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第7部 才能と現実の壁
4-5ちょっと寄り道したらヤバイことに巻き込まれた……
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私は〈東地区〉の海岸沿いを、黙々と走っていた。ここは、ゴムチップで舗装された、ランニング専用のコースが、数キロ続いている。〈新南区〉は、歓楽街で、ごみごみしているので、いつも〈東地区〉まで、走りに来ているのだ。
今日は平日だけど、試合が近いので、午前中からジムに通っていた。私は、強化選手なので『トレーニング有給休暇』が使える。そのため、シルフィードの勤務時間中にも、練習をすることが可能だ。
ミラ先輩ほどの猛者だと、試合の数日前に、集中的に調整をするぐらいで、普段は、本業に従事している。でも、私の場合は、まだまだ、実力不足だ。なので、試合の一週間ぐらい前から、トレーニングに専念している。
と言っても、結局は、ロードワークや筋トレなどの、基礎トレーニングがメインだ。これは、全てミラ先輩の指示だった。
『強靭な肉体と精神が九割。テクニックは、スパイスに過ぎない』というのが、ミラ先輩の口癖だ。だから、常に、体を鍛えるトレーニングを、最優先にしている。
確かに、ミラ先輩は、圧倒的に強靭なフィジカルで、全ての敵をなぎ倒していた。なので、その言葉は、物凄く正論だ。なんせ『史上最強のフィジカルを持つ格闘家』と、評価されているのだから。
でも、私には、そんな恵まれた肉体はない。昔から、ヒョロッとしていて、いくら鍛えても、あまり、筋肉も付かなかった。そもそも、骨格からして、全く違う。ただ、こればかりは、生まれ持ったものだから、しょうがない。
私の場合、いくら肉体を鍛えても、限界があるんだからさ。もっと、テクニックを磨きたいんだよなぁ。特に、必殺ブローの練習とか、カッコイイやつ……。
ミラ先輩のことは、物凄く尊敬しているし、目指すべき、大きな目標だ。それでも、地味な基礎トレーニングには、今一つ、納得が行かない。本当に、強くなっているのか、よく分からないからだ。
私は、悶々と考えながらも、しっかり、ロードワークをこなす。今まで、ミラ先輩の指示に、逆らったことは、ただの一度もない。
とんでもなく、硬いげんこつが、怖いのもあるけど。何より、心から信頼している。それに、初めて、彼女の試合を見た時から、ずっと私のヒーローだからだ。
物凄く、無茶なこと言うし、滅茶苦茶、強引だし。感覚で物事を言う上に、何でも精神論だ。納得いかないことも、多々あるけど、カッコイイんだよなぁ。
この世で、最もクールなのは、強さだ。その点、彼女は、有無を言わせぬ、圧倒的な強さを持っている。しかも、世界一の強者だ。だから、つい憧れてしまうし、その背中を、追い掛けたくなってしまう。
色々考えながら、走り続けていると、道路を挟んだ左手のほうに、大きな公園が見えて来た。私は、公園のそばで、速度を緩めた。なぜなら、以前にも、似たような光景を、見たことがあるからだ。
そこには、十人ほどの、子供たちが集まっている。その中心には、シルフィードの制服を着た女性が立っていた。何やら、話し込んでいるようだ。
「あいつ、また、あんなところで、油売ってるのか?」
と言いつつも、気になったので、足を止める。私は、道路を渡ると、公園の中に入って行った。
「おいっ、こんな昼間から、またサボリか?」
「あっ、キラリンちゃん! 久しぶりー」
「キ・ラ・リ・スなっ!」
まったく、本当にこいつは、いつ会っても、ユルユルだな。風歌のペースに合わせると、力が抜けてしまう。
「あっ、キラリンだー!」
「キラリンが来たー!」
