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第7部 才能と現実の壁
3-7血の繋がりってやっぱり凄いと思う
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朝、六時過ぎ。今日は水曜日で、会社は休みだ。でも、今朝は、五時を少し回ったころに、ベッドを抜け出した。なぜなら、祖母が、うちに滞在しており、昨夜は、ほとんど眠れなかったからだ。
私は、かなり神経質な性格だった。そのため、誰かが家に来る時は、物凄く緊張する。付き合いの長い、ツバサちゃんだけは、唯一の例外だ。でも、疎遠気味だった祖母は、あまり話したこともないし、正直、赤の他人のような存在だった。
そんな私が、よく知らない人を、家に泊めるとなると、物凄く神経をすり減らす。しかも、今日は一日中、一緒に行動しなければならなかった。上手く話せるのか、案内に満足してもらえるのか、全く自信がない。
ちなみに、祖母には、元々母が使っていた部屋に、泊まってもらった。母の部屋は、定期的に掃除して、客間にしてある。といっても、泊まって行くのは、ツバサちゃんぐらいだが。
一応、祖母のことは、たまに、母から聴いていた。お菓子の腕は抜群だが、料理は意外と、大雑把だったらしい。あと、好き嫌いがなく、何でも美味しそうに食べる、とも言っていた。
つまり、お菓子作りだけに特化しており、それ以外は、割と適当だったそうだ。話を聴いた限りでは、母とかなり似ている感じがする。そう考えると、母と同じ接し方で、いいのだろうか……?
私が、ホットサンドを焼いていると、祖母がダイニングに入って来た。
「おはよう、リリーシャ」
彼女は、少し眠そうな表情で、声を掛けて来る。手には、雑誌を持っていた。
「おばあ様、おはようございます。よく眠れましたか?」
「ワクワクしてたら、あまり眠れなかったわ」
「ちょうど、朝食の用意が出来ましたので」
「あら、どれも美味しそうね」
私は、挟んでいたプレートを開いて、ホットサンドを取り出す。お皿にのせると、テーブルにそっと並べた。
席に着き、二人でそろって、祈りの言葉を捧げたあと、食事を始める。
「このホットサンド、とても美味しいわね。チーズの塩気と、はちみつの甘さ、ほんのり効いたスパイスが、絶妙だわ」
「お口に合って、よかったです」
私は、少しほっとして、笑顔で答えた。昔、母から、祖母の好物を聴いておいて、正解だった。
「ところで、今日は、どのお店を回る予定ですか?」
「もちろん、全部よ。このページまで回ったから、今日は、残りの店、全部ね。あと、他にも、おすすめの店があれば、教えてちょうだい」
すでに、回ったというお店だけでも、十件はある。どうりで、昨日、来るのが遅くなったわけだ。まだ、残りのお店が、十三件もある。
「流石に、一日で全て回るのは、厳しいのでは――?」
「何言ってるの、そのために、わざわざ、早起きしたんだから。それに、今日の夜には帰るから、急いで回るわよ」
「えっ?! もう、帰られるのですか?」
「何日も、店を空けられないからねぇ。それに、作ってみたい新作スイーツを、色々ひらめいたのよ」
彼女は、目をキラキラさせながら語る。どうやら、本気で、全てのお店を回る気のようだった……。
******
早めの朝食を終えたあと、私たちは、八時に家を出た。祖母は、もっと早く出掛けたかったらしいが、どのお店も、九時か十時からの開店だ。なので、比較的、早くからやっている、パン屋をめぐることにする。
朝食のパンを買いに来る人のために、一部のパン屋は、八時前からやっていた。朝、忙しい人向けで、出勤中の人や、近所の主婦たちが買いに来る。
この町では、朝食は、焼き立てパンを食べるのが、古くからの伝統だ。特に、この町で生まれ育った『ノアーズ』は、昨日の作り置きのパンは、まず食べない。単に、主食なだけでなく、ソウルフードとしての、こだわりがあるからだ。
