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第8部 分かたれる道
2-4誇り高い生き方は諸刃の剣なのを忘れてはいけない
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私は、エア・カートを運転し〈南地区〉の上空を飛んでいた。つい先ほどまで、観光案内をして、帰路についているところだ。今回のお客様は、中年のご夫婦だった。身なりの整った服装や、品のよい話し方を見る限り、上流階級の人だろう。
しかも、彼らは、私の母をよく知っていた。昔、母に、何度か観光案内を、して貰ったことがあるらしい。それで『白金の薔薇』の娘に会ってみたくて、大陸から観光に来た際に、私を指名してくれたのだ。
結構、こういうお客様は多い。元々は母のファンで、興味本位で、娘の私を見に来るのだ。
いまだに、母の名声も人気も、非常に強かった。現役を引退したあとも、各種雑誌や、MVに出る機会が多いからだ。先日も『月間シルフィード』に、『これからのシルフィード業界の展望』というテーマで、インタビューが載っていた。
正直、母の名声で来てくれたお客様は、あまり嬉しくなかった。ただ、私的な感情は、仕事とは無関係なので、プロとして、完璧な接客をする。今日も、お客様に、最高の案内ができたと思う。
ほどなくして〈ファースト・クラス本社〉が見えてくると、ゆっくり高度を落として行く。大きな敷地の南側にある〈ロサマネッティ館〉の前に、静かに着陸した。
周囲には、何台ものエア・カートが止まっており、他の社員たちが、お客様の対応中だった。ちょうど、時間は四時半なので、観光の帰宅ラッシュ中だ。
着陸すると、運転席を降り、すぐに後部座席に向かう。扉を開けると、手を差し出し、二人をエスコートする。
「本日は、大変お疲れ様でした。観光は、お楽しみいただけましたでしょうか?」
二人が外に出ると、そっと声を掛けた。
「いやー、素晴らしい案内だったよ。流石は『白金の薔薇』のご息女だ。何もかもが、完璧で優雅だったし。『ファースト・クラス一の才女』と、言われるだけはあるね」
「本当に、シルフィードとは、かくあるべきという、素晴らしい対応だったわ。やっぱり『白金の薔薇』の、現役時代の面影があるわね。上品さも美しさも、彼女にそっくりだわ」
二人は、上品で優雅に。でも、とても、嬉しそうに語っていた。見た感じ、かなり満足してくれた様子だ。
とはいえ、観光案内中も、母の話ばかり出てきて、何とも言えない、微妙な気分だった。もちろん、母を褒めてくれるのは、純粋に嬉しい。しかし、ことある度に、比較されるのは、自分を見てくれていないようで、複雑な気分になる。
私は二人を、会社の入口までお見送りすると、踵を返して歩きながら、大きなため息をついた。
「はぁ……こんなものよね。どんなに、最高の仕事をしたとしても。しょせんは、二つ名もない、ただの一般階級なのだから――」
お客様には、私、個人の名前を憶えて欲しい。とはいえ、一般階級では、それも難しい話だ。しかも、母の名前が、いまだに有名すぎて、ますます霞んでしまう。
風歌は『スカイ・プリンセス』に昇進して、どんどん、有名になって来ているのに。私は、どんなに必死に頑張っても、結局は、この程度だ。
たまに、友人や母親に、黒い感情が浮かんでくる。ねたんだところで、どうにもならないのは、分かっているのに。こんな自分が、嫌になって来る……。
とにかく、今は精一杯、頑張って、自分の道を行くだけよ。気持ちを、切り替えましょう。
私は、ガレージに、エア・カートを駐機したあと、敷地の中央にある〈ノヴァーリス館〉に向かった。ここのロビーには、出退勤の記録装置がある。また『エア・マスター』以上だけが使える、休憩用のカフェがあった。
