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第9部 夢の先にあるもの

1-4人の想いは常にすれ違うものなのだろうか?

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 仕事が終わったあとの夜。私は、自宅の二階の隅にある、物置部屋にこもっていた。背の低いテーブルの前に、座布団をしいて、複数の空中モニターと向き合っている。左手にはパンを持ち、食事をしながら、スピで調べ物をしている最中だ。

 普段は、広々したリビングで食事しているが、今は、あまり広い場所には、いたくなかった。気持ちが沈んでいる時に、一人で広い所にいると、ますます、落ち込んでくるからだ。

 先日、リリーシャさんが、エンプレス昇進の面接から、帰って来たあと。彼女の話を聴いて、大変な衝撃を受けた。あれから数日たったが、私は、いまだに、そのショックから、立ち直れていない。

 エンプレスを辞退したことも、そうだけど。一番は、リリーシャさんが『シルフィードを、好きでやっている訳ではなかった』こと。これから先『ずっと続けていくつもりはない』と、言っていたことだ。

 リリーシャさんは、シルフィードが大好きで、天職として、やっているのだと思っていた。私が、勝手に思い込んでいたのが、悪いんだけど。でも、誰がどう見たって、彼女は、楽しそうにやっているように、見えたはずだ。

 リリーシャさんが、本心を出さない性格なのも、どんな時でも笑顔を絶やさないのも、私は、よく知っている。それにしたって、あれほど、活き活きやっていたら『本当に好きでやっているんだ』と、感じるのが普通だ。

 単に、リリーシャさんの演技が、スバ抜けて上手かったのか。それとも、私が、空気を読めないのが原因なのか。その点は、よく分からなかった。

 いずれにしても、リリーシャさんが、エンプレスになることは、もう、二度とないし。いずれは、この業界を、去ってしまうのも事実だ。いい加減、目の前の現実を、受け止めなければならない。とはいえ、実際には、物凄く難しいことだった。
 
 リリーシャさんは、あの日以降も、いつもと、全く変わらない様子だ。でも、私は、彼女への態度が、ぎこちなくなってしまった。

 いつも、辛い気持ちで、やっているのではないだろうか? 仕事として、仕方なくやっているのだろうか? そんなことを考えてしまうと、今までのように、素直な気持ちの笑顔を、向けられなくなってしまったのだ。

 悶々とした日々を過ごし、リリーシャさんとの関係も微妙なまま。でも、仕事に影響が出てはマズイので、何とかして、解決しなければならない。特に、上位階級である、今の立場を考えると、早急な対策が必要だ。

 そんなこんなで、今日は『人の気持ちを知る方法』『建前と本音』『円滑な人間関係』など、対人関係の情報を探している。

 今までは、人との接し方は、特に意識したとはなく、ごく自然にやっていた。人付き合いには、割と自信があるからだ。でも、ちゃんと、勉強したことがないし、完全に自己流だから、正しいかどうかは、自信がない。

 色々調べてみたけど、どの情報も、書いてある内容は同じだ。相手をよく観察すること。相手の意見を尊重すること。自己主張は抑えること。一応、どれも、やってるとは思うんだけど。

 相手によって、ベストな接し方は違うし。普段は、特に計算して付き合っている訳ではないから、非常に難しい。

「はぁー。私って、人の気持ちが分からない、自分勝手な人間なのかなぁ……?」
 空中モニターから目を離すと、私は、大きくため息をついた。

 昔から、空気を読む努力はしている。特に、友達関係は大事にしているので、相手のことは、しっかり考えているつもりだ。でも、割と遠慮なく、踏み込むし。実際には、全然、相手を見ていなかったのだろうか――?

 悶々と悩んでいると、メッセージの着信音が鳴った。確認すると、ユメちゃんからだ。ちょうどいいタイミングだったので、私は、急いで返信する。

『風ちゃん、こんばんはー! 元気してるっ?』
『こんばんは、ユメちゃん。ぼちぼちかなぁ』 
 今夜のユメちゃんは、ずいぶんと、テンションが高そうだ。

『どうしたの? 何かあった?』
『まぁ、あったような、なかったような……』
『何でも相談してよ。私たちの間に、隠し事はなしだからね』
『でも、楽しい話じゃないよ――』
 
 何だかんだで、ユメちゃんも、リリーシャさんのエンプレス就任には、好意的だった。それが、完全に無くなってしまったのだから、いい話な訳がない。

 それに、ユメちゃんに対して、ここのところ、重い話をする機会が多いと思う。素直に聴いてくれるとはいえ、やっぱり、頼り過ぎではないだろうか? そもそも、彼女のほうが、年下なんだし。心の傷だって、抱えているのだから。

『いいよ、別に。人生、楽しい事ばかりじゃないもん。私だって、よく風ちゃんに、重い話をしてるじゃん』
『そうだっけ?』

『私、結構、深刻的な話をしてるけどなぁ。単に、風ちゃんが、そう思ってないだけで。人によって、物事の重さや、捉え方が違うんだよ』
『でも、ユメちゃんの場合。よくある、軽い愚痴だけでしょ?』