なお、パン屋にも、クッキーなどの、焼き菓子が置いてある。それに、菓子パンも、スイーツの参考になるらしい。
祖母は、朝食を食べたばかりだというのに、早くも、次々と味見を開始している。しかも、一切、残さずに、綺麗に完食していた。
『そんなに早くから飛ばして、大丈夫だろか?』と心配したが、以前、母に聴いたことがある。祖母は、甘いものに関しては、無限の胃袋を持っていると――。
数件、パン屋を回り、適度に時間を潰したあと。いよいよ、本命のスイーツのお店に向かう。私は、雑誌の記事の全てのお店から、最も効率のよいルートを計算する。その結果、大人気の混雑店から、順に回ることにした。
お店によっては、開店前から行列が出来ていたり、整理券を配っている場合もある。朝でこの状態なので、時間が経つと、大変な混雑になるからだ。
最初に訪れたのは〈ルシェール〉という、シュークリームの有名店。予想通り、すでに、並んでいる人たちがいた。行列にいるのは、全員、女性だった。みんな、かなりの量を、まとめ買いしていくため、早く行かないと、売り切れになる場合もある。
十分ほど並び、私たちの番が来ると、祖母は、ショーウインドー内の、全種類を注文した。購入したのは、十二個。一つ一つが大きいので、結構な量だ。
「おばあ様、一件目でこれでは、最後まで、もたないのでは……?」
「大丈夫よ。甘いものは別腹だから、いくらでも食べられるもの」
私は、その言葉を聴いた時、ハッとした。それは、母が、昔よく言っていた台詞だからだ。
お店の前のテラス席に座ると、祖母は箱を空け、さっそく味見を始めた。まずは、一つずつ、形をじっくり観察したあと、半分に割って、中身を確かめたり、匂いを嗅いだりする。
その後、一口、食べては、ブツブツとつぶやいていた。物凄く真剣な表情で、今までとは、別人のようだ。
「ほら、あなたも食べなさい。全部、二人で半分ずつよ」
「流石に、この量は――」
「大丈夫よ。美味しいから、いくらでも食べられるわ」
祖母は、全種類、一口ずつ味見を終えたあとは、とても幸せそうな顔で、食べ続けていた。その仕草も表情も、本当に、母とそっくりだ。
私は、半分のシュークリームを、三種類ほど食べたところで、ギブアップした。確かに、どれも美味しいが、クリームが物凄く濃厚で、かなりお腹に溜まる。私は、元々小食なので、あまり多くは食べられない。
結局、残りは全て、祖母が食べつくし、ケロッとした表情で『さぁ、急いで次に行くわよ!』と、元気に立ち上がるのだった。
次に向かったのが〈カッサータ〉という、チーズケーキの専門店。ここも、すでに行列が出来ていたが、午前中だったせいか、割と早めに入店できた。店内は、カフェになっており、中で食べることもできる。
私たちは、席に着くと、メニューにあったケーキを、全種類、注文する。運ばれて来たのは、九種類のチーズケーキだった。私は、一口だけ食べると、あとは全部、祖母が平らげた。甘いものは好きだけど、流石に、朝からこの量はきつい。
次は〈マリア・フルーツパーラー〉に移動した。ここは、人気のプリン専門店だ。思っていた以上に、沢山の種類があり、十五種類ものプリンを注文した。どれも、美味しそうではあったが、私は数種類を、一口、味見しただけ。
そのあとは〈スイーツ・ガーデン〉に向かう。ここは、チョコレート・ケーキの専門店だ。やはり、様々なバリエーションのケーキがあった。高級チョコレートを使っており、味だけではなく、見た目も、非常に洗練されている。
私は、三件目のお店で、すでに限界を超えていた。なので、一種類を、一口、味見しただけで、他は手が出なかった。しかし、祖母は、試食と称しながらも、本気で食べていた。それでも、全く満腹になる様子がなく、ずっと食べ続けている。
食欲というよりは、スイーツに対する、飽くなき情熱なのだと思う。菓子職人としての真剣な表情と、スイーツ好きとしての幸せそうな表情を、交互に浮かべ、黙々と食べていた。こういう、表情が豊かなところも、母にそっくりだ。