お客様を待つ時間に使ったり、退勤までの、残り時間を潰すのに、使う場合が多い。そのため、この時間は、利用者が多かった。中途半端な時間だったので、私も今日は、ここで、十七時まで過ごすことにした。
〈ノヴァーリス館〉の一階は、とても大きなロビーになっている。敷地の中央にあり、東西南北に出口があるため、移動で通り抜ける人も多い。カフェは、ロビーの奥のほうにある。
ロビーを進んで行くと、何やら、声が聞こえて来た。東に向かう廊下付近で、数人のシルフィードが固まっている。一人の子の周りを、数人が取り囲んでいるうえに、声色を聴く限り、仲良く世間話、という訳ではなさそうだ。
私も、過去に、やられたことがあるので、平和的な状況ではないのが、すぐに分かった。明らかに、敵意のようなものが、周囲に漂っている。
私は、足を止め、一瞬、考えた。今日は、結構、疲れている。なので、就業時間が終わるまでは、心穏やかに過ごしたい。
もし、顔を突っ込めば、面倒事になるのは、目に見えていた。丸く収める自信はあるが、不快な気分になるのは、間違いない。
はぁー……まったく面倒ね。どうして、こんな、人目に付くところでやるのよ? でも、見てしまった以上、放っておく訳にも、いかないわよね――。
私は、小さなため息をつくと、その集団に、ゆっくりと向かって行った。近づくにつれ、声の内容が、ハッキリ聞こえて来る。
「あなた、生意気すぎるのよ。もう少し、目上の者に対する、敬意を払いなさい」
「そうよ。見習いの分際で、その大きな態度はなに?」
「先輩の言うことは、素直に聴く。それが、絶対のルールでしょ?」
どうやら、一人の新人に対して、複数人の先輩が、取り囲んでいるようだ。もちろん、新人の指導は大事だが、言い方が、あまりに荒っぽすぎる。それに、これは指導ではなく、いじめに近い。
だが、取り囲まれていた子は、全く物怖じした様子はなかった。それどころか、鋭い視線で、睨み返している。
「フンッ、そんな暗黙のルール、守る必要があるんですか? 年功序列は、会社のルールでは、ありませんよね? そもそも、歳が一つ二つ上だから、何だって言うんです? 私は、尊敬に値する人以外の言葉は、聴く気はないので」
「だいたい、自分より劣った人間に従うんなんて、馬鹿のやることでしょ? 私を従わせたいなら、せめて、トップになってからにして下さいよ」
彼女は、澄ました顔で言い返す。その瞬間、周囲の敵意が、急激に強くなるのを感じた。
ちょっと、何を考えてるのよ……? そんな言い方をしたら、火に油を注ぐだけじゃないの。言いたいことは、分からなくはないけど。もう少し、言い方ってものが、あるでしょ?
その時、一瞬、彼女と昔の自分の姿が、重なって見えた。そういえば、私も、昔は、あんな感じだった。周囲は全員が敵で、能力が全てだと思っていた。
もっとも、私の場合、目上の者への礼儀は、徹底していたし。言いたいことがあっても、心の中の文句で、済ませていたが。
「このっ、ちょっと成績がいいからって、いい気になって!」
「いくら、成績がトップとはいえ、しょせんは、見習いの中での話でしょ!」
「役立たずの新人が、デカい顔してるんじゃないわよ!」
周囲からは、一斉に、非難の声があがった。あからさまに、敵意をむき出しにして、皆、怒りを隠そうともしない。
だが、新人の子は、全く動じた様子はなく、その怒りを全て、真正面から受け止めていた。先輩、三人を相手に、大した度胸だ。流石に、私でも、ここまではやらない。
今にも、飛び掛かりそうな様子だったので、私は、事が大きくなる前に、止めることにした。
「あなたたち、何をやっているの? 新人、一人を相手に、複数人掛かりとは、褒められた行為ではないわね」
