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第9部 夢の先にあるもの
1-3選択の成否は未来にならないと誰にも分からない
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午後、七時ごろ。僕は、エア・カートに乗って〈南地区〉にある、ダイニングバー〈カンパネラ〉に向かっていた。今日は一日、どんよりした曇り空で、いつ雨が降っても、おかしくない天気だった。案の定、移動中に、ぽつぽつと雨粒が落ちてきた。
「あーあ、やっぱ、降ってきちゃったか。雨って、湿っぽくて嫌いなんだよね。しかも、こんなおめでたい日に、なんで降ってくるかなぁ。僕、昔から晴れ女なのに」
フロントガラスに張り付いた水滴を、ワイパーで落としながら、町の上空を急いで飛んでいく。
時計を見ると、午後六時五十九分。待ち合わせは七時なので、数分、遅れてしまいそうだが、僕にしては、かなり早いほうだ。
今日は、突然、リリーから呼び出しがあった。本当は、後輩の子たちと、ディナーに行く約束があったんだけど。そちらはキャンセルして、急きょ、こっちにやってきた。
リリーからの呼び出しは、たいてい、重い相談だ。でも、今回は、どんな内容か、想像がついている。なぜなら、今日は『エンプレスの昇進面接』の日だったからだ。リリーに限って、落ちる心配はないから、昇進の報告だろう。
本当は、ゴージャスなレストランで、パーッとお祝いしたかったんだけど。流石に急すぎて、予約が間に合わなかった。なので、いつも行きつけのバーで、会うことにした。
まぁ、正式な就任は、まだ先のことだし。後日、改めてお祝いしてあげれば、いいよね。なんたって、エンプレスなんだから、超盛大にやらないと。そういえば、アリーシャさんの時も、かなり豪華なパーティーだったよなぁ。
僕は、ふと、子供のころを思い出した。いつも、人形を抱きしめながら、僕の後ろを、静かについてくるリリーの姿だ。
繊細で弱々しくて、妹みたいな感じだったけど。今では、僕よりもずっと立派で、はるか先にいる存在だ。立場が逆転して、ちょっと、違和感があるけど。でも、やっぱり、心から嬉しい。
それにしても、あの気弱で、人見知りだったリリーが、エンプレスかぁー。時の流れは、人を大きく成長させるんだなぁ。今日は、盛大にお祝いしてあげないと。
僕は、早くリリーに会いたい、はやる気持ちを抑えつつ、夜の空を、疾走していくのだった……。
******
店に着き、店員に名前を告げると、すぐに席に案内された。そこは、僕の定位置で、窓から町の夜景が見渡せる、特等席だ。すでに、リリーは席についていて、テーブルには、赤ワインのグラスが置いてあった。僕に気づくと、笑顔を向けてくる。
そのスッキリとした軽やかな笑顔を見ると、どうやら、今日は機嫌がいいようだ。そりゃ、そうだよね。ついに、念願のエンプレスに、昇進したんだから。
「やぁ、リリー、こんばんは。ごめん、早く来たつもりなんだけど、ちょっと遅れちゃった」
「こんばんは、ツバサちゃん。私は、全然、大丈夫よ。それより、突然、呼び出しちゃって、ごめんなさい。何か、予定があったんじゃないの?」
「へーき、へーき。リリーとデートする以上に、大事な用なんてないから。呼ばれれば、地の果てだって駆けつけますよ、お姫様」
僕が答えると、リリーは、クスクスと笑う。
席に着くと、すぐに、顔見知りのマスターがやって来た。
「ツバサさん、いらっしゃいませ。今日は、どうしますか?」
「彼女には、店で一番いい赤ワインをボトルで。僕は、さっぱりしたのが飲みたいから、モヒートを貰おうかな。あと、お腹がすいてるから、ボリュームのある料理を、おまかせで」
「かしこまりました」
マスターは、軽く会釈すると、静かに立ち去って行った。