 ユメちゃんは、学校に通い始めてから、気の合う友人もでき、学校生活にも慣れ、かなり順調だった。悩みといっても、ちょっと運動が苦手とか、人と話すのが苦手とか、その程度だ。

『私にとっては、滅茶苦茶、深刻なの。運動音痴とか、コミュ力がないとか、超真剣に悩んでるんだから』

『でも、ちょっとトレーニングして、体を鍛えるとか。普通に話したりすれば、いいだけの話じゃない?』

『それが出来ないから、悩んでるの! 階段を上るだけで、息切れしたり。人と話すたびに、緊張する人間の気持ちなんて。風ちゃんには、全く分からないでしょ?』
『うーむ。それは、考えたことないかも……』

 体を動かすのは、超大好きだし。精神的に疲れたりはあっても、肉体的に疲れることは、滅多にない。それに、偉い人と話す時以外は、緊張とかないし。そもそも、同年代の子と話すのに、どこに緊張する要素があるんだろうか?

『それが、物事の捉え方の違い。人によって、物事の重さが違うから。自分で重く考えていても、相手には、軽いことだったりするんだよ』
『ふむふむ』

『つまり、私と風ちゃんは、重さのポイントがズレてるから。私が重いことは、風ちゃんには軽いし。風ちゃんが重いことは、私には軽く感じるってこと』
『なるほど、そういうことね――』

 何となく、思い当たる節がある。肉体派の私と、頭脳派のユメちゃんでは、悩みが全然、違うもんね。それで、お互いの相談事が、いつも上手く行っているのかもしれない。

『だから、何も隠す必要ないよ。風ちゃんの悩みの大半は、私にとっては、軽いことだもん。別に、無理して聴いてる訳じゃないよ。嫌なら嫌って、ハッキリ言うから』

 ユメちゃんは、最初は、大人しい性格かと思ってたけど。好き嫌いや、やりたいこと、やりたくないことは、物凄くハッキリ言う性格だ。なら、私の話を聴いてくれているのは、本当に、好きでやっているのかもしれない。

『じゃあ、お言葉に甘えて。でも、今回の話は、本当に重いからね』
『オッケー、オッケー。ドーンと来いよ』
 なんだか、ここ最近、ますますユメちゃんが、昔の私に似て来た気がする……。

『先日、ユメちゃんとお出掛けした時。ちょこっと、昇進の話をしたでしょ?』
『あぁ、リリーシャさんの昇進の件?』

『そうそう。先日、リリーシャさんが、面接を受けに行ってきたんだよね』
『おぉー! それで、どうだったの? もしかして、ダメだった?』
 ユメちゃんも、私と同様に、物凄く結果が気になっていたはずだ。

『うーん、ダメじゃなかったんだけどねぇ。完全に、予想外の結果になって――』
『えー、なになに? もったいぶらずに、教えてよ』
  
『実は、辞退しちゃんだよね……』
『えっ? ええぇぇ――!? 嘘っ‼ ただの冗談だよね?』 

『いや、紛れもない、事実なんだけど』
『ええぇぇーー!! 何でっ……何でーー?!』 
 いたって予想通りの反応だ。誰だって、驚くよね。

『色々考えたみたいだけど。「自分の進むべき道ではない」って、言ってた』
『えぇー? どういうこと? 訳わかんないよ』 
『やっぱ、そう思うよね。私も訳が分からなくて、ずっと悶々としてて――』

『それは、完全に、予想の斜め上をいってるね。流石に、今回の話は重すぎるよ』
『じゃあ、この話、止めとく?』
『ううん、続けて。風ちゃんの思ってること、全部、話してよ』 

 流石は、ユメちゃん。かなり肝が据わってる。

『でも、私が、一番ショックを受けたのは、辞退したことじゃなくて。リリーシャさんの、本当の気持ちを、聴いたからなんだ……』
『何て言ってたの?』

『それがね「シルフィードは好きでやっている訳ではない」「いつまでやるか分からない」って。物凄く大好きで、天職でやっているんだと思ってたから。この言葉は、滅茶苦茶、ショックだったよ――』

 私が、リリーシャさんこそが、シルフィードの理想像だと思っていたのは、単に技術的な問題だけではない。本当に、心から楽しそうにやっていたからだ。あの、活き活きして、きらきら輝く姿に、強く憧れたのだ。

『つまり「仕事として、割り切ってやっている」って、ことだよね? じゃあ、営業スマイルみたいに、演技で楽しそうに、振る舞ってたの?』
『おそらく、そうなんだと思う……』

『まぁ、仕事では、よくある話だよね。プライベートだって、愛想笑いや、人に合わせて、楽しそうに振る舞うことは、誰だって普通にするし』
『だよねぇ。接客業なら、なおさら、その機会が多いよね』 