私が声を掛けると、全員の視線が、一斉にこちらに向いた。
「えっ、ナギサお姉様?!」
「ナギサお姉様、ご機嫌よう」
「お疲れ様です、ナギサお姉様」
皆の顔から、一瞬で、怒りの感情が消え、一斉に頭を下げて来た。ただ一人、新人の子を除いては。
でも、これが、普通の反応だった。うちの会社では、年功序列かつ、徹底した階級制度だ。確かに、明確な、会社のルールではない。しかし、これが、昔からの伝統になっている。とても封建的だが、本人も知っていて、入社したはずだ。
「まったく、はしたないわね。このような、人目に付く場所で。〈ファースト・クラス〉の社員として、もう少し、品位を考えたら?」
「――そ、それは。この子が、あまりに、非常識なもので……」
「そうなんです。あまりにも、非礼な態度なのです」
「その――ナギサお姉様からも、何か言って頂けませんか?」
取り囲んでいた子たちは、私に助けを求めるような、視線を送って来た。つい先ほどまで、あれだけ強気だったのに。完全にお手上げ、といった様子だった。
本当に、情けないわね。新人、一人に、集団で攻撃したうえに、最後は、助けを求めるなんて。しょせん、こういう連中は、群れないと何もできない人間だ。とはいえ、年長者として、ここは、丸く収めなければならないわね。
彼女たちから事情を聴くと、その新人の子が、すれ違った際に、挨拶をしなかったのが原因のようだ。会釈一つせず、目線すら合わせず、無視して通り過ぎる。これは、確かに、物凄く非礼な行為だ。
しかも、今回が、初めてではないらしい。過去にも、何度か、注意していたらしいが、全く改善が見られなかった。しかも、上位階級のお姉さま方にも、同じ態度をとっているらしい。
これは、マズイわね……。流石に、上位階級者に対してまで、その態度では。うちの会社は、特に、礼節を重んじているのだから。このままでは、いずれ、お客様に対しても、その非礼な態度が、出てしまうかもしれないし――。
「事情は、分かったわ。でも、それと、あなたたちがやった行為は、別問題よ。明らかに、感情がこもっていたし。指導には、見えなかったわ。あと、集団で取り囲むなんて、卑劣以外の、何ものでもないでしょ?」
「……」
私が言うと、皆、黙り込んでしまった。
その様子を確認すると、今度は、新人の子の前に進み出た。私が、彼女の目を見ると、鋭い視線で、気丈に睨み返してくる。
「なぜ、あなたは、先輩に挨拶をしなかったの? 礼儀作法が重要であることは、講義やミーティングでも、指導があったでしょ?」
私は、静かに、彼女に話しかけた。
「挨拶する相手は、私自身が選びます。挨拶する価値のない人間にも、しなければならないんですか?」
彼女が答えた瞬間、後方から、殺気が沸き上がってくる。私は、後ろに振り返り、目で合図すると、皆、大人しくなった。
再び、新人の子に向き直ると、
「挨拶だけではなく、先輩からのアドバイスも、聴くつもりがないということ?」
冷静に質問する。
「もちろん、自分より優れた人の言葉は、聴くつもりです。ですが、それ以外の人の話は、聴くつもりはありません」
彼女は、あっさりと言い放つ。
「先ほど、あなたは、言っていたわね。トップになってから来いと。トップの言うことなら、聴けるの?」
「はい、もちろんです。自分より優れた人間の言うことを聴くのは、当然ですから」
「そう、話が早くて、助かるわ。つまり、私の言うことなら、何でも聴くということね?」
「は――?」
「私は、見習い時代から、常に成績はトップ。今も、営業成績は、同期の中でトップよ。あと、学校も、首席で卒業しているわ。これでは、不足かしら?」
私が答えると、彼女は初めて、驚きの表情を浮かべた。
しばしの無言のあと、
「……十分です」
彼女は、小さな声で答える。
