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第8部 分かたれる道

3-4僕の一番の願いは彼女が笑顔になることだけだ

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 時間は、十九時過ぎ。僕は、エア・カートに乗って〈東地区〉の上空を飛んでいた。後部座席には、大量の袋や箱、ビンが置いてある。つい先ほどまで〈南地区〉の〈シルフィード・モール〉で、買い物をしていたからだ。

 待ち合わせは、十八時だったけど。買い物をしていたら、すっかり、遅くなってしまった。最初は、軽く済ますつもりだったけど、つい熱中してしまったのだ。

 僕は、あまり、選ぶのに時間を掛けない。気のおもむくままに、どんどん手を伸ばして行く。だから、つい衝動買いで、余計な物まで、買っちゃうんだよね。でも、ストレス解消には、最高だ。

 結局、目に付いた、美味しそうなものを、買えるだけ買い込んで来た。どう見ても、一日では、食べ切れない量だ。でも、今日は、特別な日だから、いいよね。きっと、リリーも、許してくれるはずだ。

 しばらく飛んでいくと、見慣れた家の屋根が見えてきた。ゆっくりと、敷地の中に降りていく。僕は、エア・カートを降りると、後部座席の荷物を、必死になって、全部、引っ張り出す。

 両腕に、袋をいくつも引っ掛け、腕にも、大きな箱を抱え込む。流石に今日は、買い過ぎたかもしれない。奮発して、高価な物も、たくさん買ったので、かなりの出費だった。

 しかし、リリーが喜んでくれるなら、安いものだ。彼女が、笑ってくれるなら、僕は、何だってやるつもりだから。

 ただ、今日は、果たして、笑ってくれるだろうか? あんなことが、あったばかりだし。リリーは、物凄く繊細だからなぁ。

 僕は、人を笑わせたり、楽しませるのが、大好きだ。アリーシャさんが、そういう人だったから。いつも一緒にいて、自然に、身についたのかもしれない。そう考えると、アリーシャさんは、僕の先生だよね。

 子供のころから、人を楽しませるのは得意で、自信があった。でも、唯一、リリーの時だけは、ちょっと、緊張するんだよね。おそらく、僕が知っている中で、一番、笑わせるのが、難しい相手だ。

 愛想笑いが多くて、心から笑うことは、滅多にないし。何といっても、真面目すぎる。あの楽天的で、大雑把なアリーシャさんから、何で、リリーみたいな子が生まれたのか、いまだに謎だ。まぁ、真面目な子は好きだから、いいんだけどね。

 僕は、扉の前に立つと、呼び出しパネルにタッチした。すると、すぐに、リリーの声が聞こえて来る。

「はい」
「ゴメン、遅くなって。手がふさがってるから、扉開けてくれる?」

 ほどなくして、扉が開き、リリーが顔を出す。僕を見た瞬間、驚きの表情に変わった。

「えっ?! どうしたのそれ……? 全部、買ってきたの?」
「いやー、つい熱中しちゃってね。でも、リリーが大好きなの、一杯あるよ」

「それは、ありがたいけれど。いくらなんでも、買いすぎじゃない?」
「まぁ、いいじゃん。特別な日だし。三人分なら、ちょうどいい量でしょ?」
「三人分――? えぇ、そうね……」

 僕は、リリーに少し荷物を持ってもらい、家の中に入って行く。

 やっぱり、ここに来ると、ホッとするなぁ。子供のころから、来慣れてるから、実家のようなものだ。

 リビングに向かうと、すでに、テーブルの上には、たくさんの料理が並んでいた。全てリリーの手作りで、とても美味しそうだ。
 
 僕は、キッチンに行くと、持っていた荷物を、全て置いた。袋から取り出しながら、リリーに声を掛ける。

「リリーの手料理が多すぎて、全部は、テーブルにのらないかなぁ」  
「だって、ツバサちゃん、たくさん食べるでしょ? それに、そんなに買ってくるとは、思わなかったから」

「でも、アリーシャさんがいたら、余裕で完食するよね」
「ウフフッ、そうね」
 リリーは、楽しそうに笑顔を浮かべた。

 どうやら、機嫌はいいようだ。その様子を見て、僕は、ホッと一息ついた。

 テーブルに、並べられるだけ並べると、二人で席について、乾杯する。グラスに入っているのは、リリーが用意してくれた、赤ワインだ。

 香りを楽しんだあと、一口、含んでみる。芳醇な香りが、口いっぱいに広がり、スーッと、喉を通り抜けて行く。流石に、ワインにうるさい、リリーが選んだだけあって、物凄く美味しい。

「リリー、今日は、お疲れ様。とても、素晴らしいスピーチだったよ。天国の人たちや、来ていた全ての人たちの心に、届いたんじゃないかな」

「そう? 緊張していて、あまり、覚えていないのだけど。本当に、上手くできていたかしら?」

「涙を流しながら、聴いている人もいたよ。リリーの言葉は、とても響くからね」
「別に、そんなに力強い言葉では、なかったと思うけど――」

 リリーは、とても穏やかで、話し方も柔らかだ。だから、力強さはない。でも、その優しく静かな声は、心にじんわりと響く。

「言葉は、力だけが大事じゃないよ。優しさや想いのある言葉は、心に染み込んでくるから。今日のリリーの言葉には、強い想いがあったからね。だから、みんなの心に、響いたんだよ」