僕は、注文は、割と適当だ。好き嫌いがないから、なんでも食べるし。お腹にたまりさえすれば、満足だ。お酒は、そこそこ、こだわるけど。実は、アルコールは、あまり強くないんだよね。
対して、リリーは、自分で料理をするだけあって、味には、かなりうるさい。お酒は、ワインしか飲まないけど。とんでもなく、アルコールに強く、飲む量が半端なかった。今まで、一度も、酔ったところを、見たことがないし。
それにしても、この店は、いつ来ても、いい雰囲気だ。商業ビルの七階で、目立たないせいもあってか、ほぼ常連客しか来ない。皆、静かに飲んでいるので落ちつくし、声を掛けられることもない。なので、一人になりたい時は、ここに来ていた。
賑やかなのが大好きな僕でも、時には、静かに過ごしたい日もある。まぁ、リリーは、一緒にいても静かなので、全く問題ないけどね。
「ツバサちゃん、最近、お仕事はどう?」
「相変わらず、忙しいけど、日々楽しくやってるよ。それより、リリーのほうこそ、かなり、忙しいんじゃないの?」
〈ホワイト・ウイング〉は、とても有名なので、元々忙しかったけど。風歌ちゃんが昇進してから、ますます忙しくなったようだ。通常、個人企業は、あまり、お客様が来ない。でも〈ホワイト・ウイング〉だけは、別格だ。
『グランド・エンプレス』が作った会社なうえに、三人連続で、上位階級になっている、超名門企業だからだ。特に、風歌ちゃんが話題になるたびに、お客様が、どんどん増えている。
「仕事のほうは、そうでもないけれど。立て続けに、色々あったから、少し疲れてしまったわ」
「あー、確かに。本業以外の問題のほうが、考えることが多くて、疲れるからね。本業だけに、集中できるといいんだけど。ま、そうも行かないのが、上位階級なんだよねぇ」
風歌ちゃんの昇進、慰霊祭。加えて、今回のエンプレスの指名。大きな出来事が、立て続けに起こっていた。観光案内だけなら、特に問題ないが、本業以外のことは、思った以上に、精神的に疲れる。神経質なリリーなら、なおのことだ。
それに、社員の僕とは違って、リリーは、会社の経営までやっている。精神的な負担は、はるかに大きいはずだ。
しばらくは、近況報告や、他愛もない世間話を続ける。その間に、注文していた、お酒と料理が運ばれてきた。まずは、腹ごしらえで、どんどん食べ進めるが、本題の話は、全く出てこなかった。
でも、リリーは、いつもこんな感じだ。幼馴染で親友の僕に対してですら、物凄く気を使って、前置きが長い。なので、僕のほうから、話を振ることにした。
「で、どうだったの、今日の昇進面接は? 早く嬉しい報告を、聴かせてよ」
アルコールが入って、すっかり気分がよくなった僕は、陽気に質問した。すると、今まで柔らかな表情だったリリーから、突然、笑顔が消える。
ん――あれっ? なんか、言い方まずかったかな? それとも、真面目なリリーのことだから、嬉しい報告も、真剣に答えるんだろうか?
ゆるみ切っていた気持ちを、少し引き締め、僕は、彼女の顔を見つめた。リリーは、とても真剣な表情をしている。
「……ちょっと、驚くかもしれないけど、聴いてくれる?」
「あぁ、もちろんだよ。サプライズは、大歓迎さ」
「実は、今日の昇進面接で、エンプレスの就任を、辞退してきたの――」
「へぇー、そうなんだ。って、ん……? ええぇぇぇぇーー⁈」
僕は、あまりの驚きに、バンッと机を叩いて、立ち上がった。
周りにいたお客さんたちの視線が、一斉にこちらに向いた。僕は、すぐに我に返り、周囲に向かって、ぺこぺこと頭を下げる。
「ご――ごめん、リリー。僕の聞き間違いかな? それとも、ちょっと、酔っちゃったのかな……。もう一度、言ってもらっていい?」
席に着くと、そっとリリーに尋ねた。
「エンプレスの就任は、正式に辞退してきたわ――」
彼女は、いたって真顔で、淡々と答える。
嘘……だよね。サプライズで、冗談とか――? いや、リリーが冗談で、人を驚かせるなんて、洒落っ気のあることを、するはずがないし。じゃあ、まさか本当に、断っちゃったの……?