「なら、言わせてもらうわ。挨拶は、しっかりしなさい。それは、ルールでも何でもなく、レディーとしての、たしなみよ。他人のためにするのではなく、自分の品位を守るためにやりなさい」
「あと、先輩方の言うことは、しっかり聴きなさい。反論したければ、せめて、一人前になってから、することね。見習いに、発言権はない。これは、どこの業界でも、同じことよ。私も、同じ道を、通ってきているわ」
「……」
彼女は、一応、話は聴いているが、完全に納得した感じではなかった。まぁ、そう簡単に、その頑固な性格は、直らないだろう。
「別に、今は、納得いかなくてもいいわ。でも、私の言うことは、聴くのでしょ? 反論があるなら、私より、上の立場になってからになさい。分かった?」
「――はい」
彼女は、小さく答えた。
私は、取り囲んでいた子たちに向き直ると、静かに声を掛ける。
「これで、いいかしら? あなたたちも、指導をするなら、もっと品のある方法でやりなさい」
「はい。お手数をお掛けして、申し訳ありませんでした」
「ナギサお姉様。本当に、ありがとうございました」
「流石は、ナギサお姉様です。大変、勉強になりました」
私が頷くと、皆、一礼して、静かに立ち去って行った。
結局、原因を作ったのは、この子なのだが。どっちもどっちだと思う。それにしても、挨拶一つできない子が、よく〈ファースト・クラス〉に受かったものだ。うちの入社試験は、業界内でも、屈指の難易度なのだから。
能力はもちろん、品位や礼節まで、徹底的に審査される。非常識で、礼儀知らずな人間なら、確実に落とされるはずだ。
「私は、エア・マスターの、ナギサ・ムーンライト。あなたは?」
「ヴィオレッタ・アルマーニ。見習いです」
「先輩、三人を相手に、一歩もひるまなかった気丈さは、大したものね。その強さは、いずれ、大きな武器になるわ」
「えっ……?」
彼女は、意外そうな表情をする。きっと、くどくど、お説教されるとでも、思っていたのだろう。でも、このタイプの頑固な子には、うるさく言っても、時間の無駄だ。それに、気の強い子は、嫌いではない。
「でも、その強さは、本当に大事な時のために、とっておきなさい。むやみやたらに、使うものではないわ。だいたい、あんな連中、自分の誇りを懸けてまで、戦う相手じゃないでしょ?」
「目線を同じ高さに合わせて、争うということは、自分のレベルを下げるだけ。例え、心から納得していなくても、礼節さえ守っていれば、無用な争いは起こらなわ。フリでもいいから、見習いの間は、大人しくしていなさい」
私が、目をじっと見つめると、彼女は静かに頷いた。
「それじゃ、私は行くわ」
一言かけると、私は、踵を返し、歩き始める。
まったく、厄介事は嫌いなのに。つい、顔を突っ込んでしまうのは、私の悪い癖だ。別に、正義感が強い訳ではない。ただ、曲がったことや、卑劣な真似をする人間が、許せないだけだ。
それにしても、どこにでも、いるものね。あぁいう、癖の強い人間は。どうして、波風立てないように、賢くできないのかしら?
だが、自分の見習い時代を思い出すと、あまり、強く言えない気もする。私も昔は、周り中に、敵意を振りまいていた時期があったので。
彼女の目を見れば分かる。誰にも負けず、誰にも屈しない、ほとばしる強い意志とプライド。しかし、気高く生きるのは、方法を間違えれば、敵を増やすだけの、諸刃の剣なのだ。
でも、今の私には、関係ないことね。変な問題さえ起こさなければ、あとは、本人の自由なのだから。
私は、歩く速度を上げると、さっさと、その場を立ち去るのだった……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『例え死んだとしても私は絶対に逃げたりしない』
失っても得るものもある!それは逃げない心だ!