正直、最初は祖母が、かなり苦手だった。でも、食べている姿を見ている内に、だんだん、親近感が湧いてきた。もっと、厳格な人かと思っていたが、歳の割には、無邪気な性格だ。心の底から、楽しんでいるように見える。
その後も、間髪入れずに、次々と移動し、祖母は試食を続けて行った。当初の予定通り、残りの十三件を回り、全て完食。さらに、追加で、別のお店にも立ち寄る。結局、一日中、ずっと食べ続けだった。
帰りは、十八時の飛行艇を、予約してあったので、かなりの駆け足で回る。お土産屋に寄るのがやっとで、観光をする暇は、全くなかった。通常なら、数日、掛けて回る量なので、無理もない。
祖母が、大量のお土産を買ったあと、大急ぎで〈グリュンノア国際空港〉に向かった。こんなに慌ただしい観光案内は、初めてだ。そもそも、一泊だけで旅行に来る人は、まずいない。
私は、エア・カートを運転し、隣の助手席には、お腹をさすっている、祖母が座っていた。流石に、食べ過ぎた様子だ。
空気は生暖かいが、程よい風が吹いている。全身を撫でるように通り抜け、とても心地よい。私たちは、無言のまま、静かに空を飛んでいた。
だいぶ、祖母のことが、分かって来た。だが、私は何を話していいのか、分からなかった。お客様としてなのか、家族としてなのか。接し方の距離感が、いまだに、掴めないでいたからだ。
しばらくの沈黙のあと、祖母から話し掛けてきた。
「アリーシャは、私のこと、何か言っていた……?」
「えっ――?」
私は、唐突な言葉に驚き、すぐには、言葉が出てこなかった。出会ってから、母の話など、一言も出てこなかったからだ。話すのは、お菓子の話ばかりで、母のことは、全く興味がないのだと思っていた。
「きっと、私のことを、恨んでいたでしょうね。あの子の夢を認めてあげず、話にも一切、耳を貸さず。菓子作りの技術ばかりを、仕込んでいたのだから……」
「でも、うちは代々続く店だから、私は当たり前のように、親から引き継いだし。アリーシャも、店を継ぐのが、当然だと思っていたのよ」
祖母は、ずっと遠くの方を、少し悲しそうな目で見つめていた。
「おばあ様の話は、よくしていましたよ。お菓子を作る度に、おばあ様なら、もっと上手く作れるとか、世界一の菓子職人だったとか。いつも、誇らしげに、自慢していました」
「アリーシャが――? というか、菓子作りを、続けていたの?」
祖母は、意外そうな表情を浮かべる。
「暇を見つけては、楽しそうに作っていました。あと、今日のおばあ様のように、あちこち、食べ歩いたりして。毎日のように、お菓子を買って来ていたんです。おかげで、私も、すっかり、お菓子が好きになりました」
「あと、私が作るお菓子は、全て母から教わったものなので。おそらくは、おばあ様の技術を、そのまま、引き継いでいると思います。母の使っていたレシピノートは、全て、おばあ様から教わったものだと、言っていましたので」
「そう……」
静かに答えたあと、空港につくまでの間、祖母は無言のままだった。
******
空港に到着し、搭乗手続きを済ませると、私は祖母を見送るため、飛行艇のゲートまで案内した。
「悪かったわね。せっかくの休日に、無理やり、付き合わせてしまって」
「いえ、とても楽しかったです。まるで、母と一緒にいるみたいでした」
「アリーシャと――?」
「仕草も、性格も。台詞まで、そっくりでしたので」
私は、小さく微笑んだ。
本当に、ビックリするほど、そっくりだったのだ。思い付きで行動したり、かなり強引だったり。時折り浮かべる無邪気な顔や、とても幸せそうに食べる表情も。あと、お菓子に対する情熱も、全く同じだ。
一緒に行動している間、何度も、母の姿が重なった。その都度、嬉しさと寂しさの入り混じった、何とも言えない、複雑な感情がこみ上げてきた。
もし、母が生きていたら。祖母と三人そろって、食べ歩きできる日が、来たのだろうか……? 二人に振り回されて、凄く大変そうだけど。それはそれで、物凄く幸せだったに違いない。