確かに『リリーの好きにすればいい』とは言ったけど。まさか、断るだなんて――。だって、一生に一度の、大チャンスだし。それに、アリーシャさんのあとを、継ぐことだってできるのに……。
だが、彼女の真っすぐな瞳は、それが真実であることを、物語っていた。ほろ酔い気分は、一気に冷めてしまった。
僕は、顔に手を当て、急いで思考を整理する。全く予想していない出来事だったので、気が動転して、現実が受け止め切れていない。でも、僕は――。
落ち着け、落ち着くんだ……。僕は、リリーがどんな道に進もうとも、世界中が敵になろうとも、常に味方でいると。リリーの全てを受け入れ、一生、彼女を見守ると、決めたじゃないか――。
今までずっと、周りに流されていたリリーが、ようやく自分の意思で、選んだのだから。これは、祝福してあげるべきなのでは? どんな道に進もうとも、彼女が幸せなら、それが一番じゃない? 大丈夫、僕がついているんだから……。
しばらくの沈黙のあと、僕は大きく息を吸い込むと、
「よくよく考えて、自分の気持ちに素直になって、決めたんだね?」
微笑みながら、彼女に尋ねる。
「えぇ。私にとって、今取りうる、最善の選択だと思ったの。私も、いつまでも足踏みしてないで、前に進まないといけないから」
「そっか。おめでとう、リリー」
「え――? 断ってしまったのに、なんで?」
「明るい未来に、一歩、踏み出したことへの、祝福だよ」
僕が知る限り、リリーの人生の中で、初めての思い切った選択だ。常に、大人しく、従順で、素直だったリリーにしては、とても勇気のいる行動だったと思う。
「……ありがとう。ツバサちゃんに、そう言ってもらえるのが、一番、嬉しいわ。私は、てっきり、あきれられてしまかと、思っていたから」
「僕が、リリーのすることに、反対なんてするはずないよ。どんな道を選んだとしても、僕は、全力で応援するから。これからも、自分の思う通りに進めばいいよ」
思えば、リリーは、今までの人生の大半を、周りの人に合わせて、生きてきた。ありとあらゆる人に気を使い、遠慮して、自分の想いは、常に後回しだった。特に、アリーシャさんに対しては、あまりに、想いが強すぎた。
親子の愛情といえば、そうなんだろうけど。自分を犠牲にした愛では、けっして、幸せににはなれないのだ。これからは、もっと自分の気持ちを、大切にして欲しい。
「ただ――正直に言うと、自信がないの。これが『本当に正しい選択だったのか?』『最善の道だったのか?』って」
リリーは、少し不安げに語る。
「選択には、正解も不正解も、ないと思うよ。未来にならなきゃ、結果が分からないんだから。それに、どんな道の先にも、必ず幸せがあるから。大事なのは、自分が納得しているかどうかだけ。あとはもう、全力で、その道を進んで行くだけだよ」
「そうね。自分の選択を信じて、全力で頑張るわ」
ようやく彼女に、柔らかな笑顔が戻った。
本当は、数え切れないほどの、葛藤があったに違いない。今だって、いろんな悩みや不安を、抱えているのだろう。人生を変える選択とは、そんなに簡単なものじゃないのだから。
これから先、リリーがどんな道を進んで行くのか、気にはなるけど。変に詮索するのは、やめておこう。一歩、踏み出せただけで、今は十分だ。
「よし、そうと決まれば、今日は、とくとん飲むぞー!」
「ほどほどにね。いつも、酔いつぶれちゃんだから」
「へーき、へーき。どうせ、リリーが、優しく介抱してくれるんだから」
「もう、ツバサちゃんったら」
リリーは、楽しそうに微笑む。
どうか、リリーが、心から笑える日が来ますように。どうか、彼女が、世界一、幸せになれますように。それまでは、全力で、応援していこう。でも、僕にできるのは、温かく見守ることだけだ。