しかも、彼らは、私の母をよく知っていた。昔、母に、何度か観光案内を、して貰ったことがあるらしい。それで『白金の薔薇』の娘に会ってみたくて、大陸から観光に来た際に、私を指名してくれたのだ。
結構、こういうお客様は多い。元々は母のファンで、興味本位で、娘の私を見に来るのだ。
いまだに、母の名声も人気も、非常に強かった。現役を引退したあとも、各種雑誌や、MVに出る機会が多いからだ。先日も『月間シルフィード』に、『これからのシルフィード業界の展望』というテーマで、インタビューが載っていた。
正直、母の名声で来てくれたお客様は、あまり嬉しくなかった。ただ、私的な感情は、仕事とは無関係なので、プロとして、完璧な接客をする。今日も、お客様に、最高の案内ができたと思う。
ほどなくして〈ファースト・クラス本社〉が見えてくると、ゆっくり高度を落として行く。大きな敷地の南側にある〈ロサマネッティ館〉の前に、静かに着陸した。
周囲には、何台ものエア・カートが止まっており、他の社員たちが、お客様の対応中だった。ちょうど、時間は四時半なので、観光の帰宅ラッシュ中だ。
着陸すると、運転席を降り、すぐに後部座席に向かう。扉を開けると、手を差し出し、二人をエスコートする。
「本日は、大変お疲れ様でした。観光は、お楽しみいただけましたでしょうか?」
二人が外に出ると、そっと声を掛けた。
「いやー、素晴らしい案内だったよ。流石は『白金の薔薇』のご息女だ。何もかもが、完璧で優雅だったし。『ファースト・クラス一の才女』と、言われるだけはあるね」
「本当に、シルフィードとは、かくあるべきという、素晴らしい対応だったわ。やっぱり『白金の薔薇』の、現役時代の面影があるわね。上品さも美しさも、彼女にそっくりだわ」
二人は、上品で優雅に。でも、とても、嬉しそうに語っていた。見た感じ、かなり満足してくれた様子だ。
とはいえ、観光案内中も、母の話ばかり出てきて、何とも言えない、微妙な気分だった。もちろん、母を褒めてくれるのは、純粋に嬉しい。しかし、ことある度に、比較されるのは、自分を見てくれていないようで、複雑な気分になる。
私は二人を、会社の入口までお見送りすると、踵を返して歩きながら、大きなため息をついた。
「はぁ……こんなものよね。どんなに、最高の仕事をしたとしても。しょせんは、二つ名もない、ただの一般階級なのだから――」
お客様には、私、個人の名前を憶えて欲しい。とはいえ、一般階級では、それも難しい話だ。しかも、母の名前が、いまだに有名すぎて、ますます霞んでしまう。
風歌は『スカイ・プリンセス』に昇進して、どんどん、有名になって来ているのに。私は、どんなに必死に頑張っても、結局は、この程度だ。
たまに、友人や母親に、黒い感情が浮かんでくる。ねたんだところで、どうにもならないのは、分かっているのに。こんな自分が、嫌になって来る……。
とにかく、今は精一杯、頑張って、自分の道を行くだけよ。気持ちを、切り替えましょう。
私は、ガレージに、エア・カートを駐機したあと、敷地の中央にある〈ノヴァーリス館〉に向かった。ここのロビーには、出退勤の記録装置がある。また『エア・マスター』以上だけが使える、休憩用のカフェがあった。
お客様を待つ時間に使ったり、退勤までの、残り時間を潰すのに、使う場合が多い。そのため、この時間は、利用者が多かった。中途半端な時間だったので、私も今日は、ここで、十七時まで過ごすことにした。
〈ノヴァーリス館〉の一階は、とても大きなロビーになっている。敷地の中央にあり、東西南北に出口があるため、移動で通り抜ける人も多い。カフェは、ロビーの奥のほうにある。
ロビーを進んで行くと、何やら、声が聞こえて来た。東に向かう廊下付近で、数人のシルフィードが固まっている。一人の子の周りを、数人が取り囲んでいるうえに、声色を聴く限り、仲良く世間話、という訳ではなさそうだ。
私も、過去に、やられたことがあるので、平和的な状況ではないのが、すぐに分かった。明らかに、敵意のようなものが、周囲に漂っている。
私は、足を止め、一瞬、考えた。今日は、結構、疲れている。なので、就業時間が終わるまでは、心穏やかに過ごしたい。
もし、顔を突っ込めば、面倒事になるのは、目に見えていた。丸く収める自信はあるが、不快な気分になるのは、間違いない。