子供たちも、一斉に真似をする。
「だから、キ・ラ・リ・スだっつーの!!」
「キラリンが、怒ったー」
「キラリン、切れたー」
子供たちは、キャーキャー言って、勝手に盛り上がった。いくら言っても、逆効果なので、私は、眉間をピクピクさせながら、グッと我慢する。
「それより、何やってるんだ? また、ドッジボールか?」
「ううん。今日は、この子たちの、相談に乗ってたの」
「相談って、このガキたちが――?」
先ほどとは違い、風歌は、急な真剣な表情になった。子供たちは、まだ、皆小さい。おそらく、小学生ぐらいだろう。こんな能天気なガキに、悩みがあるようには、全く見えなかった。
どうせ、くだらない内容に違いない。子供の悩みなんて、たかが知れている。何か欲しいものが有るとか、親から怒られたとか、その程度のことだろう。
「この子たち〈あおぞら学園〉に、住んでるんだよね」
「ん……聞いたことあるな。確か、この少し先にある、古びた施設だっけ?」
〈あおぞら学園〉は、孤児院だったはずだ。昔、戦時中は、たくさんの戦災孤児がいた。そのため、孤児院も、たくさんあったそうだ。しかし、今は、ほとんど孤児はいないので、孤児院も、見かけなくなった。
ここ最近、この世界では、全く戦争がないし。これと言った、大きな災害も、起こっていないからだ。それでも、全くいない訳ではない。親が、事故や病気で亡くなったり、複雑な事情の家庭も、稀にあるからだ。
「うん。そこで、ちょっとした、トラブルが発生してね」
「なんだよ、それ? 老朽化とかか?」
「まぁ、それも、あるんだけど。もっと別の、厄介な問題がね――」
風歌は、複雑な表情をして答える。すると、周囲にいた子供たちの顔から、生気が消え、急に沈んだ表情になった。
「おいおい、何だよ? そんなに、深刻な問題なのか?」
建物の老朽化なんて、どこでもある話だ。特に〈東地区〉は、古い建物が多い。
「それがね、立ち退きを要求されてるの。何でも、あそこに、大きなリゾート・ホテルを建てるとかで」
「ふーん。いいんじゃないか? ホテルができりゃ、地域が活性化するし。ここら辺、あまり、大きな建物ないもんなぁ」
目の前が、せっかく海なのに〈東地区〉の海沿いは、手つかずの土地が多い。〈エメラルド・ビーチ〉周辺だけが、開発されており、それ以外のところは、空き地や古い民家ばかりだ。
「そんな、簡単な問題じゃないんだよ。学園がなくなったら、この子たちの住む場所も、なくなっちゃうじゃない」
「でも、立ち退きってことは、それなりの金額で、買い取りだろ? 新しい施設を作るなり、別の孤児院に移れば、いいだけじゃないか?」
「うーん、それが……。どうやら、借金があったみたいで。買い取りじゃなくて『差し押さえ』みたいなんだよね」
なるほど、そういうことか。そりゃ、確かに深刻だ。とはいえ、借金は、自業自得だしな。
「でも、行政府の施設を、勝手に差し押さえなんて、できるのか? そもそも、何で公共施設に、借金があるんだよ?」
「町の持ち物ならね。でも〈あおぞら学園〉は、民間施設だから。元々は学園長が、ボランティアで始めたんだって。孤児院は、年々減少して、この町には、ここを含めて、二ヵ所しかないらしいから」
「ふーん、それでか――。なら、行政府に、相談すればいいんじゃないか? 何らかの援助が、受けられるだろうし。それに、その建設業者だって、流石に、孤児院から、強引に子供を追い出したりは、しないだろ?」
こんなところで、子供たちと話し合っていても、時間の無駄だ。難しいことは、よく分からないけど。役所で相談すれば、行政府が、何とかしてくれるだろう。この町は、福祉が、しっかりしてるみたいだしな。
