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第7部 才能と現実の壁

1-2いつだって攻めの気持ちを忘れちゃいけないよね

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 夜九時半。シーンと静まり返った、屋根裏部屋。私は、机の前に座布団をしいて、空中モニターを見つめていた。昇級試験は、全てクリアしたけど、この時間は変わらず、勉強を続けている。

 ただ、最近は、学習ファイルではなく、スピを検索するのがメインだった。様々な情報を調べたり、色々と勉強になりそうな記事や本を、次々探して読んでいる。質の高い接客をするには、たくさんの知識や情報が必要だからだ。

 昇級試験の知識は、仕事では、実際に使うことは、ほとんどない。それよりも、今の流行や話題を押さえるほうが、はるかに重要だ。楽しい観光案内には、話題の豊富さは、必須だからね。

 以前は、検索が物凄く苦手で、あまりやってなかったんだけど。毎日、調べ物をしていたら、さすがに慣れて来た。単に、面倒だっただけで、スピも上手く使えば、物凄く便利だ。

 ちなみに、この屋根裏部屋に住み始めてから、二年以上が経つ。でも、部屋の中は、最初のころと、ほとんど変わっていなかった。

 変わったと言えば、座布団が三枚になったこと。あと、折り畳みテーブルを、用意したぐらいかな。これは、来客時に使うためのものだ。

 まぁ、来客といっても、ナギサちゃんとフィニーちゃんしか、来ないけどね。そもそも、何人も入れるような広さじゃないので……。
 
 ただ、フィニーちゃんが、狭いところが大好きらしく、屋根裏部屋を、ことのほか気に入っていた。なので、たまに、ここで食事会をやっている。三人だと、滅茶苦茶、狭いけど、これはこれで楽しかった。

 他は、ほとんど変わっておらず、机の上に、ほんのちょっと、小物が増えたぐらい。でも、これらは、百ベルショップで買ってきた、安物だ。相変わらず、見習い時代と同様に、質素倹約をしている。

 友人と外食に行く時は、そこそこのお店に行くけど。部屋で一人で食事をする時は、一食、三百ベルの生活を続けている。

 うちの会社は、歩合制じゃないし、十分なお給料をもらっていた。中小企業の中では、むしろ、かなり高い水準だ。なので、ここを出て、ちゃんとした部屋を借り、普通に生活することだってできる。

 でも、私は、この慎ましい生活を、変えるつもりはなかった。やっぱり、初心を忘れては、いけないと思うからだ。ここに住んでいると、新人時代のことを、嫌でも思い出す。

 たくさんの辛い経験があったし、ぎりぎりの生活で、日々ひもじい思いもした。しかし、だからこそ、今の私があると思う。成長できたのは、色々な苦労があったからだ。

 それに、私のゴール地点は、エア・マスターじゃない。なので、絶対に、気を緩める訳にはいかなかった。もし、少しでも満足したら、一生このままで、終わってしまいそうな気がするから――。

 黙々と勉強を続けていると、マギコンから、着信音が鳴り響いた。送信者名を確認すると、やはり、ユメちゃんからだ。いつも、ほぼ決まった時間に、メッセージが飛んでくる。

 ユメちゃんとのELエルのやり取りは、リアルでの一件があってからも、ずっと続いていた。こっちに来てから二年以上、毎日、休まずやり取りしている。もはや、欠かすことのできない、日課の一つだ。

 私は急いで、ELを起動する。

『風ちゃん、こんばんは。元気してる?』
『こんばんは、ユメちゃん。元気元気、超元気! そっちはどう?』

『うーん、ぼちぼちかなぁ。てか、学校、超疲れたよー』
『勉強、お疲れさま』

 ユメちゃんは、私に宣言した通り、一年前の四月から、学校に通い始めた。学力は十分にあるので、三年生からの編入も可能だった。ユメちゃんの父親の、知り合いの学長さんも、途中編入を、快く受け入れてくれたそうだ。

 しかし、ユメちゃんは、あえて、一年生から再スタートした。つまり、他の子と比べ、二年遅れだ。普通だったら、二年も遅れるなんて、絶対に嫌がると思うんだけど。ユメちゃんの、強い意向によって、一からやり直すことになった。

 久々の社会復帰なので、最初は、かなり苦労していた。でも、今では、すっかりなじんでいる。まぁ、元々勉強は、全く問題なかったわけだし。あとは、精神的な問題だけなんだよね。

『勉強は好きだから、いいんだけどねぇ。今日は、体育の授業があったんだよー』
『へぇー。叡智学館でも、体育の授業ってあるの?』

『それがねぇ、あるんだよー。優れた叡智には、健康な肉体も必要だって――』
『それは、確かに、一理あると思うなぁ。シルフィードにも、体力は必要だし』

 ユメちゃんは、元々〈西地区〉にある、普通の中学校に通っていた。でも、新たに学校に通い始める際〈北地区〉にある〈ナターシャ叡智学館〉に転校したのだ。

 ここは、四つあるシルフィード校のうちの一つ。『叡智の魔女』の名を冠している通り、学問に力を入れており、この町の中で『最も学力が高い』と言われている。学内には、巨大な図書館があり、ユメちゃんは、これが目当てで入ったらしい。