はぁー……まったく面倒ね。どうして、こんな、人目に付くところでやるのよ? でも、見てしまった以上、放っておく訳にも、いかないわよね――。
私は、小さなため息をつくと、その集団に、ゆっくりと向かって行った。近づくにつれ、声の内容が、ハッキリ聞こえて来る。
「あなた、生意気すぎるのよ。もう少し、目上の者に対する、敬意を払いなさい」
「そうよ。見習いの分際で、その大きな態度はなに?」
「先輩の言うことは、素直に聴く。それが、絶対のルールでしょ?」
どうやら、一人の新人に対して、複数人の先輩が、取り囲んでいるようだ。もちろん、新人の指導は大事だが、言い方が、あまりに荒っぽすぎる。それに、これは指導ではなく、いじめに近い。
だが、取り囲まれていた子は、全く物怖じした様子はなかった。それどころか、鋭い視線で、睨み返している。
「フンッ、そんな暗黙のルール、守る必要があるんですか? 年功序列は、会社のルールでは、ありませんよね? そもそも、歳が一つ二つ上だから、何だって言うんです? 私は、尊敬に値する人以外の言葉は、聴く気はないので」
「だいたい、自分より劣った人間に従うんなんて、馬鹿のやることでしょ? 私を従わせたいなら、せめて、トップになってからにして下さいよ」
彼女は、澄ました顔で言い返す。その瞬間、周囲の敵意が、急激に強くなるのを感じた。
ちょっと、何を考えてるのよ……? そんな言い方をしたら、火に油を注ぐだけじゃないの。言いたいことは、分からなくはないけど。もう少し、言い方ってものが、あるでしょ?
その時、一瞬、彼女と昔の自分の姿が、重なって見えた。そういえば、私も、昔は、あんな感じだった。周囲は全員が敵で、能力が全てだと思っていた。
もっとも、私の場合、目上の者への礼儀は、徹底していたし。言いたいことがあっても、心の中の文句で、済ませていたが。
「このっ、ちょっと成績がいいからって、いい気になって!」
「いくら、成績がトップとはいえ、しょせんは、見習いの中での話でしょ!」
「役立たずの新人が、デカい顔してるんじゃないわよ!」
周囲からは、一斉に、非難の声があがった。あからさまに、敵意をむき出しにして、皆、怒りを隠そうともしない。
だが、新人の子は、全く動じた様子はなく、その怒りを全て、真正面から受け止めていた。先輩、三人を相手に、大した度胸だ。流石に、私でも、ここまではやらない。
今にも、飛び掛かりそうな様子だったので、私は、事が大きくなる前に、止めることにした。
「あなたたち、何をやっているの? 新人、一人を相手に、複数人掛かりとは、褒められた行為ではないわね」
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「えっ、ナギサお姉様?!」
「ナギサお姉様、ご機嫌よう」
「お疲れ様です、ナギサお姉様」
皆の顔から、一瞬で、怒りの感情が消え、一斉に頭を下げて来た。ただ一人、新人の子を除いては。
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「まったく、はしたないわね。このような、人目に付く場所で。〈ファースト・クラス〉の社員として、もう少し、品位を考えたら?」
「――そ、それは。この子が、あまりに、非常識なもので……」
「そうなんです。あまりにも、非礼な態度なのです」
「その――ナギサお姉様からも、何か言って頂けませんか?」
取り囲んでいた子たちは、私に助けを求めるような、視線を送って来た。つい先ほどまで、あれだけ強気だったのに。完全にお手上げ、といった様子だった。
本当に、情けないわね。新人、一人に、集団で攻撃したうえに、最後は、助けを求めるなんて。しょせん、こういう連中は、群れないと何もできない人間だ。とはいえ、年長者として、ここは、丸く収めなければならないわね。
彼女たちから事情を聴くと、その新人の子が、すれ違った際に、挨拶をしなかったのが原因のようだ。会釈一つせず、目線すら合わせず、無視して通り過ぎる。これは、確かに、物凄く非礼な行為だ。
しかも、今回が、初めてではないらしい。過去にも、何度か、注意していたらしいが、全く改善が見られなかった。しかも、上位階級のお姉さま方にも、同じ態度をとっているらしい。