「相談は、したみたいなんだけどね。行政府の担当者からも、立ち退きを勧められたんだって。借金の証書もあるし、法律上は、立ち退きが正当らしくて。それに、老朽化も進んでるから、安全面でも、立ち退いたほうがいいとかで」
「おいおい、マジかよ? その担当者、完全に、お役所仕事だな……」
法律的には、筋が通ってるかもしれない。でも、行政府が、改修や運営費の資金援助をすれば、丸く収まる話だ。この町は、観光事業で、滅茶苦茶、潤っているのだから。子供の十人程度、簡単に養ってやれるはずだ。
確かに、法律や大人の視点で行けば、立ち退きは、しかたないだろう。でも、子供たちが、大人の事情を、納得するはずがない。それは、子供たちの表情を見れば、すぐに分かった。
私だって、馬鹿じゃない。状況的には、立ち退きのほうに、正当性があるのは、理解している。でも、長いものに巻かれたり、体制側につくのは、性に合わない。それに、物事は、理屈だけじゃなくて、情も必要だ。
あと、子供のころ、散々いじめられて、弱者の辛さは、嫌と言うほど知っている。だからこそ、強者の一方的な圧力に屈するのは、納得がいかないのだ。
「それで、これから、どうするんだよ? 肝心の行政府が、力になってくれないとなると、かなり厄介だぞ。何か手はあるのか?」
「うーん……。それが、今のところ何もなくて。現状では、ひたすら、居座るしかないんだよね。でも、日に日に、脅しが酷くなって来てるみたいで」
「なんだよ、脅しって? 普通の建設業者が、そんなことやって来るのか?」
私が訊くと、風歌は、より一層、深刻的な表情になった。
「こわいおじさんが、毎日、来るの」
「黒い服着た、大きな人たち」
「すっごく、目つき悪いんだよ」
「あれ、わるい人たちだよね」
子供たちが、次々に口を開く。
「って、おいっ?! それ、絶対に、一般人じゃねーだろ? マフィアとか、ヤバイ奴じゃないのか?」
「まふぃあ、ってなにー?」
子供たちは、きょとんとした表情をしている。平和な町だし、まだ、皆小さいから、世の中の闇の部分なんて、全く知らないのだろう。まぁ、純粋な子供たちが、知る必要のないことだが――。
私は、風歌の腕をつかんで、子供たちから離れたところに、引っ張って行った。
「おいおい。お前、どーすんだよ? これ、普通の問題じゃないぞ。ただの、立ち退きとかってレベルじゃ、ないじゃんかよ? 早く立ち退かないと、死傷者が出るかもしれないぞ……」
「えぇ?! そこまで、酷い状況なのっ?」
風歌は、あからさまに、驚きの表情を浮かべる。相変わらず、お気楽というか、物を知らないやつだ。そこのガキどもと、危機意識が、同じじゃんかよ。
「当たり前だろ。マフィアがらみだったら、放火や殺人とか、何でもありだぞ」
「――こんな平和な町に、そんな人たちがいるの?」
「いるんだよ。『BS』っていう、ヤバい奴らがな」
BSとは『黒い白鳥』という〈新南区〉を根城にしている、マフィア集団だ。大陸を始め、世界中に根を張っている。〈グリュンノア〉は、観光都市として有名で、平和でクリーンなイメージが強い。だが、どんなところにも、闇はあるものだ。
特に〈新南区〉は、外資がたくさん入っているうえ、この地区だけ、法律や規制が緩い。そのため、決して、治安がいいとは言えなかった。行政府も、それを理解しているからこそ、本島から隔離したのだ。
「悪いことは言わないから、この件からは、今すぐに、手を引け。お前には、全く関係ない話だし。BSが相手じゃ、どう考えたって、分が悪い。行政府だって、知ってて、関わらないんだと思うぞ」
「そんな……。じゃあ、あの子たちは、どうなるの?」
「別の孤児院に、移るだけだ。流石に行政府だって、子供たちを、見捨てたりはしないだろ。確か〈北地区〉に、行政府が運営している孤児院が、あったはずだ」
