイ・プリンセスに昇進。
昇進後、彼女は、再び『ノア・マラソン』に挑戦している。ここでは、完走のみならず、優勝を果たした。しかも、世界記録を樹立し、数々の新記録も打ち立てている。この時点で、もはや、彼女の人気は、不動のものとなった。
また、そのすぐあとに、火災現場からの、少女の救出。その後起こった、大震災での、数多くの救出劇。これにより、三つの勲章を授与された。
中でも、最も注目されたのが『グリュンノア名誉市民勲章』だった。この勲章は、この町で最高の栄誉であり、世界的にも大きな意味を持つ。異世界人が、これを授与されたのは、グリュンノア史上、初めてだ。
彼女が、この町の、いや、この世界の住人として、正式に認められた証だった。もはや、彼女が異世界人などとは、誰も思いはしない。その後、彼女は、英雄として扱われている。
この世界で、生まれ育った人間なら、まだしも。こちらの世界に来て、たった数年の少女が、短期間で、これだけの事をやってのけたのだ。彼女は、何と濃い人生を、歩んできたのだろうか。
他の上位階級たちも凄いが、彼女の濃密な数年間は、全く比較にならない。頭の固い理事たちも、流石に、彼女の実力と実績を、認めざるを得なくなって来ている。
常に、驚異的な実績を出し続けているが、その反面、危なっかしくもあり、とても不安定だ。また、伝統的なシルフィードとは、かけ離れている。そこを、どう評価するかが、今回の争点になるだろう。
私が、資料を見ながら考えていると、唐突に声を掛けられた。
「こちらの席、よろしいですか?」
視線を上げると、そこには、意外な人物が立っていた。私とは、しばしば、事理会で意見が対立している、ゴドウィン理事だ。てっきり、嫌われているものだと思っていたが、どういう風の吹き回しだろうか……?
「えぇ、どうぞ」
私が答えると、彼は手にしていたコーヒーを、そっとテーブルに置き、静かに着席した。
「そういえば、こうして、二人で話すのは、初めてですな」
「確かに、その通りですね」
「以前『天使の翼』の昇進会議の際は、大変な失礼をしました。ずっと、そのお詫びをしなければと、思っていたのです」
「いえ。あれは、お互いに、自らの信念に基づき、意見を言い合っただけのこと。お気になさらずに」
会議で意見が対立するのは、よく有ることだ。それに、他者の言葉に迎合するだけの人間よりも、ハッキリ意見を言うほうが、むしろ、私は好感が持てる。今の理事会で、忌憚なく、自分の意見を言えるのは、私と彼ぐらいだ。
「今回の件『白金の薔薇』は、どうお考えです?」
「どう、とは?『天使の翼』についてですか?」
「えぇ。これは、極めて重要な案件です。シルフィード業界にとっても、この町にとっても。特に、今の状況を考えると、誰がエンプレスになるかで、未来が大きく変わるでしょう」
彼の眼は、とても真剣だった。少々頭の固いところもあるが、彼は、この業界も、町のことも、よく考えている。実際、今回の町の復興事業も、極めて精力的に動いており、多額の私財も投じていた。
「彼女の今回の活躍は、本物です。危険を顧みない、勇敢な行為。迅速かつ、的確な判断と行動力。皆をまとめ鼓舞する、強いカリスマ性。上位階級として、申し分のない働きでした」
「それに、きっと彼女は、シルフィードでなかったとしても、同じ行動をしたでしょう。多少、大げさに報道されているものの、ほぼ、事実に近いと思います」
彼女の場合、優れた能力というよりは、性格の問題だ。シルフィードだからではなく、素であの行動をしたのだろう。何度か会ったが、とても真っ直ぐで、アグレッシブな性格だ。
「なるほど。確かに、彼女の活躍は、本物でしょうな。ただ、私は、彼女が『エンプレスには相応しくない』と、思っているのですよ。別に、異世界人だから、という訳ではないのです」
「まぁ、異世界人に対する偏見が、完全に、なくなった訳ではありません。私は、古く頑固な人間ですからな。だが、私情を挟むほど、愚か者ではない。もし、本当に、この業界にとって、有益な人材なら、迷わず賛成するつもりです」
