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第9部 夢の先にあるもの

3-4気品や威厳は一朝一夕で身につくものではない

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 終業後の夕方。私は〈ファースト・クラス本社〉の、敷地の中央にある〈ノヴァーリス館〉に来ていた。ここは『本館』とも呼ばれており、社員のための施設が、集まっている場所だ。

 見習いは、三階にある『ミーティング・ルーム』で、打ち合わせがあるため、毎朝、訪れていた。一人前以上も、入り口付近にある、出退勤記録の装置を使うために、朝と夕方にやって来る。

 全社員が、毎日、必ず足を運ぶ場所なので、常に、たくさんの人で賑わっていた。また、一般階級になると使える、カフェなどの施設もあるので、仕事が終わったあと、ここで過ごす者も多い。

 だが、私は、うるさい場所は好きではないので、出退勤の記録以外では、寄り付かない。用が終われば、さっさと建物を出て、寮の自室に直行する。

 今日も、例のごとく、出退勤の手続きを終えたあと。大きなロビーを通過し、東エリアの社員寮に繋がる、連絡通路に向かった。

 夕飯は、どうしよう? 今日は、疲れたから、自炊はしたくないし。かと言って、この時間の社員食堂は、人が多くてうるさいし。適当に何か買ってきて、自室で食事しようかしら?

 疲れたと言っても『リトル・ウイッチ』に昇進後は、全ての雑用から解放された。なので、肉体的な負担は、大幅に減った。強制労働がないので、スケジュール的にも、忙しい訳ではない。

 今は、営業のために、毎日、町を飛び回っている。しかも、営業は裁量労働なので、時間の使い方は、完全に自由。見習い時代に比べると、かなり余裕があるが、問題は、いくら飛び回っても、お客様が、全く見つからないことだ。

 上位階級の場合は、常に予約が入るが、無名のシルフィードは、さっぱり指名が来ない。なので、飛び込み営業で、お客様を見つけるしかないのだ。ただ、これは、想像以上に難しかった。

 うちの会社だけでも、物凄い数の社員がいるのに。町に出れば、他社の社員たちも、たくさん飛び回っている。あらかじめ、予約を入れて来る人も多いので、フリーのお客様は、激しい争奪戦になっていた。

 私も、必死に、お客様を探して飛び回っているし、色んな人に声を掛けていた。しかし、道を尋ねられたり、お勧めの店を訊かれたりするだけで、ちゃんとしたお客様が、全く見つからない。

 結局、今日も、一日中、町を飛び回ったあげく、一人もお客様が見つからなかった。肉体的には元気だが、精神的に激しく消耗していた。いくら頑張っても、成果に結びつかないのは、正直、かなり堪える。

 見習い時代は、必死に勉強してきたので、接客や操縦にも、物凄く自信がある。礼儀作法や各種マナーも、ナギサお姉様から、徹底的に叩き込まれていた。定期考査だって、常にトップだったし。同期の中では、最も実力があるつもりだ。

 とはいえ、お客様がいないことには、その実力も、発揮のしようがない。『実力さえあれば、どうにでもなる』と、思っていたけど。いざ、営業に出てみると、その甘さを痛感した。結局、この業界は、人気や知名度が全てなのだ。

 営業を始めて、三ヵ月ほどなので、まだ、深刻的になる必要はない。『最初は、なかなかお客様が見つからない』という話は、ずっと前から、聴いていたからだ。しかし、日々フラストレーションがたまり、どんどん、気持ちが焦って行く。

 いつになったら、まともに、観光案内できるのかしら……? 他の子たちは、どうしているんだろう? 単に、私の要領が悪いだけ? 今度、ナギサお姉様に、相談したほうがいいのでは――?