戦時中は、各地区に数ヵ所、孤児院があった。しかし、今は世界中が平和なので、孤児はほとんどいない。そのため、年々減ってきているのだ。
「でも、やっぱり、納得いかないよ。あの子たちには、大事な我が家なんだし。それに、何もやらずに諦めるのは、嫌だから。私、やれるだけのことは、やってみたい」
風歌は、しばし黙り込んで考えたあと、とても、真剣な表情で答えた。
「お前、話聴いてたのか? ヤバイ奴らなんだぞ。行政府すら、手を出せない相手に、どうするんだよ? 正義の味方気取りか?」
「どうするかなんて、分からない。でも、泣き寝入りなんて、嫌だよ。別に、正義の味方じゃないけど。シルフィードって、元々は、人助けをするのが仕事でしょ?」
彼女の目は、本気だった。こいつは、いつも、ヘラヘラしているくせに。たまに、こんな熱い表情をする。くそっ、その目は反則だろ? ちょっと、カッコイイじゃんかよ――。
「あぁ、もう……どうなっても、知らないぞ。ったく、しょうがないな。お前だけじゃ頼りないから、付き合ってやるよ」
「えぇっ、本当に?! ありがとう、キラリンちゃん!」
「だからっ、キ・ラ・リ・スなっ!」
私は、大きくため息をついた。正義の味方なんて、柄じゃないのに、何やってんだ私。しかも、試合も近いってのに。こんな面倒事に、自分から首を突っ込んで――。
でも、戦わずに逃げるのは、こりごりだ。昔、散々逃げ回ったり、一方的にやられたりしてたから。もう二度と、あんな惨めな想いはしたくない。
しかし、弱者はいつだって、不条理な力に、なす術なく押しつぶされる。それが、弱肉強食の、世の中の摂理だからだ。
でも、昔の無力な自分とは、まったく違う。今の私なら、何とか出来るんじゃないだろうか? 不条理な力を跳ね返すために、日々鍛えているのだから……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『やっぱ正義の味方なんて性に合わないんだが』
正義の味方は、起きた出来事を効率よく片付けるだけの存在だ
今日は平日だけど、試合が近いので、午前中からジムに通っていた。私は、強化選手なので『トレーニング有給休暇』が使える。そのため、シルフィードの勤務時間中にも、練習をすることが可能だ。
ミラ先輩ほどの猛者だと、試合の数日前に、集中的に調整をするぐらいで、普段は、本業に従事している。でも、私の場合は、まだまだ、実力不足だ。なので、試合の一週間ぐらい前から、トレーニングに専念している。
と言っても、結局は、ロードワークや筋トレなどの、基礎トレーニングがメインだ。これは、全てミラ先輩の指示だった。
『強靭な肉体と精神が九割。テクニックは、スパイスに過ぎない』というのが、ミラ先輩の口癖だ。だから、常に、体を鍛えるトレーニングを、最優先にしている。
確かに、ミラ先輩は、圧倒的に強靭なフィジカルで、全ての敵をなぎ倒していた。なので、その言葉は、物凄く正論だ。なんせ『史上最強のフィジカルを持つ格闘家』と、評価されているのだから。
でも、私には、そんな恵まれた肉体はない。昔から、ヒョロッとしていて、いくら鍛えても、あまり、筋肉も付かなかった。そもそも、骨格からして、全く違う。ただ、こればかりは、生まれ持ったものだから、しょうがない。
私の場合、いくら肉体を鍛えても、限界があるんだからさ。もっと、テクニックを磨きたいんだよなぁ。特に、必殺ブローの練習とか、カッコイイやつ……。
ミラ先輩のことは、物凄く尊敬しているし、目指すべき、大きな目標だ。それでも、地味な基礎トレーニングには、今一つ、納得が行かない。本当に、強くなっているのか、よく分からないからだ。
私は、悶々と考えながらも、しっかり、ロードワークをこなす。今まで、ミラ先輩の指示に、逆らったことは、ただの一度もない。