「母は、恨んでなんて、いなかったと思います。いつも、とても楽しそうに、お菓子を作っていましたし。自慢こそすれ、一度たりとも、おばあ様のことを、悪く言ったことは有りませんから」
「ただ、罪悪感は、持っていたようです。お店を継がず、勝手に、家を飛び出してしまったことに。だから、申しわけなくて、帰れなかったのだと思います」
母は、大陸を出て〈グリュンノア〉に来てから、一度も、実家に帰っていなかった。でも、本当に嫌いだったら、お菓子など作るはずがない。そもそも、母が使っていたレシピノートは、実家から持って来たものだ。
大嫌いだったら、わざわざ家出の際に、持ってくるとは思えない。本当は、お菓子作りも、祖母のことも、大好きだったのだと思う。ただ、それ以上に、やりたいことが有っただけだ。
祖母は、大きく息を吐き出すと、
「こちらが折れれば、済んだ話なのよね。私が頑固なばかりに――」
小さくつぶやいた。
「それは、母も同じです。物凄く、頑固でしたから」
祖母も母も、ありとあらゆる部分が、そっくり過ぎるのだ。当然、衝突することも、多かっただろう。
あと、いつでも、和解しようと思えば、出来たはずだ。遠いとはいえ、飛行艇に乗れば、普通に行き来できる距離だった。ただ、祖母は、有名パティシエとして。母は、人気シルフィードとして。日々、目の回るような忙しさだった。
社会的な地位と成功が、むしろ、二人の距離を、遠くしてしまったのかもしれない。それに、こんなに早い別れが来るとは、思っても見なかっただろう。いつか、時が解決してくれると、考えていたのだと思う……。
やがて、飛行艇の、出発のアナウンスが流れた。
「それじゃ、私は行くわ。元気でね、リリーシャ」
「はい。おばあ様も、お元気で」
踵を返すと、祖母は、ゲートに向かっていく。最初のころの明るさはなく、その背中からは、哀愁が漂っていた。
少し考えたあと、私は大きく息を吸い込み、
「おばあ様、また来てください! 次に来た時は、私にも、お菓子作りを教えてください!」
精一杯の大きな声で、呼びかけた。
祖母はピタリと足を止め、振り向くと、
「覚悟しておきなさい! 私のしごきは、滅茶苦茶、厳しいわよ!」
笑顔を浮かべながら答えた。
再び踵を返すと、背を向けて歩きながら、彼女は手を振った。私は、祖母の姿が、完全に見えなくなるまで、ずっと見送り続けた。
私たちは、まだ、今からでも、やり直せる。もう二度と、擦れ違ったまま、終わりにしたくはないから。これから、少しずつ、お互いの心の距離を、近付けて行こう……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『付きまとわれたり逃げられたり訳が分からない』
人の気持ちって天気のように難しい
私は、かなり神経質な性格だった。そのため、誰かが家に来る時は、物凄く緊張する。付き合いの長い、ツバサちゃんだけは、唯一の例外だ。でも、疎遠気味だった祖母は、あまり話したこともないし、正直、赤の他人のような存在だった。
そんな私が、よく知らない人を、家に泊めるとなると、物凄く神経をすり減らす。しかも、今日は一日中、一緒に行動しなければならなかった。上手く話せるのか、案内に満足してもらえるのか、全く自信がない。
ちなみに、祖母には、元々母が使っていた部屋に、泊まってもらった。母の部屋は、定期的に掃除して、客間にしてある。といっても、泊まって行くのは、ツバサちゃんぐらいだが。
一応、祖母のことは、たまに、母から聴いていた。お菓子の腕は抜群だが、料理は意外と、大雑把だったらしい。あと、好き嫌いがなく、何でも美味しそうに食べる、とも言っていた。
つまり、お菓子作りだけに特化しており、それ以外は、割と適当だったそうだ。話を聴いた限りでは、母とかなり似ている感じがする。そう考えると、母と同じ接し方で、いいのだろうか……?