 そんなことを、悶々と考えながら歩いていると、私の視界に、見たくない人物が映ってしまった。見習い時代、激しく衝突したことがある、サイモン派の連中だ。

 私が、ナギサお姉様の妹になってからは、一切、手を出してこなくなった。私に手を出すのは、ナギサお姉さまに喧嘩を売るのと、同じことだからだ。彼女たちも、流石に、そこら辺は、わきまえている。

 今は、彼女たちの間違いも、遠慮なく指摘できるが、色々と面倒なので、極力、関わり合いたくはない。だが、目の前では、非常に不快なことが行われていた。

 三人が一人を取り囲み、高圧的な態度で、文句を言っている。どうやら、取り囲まれているのは、新人の子のようだ。怯えた表情をして、縮こまっている。

 見た瞬間、既視感に襲われた。私も、見習い時代には、全く同じことを経験したからだ。もっとも、私の場合は、一歩たりともひるまずに、正面から言い返してやった。だが、その結果、殴り合いの乱闘になった、苦い記憶もあるが……。

 ここから聞こえる限り、話の内容は、一応、仕事に関してのようだ。仕事が遅いだの、どんくさいだの。あと、表情が暗い、もっとハキハキ話せなど、色々と言いがかりを付けている。これは、指導というよりも、ただの新人いびりだ。

 新人の子は、とても大人しそうで、同期のアンネリーゼに、似た感じがする。どうしても、こういう気弱な子は、いじめの対象になりやすい。

 それにしても、全く懲りない連中ね。アンネリーゼに、手を出さなくなったと思ったら、今度は、新人にからんでる訳? 本当に、救いようがないクズだわ。

 私は、一瞬、どうするか迷った。今日は疲れているし、面倒事には、関わりたくない。とはいえ、このまま、見て見ぬ振りをするのは、私の信条にそぐわなかった。

 新人の子がどうなろうと、私には関係ない。だが、ああいう、下品な行為を放置するのは、気分が悪いのだ。何より、不条理な行為は、見ていて、物凄く腹立たしい。別に、正義を振りかざすつもりはないが、間違った行為は、許せないのだ。

 私は、小さくため息をついたあと、その集団に近付いて行った。

「本当に、暗いわね。その性格、どうにかならないの?」
「そうよ、見ていて、イライラするのよね」
「何、その目は? 言いたいことがあるなら、ハッキリ言ったら?」

 三人は、相手が言い返さないのをいいことに、好き放題に、罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせていた。大して強くもないくせに、自分より弱い相手に対しては、尊大な態度をとる連中なのだ。

「ちょっと、何をやってるの?」
 私が、後ろから声を掛けると、三人は一斉に振り返る。だが、私を見た瞬間、顔色が変わった。明らかに、警戒しているのが分かる。

「別に、大した事じゃありませんわ」
「そうよ。ただの、新人指導よ」
「あまりに、どんくさいから、色々教えていたのよ」

 彼女たちは、苦しい言い訳をした。

「私には、とても、そうは見えなかったわ。指導と八つ当たりは、別物よ。仕事が、上手く行っていないからといって、新人に当たるのは、筋違いじゃない?」
 
 以前、彼女たちが『全然お客様が見つからない』と、愚痴をこぼしているのを、聴いたことがある。

 そもそも、彼女たちは、昔から、ちゃんと努力をしていなかった。そんな甘い考えで、仕事が上手く行くはずがない。全力で頑張っている私ですら、苦戦しているのだから。

「はっ? 何を言ってるの?! そんな訳ないでしょ!」
「そうよ、そんなくだらないこと、する訳ないじゃない!」
「それに、仕事だって順調よ!」

 彼女たちは、顔を赤くして、必死に反論する。だが、その感情的な態度を見れば、図星を突かれたのが、丸わかりだ。

「あなたたちの言葉は、ただの言いがかりや、悪口にしか聞こえないわ。まぁ、元々品のない性格ですもんね。そのせいで、何を言っても、そう聞こえてしまうのかしら?」
 
「あと、順調というなら、何人のお客様を、案内したのかしら? 営業成績の上位で、あなた達の名前を、一度も見たことがないけれど」

 私も、営業成績では、あまり人のことは言えない。まだまだ、お客様が、少ないからだ。それでも、彼女たちと違って、日々全力で頑張っている。愚痴をこぼす暇があったら、自分を磨く努力をし、最善を尽くすべきだ。