とんでもなく、硬いげんこつが、怖いのもあるけど。何より、心から信頼している。それに、初めて、彼女の試合を見た時から、ずっと私のヒーローだからだ。
物凄く、無茶なこと言うし、滅茶苦茶、強引だし。感覚で物事を言う上に、何でも精神論だ。納得いかないことも、多々あるけど、カッコイイんだよなぁ。
この世で、最もクールなのは、強さだ。その点、彼女は、有無を言わせぬ、圧倒的な強さを持っている。しかも、世界一の強者だ。だから、つい憧れてしまうし、その背中を、追い掛けたくなってしまう。
色々考えながら、走り続けていると、道路を挟んだ左手のほうに、大きな公園が見えて来た。私は、公園のそばで、速度を緩めた。なぜなら、以前にも、似たような光景を、見たことがあるからだ。
そこには、十人ほどの、子供たちが集まっている。その中心には、シルフィードの制服を着た女性が立っていた。何やら、話し込んでいるようだ。
「あいつ、また、あんなところで、油売ってるのか?」
と言いつつも、気になったので、足を止める。私は、道路を渡ると、公園の中に入って行った。
「おいっ、こんな昼間から、またサボリか?」
「あっ、キラリンちゃん! 久しぶりー」
「キ・ラ・リ・スなっ!」
まったく、本当にこいつは、いつ会っても、ユルユルだな。風歌のペースに合わせると、力が抜けてしまう。
「あっ、キラリンだー!」
「キラリンが来たー!」
子供たちも、一斉に真似をする。
「だから、キ・ラ・リ・スだっつーの!!」
「キラリンが、怒ったー」
「キラリン、切れたー」
子供たちは、キャーキャー言って、勝手に盛り上がった。いくら言っても、逆効果なので、私は、眉間をピクピクさせながら、グッと我慢する。
「それより、何やってるんだ? また、ドッジボールか?」
「ううん。今日は、この子たちの、相談に乗ってたの」
「相談って、このガキたちが――?」
先ほどとは違い、風歌は、急な真剣な表情になった。子供たちは、まだ、皆小さい。おそらく、小学生ぐらいだろう。こんな能天気なガキに、悩みがあるようには、全く見えなかった。
どうせ、くだらない内容に違いない。子供の悩みなんて、たかが知れている。何か欲しいものが有るとか、親から怒られたとか、その程度のことだろう。
「この子たち〈あおぞら学園〉に、住んでるんだよね」
「ん……聞いたことあるな。確か、この少し先にある、古びた施設だっけ?」
〈あおぞら学園〉は、孤児院だったはずだ。昔、戦時中は、たくさんの戦災孤児がいた。そのため、孤児院も、たくさんあったそうだ。しかし、今は、ほとんど孤児はいないので、孤児院も、見かけなくなった。
ここ最近、この世界では、全く戦争がないし。これと言った、大きな災害も、起こっていないからだ。それでも、全くいない訳ではない。親が、事故や病気で亡くなったり、複雑な事情の家庭も、稀にあるからだ。
「うん。そこで、ちょっとした、トラブルが発生してね」
「なんだよ、それ? 老朽化とかか?」
「まぁ、それも、あるんだけど。もっと別の、厄介な問題がね――」
風歌は、複雑な表情をして答える。すると、周囲にいた子供たちの顔から、生気が消え、急に沈んだ表情になった。
「おいおい、何だよ? そんなに、深刻な問題なのか?」
建物の老朽化なんて、どこでもある話だ。特に〈東地区〉は、古い建物が多い。
「それがね、立ち退きを要求されてるの。何でも、あそこに、大きなリゾート・ホテルを建てるとかで」
「ふーん。いいんじゃないか? ホテルができりゃ、地域が活性化するし。ここら辺、あまり、大きな建物ないもんなぁ」
目の前が、せっかく海なのに〈東地区〉の海沿いは、手つかずの土地が多い。〈エメラルド・ビーチ〉周辺だけが、開発されており、それ以外のところは、空き地や古い民家ばかりだ。