これは、マズイわね……。流石に、上位階級者に対してまで、その態度では。うちの会社は、特に、礼節を重んじているのだから。このままでは、いずれ、お客様に対しても、その非礼な態度が、出てしまうかもしれないし――。
「事情は、分かったわ。でも、それと、あなたたちがやった行為は、別問題よ。明らかに、感情がこもっていたし。指導には、見えなかったわ。あと、集団で取り囲むなんて、卑劣以外の、何ものでもないでしょ?」
「……」
私が言うと、皆、黙り込んでしまった。
その様子を確認すると、今度は、新人の子の前に進み出た。私が、彼女の目を見ると、鋭い視線で、気丈に睨み返してくる。
「なぜ、あなたは、先輩に挨拶をしなかったの? 礼儀作法が重要であることは、講義やミーティングでも、指導があったでしょ?」
私は、静かに、彼女に話しかけた。
「挨拶する相手は、私自身が選びます。挨拶する価値のない人間にも、しなければならないんですか?」
彼女が答えた瞬間、後方から、殺気が沸き上がってくる。私は、後ろに振り返り、目で合図すると、皆、大人しくなった。
再び、新人の子に向き直ると、
「挨拶だけではなく、先輩からのアドバイスも、聴くつもりがないということ?」
冷静に質問する。
「もちろん、自分より優れた人の言葉は、聴くつもりです。ですが、それ以外の人の話は、聴くつもりはありません」
彼女は、あっさりと言い放つ。
「先ほど、あなたは、言っていたわね。トップになってから来いと。トップの言うことなら、聴けるの?」
「はい、もちろんです。自分より優れた人間の言うことを聴くのは、当然ですから」
「そう、話が早くて、助かるわ。つまり、私の言うことなら、何でも聴くということね?」
「は――?」
「私は、見習い時代から、常に成績はトップ。今も、営業成績は、同期の中でトップよ。あと、学校も、首席で卒業しているわ。これでは、不足かしら?」
私が答えると、彼女は初めて、驚きの表情を浮かべた。
しばしの無言のあと、
「……十分です」
彼女は、小さな声で答える。
「なら、言わせてもらうわ。挨拶は、しっかりしなさい。それは、ルールでも何でもなく、レディーとしての、たしなみよ。他人のためにするのではなく、自分の品位を守るためにやりなさい」
「あと、先輩方の言うことは、しっかり聴きなさい。反論したければ、せめて、一人前になってから、することね。見習いに、発言権はない。これは、どこの業界でも、同じことよ。私も、同じ道を、通ってきているわ」
「……」
彼女は、一応、話は聴いているが、完全に納得した感じではなかった。まぁ、そう簡単に、その頑固な性格は、直らないだろう。
「別に、今は、納得いかなくてもいいわ。でも、私の言うことは、聴くのでしょ? 反論があるなら、私より、上の立場になってからになさい。分かった?」
「――はい」
彼女は、小さく答えた。
私は、取り囲んでいた子たちに向き直ると、静かに声を掛ける。
「これで、いいかしら? あなたたちも、指導をするなら、もっと品のある方法でやりなさい」
「はい。お手数をお掛けして、申し訳ありませんでした」
「ナギサお姉様。本当に、ありがとうございました」
「流石は、ナギサお姉様です。大変、勉強になりました」
私が頷くと、皆、一礼して、静かに立ち去って行った。
結局、原因を作ったのは、この子なのだが。どっちもどっちだと思う。それにしても、挨拶一つできない子が、よく〈ファースト・クラス〉に受かったものだ。うちの入社試験は、業界内でも、屈指の難易度なのだから。
能力はもちろん、品位や礼節まで、徹底的に審査される。非常識で、礼儀知らずな人間なら、確実に落とされるはずだ。
「私は、エア・マスターの、ナギサ・ムーンライト。あなたは?」
「ヴィオレッタ・アルマーニ。見習いです」
「先輩、三人を相手に、一歩もひるまなかった気丈さは、大したものね。その強さは、いずれ、大きな武器になるわ」
「えっ……?」
彼女は、意外そうな表情をする。きっと、くどくど、お説教されるとでも、思っていたのだろう。でも、このタイプの頑固な子には、うるさく言っても、時間の無駄だ。それに、気の強い子は、嫌いではない。
「でも、その強さは、本当に大事な時のために、とっておきなさい。むやみやたらに、使うものではないわ。だいたい、あんな連中、自分の誇りを懸けてまで、戦う相手じゃないでしょ?」