「はぁ!? 誰が品がないですって?」
「そうよ、品がないのは、あなたじゃない!」
「あなただって、大した営業成績を出してないでしょ?」

 本当に、下品な人間には、困ったものだ。今の態度自体が、まるで品がないことに、気付いていないのだから。上品な人間は、そんな感情的に、怒鳴り散らしたりはしない。

「やれやれ、下品な人間には、何を言っても無駄なようね。まぁ、いじめなんかを、平気でやるような人間に、品を求めてもしょうがないけど」

「あと、営業成績は、まだ、大したことないけれど。同期の中では、相変わらず、トップよ。営業成績の上位は、公開されているのだから、ちゃんと目を通したら? 目が悪いなら、病院に行ったほうがいいわよ」 

 私は、冷めた目で彼女たちを見ながら、静かに答える。見習い時代は、私も、かなり、感情的になっていたけど。最近は、至って冷静に振る舞っていた。

 やはり、ナギサお姉様の影響が大きい。彼女は、いついかなる時でも、冷静沈着で、気品にあふれている。私も早く、ナギサお姉様のようになりたいので、常に、立ち振る舞いを、真似しているのだ。

「あんたのほうが下品でしょ! 相変わらず、暴言ばかり言って!」
「そうよ『白銀の薔薇ミスリルローズ』の妹だからって、いい気になり過ぎよ!」
「ナギサお姉様がいなければ、何もできないくせに!」

 それにしても、この頭の悪さのにじみ出る言葉は、昔から、全く変わらない。いつも、ワンパターンだし。言ってる本人が、墓穴を掘っていることに、気付かないのだろうか?

「別に、いい気になんて、なってないわよ。私は、これが平常運転だし。それに、口だけのあなたたちと違って、常に、結果を出してるから」

「あと、ナギサお姉様の力なんて、借りてないわよ。私は、自分の力しか、あてにしてないもの。あなたたちみたいに、ジュリエッタがいないと、何もできない小物と、一緒にしないで貰える?」
  
 私が淡々と答えると、彼女たちの顔が、さらに赤くなった。

「このっ、言わせておけばっ!!」
 三人のうちの一人が、激しく感情をあらわにし、私に掴み掛かろうとしてきた。

 だが、その瞬間、
「止めなさい! こんな所で、はしたない」
 後ろから、凜とした声が響いて来る。

 その瞬間、三人の動きがピタリと停止し、赤かった顔が、急に青白くなった。

「えっ……?! ナギサお姉様――」
「ご、ごきげんよう、ナギサお姉様……」
「お仕事、お疲れ様です、ナギサお姉様――」

 彼女たちは、急に大人しくなり、深々と頭を下げた。相変わらず、自分より強い人間には、とことん卑屈な連中だ。

「ナギサお姉様、いつの間に?」
「余計な口は、挟みたくなかったけど。往来の多い、こんな目立つ場所でやっていれば、いやでも目に入るわよ? もう少し、上品に、やり取りできないの?」
 
 私が尋ねると、ナギサお姉様は、小さくため息をついた。

「でも、彼女たちが、新人いびりをしていたので。放っておく訳にもいかなくて」
「ちっ、違うんです! 私たちは、ただ、新人の指導をしていただけで……」
「そうなんです。新人いびりだなんて、ただの言いがかりです――」

 私が答えると、彼女たちは、慌てて弁解する。

「あなたたちは、私の妹が、嘘をついているとでも? しっかり、一部始終を見ていたけど、ヴィオレッタには、特に、非があるようには、見えなかったわ」

「ただ、妹の不始末は、姉の責任でもあるから。もし、彼女に問題があるなら、何なりと、ハッキリ言いなさい。私が、代わりに、お詫びするわ」
 ナギサお姉様が、凛とした声で語ると、彼女たちの顔が、ますます青くなった。