私が、ホットサンドを焼いていると、祖母がダイニングに入って来た。
「おはよう、リリーシャ」
彼女は、少し眠そうな表情で、声を掛けて来る。手には、雑誌を持っていた。
「おばあ様、おはようございます。よく眠れましたか?」
「ワクワクしてたら、あまり眠れなかったわ」
「ちょうど、朝食の用意が出来ましたので」
「あら、どれも美味しそうね」
私は、挟んでいたプレートを開いて、ホットサンドを取り出す。お皿にのせると、テーブルにそっと並べた。
席に着き、二人でそろって、祈りの言葉を捧げたあと、食事を始める。
「このホットサンド、とても美味しいわね。チーズの塩気と、はちみつの甘さ、ほんのり効いたスパイスが、絶妙だわ」
「お口に合って、よかったです」
私は、少しほっとして、笑顔で答えた。昔、母から、祖母の好物を聴いておいて、正解だった。
「ところで、今日は、どのお店を回る予定ですか?」
「もちろん、全部よ。このページまで回ったから、今日は、残りの店、全部ね。あと、他にも、おすすめの店があれば、教えてちょうだい」
すでに、回ったというお店だけでも、十件はある。どうりで、昨日、来るのが遅くなったわけだ。まだ、残りのお店が、十三件もある。
「流石に、一日で全て回るのは、厳しいのでは――?」
「何言ってるの、そのために、わざわざ、早起きしたんだから。それに、今日の夜には帰るから、急いで回るわよ」
「えっ?! もう、帰られるのですか?」
「何日も、店を空けられないからねぇ。それに、作ってみたい新作スイーツを、色々ひらめいたのよ」
彼女は、目をキラキラさせながら語る。どうやら、本気で、全てのお店を回る気のようだった……。
******
早めの朝食を終えたあと、私たちは、八時に家を出た。祖母は、もっと早く出掛けたかったらしいが、どのお店も、九時か十時からの開店だ。なので、比較的、早くからやっている、パン屋をめぐることにする。
朝食のパンを買いに来る人のために、一部のパン屋は、八時前からやっていた。朝、忙しい人向けで、出勤中の人や、近所の主婦たちが買いに来る。
この町では、朝食は、焼き立てパンを食べるのが、古くからの伝統だ。特に、この町で生まれ育った『ノアーズ』は、昨日の作り置きのパンは、まず食べない。単に、主食なだけでなく、ソウルフードとしての、こだわりがあるからだ。
なお、パン屋にも、クッキーなどの、焼き菓子が置いてある。それに、菓子パンも、スイーツの参考になるらしい。
祖母は、朝食を食べたばかりだというのに、早くも、次々と味見を開始している。しかも、一切、残さずに、綺麗に完食していた。
『そんなに早くから飛ばして、大丈夫だろか?』と心配したが、以前、母に聴いたことがある。祖母は、甘いものに関しては、無限の胃袋を持っていると――。
数件、パン屋を回り、適度に時間を潰したあと。いよいよ、本命のスイーツのお店に向かう。私は、雑誌の記事の全てのお店から、最も効率のよいルートを計算する。その結果、大人気の混雑店から、順に回ることにした。
お店によっては、開店前から行列が出来ていたり、整理券を配っている場合もある。朝でこの状態なので、時間が経つと、大変な混雑になるからだ。
最初に訪れたのは〈ルシェール〉という、シュークリームの有名店。予想通り、すでに、並んでいる人たちがいた。行列にいるのは、全員、女性だった。みんな、かなりの量を、まとめ買いしていくため、早く行かないと、売り切れになる場合もある。
十分ほど並び、私たちの番が来ると、祖母は、ショーウインドー内の、全種類を注文した。購入したのは、十二個。一つ一つが大きいので、結構な量だ。
「おばあ様、一件目でこれでは、最後まで、もたないのでは……?」
「大丈夫よ。甘いものは別腹だから、いくらでも食べられるもの」
私は、その言葉を聴いた時、ハッとした。それは、母が、昔よく言っていた台詞だからだ。
お店の前のテラス席に座ると、祖母は箱を空け、さっそく味見を始めた。まずは、一つずつ、形をじっくり観察したあと、半分に割って、中身を確かめたり、匂いを嗅いだりする。
その後、一口、食べては、ブツブツとつぶやいていた。物凄く真剣な表情で、今までとは、別人のようだ。
「ほら、あなたも食べなさい。全部、二人で半分ずつよ」
「流石に、この量は――」
「大丈夫よ。美味しいから、いくらでも食べられるわ」
祖母は、全種類、一口ずつ味見を終えたあとは、とても幸せそうな顔で、食べ続けていた。その仕草も表情も、本当に、母とそっくりだ。