「目線を同じ高さに合わせて、争うということは、自分のレベルを下げるだけ。例え、心から納得していなくても、礼節さえ守っていれば、無用な争いは起こらなわ。フリでもいいから、見習いの間は、大人しくしていなさい」
私が、目をじっと見つめると、彼女は静かに頷いた。
「それじゃ、私は行くわ」
一言かけると、私は、踵を返し、歩き始める。
まったく、厄介事は嫌いなのに。つい、顔を突っ込んでしまうのは、私の悪い癖だ。別に、正義感が強い訳ではない。ただ、曲がったことや、卑劣な真似をする人間が、許せないだけだ。
それにしても、どこにでも、いるものね。あぁいう、癖の強い人間は。どうして、波風立てないように、賢くできないのかしら?
だが、自分の見習い時代を思い出すと、あまり、強く言えない気もする。私も昔は、周り中に、敵意を振りまいていた時期があったので。
彼女の目を見れば分かる。誰にも負けず、誰にも屈しない、ほとばしる強い意志とプライド。しかし、気高く生きるのは、方法を間違えれば、敵を増やすだけの、諸刃の剣なのだ。
でも、今の私には、関係ないことね。変な問題さえ起こさなければ、あとは、本人の自由なのだから。
私は、歩く速度を上げると、さっさと、その場を立ち去るのだった……。
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次回――
『例え死んだとしても私は絶対に逃げたりしない』
失っても得るものもある!それは逃げない心だ!
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2021/02/19 第一部完結
2021/02/21 第二部連載開始
2021/05/05 第二部完結
無能なので辞めさせていただきます!
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カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
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https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
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※この世界では、杖と魔法を使って戦闘を行います。しかし、あの稲妻型の傷を持つメガネの少年のように戦うわけではありません。どうやって戦うのかは、本文を読んでのお楽しみです。杖で戦う戦士のことを、本文では杖士(ブレイカー)と描写しています。
※舞台の雰囲気は中世ヨーロッパ〜近世ヨーロッパに近いです。
〜『デイブレイク』のメンバー紹介〜
・クリス(男・エルフ・570歳)
チームのリーダー。もともとはエルフの貴族の家系だったため、上品で高潔。白く透明感のある肌に、整った顔立ちである。エルフ特有のとがった耳も特徴的。メンバーからも信頼されているが……
・アキラ(男・人間・29歳)
杖術、身体能力、頭脳、魔力など、あらゆる面のバランスが取れたチームの主力。独特なユーモアのセンスがあり、ムードメーカーでもある。唯一の弱点が……
・ジャック(男・人間・34歳)
怪物級の魔力を持つ杖士。その魔力が強大すぎるがゆえに、普段はその魔力を抑え込んでいるため、感情をあまり出さない。チームで唯一の黒人で、ドレッドヘアが特徴的。戦闘で右腕を失って以来義手を装着しているが……
・ランラン(女・人間・25歳)
優れた杖の腕前を持ち、チームを支える杖士。陽気でチャレンジャーな一面もあり、可愛さも武器である。性格の共通点から、アキラと親しく、親友である。しかし実は……
・シエナ(女・人間・28歳)
絶世の美女。とはいっても杖士としての実力も高く、アキラと同じくバランス型である。誰もが羨む美貌をもっているが、本人はあまり自信がないらしく、相手の反応を確認しながら静かに話す。あるメンバーのことが……
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