結局、幸せとは、自分自身の手でしか、掴めないものなのだから……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『人の想いは常にすれ違うものなのだろうか?』
人の想いはすれ違い、けっして一つになることはない
「あーあ、やっぱ、降ってきちゃったか。雨って、湿っぽくて嫌いなんだよね。しかも、こんなおめでたい日に、なんで降ってくるかなぁ。僕、昔から晴れ女なのに」
フロントガラスに張り付いた水滴を、ワイパーで落としながら、町の上空を急いで飛んでいく。
時計を見ると、午後六時五十九分。待ち合わせは七時なので、数分、遅れてしまいそうだが、僕にしては、かなり早いほうだ。
今日は、突然、リリーから呼び出しがあった。本当は、後輩の子たちと、ディナーに行く約束があったんだけど。そちらはキャンセルして、急きょ、こっちにやってきた。
リリーからの呼び出しは、たいてい、重い相談だ。でも、今回は、どんな内容か、想像がついている。なぜなら、今日は『エンプレスの昇進面接』の日だったからだ。リリーに限って、落ちる心配はないから、昇進の報告だろう。
本当は、ゴージャスなレストランで、パーッとお祝いしたかったんだけど。流石に急すぎて、予約が間に合わなかった。なので、いつも行きつけのバーで、会うことにした。
まぁ、正式な就任は、まだ先のことだし。後日、改めてお祝いしてあげれば、いいよね。なんたって、エンプレスなんだから、超盛大にやらないと。そういえば、アリーシャさんの時も、かなり豪華なパーティーだったよなぁ。
僕は、ふと、子供のころを思い出した。いつも、人形を抱きしめながら、僕の後ろを、静かについてくるリリーの姿だ。
繊細で弱々しくて、妹みたいな感じだったけど。今では、僕よりもずっと立派で、はるか先にいる存在だ。立場が逆転して、ちょっと、違和感があるけど。でも、やっぱり、心から嬉しい。
それにしても、あの気弱で、人見知りだったリリーが、エンプレスかぁー。時の流れは、人を大きく成長させるんだなぁ。今日は、盛大にお祝いしてあげないと。
僕は、早くリリーに会いたい、はやる気持ちを抑えつつ、夜の空を、疾走していくのだった……。
******
店に着き、店員に名前を告げると、すぐに席に案内された。そこは、僕の定位置で、窓から町の夜景が見渡せる、特等席だ。すでに、リリーは席についていて、テーブルには、赤ワインのグラスが置いてあった。僕に気づくと、笑顔を向けてくる。
そのスッキリとした軽やかな笑顔を見ると、どうやら、今日は機嫌がいいようだ。そりゃ、そうだよね。ついに、念願のエンプレスに、昇進したんだから。
「やぁ、リリー、こんばんは。ごめん、早く来たつもりなんだけど、ちょっと遅れちゃった」
「こんばんは、ツバサちゃん。私は、全然、大丈夫よ。それより、突然、呼び出しちゃって、ごめんなさい。何か、予定があったんじゃないの?」
「へーき、へーき。リリーとデートする以上に、大事な用なんてないから。呼ばれれば、地の果てだって駆けつけますよ、お姫様」
僕が答えると、リリーは、クスクスと笑う。
席に着くと、すぐに、顔見知りのマスターがやって来た。
「ツバサさん、いらっしゃいませ。今日は、どうしますか?」
「彼女には、店で一番いい赤ワインをボトルで。僕は、さっぱりしたのが飲みたいから、モヒートを貰おうかな。あと、お腹がすいてるから、ボリュームのある料理を、おまかせで」
「かしこまりました」
マスターは、軽く会釈すると、静かに立ち去って行った。
僕は、注文は、割と適当だ。好き嫌いがないから、なんでも食べるし。お腹にたまりさえすれば、満足だ。お酒は、そこそこ、こだわるけど。実は、アルコールは、あまり強くないんだよね。