「い、いえ。お詫びなんて、とんでもないです……」
「と、特に問題は、ありません――」
「そ、そうです。私たちの、手違いのようです……」

 ナギサお姉様は、しばし無言のまま、彼女たちを、冷たい目で見つめていた。迫力と威圧感が、半端ない。彼女たちは、蛇に睨まれた蛙のように、身動きが取れなくなっていた。

「そう、ならいいわ。でも、公共の場では、大声をあげるなんて、はしたないことをせず、もっと、上品に会話しなさい。あと、私の妹に文句があるなら、私に直接、言いなさい。ちゃんと、指導しておくから」

 ナギサお姉様が言うと、
「も、申しわけありませんでした、ナギサお姉様」
 彼女たちは、一斉に頭を下げる。
 
「用が済んだなら、もう行きなさい」
「は、はい。失礼します――」
 彼女たちは、逃げるように、足早に立ち去って行った。

 私は、その光景を、瞬きせずに、ずっと見つめていた。やっぱり、ナギサお姉様は凄い。上位階級だからとか、そういう問題ではない。人として、凄いのだ。その圧倒的な気品に加え、誰も抗えない、強い気迫や威厳がある。

 こういったものは、一朝一夕で、身につくものではない。能力的には、負けるつもりはないけど。やはり、人間的な大きさでは、まだまだ、遠く及ばない。

「あなたも、行っていいわよ。もし、困ったことがあれば、いつでも、私に相談しなさい」
「は、はい。ありがとうございました……」

 新人の子は、頭を下げると、そそくさと、立ち去って行った。

「言っておきますけど、今回のは、不可抗力です。私から、喧嘩を吹っ掛けた訳じゃないですから」

「見ていたから、だいたいの事情は、分かっているわ。正義感が強いのは、大いに結構。でも、もうちょっと、スマートにできないの?」 

「今日は、私的には、かなりスマートでしたけど」
「どこがよ? あんな、レベルの低い人間と、まともにやり合って、どうするの?」

「だって、嫌じゃないですか。あんな連中に負けるの」  
「だから、勝った負けたの問題じゃないのよ――」

 ナギサお姉様は、大きなため息をつく。だが、すぐにきびすをかえすと、静かに声を掛けて来た。

「ほら、行くわよ」
「どこにです?」

「夕食よ。どうせ、まだなんでしょ?」
「えぇ。適当に、何か買って来て、済ませようと思ってたんですけど」

「ちゃんと、栄養を考えて食事しなさいよ。シルフィードは、体が資本なんだから。新しくできた、評判のレストランがあるから、今夜はそこに行くわよ」
「でも、私、お金ないです」

 一応、一人前になって、お給料は増えたけど、まだ少ない。それに、家に仕送りもしているので、外食なんかする余裕は、全くなかった。
 
「それなら、私に任せておきなさい。妹は、余計なことを、考えないでいいのだから。ほら、行くわよ」
 そういうと、ナギサお姉様は、さっさと歩き始めた。

 いつも通り、そっけない態度だけど、色々と気を遣ってくれている。さっきも、私のことを、しっかり信じて、かばってくれたし。なんだかんだで、根はやさしい人なのだ。

 やっぱり、まだまだ、遠いなぁ。悔しけど、今は、まだ勝てる気がしない。特に、人間的な大きさでは、比較にならない。でも、いつか、必ず追い付いて見せる。

 いつまでも、後ろをついて行くだけなんて、私の性には合わないから。まずは、せめて、彼女の隣を歩けるぐらいまでは、成長しないと。

 私は、彼女の大きな背中を見ながら、心に炎を燃やすのだった……。


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次回――
『私のサプライズ好きは遺伝なのかもしれない……』

 サプライズは偶然と必然の交差の産物です
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