私は、半分のシュークリームを、三種類ほど食べたところで、ギブアップした。確かに、どれも美味しいが、クリームが物凄く濃厚で、かなりお腹に溜まる。私は、元々小食なので、あまり多くは食べられない。
結局、残りは全て、祖母が食べつくし、ケロッとした表情で『さぁ、急いで次に行くわよ!』と、元気に立ち上がるのだった。
次に向かったのが〈カッサータ〉という、チーズケーキの専門店。ここも、すでに行列が出来ていたが、午前中だったせいか、割と早めに入店できた。店内は、カフェになっており、中で食べることもできる。
私たちは、席に着くと、メニューにあったケーキを、全種類、注文する。運ばれて来たのは、九種類のチーズケーキだった。私は、一口だけ食べると、あとは全部、祖母が平らげた。甘いものは好きだけど、流石に、朝からこの量はきつい。
次は〈マリア・フルーツパーラー〉に移動した。ここは、人気のプリン専門店だ。思っていた以上に、沢山の種類があり、十五種類ものプリンを注文した。どれも、美味しそうではあったが、私は数種類を、一口、味見しただけ。
そのあとは〈スイーツ・ガーデン〉に向かう。ここは、チョコレート・ケーキの専門店だ。やはり、様々なバリエーションのケーキがあった。高級チョコレートを使っており、味だけではなく、見た目も、非常に洗練されている。
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食欲というよりは、スイーツに対する、飽くなき情熱なのだと思う。菓子職人としての真剣な表情と、スイーツ好きとしての幸せそうな表情を、交互に浮かべ、黙々と食べていた。こういう、表情が豊かなところも、母にそっくりだ。
正直、最初は祖母が、かなり苦手だった。でも、食べている姿を見ている内に、だんだん、親近感が湧いてきた。もっと、厳格な人かと思っていたが、歳の割には、無邪気な性格だ。心の底から、楽しんでいるように見える。
その後も、間髪入れずに、次々と移動し、祖母は試食を続けて行った。当初の予定通り、残りの十三件を回り、全て完食。さらに、追加で、別のお店にも立ち寄る。結局、一日中、ずっと食べ続けだった。
帰りは、十八時の飛行艇を、予約してあったので、かなりの駆け足で回る。お土産屋に寄るのがやっとで、観光をする暇は、全くなかった。通常なら、数日、掛けて回る量なので、無理もない。
祖母が、大量のお土産を買ったあと、大急ぎで〈グリュンノア国際空港〉に向かった。こんなに慌ただしい観光案内は、初めてだ。そもそも、一泊だけで旅行に来る人は、まずいない。
私は、エア・カートを運転し、隣の助手席には、お腹をさすっている、祖母が座っていた。流石に、食べ過ぎた様子だ。
空気は生暖かいが、程よい風が吹いている。全身を撫でるように通り抜け、とても心地よい。私たちは、無言のまま、静かに空を飛んでいた。
だいぶ、祖母のことが、分かって来た。だが、私は何を話していいのか、分からなかった。お客様としてなのか、家族としてなのか。接し方の距離感が、いまだに、掴めないでいたからだ。
しばらくの沈黙のあと、祖母から話し掛けてきた。
「アリーシャは、私のこと、何か言っていた……?」
「えっ――?」
私は、唐突な言葉に驚き、すぐには、言葉が出てこなかった。出会ってから、母の話など、一言も出てこなかったからだ。話すのは、お菓子の話ばかりで、母のことは、全く興味がないのだと思っていた。
「きっと、私のことを、恨んでいたでしょうね。あの子の夢を認めてあげず、話にも一切、耳を貸さず。菓子作りの技術ばかりを、仕込んでいたのだから……」
「でも、うちは代々続く店だから、私は当たり前のように、親から引き継いだし。アリーシャも、店を継ぐのが、当然だと思っていたのよ」
祖母は、ずっと遠くの方を、少し悲しそうな目で見つめていた。
「おばあ様の話は、よくしていましたよ。お菓子を作る度に、おばあ様なら、もっと上手く作れるとか、世界一の菓子職人だったとか。いつも、誇らしげに、自慢していました」
「アリーシャが――? というか、菓子作りを、続けていたの?」
祖母は、意外そうな表情を浮かべる。
「暇を見つけては、楽しそうに作っていました。あと、今日のおばあ様のように、あちこち、食べ歩いたりして。毎日のように、お菓子を買って来ていたんです。おかげで、私も、すっかり、お菓子が好きになりました」
「あと、私が作るお菓子は、全て母から教わったものなので。おそらくは、おばあ様の技術を、そのまま、引き継いでいると思います。母の使っていたレシピノートは、全て、おばあ様から教わったものだと、言っていましたので」