 しかも、リリーシャさんの接客の腕は、超プロフェッショナルだ。本物か演技か、見分けがつかないぐらい、技術が高いのかもしれない。

『でも、それって、そんなにショックなことなの?』

『うん、私にとっては、一大事だよ。私は、毎日、凄く楽しくやってるから。リリーシャさんも、同じ気持ちでやってると思ってた。でも、それが、ただの勘違いだと分かって。どうしていいのか、全然、分からなくなっちゃって――』

『でも、人の気持ちって、難しいよね。なかなか、本音を言わない人もいるし』
『だよねぇー。特に私の場合、人の気持ちが、分からない性格みたいだから……』

 何年もの間、毎日、一緒に仕事をしているのに。私は、いまだに、リリーシャさんの気持ちが、見えていない。ただ単に、私が、鈍感すぎるんじゃないだろうか?

『そんなことないよ! 風ちゃんは、ちゃんと相手の気持ちが、分かる人だよ。風ちゃんに分からないんじゃ、誰にも分からないよ』
『そうかなぁ……?』

『そもそも、人の気持ちなんて、絶対に分からないんだよ。結局は、予想するしかないんだから。人付き合いって「相手を予想しながら付き合う」ってことでしょ? 実際に、正解かどうかは、分からないんだから』

 確かに、そうなのかも。『この人はこうなんだ』と予想して、それぞれの人と、ベストな付き合い方をしている。もしかしたら、リリーシャさん以外の人のイメージも、単なる思い込みで、間違っているのかもしれない。

『単に「そうあって欲しい」というイメージを、勝手に、リリーシャさんに、押し付けていたのかも。それに、リリーシャさんと、ずっと一緒にいたかったから。思い込みが、特別に強かったのかもしれない――』

『風ちゃんにとっては、理想の人だもんね。そういう場合、得てして、美化したり、必要以上に、期待して見ちゃうもんだよ』

 まさに、その通りだ。私は、リリーシャさんを、本物の天使のように、神格化して見ていたから。普通の弱い人間として、見ていなかったのだと思う。

『でも、私にも分かるなぁ。私も、風ちゃんのこと、そういうふうに見てるから』
『えぇっ?! そうなの? ユメちゃんからは、私って、どう見えてるの?』
『とても完璧で、上品で、華麗なシルフィード』

『えぇぇ―?!』
『あははっ、冗談冗談』
『って、止めてよー! そういう、ドキッとする冗談は!』 

 もう、こっちは、真剣に相談してるのに。でも、きっと、私一人が、重く考え過ぎているんだと思う。やっぱり、人によって受け止め方が、全然、違うよね。

『でも、人の気持ちって、常に変化するものだし。永遠に同じままじゃないよ。別に「嫌い」とは、言ってないんでしょ? 今まで、風ちゃんが見て来た、リリーシャさんの姿は、本物だと思うよ』

『じゃあ、演技じゃなくて、本当に、楽しんでやってたってこと?』

『たぶん、そうだと思う。きっと、やっている内に、何か思うことがあったんじゃないかな? 風ちゃんだって、こっちに来たばかりのころと比べて、考え方は、変わってるでしょ?』

『まぁ、確かに。色々変わったかも……』

 シルフィードが好きな気持ちや、天職だと思っている、根元の部分は、全く変わってないけど。考え方や行動は、だいぶ変わったと思う。

『出会いは別れの始まり、って言葉があるけど。それは、お互いの気持ちが、途中で変化するからだと思う。でも、悪いことばかりじゃないよ。そのお蔭で、新しい道が見つかったり、新しい人との出会いがあるんだから』

『変化は、悲しむべき出来事ではなく、楽しむべきじゃないかな? こらからも、どんどん変わって行くし。風ちゃんは、そうやって生きて来たんでしょ? だから、この世界に来たんだし』

 そうだった。大きな変化を求めて、この世界に、一人でやって来たのだ。

『そうだよね――。ありがとう。なんか、胸のつっかえが、取れた気がするよ』

 リリーシャさんの選択は、別に、そこで終わりではない。新しい道に進むために、起こした行動なんだから。ならば私は、その選択を祝福し、私自身も、新しい道を選んで、進んで行くべきだ。

 人の想いは、近づくことはあっても、けっして、交わらないのかもしれない。それぞれに、考え方も価値観も、全く違うのだから。同じ、一本の道にならないのは、自然なことなのだろう。
 
 きっと、今までは、リリーシャさんと私の道は、物凄く近くにあったんだと思う。それが今、明確に、方向が分かれようとしているのだ。

 今後、どの方向に進むのか、どう変化するのかは、全く分からない。でも、どんなに離れたって、私のリリーシャさんに対する気持ちは、変わらない。

 彼女の教えを見失わないように、ずっと心に抱きながら。でも、私は、私だけの道を、真っ直ぐ進んで行こう。結局、人は、自分の道を行くしかないのだから……。


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次回――
『別れるのは寂しいけど大好きな人には幸せになって欲しい』

 別れの苦痛のなかで、ようやく私たちは愛の深さを見つめる
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