「そんな、簡単な問題じゃないんだよ。学園がなくなったら、この子たちの住む場所も、なくなっちゃうじゃない」
「でも、立ち退きってことは、それなりの金額で、買い取りだろ? 新しい施設を作るなり、別の孤児院に移れば、いいだけじゃないか?」
「うーん、それが……。どうやら、借金があったみたいで。買い取りじゃなくて『差し押さえ』みたいなんだよね」
なるほど、そういうことか。そりゃ、確かに深刻だ。とはいえ、借金は、自業自得だしな。
「でも、行政府の施設を、勝手に差し押さえなんて、できるのか? そもそも、何で公共施設に、借金があるんだよ?」
「町の持ち物ならね。でも〈あおぞら学園〉は、民間施設だから。元々は学園長が、ボランティアで始めたんだって。孤児院は、年々減少して、この町には、ここを含めて、二ヵ所しかないらしいから」
「ふーん、それでか――。なら、行政府に、相談すればいいんじゃないか? 何らかの援助が、受けられるだろうし。それに、その建設業者だって、流石に、孤児院から、強引に子供を追い出したりは、しないだろ?」
こんなところで、子供たちと話し合っていても、時間の無駄だ。難しいことは、よく分からないけど。役所で相談すれば、行政府が、何とかしてくれるだろう。この町は、福祉が、しっかりしてるみたいだしな。
「相談は、したみたいなんだけどね。行政府の担当者からも、立ち退きを勧められたんだって。借金の証書もあるし、法律上は、立ち退きが正当らしくて。それに、老朽化も進んでるから、安全面でも、立ち退いたほうがいいとかで」
「おいおい、マジかよ? その担当者、完全に、お役所仕事だな……」
法律的には、筋が通ってるかもしれない。でも、行政府が、改修や運営費の資金援助をすれば、丸く収まる話だ。この町は、観光事業で、滅茶苦茶、潤っているのだから。子供の十人程度、簡単に養ってやれるはずだ。
確かに、法律や大人の視点で行けば、立ち退きは、しかたないだろう。でも、子供たちが、大人の事情を、納得するはずがない。それは、子供たちの表情を見れば、すぐに分かった。
私だって、馬鹿じゃない。状況的には、立ち退きのほうに、正当性があるのは、理解している。でも、長いものに巻かれたり、体制側につくのは、性に合わない。それに、物事は、理屈だけじゃなくて、情も必要だ。
あと、子供のころ、散々いじめられて、弱者の辛さは、嫌と言うほど知っている。だからこそ、強者の一方的な圧力に屈するのは、納得がいかないのだ。
「それで、これから、どうするんだよ? 肝心の行政府が、力になってくれないとなると、かなり厄介だぞ。何か手はあるのか?」
「うーん……。それが、今のところ何もなくて。現状では、ひたすら、居座るしかないんだよね。でも、日に日に、脅しが酷くなって来てるみたいで」
「なんだよ、脅しって? 普通の建設業者が、そんなことやって来るのか?」
私が訊くと、風歌は、より一層、深刻的な表情になった。
「こわいおじさんが、毎日、来るの」
「黒い服着た、大きな人たち」
「すっごく、目つき悪いんだよ」
「あれ、わるい人たちだよね」
子供たちが、次々に口を開く。
「って、おいっ?! それ、絶対に、一般人じゃねーだろ? マフィアとか、ヤバイ奴じゃないのか?」
「まふぃあ、ってなにー?」
子供たちは、きょとんとした表情をしている。平和な町だし、まだ、皆小さいから、世の中の闇の部分なんて、全く知らないのだろう。まぁ、純粋な子供たちが、知る必要のないことだが――。
私は、風歌の腕をつかんで、子供たちから離れたところに、引っ張って行った。