対して、リリーは、自分で料理をするだけあって、味には、かなりうるさい。お酒は、ワインしか飲まないけど。とんでもなく、アルコールに強く、飲む量が半端なかった。今まで、一度も、酔ったところを、見たことがないし。
それにしても、この店は、いつ来ても、いい雰囲気だ。商業ビルの七階で、目立たないせいもあってか、ほぼ常連客しか来ない。皆、静かに飲んでいるので落ちつくし、声を掛けられることもない。なので、一人になりたい時は、ここに来ていた。
賑やかなのが大好きな僕でも、時には、静かに過ごしたい日もある。まぁ、リリーは、一緒にいても静かなので、全く問題ないけどね。
「ツバサちゃん、最近、お仕事はどう?」
「相変わらず、忙しいけど、日々楽しくやってるよ。それより、リリーのほうこそ、かなり、忙しいんじゃないの?」
〈ホワイト・ウイング〉は、とても有名なので、元々忙しかったけど。風歌ちゃんが昇進してから、ますます忙しくなったようだ。通常、個人企業は、あまり、お客様が来ない。でも〈ホワイト・ウイング〉だけは、別格だ。
『グランド・エンプレス』が作った会社なうえに、三人連続で、上位階級になっている、超名門企業だからだ。特に、風歌ちゃんが話題になるたびに、お客様が、どんどん増えている。
「仕事のほうは、そうでもないけれど。立て続けに、色々あったから、少し疲れてしまったわ」
「あー、確かに。本業以外の問題のほうが、考えることが多くて、疲れるからね。本業だけに、集中できるといいんだけど。ま、そうも行かないのが、上位階級なんだよねぇ」
風歌ちゃんの昇進、慰霊祭。加えて、今回のエンプレスの指名。大きな出来事が、立て続けに起こっていた。観光案内だけなら、特に問題ないが、本業以外のことは、思った以上に、精神的に疲れる。神経質なリリーなら、なおのことだ。
それに、社員の僕とは違って、リリーは、会社の経営までやっている。精神的な負担は、はるかに大きいはずだ。
しばらくは、近況報告や、他愛もない世間話を続ける。その間に、注文していた、お酒と料理が運ばれてきた。まずは、腹ごしらえで、どんどん食べ進めるが、本題の話は、全く出てこなかった。
でも、リリーは、いつもこんな感じだ。幼馴染で親友の僕に対してですら、物凄く気を使って、前置きが長い。なので、僕のほうから、話を振ることにした。
「で、どうだったの、今日の昇進面接は? 早く嬉しい報告を、聴かせてよ」
アルコールが入って、すっかり気分がよくなった僕は、陽気に質問した。すると、今まで柔らかな表情だったリリーから、突然、笑顔が消える。
ん――あれっ? なんか、言い方まずかったかな? それとも、真面目なリリーのことだから、嬉しい報告も、真剣に答えるんだろうか?
ゆるみ切っていた気持ちを、少し引き締め、僕は、彼女の顔を見つめた。リリーは、とても真剣な表情をしている。
「……ちょっと、驚くかもしれないけど、聴いてくれる?」
「あぁ、もちろんだよ。サプライズは、大歓迎さ」
「実は、今日の昇進面接で、エンプレスの就任を、辞退してきたの――」
「へぇー、そうなんだ。って、ん……? ええぇぇぇぇーー⁈」
僕は、あまりの驚きに、バンッと机を叩いて、立ち上がった。
周りにいたお客さんたちの視線が、一斉にこちらに向いた。僕は、すぐに我に返り、周囲に向かって、ぺこぺこと頭を下げる。
「ご――ごめん、リリー。僕の聞き間違いかな? それとも、ちょっと、酔っちゃったのかな……。もう一度、言ってもらっていい?」
席に着くと、そっとリリーに尋ねた。
「エンプレスの就任は、正式に辞退してきたわ――」
彼女は、いたって真顔で、淡々と答える。
嘘……だよね。サプライズで、冗談とか――? いや、リリーが冗談で、人を驚かせるなんて、洒落っ気のあることを、するはずがないし。じゃあ、まさか本当に、断っちゃったの……?