彼は、しばし沈黙したあと、再び話し始める。
「もう、だいぶ前になりますが――。『白金の薔薇』が現役時代の『グランド・エンプレス』の選出を、覚えておいでですか?」
「えぇ、今でも、はっきりと。残念ながら、私は『白き翼』に、負けてしまいました。色々と、及ばないところが、あったのでしょう」
正直、あの時は、大変なショックを受けた。誰よりも完璧に仕事をこなし、誰よりも気品のあるシルフィードだと、絶対の自信を持っていたからだ。
「そんなことは、けっして有りませんよ。あらゆる点で、あなたのほうが上でした。ただ『白き翼』が、時流に乗っていただけです」
「私は、最初から最後まで、あなたを推していました。『白金の薔薇』以上に、エンプレスにふさわしい人材は、他にいなかったですから。ただ、残念ながら、僅差で敗れてしまった……」
彼は、再び沈黙する。
「つまり、今回の『天使の翼』も、前回と同じで『時流に乗っているだけ』ということですか?」
「えぇ。こんな時だからこそ、人々は英雄を求める。だが、その熱も、いずれは冷めるでしょう。本当に大切なのは、もっと先のことなのです。彼女は、あまりにも、危うすぎる。そうは、思いませんか――?」
「……」
確かに、彼女の行動は、常に、危うさを伴っている。過去の輝かしい実績も、ギリギリの勝負が多い。安定性からは、最もかけ離れた存在だ。
「蒸し返すようで、申しわけないが。あなたが、エンプレスになっていれば『三・二一事件』のような悲劇は、起こらなかったでしょう。もし、あなたが、同じ場面に遭遇したら、立場をわきまえた行動を、したのではありませんか?」
彼は、真っ直ぐな目で、私を見つめて来た。
あの事件については、いまだに、賛否両論になっている。もちろん、人道的に考えれば、勇気のある、素晴らしい行動だった。だが、そのせいで、多くの人に、悲しみや不安を与え、長きにわたり、エンプレスが不在になってしまったのだ。
私自身も、何度も考えてみたが、正直、どちらが正解なのは、よく分からない。だが、私なら、別の選択をしたのは事実だ。
「私なら、彼女と同じ行動は、絶対にしないでしょう。私は、どこまでも、公人ですから」
私は、私情は挟まないし、感情的な行動もしない。常に、最善の結果を考え行動する。だから、大事のためには、小事を切り捨てることも、迷わずにするだろう。
「それが、エンプレスの立場としては、正解です。もし、再び、同じような事件があったら、この業界は、この町は、どうなります? 立ち直れないほどの、大きなダメージを受けるでしょう」
「だが『天使の翼』は、あまりにも『白き翼』に、似過ぎている。自分の立場を一切考えずに、私情だけで動いてしまう。そんな人間に、安心して未来は託せない」
彼の言うことには、一理ある。エンプレスは、平和や希望の象徴だ。能力や人格も重要だが、最も大事なのは、存在し続けること。皆の象徴は、永遠に不滅でなければならないのだ。
そう考えると、けっして、無茶をしない、堅実で大人しい性格の人間のほうが、向いているかもしれない。その点『天使の羽』は、最も適任だったと言える。
「私は『白銀の薔薇』を、エンプレスに推薦したい。私の他にも、彼女を推している理事は、何人もいます。彼女は、仕事も人格も完璧。どんな時でも、公人として、最善の選択をするでしょう」
「特別、派手な実績は出していないが、それは、関係のないこと。堅実にやってきた人間こそ、真に評価されるべきです。前回『天使の羽』が選ばれたのも、そういう経緯では、ありませんでしたか?」
確かに、ナギサは、特別、派手な実績は出していない。だが、全てを完璧にこなした結果、ここまで評価されて来たのだ。おそらく、今の上位階級の中で、最も完璧なシルフィードだろう。
「あなたが、誰よりも公正な性格なのは、よく分かっています。だから、身内を推すことには、抵抗があるのでしょう。しかし、ご息女だけ、特別、厳しく見るのも、公平とは言えないのでは?」