「おいおい。お前、どーすんだよ? これ、普通の問題じゃないぞ。ただの、立ち退きとかってレベルじゃ、ないじゃんかよ? 早く立ち退かないと、死傷者が出るかもしれないぞ……」
「えぇ?! そこまで、酷い状況なのっ?」
風歌は、あからさまに、驚きの表情を浮かべる。相変わらず、お気楽というか、物を知らないやつだ。そこのガキどもと、危機意識が、同じじゃんかよ。
「当たり前だろ。マフィアがらみだったら、放火や殺人とか、何でもありだぞ」
「――こんな平和な町に、そんな人たちがいるの?」
「いるんだよ。『BS』っていう、ヤバい奴らがな」
BSとは『黒い白鳥』という〈新南区〉を根城にしている、マフィア集団だ。大陸を始め、世界中に根を張っている。〈グリュンノア〉は、観光都市として有名で、平和でクリーンなイメージが強い。だが、どんなところにも、闇はあるものだ。
特に〈新南区〉は、外資がたくさん入っているうえ、この地区だけ、法律や規制が緩い。そのため、決して、治安がいいとは言えなかった。行政府も、それを理解しているからこそ、本島から隔離したのだ。
「悪いことは言わないから、この件からは、今すぐに、手を引け。お前には、全く関係ない話だし。BSが相手じゃ、どう考えたって、分が悪い。行政府だって、知ってて、関わらないんだと思うぞ」
「そんな……。じゃあ、あの子たちは、どうなるの?」
「別の孤児院に、移るだけだ。流石に行政府だって、子供たちを、見捨てたりはしないだろ。確か〈北地区〉に、行政府が運営している孤児院が、あったはずだ」
戦時中は、各地区に数ヵ所、孤児院があった。しかし、今は世界中が平和なので、孤児はほとんどいない。そのため、年々減ってきているのだ。
「でも、やっぱり、納得いかないよ。あの子たちには、大事な我が家なんだし。それに、何もやらずに諦めるのは、嫌だから。私、やれるだけのことは、やってみたい」
風歌は、しばし黙り込んで考えたあと、とても、真剣な表情で答えた。
「お前、話聴いてたのか? ヤバイ奴らなんだぞ。行政府すら、手を出せない相手に、どうするんだよ? 正義の味方気取りか?」
「どうするかなんて、分からない。でも、泣き寝入りなんて、嫌だよ。別に、正義の味方じゃないけど。シルフィードって、元々は、人助けをするのが仕事でしょ?」
彼女の目は、本気だった。こいつは、いつも、ヘラヘラしているくせに。たまに、こんな熱い表情をする。くそっ、その目は反則だろ? ちょっと、カッコイイじゃんかよ――。
「あぁ、もう……どうなっても、知らないぞ。ったく、しょうがないな。お前だけじゃ頼りないから、付き合ってやるよ」
「えぇっ、本当に?! ありがとう、キラリンちゃん!」
「だからっ、キ・ラ・リ・スなっ!」
私は、大きくため息をついた。正義の味方なんて、柄じゃないのに、何やってんだ私。しかも、試合も近いってのに。こんな面倒事に、自分から首を突っ込んで――。
でも、戦わずに逃げるのは、こりごりだ。昔、散々逃げ回ったり、一方的にやられたりしてたから。もう二度と、あんな惨めな想いはしたくない。
しかし、弱者はいつだって、不条理な力に、なす術なく押しつぶされる。それが、弱肉強食の、世の中の摂理だからだ。
でも、昔の無力な自分とは、まったく違う。今の私なら、何とか出来るんじゃないだろうか? 不条理な力を跳ね返すために、日々鍛えているのだから……。
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次回――
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正義の味方は、起きた出来事を効率よく片付けるだけの存在だ
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