確かに『リリーの好きにすればいい』とは言ったけど。まさか、断るだなんて――。だって、一生に一度の、大チャンスだし。それに、アリーシャさんのあとを、継ぐことだってできるのに……。
だが、彼女の真っすぐな瞳は、それが真実であることを、物語っていた。ほろ酔い気分は、一気に冷めてしまった。
僕は、顔に手を当て、急いで思考を整理する。全く予想していない出来事だったので、気が動転して、現実が受け止め切れていない。でも、僕は――。
落ち着け、落ち着くんだ……。僕は、リリーがどんな道に進もうとも、世界中が敵になろうとも、常に味方でいると。リリーの全てを受け入れ、一生、彼女を見守ると、決めたじゃないか――。
今までずっと、周りに流されていたリリーが、ようやく自分の意思で、選んだのだから。これは、祝福してあげるべきなのでは? どんな道に進もうとも、彼女が幸せなら、それが一番じゃない? 大丈夫、僕がついているんだから……。
しばらくの沈黙のあと、僕は大きく息を吸い込むと、
「よくよく考えて、自分の気持ちに素直になって、決めたんだね?」
微笑みながら、彼女に尋ねる。
「えぇ。私にとって、今取りうる、最善の選択だと思ったの。私も、いつまでも足踏みしてないで、前に進まないといけないから」
「そっか。おめでとう、リリー」
「え――? 断ってしまったのに、なんで?」
「明るい未来に、一歩、踏み出したことへの、祝福だよ」
僕が知る限り、リリーの人生の中で、初めての思い切った選択だ。常に、大人しく、従順で、素直だったリリーにしては、とても勇気のいる行動だったと思う。
「……ありがとう。ツバサちゃんに、そう言ってもらえるのが、一番、嬉しいわ。私は、てっきり、あきれられてしまかと、思っていたから」
「僕が、リリーのすることに、反対なんてするはずないよ。どんな道を選んだとしても、僕は、全力で応援するから。これからも、自分の思う通りに進めばいいよ」
思えば、リリーは、今までの人生の大半を、周りの人に合わせて、生きてきた。ありとあらゆる人に気を使い、遠慮して、自分の想いは、常に後回しだった。特に、アリーシャさんに対しては、あまりに、想いが強すぎた。
親子の愛情といえば、そうなんだろうけど。自分を犠牲にした愛では、けっして、幸せににはなれないのだ。これからは、もっと自分の気持ちを、大切にして欲しい。
「ただ――正直に言うと、自信がないの。これが『本当に正しい選択だったのか?』『最善の道だったのか?』って」
リリーは、少し不安げに語る。
「選択には、正解も不正解も、ないと思うよ。未来にならなきゃ、結果が分からないんだから。それに、どんな道の先にも、必ず幸せがあるから。大事なのは、自分が納得しているかどうかだけ。あとはもう、全力で、その道を進んで行くだけだよ」
「そうね。自分の選択を信じて、全力で頑張るわ」
ようやく彼女に、柔らかな笑顔が戻った。
本当は、数え切れないほどの、葛藤があったに違いない。今だって、いろんな悩みや不安を、抱えているのだろう。人生を変える選択とは、そんなに簡単なものじゃないのだから。
これから先、リリーがどんな道を進んで行くのか、気にはなるけど。変に詮索するのは、やめておこう。一歩、踏み出せただけで、今は十分だ。
「よし、そうと決まれば、今日は、とくとん飲むぞー!」
「ほどほどにね。いつも、酔いつぶれちゃんだから」
「へーき、へーき。どうせ、リリーが、優しく介抱してくれるんだから」
「もう、ツバサちゃんったら」
リリーは、楽しそうに微笑む。
どうか、リリーが、心から笑える日が来ますように。どうか、彼女が、世界一、幸せになれますように。それまでは、全力で、応援していこう。でも、僕にできるのは、温かく見守ることだけだ。
結局、幸せとは、自分自身の手でしか、掴めないものなのだから……。
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次回――
『人の想いは常にすれ違うものなのだろうか?』
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