「是非、長い目で見て、誰を選ぶのが最善なのか、よく考えて頂きたい。休憩中、お邪魔して、申し訳ありませんでした」
彼は、静かに立ち上がると、軽く会釈して、立ち去って行く。
話を聴いていて、よく分かった。彼は、全く私情を挟んでいない。そもそも、彼は〈アクア・リゾート〉と、繋がりが深い。なので、本来は『金剛の戦乙女』を推すのが、筋だからだ。
それに、彼の言っていることは、しっかり筋が通っている。『天使の翼』は、次々と大きな実績を出し、人気も注目も集めているが、その中に、常に危うさを感じている。命懸けの危険な行為を、平然とやってのけるからだ。
ある意味、上位階級の中で、最も不安定な存在だ。彼女に未来を託すのは、色んな意味で、大きな賭けと言える。だが、それでも『今まで見たことのない、新しい未来を見てみたい』という、不思議な期待感があった。
ただ、彼が言ったように、私はナギサのことを、特別、厳しく見ているのも事実だ。私は、今まで、面と向かって、彼女を褒めたことも、評価したこともない。
だが、誰よりも努力家で、あらゆる物事を完璧にこなすのを、私は、誰よりもよく知っている。おそらく、上位階級の中でも、トップクラスの能力だ。
もし『天使の翼』が、エンプレスになれば、想像もつかない未来が、待っているだろう。逆に、ナギサが頂点に立てば、伝統を受け継ぎ、安定した未来は、確約されている。
このままの流れで行けば、今回の活躍で『天使の翼』が優勢だ。だが、私がナギサを推せば、皆も、同調するだろう。ゴドウィン派も、全員、賛成するはずだ。
私は、静まり返るティールームで、一人、頭を悩ませていた。先ほどのゴドウィン理事の話がなければ、迷わず『天使の翼』を推せたのだが。あの話のあとでは、もう一度、考えざるを得ない。
その時、メッセージの着信音が鳴った。確認すると、ナギサからだ。彼女のほうから、連絡が来るとは珍しい。メッセージを開くと、それは、ディナーのお誘いだった。何か渡したい物があるらしい。
指定の日を見て、私は、ふと思い出した。そういえば、その日は、私の誕生日だ。おそらく、渡したいのは、誕生日プレゼントだろう。
ナギサが幼かったころは、毎年、誕生日パーティーをやっていた。二人だけの、ささやかなものだったが、ナギサが、とても喜んでいたのを覚えている。その時の様子を思い出し、少し頬が緩む。
私は、窓の外を眺め、小さくため息をついた。私とて、人の親だ。娘が一番かわいいし、娘の幸せを、誰よりも願っている。だが、シルフィード業界の未来を背負った、公人でもあった。
私の言葉には、大きな影響力がある。なので、私の発言で、趨勢が大きく変わってしまう。つまり、私の判断で、この先の未来が、決まってしまうのだ。
まだ見ぬ改革を選ぶべきか、今まで通りの安定を守るべきか。厳粛な公人か、娘を想う母親か。おそらく、今までの人生の中で、最も難しい選択をしなければならないのだろう……。
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次回――
『憧れと現実では責任と重圧がまるで違う……』
人間とは、責任感と自負心をもったときに最もよく働く
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アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。
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2021/02/19 第一部完結
2021/02/21 第二部連載開始
2021/05/05 第二部完結
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サカキ カリイ
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