 通常は、普通の中学に一年、通ってから、シルフィード校で、二年間、専門知識を学ぶ。でも『ナターシャ叡智学館』は、一貫教育で、普通科もある。そのため、一年から三年まで、ずっと一ヶ所で学べるのだ。

『それは、分かるんだけどさぁ。運動は、超苦手なんだよね。私、昔から運動神経サッパリだし』
『運動神経は、置いといて。もうちょい、体力は付けたほうが良さそうだね』

 ユメちゃんは、今では、ごく普通の生活をしている。でも、学校以外は、昔の引きこもり時代と、ほとんど、変わらないんだよね。家に帰ってきたら、すぐに、ベットに寝っ転がって、深夜まで本を読んでいるらしい。

『どうすれば、体力つくかな?』
『うーむ……。じゃあ、一緒に、今年のノア・マラソン出て見る?』

『えぇー?! 無理無理!! 五十キロなんて、絶対に死ぬから!』
『大丈夫だよ。確かに、死にそうにはなるけど、実際には死なないから』

 一昨年、出場した時は、本当に死にそうになったけどね――。

『風ちゃんだって、あんなに苦労してたんだから。私には、絶対に無理だよ。百メートル走だって、息絶え絶えなんだし』
『あははっ、それは重症だね』

 なんだか、ヘロヘロになって走っているユメちゃんの姿が、目に浮かぶようだ。でも、人には、向き不向きがあるから、しょうがないと思う。彼女は、どう考えたって、頭脳労働向きだ。

『友達と、どっかに遊びに行ったりとかは、しないの? 遊びに行くだけでも、体力つくんじゃない?』

『学校帰りに、寄り道したりはするけど。お茶したり、軽くお店を見たりぐらいかな。大人しい子が多いし』

『やっぱり、叡智学館は、大人しい子が多いの?』
『中には、普通に元気な子もいるよ。でも、私のグループは、本好きが多いから。全員、インドアタイプなんだよねぇ』

 なるほど、付き合う友達にもよるよね。私の中学時代の友達って、全員、陸上部だったから、滅茶苦茶、アクティブだったんだよね。全員、体力が無尽蔵だったし。

『友達は、一杯できた?』
『一杯じゃないけど、仲のいい子は、二人できた。毎日、顔を合わせるたびに、本の話をして、凄く楽しいよ』

『そっかー、仲のいい友達ができて、本当によかった。正直、ちょっと、心配だったんだ』

『私、風ちゃんみたいに、コミュ力高くないけど。普通に話すぐらいなら、できるからね』

 ユメちゃんは、基本、明るい子だ。知識が多いから、話題も豊富だし。コミュニケーションで、苦労することはないと思う。ただ、私は、心の傷のほうを、気にしていたのだ。でも、今ではすっかり、過去のことは、吹っ切れた感じがする。

『だよねぇ。まぁ、親心ってやつだよ』
『って、風ちゃんは、いつから、私のママになったの!』
『あははっ』
 
 やはり、あの一件を知ってから、ずっと彼女のことが心配だ。でも、今のところ順調なようで、本当に良かった。

『風ちゃんのほうはどう? エア・マスターになって、仕事が増えたりしたの?』
『うーん……ボチボチ。最初のころに比べて、マシにはなったけど、相変わらずかなぁ。なかなか、ファンが増えなくて(涙)』

『風ちゃん、ファイトー!! 私が何度だって指名するから、超安心して!』
『毎度、ご利用、ありがとうございます』

 実は、ユメちゃんが、定期的に指名を入れてくれている。リトル・ウィッチに昇進したあと、あまりにお客様がいなくて、ELで愚痴をこぼしたことがあった。そしたら、彼女が、指名を入れてくれるようになったのだ。

 私は『悪いから、気を遣わないでいい』と、断ったんだけど。『私がやりたくて、やってるだけだから』と、ユメちゃんは、頑として引かなかった。それ以来、月に数回、予約を入れてくれているのだ。

 ユメちゃん曰く『ファンが推しを応援するのは、当然の行為』らしい。今現在、私の唯一の、常連さんだ。

『でも、何でだろうね? 風ちゃんの観光案内、最高に楽しいのに』
『他のシルフィードの案内だって、普通に楽しいと思うよ。だから、強い個性とか、より多くの人に、知ってもらう必要があるのかも』
 
 流石に、エア・マスターになると、かなりの技術や知識を持っている。当然、接客だって、みんなレベルが高い。だから、他の人たちと同じレベルでは、なかなか認知されないのだ。

『風ちゃんは、十分、個性的だと思うけどなぁ』
『えっ、どんなところが?』

『滅茶苦茶、元気だし。何か、話してて、肩こらないんだよね』
『うーむ。それって、個性って言えるのかな――?』

 元気なのは、昔からだし、私の強みの一つだ。でも、個性というには、弱いと思う。それに、肩が凝らないって、風格や印象が薄い、ってことじゃないだろうか?