「聴いた人たちの印象に、深く残って、勇気や希望の種になったと思う。僕も『前に進まなきゃ』って、強く思ったし。他の人たちも、同じ気持ちだったはずだよ」

 僕は、今でも、無性に寂しくなることがある。アリーシャさんは、僕の大好きな人だったから。一緒にいた時間も長く、もう一人の、母親みたいな感じだ。

 だから、彼女がいなくなった時のショックは、言葉では、いい表せないほどの大きさだった。でも、一番、悲しいのは、リリーなのを、よく理解しているから。僕は、彼女の前では、努めて、明るく振る舞っていた。

 それに、悲しんでいても、何も変わらない。なので、悲しみは、夢や希望に、変えて行かなければならないのだ。

「少しでも、皆の力になれたのなら、いいのだけれど……」
 リリーは、手にしたグラスを、静かに見つめながら答える。

「でも、驚いたよ。まさか、リリーが、スピーチを引き受けるとは。今まで、ずっと断ってたのに」

 毎回、オファーは、来ていたようだ。でも、リリーは、心の整理が、ついていなかったのだと思う。慰霊祭に出るだけでも、リリーにとっては、死ぬほど辛いはずだ。嫌でも、悲しい過去と心の痛みを、思い出してしまうのだから――。

「そうね……。でも、もうそろそろ、前に進まないと。風歌ちゃんも、昇進して、どんどん成長しているし。それに、彼女の友達も、壇上に立つことを決意したから」
「あの、ユーメリアという子だね? アリーシャさんが、命懸けで助けた――」

 あの子が、リリーの隣に立っている姿を見て、とても、複雑な気分になった。アリーシャさんが、命を落とす、原因になった子だから。リリーは、平気だったのだろうか……?

「えぇ。少し、お話ししたけど、とても、素直でいい子よ。開口一番で『申し訳ありませんでした』って、謝られて。物凄く、困ってしまったわ。謝ることなんて、何もしていないのに――」

「そう……。なら、いいんだ。アリーシャさんの件で、特に、あの子に、わだかまりは無いんだね?」  
 
「当然よ。彼女は、ただの被害者だもの。それに、あの子を救う決断をしたのは、母の意思よ。私は、その意思を尊重するわ」 
 
 リリーの言葉に、迷いはなかった。ちゃんと、彼女を、受け入れることが出来たのだろう。

「――そうだよね。僕も、アリーシャさんの決断を、支持するよ。そのお蔭で、一人の貴重な命が、救われたのだから」

「でも、やっぱり、アリーシャさんは、かっこいいよなぁ。同じ状況になって、墜落して来るゴンドラに、迷わず、突っ込んで行ける人なんて、他にいないと思うよ」

『グランド・エンプレス』とは、神聖な存在で、聖女のようなものだ。でも、アリーシャさんは、聖女というより、ヒーローに近い感じだった。

 楽天的な癖に、曲がったことは大嫌いで、正義感が強かったし。人一倍、明るくて、太陽のような性格で、とても眩しかった。僕も、あの人のようになりたいと、ずっと思っていたのだ。

 僕もリリーも、二人そろって、アリーシャさんに憧れ、背中を追い掛けていた。でも、目指す方向性が、全く別だった。

 リリーは、とても、清廉なシルフィードを目指した。きっと、アリーシャさんのことを、神格化して、見ていたのだと思う。でも、アリーシャさんは、真っ白で、純粋な心を持っていた。

 僕は、明るく行動的なシルフィードを目指した。明るさ、行動力、正義感など、アリーシャさんの、人間味のある部分に、僕は憧れていたからだ。

 結局、白き翼の『白』の部分はリリーが。『翼』の部分は、僕が受け継いだ訳だ。その両方を持っていたアリーシャさんは、やっぱり、凄い人だったんだよね。

「そうね……。同じ状況だったら、私には、絶対に無理だわ。きっと、足がすくんで、一歩も動けないと思うもの。でも、ツバサちゃんなら、助けに行くのでしょ?」

「うーん、そうだね。たぶん、助けようとは、すると思うよ。でも、一瞬、迷って、その間に事故が起こってしまうかも。その一瞬の迷いが、あるか無いかが、僕とアリーシャさんの、決定的な違いなんだよね」
 
 本当に、即断即決。何をやるにも、迷わない。あんなに思い切りのいい人は、今までに、見たことがない。ただ一人を、除いては――。

「でも、それが、普通だと思うわ。そもそも、私には、何事にも、命を懸けるほどの勇気は、持っていないから……」

「それは、僕も同じだよ。自分の身が安全なら、何でも、してあげるけどね。命懸けとなると、そうそう出来はしないよ。ただ、命懸けでも、平気で動いちゃいそうな子が、すぐ傍にいるじゃない?」