「そう……」
静かに答えたあと、空港につくまでの間、祖母は無言のままだった。
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空港に到着し、搭乗手続きを済ませると、私は祖母を見送るため、飛行艇のゲートまで案内した。
「悪かったわね。せっかくの休日に、無理やり、付き合わせてしまって」
「いえ、とても楽しかったです。まるで、母と一緒にいるみたいでした」
「アリーシャと――?」
「仕草も、性格も。台詞まで、そっくりでしたので」
私は、小さく微笑んだ。
本当に、ビックリするほど、そっくりだったのだ。思い付きで行動したり、かなり強引だったり。時折り浮かべる無邪気な顔や、とても幸せそうに食べる表情も。あと、お菓子に対する情熱も、全く同じだ。
一緒に行動している間、何度も、母の姿が重なった。その都度、嬉しさと寂しさの入り混じった、何とも言えない、複雑な感情がこみ上げてきた。
もし、母が生きていたら。祖母と三人そろって、食べ歩きできる日が、来たのだろうか……? 二人に振り回されて、凄く大変そうだけど。それはそれで、物凄く幸せだったに違いない。
「母は、恨んでなんて、いなかったと思います。いつも、とても楽しそうに、お菓子を作っていましたし。自慢こそすれ、一度たりとも、おばあ様のことを、悪く言ったことは有りませんから」
「ただ、罪悪感は、持っていたようです。お店を継がず、勝手に、家を飛び出してしまったことに。だから、申しわけなくて、帰れなかったのだと思います」
母は、大陸を出て〈グリュンノア〉に来てから、一度も、実家に帰っていなかった。でも、本当に嫌いだったら、お菓子など作るはずがない。そもそも、母が使っていたレシピノートは、実家から持って来たものだ。
大嫌いだったら、わざわざ家出の際に、持ってくるとは思えない。本当は、お菓子作りも、祖母のことも、大好きだったのだと思う。ただ、それ以上に、やりたいことが有っただけだ。
祖母は、大きく息を吐き出すと、
「こちらが折れれば、済んだ話なのよね。私が頑固なばかりに――」
小さくつぶやいた。
「それは、母も同じです。物凄く、頑固でしたから」
祖母も母も、ありとあらゆる部分が、そっくり過ぎるのだ。当然、衝突することも、多かっただろう。
あと、いつでも、和解しようと思えば、出来たはずだ。遠いとはいえ、飛行艇に乗れば、普通に行き来できる距離だった。ただ、祖母は、有名パティシエとして。母は、人気シルフィードとして。日々、目の回るような忙しさだった。
社会的な地位と成功が、むしろ、二人の距離を、遠くしてしまったのかもしれない。それに、こんなに早い別れが来るとは、思っても見なかっただろう。いつか、時が解決してくれると、考えていたのだと思う……。
やがて、飛行艇の、出発のアナウンスが流れた。
「それじゃ、私は行くわ。元気でね、リリーシャ」
「はい。おばあ様も、お元気で」
踵を返すと、祖母は、ゲートに向かっていく。最初のころの明るさはなく、その背中からは、哀愁が漂っていた。
少し考えたあと、私は大きく息を吸い込み、
「おばあ様、また来てください! 次に来た時は、私にも、お菓子作りを教えてください!」
精一杯の大きな声で、呼びかけた。
祖母はピタリと足を止め、振り向くと、
「覚悟しておきなさい! 私のしごきは、滅茶苦茶、厳しいわよ!」
笑顔を浮かべながら答えた。
再び踵を返すと、背を向けて歩きながら、彼女は手を振った。私は、祖母の姿が、完全に見えなくなるまで、ずっと見送り続けた。
私たちは、まだ、今からでも、やり直せる。もう二度と、擦れ違ったまま、終わりにしたくはないから。これから、少しずつ、お互いの心の距離を、近付けて行こう……。
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次回――
『付きまとわれたり逃げられたり訳が分からない』
人の気持ちって天気のように難しい
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第七章 帝国へ~ 史上最恐のダンジョンを攻略せよ~
第八章 クリフ一家と領地改革!?
第九章 魔国へ〜魔族大決戦!?
第十章 自分探しと家族サービス
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