『もちろん、個性だよ。こっちも元気になるし。あと、距離感が近くて話しやすいのも、立派な個性だと思うよ』

『でも、それって、私とユメちゃんは、歳が近くて友達だからじゃない? 歳の離れたお客様も、多いからね』

 実際、私の案内するお客様は、ほとんどが年上だった。

『元気さと、コミュ力の高さは、相手の年齢は関係なく、喜んでくれると思うけどなぁ。風ちゃんって、誰とでも、すぐに仲良くなるでしょ?』
『そうだね。気付いたら、仲良くなってる感じ』

『なら、年齢とかは、関係ないよ。誰とでも、友達になっちゃうんだから』
『うーむ。そうなのかなぁ……。距離感については、結構、考えることが多いんだよね。リリーシャさんの場合、しっかり、距離をとってるし』

 リリーシャさんに、限ったことではない。シルフィードは、仕事としてやっているのだから、お客様と距離を置くのは、普通のことだ。私のように、友達感覚で、踏み込んで付き合っていいのか、常々疑問に思っていた。

『お客様と、本気で仲良くなること?』
『うん。もっと距離を置いて、サラッと対応すべきなのかなぁ、なんて思ったりもするんだけど。私、つい踏み込んじゃうんだよねぇ』

『いいじゃん。誰とでも仲良くなる、フレンドリーなシルフィード。私は、そっちのほうが、好きだなぁ』
『本当に、そう思う? 慣れ慣れしくないかな?』

 本来シルフィードとは、美しくて上品な存在だ。一般の人から見れば、高嶺の花。そんな簡単に、手の届く距離にいる、軽い存在ではない。特に、上位階級の人たちは、みんな、雲の上の存在のような感じだ。

『そんなことないよ! 絶対に、今のままがいいから。あとは、何かのキッカケで、世に知れ渡れば、間違いなく、人気になると思うんだけどなぁ』
『問題は、そこだよね。なかなか、そういう機会がなくて』

 大企業と違って、メディアに露出する機会は、滅多にない。リリーシャさんは、割と頻繁に、取材を受けたりしてるけど。私は、一度も経験がない。

『また、ノア・マラソンに、出てみるとか? イベントで目立つのが、一番、手っ取り早くない?』

『それも、考えたんだけどね。一応、来月の「ノア・グランプリ」は、出てみたいなぁ、と思ってるよ』

『それ、いいじゃん! MVに映れば、間違いなく注目されるよ』
『まぁ、出場できればだけどね。予選もあるし、機体も用意しなきゃだから』

 ちなみに、昨年のノア・マラソンは、参加を断念した。本当は出たかったんだけど、立て続けに問題を起こしたら、非常にマズイので。

 でも、今は、エア・マスターだし、出ても怒られたりはしないと思う。さすがに、ほとぼりも冷めてると思うし。ただ、その前に、空の祭典の『ノア・グランプリ』があるのだ。

『風ちゃんなら、大丈夫だよ! サファイア・カップでも、準優勝だったし。ノア・マラソンだって、何だかんだで、完走したじゃない。不可能を可能にするのが、風ちゃんなんだから』

『マメに、SNSをやるような性格じゃないし。もう、完全に、その路線で行くしかないのかもね。無茶な挑戦は、割と好きだからいいけど』

 SNSに動画をアップして、自分を売り込むような、戦略的なことは、私には無理だ。頭を使うのは苦手だから、結局は、体を張るしかないんだよね――。

『そうだよ、行っちゃえ、行っちゃえー!! 全力で応援するから、大丈夫!』
『また、営業停止になったら、慰めてね……』

『オッケー、任せて! 祝勝会でも残念会でも、何でもやってあげるし。最悪、私が風ちゃんを、養ってあげるから』
『あははっ、なら安心だね』

 応援してくれるのは、凄く嬉しいけど、養うって――。ユメちゃんが言うと、冗談に聞こえない。

 その後も、色んな世間話で、盛り上がった。本当は、私がユメちゃんを、元気づけてあげなきゃ、ダメなのに。結局、私のほうが、元気や勇気をもらっている。

 ダメだなぁー、私。色んな意味で、もっと突っ走って行かないと。昇級してから、完全に、守りに入っちゃってるもんね。

 よし、これからも無茶をやって、上を目指して頑張りまっしょい!


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次回――
『どんなに成長しても人の本質は変わらない気がする』

 僕も君も、ごく普通で本質的にありきたりな人間だ
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