「えっ――?」
 リリーは、一瞬、驚いた表情を浮かべたあと、考え込む。しばらくして、表情を緩めると、静かに答えた。

「……風歌ちゃんね」
「きっと、彼女が、同じ状況にいたら、迷わず、突っ込んで行くだろうね。自分の命も、一切、顧みずに」

 明るく前向きで、ずば抜けた、行動力と勇気。真っ白で純粋で、真っ直ぐな性格。初めて会った時から、彼女が気になっていたのは、きっと、アリーシャさんに、似ていたからだと思う。

「そうね――。どんな、危ないことでも、平気でやっちゃうし。あの子の成長を妨げてしまうから、下手に止められないし。でも、そのせいで、気の小さい私は、いつも、ハラハラしっぱなしだけど」

「本音を言えば、私は『ノア・グランプリ』の出場だって、反対だったの。結果的には優勝して、昇進に繋がったけど。できれば、危険なことは、一切やって欲しくないわ。ただ、毎日、素敵な笑顔を見せてくれれば、それだけでいいの」

 リリーは、心配そうな表情で答えた。

「でも、彼女の笑顔は、その無茶な行動が、あるからじゃない?」  
「そうなのよね……。本当に、困ったものだわ。母と同じで、無鉄砲だから」
 二人で、くすくすと笑う。

「ただ、僕は思うんだ。風歌ちゃんが、リリーの所に来たのは、運命だったんじゃないかって。だって、彼女が家出したのって『三月二十一日』だった訳だし。まるで、アリーシャさんが、導いたみたいじゃん?」

 以前、風歌ちゃんに、アリーシャさんのことを話した時に、そう言っていた。僕も、それを聴いた時は、滅茶苦茶、驚いたのを覚えている。よりによって、アリーシャさんの命日に、家を飛び出して来たのだから。

「本当に、そうかも知れないわね。私が、風歌ちゃんと出会った日も。普段は、全く行かない河原に、急に行きたくなって。彼女の後姿を見たら、なぜか、妙に気になったのよね」

「普段だったら、通り過ぎていたと思うけど。気付いたら、自然に、声を掛けていたの。まだ、ふさぎ込んでいて、他人とは、あまり、関わりたくなかったのに――」

 リリーは、ワイングラスを片手に、思い出しながら、静かに語る。

 確かに、リリーの性格を考えれば、そうだろう。彼女は、子供のころから、かなりの人見知りだし。必要以上に、他人に関わろうとはしなかった。見ず知らずの人間に、自分から声を掛けるようなことは、絶対にしない。

「でもね、一緒にいて、不思議と心地がよかったの。家に招いて、一緒に食事をしたら、人見知りの私が、すぐに打ち解けて。結局、一晩、一緒にいただけで、うちの会社にも、誘ってしまったし」

「彼女が入社後は、毎日が、とても楽しくて。一緒にいるのが、当たり前になってしまったわ。不思議な縁……というよりも、ここまでいくと、完全に運命よね。過保護なのは、分かっているけど。もう二度と、大事な人を、失いたくないから――」

 確かに、リリーの、風歌ちゃんに対する感情は、先輩後輩を域を越えている。まるで、娘を溺愛する、母親みたいな感じだった。でも、それほどまでに、大切な存在なのだ。リリーの心の大きな穴を、風歌ちゃんが、塞いでくれたのだから。

「でも、風歌ちゃんも、上位階級になったんだし。もう、束縛はできないんじゃない? ただでさえ、行動力があるんだから。自分の道を、行くんじゃないかな?」

「えぇ、それは、分かっているわ。だから、私も、自分の道を行かないと。今日のスピーチも、その決意表明のようなものなの。母とも、風歌ちゃんとも、別の道を進んで行くって……」

「そっか。ようやく、本当の意味で、前に進めるんだね」
 僕は、グラスを差し出すと、再び、リリーと乾杯する。

 リリーは、子供のころから、誰かの後ろに、くっついている性格だった。よく言えば、素直で謙虚。悪く言えば、全く主体性のない性格で、常に、誰かに依存していた。

 でも、その彼女が、ようやく前を向いて、自分の足で、道を切り開こうとしている。誰かに憧れたって、同じ道は歩けない。結局、最後は、自分で道を見つけるしかないのだ。

 それでも、リリーが、ガラスのように繊細で、傷つきやすい心を持っているのは、変わらない。これからも、たくさん傷つくことがあるだろうし。いろいろと、背負い込んでしまうだろう。

 だから、例え彼女が、どんな道に進もうとも。どんなに、面倒な状況になろうとも。これからも、僕がリリーのことを、全力で支えて行こうと思う。

 アリーシャさんとの、約束もあるけど。結局、僕は、こんな面倒な性格のリリーが、どうしようもなく、大好きなのだから……。


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次回――
『変わるためには過去を捨てなきゃダメなんだろうか?』

 古い自分を脱ぎ捨てるのは、きっと今!
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